解放区の映画専門家レビュー一覧

解放区

「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を監督、俳優としても活動する太田信吾が、浄化作戦の進む大阪市西成区の街とそこに生きる人の姿を活写した人間ドラマ。ドキュメンタリー作家を目指すスヤマは、新たな居場所を探すかのように、釜ヶ崎に漂着する。ドキュメンタリーの手法を用い、そこで息づく人々の生きる姿をリアルに映し出す。第27回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門および2017年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭ゆうばりシネマテークに出品された。
  • 映画評論家

    川口敦子

    友人の自殺を直視したドキュメンタリーに続く監督初の長篇劇映画とプレスにあって劇映画、え!? との肩すかし感とそうよねというまぬけな安堵を共に抱え込んだ。前作にも確信犯的に演出を持ち込んでいたという監督は新作でも迷いなく虚実の境い目に身を置いて、けれどもその狭間は名づけ難く人を食った感触をつきつける。記録であり記憶であると自ら位置づける一作は常にそこにいるキャメラ/嘘を意識させ観客を醒め返らせつつ巻き込むストーリーテラーぶり。正に一見の価値あり。

  • 編集者、ライター

    佐野亨

    ここまで擁護のしようがないダメダメ男をみずから演じる監督の潔さに感心。その徹底ぶりがあればこそ、最後にテープだけは死守しようとする主人公の意地(というか精一杯の虚勢)と逃走がどこか清々しく映える。土地の一面しかとらえられていない、という批判もあろうが、監督が企図したのはダークな観光映画ではなく、なすすべをなくした人間どもの点描であると考えれば合点がいく。ましてこれを「西成への偏見」などを理由に上映中止に追い込んだ大阪市の行政は恥を知るがいい。

  • 詩人、映画監督

    福間健二

    安全とクォリティーの神話を追いだしながら、ふしぎに始末がいい。挿話ごとにぎりぎり危うさを切り抜ける語り方で、人物のいやな部分は先で文句を食らうようになっており、後半の「釜ヶ崎」への踏み込みにはその表裏の要所を粗く撫でるにとどまらない臨場感がある。自演の主人公の愚かさを描くのではなく生きてしまう太田監督の居直り的才覚は何ものかだ。しぶとく、そうではあるが、私的な野心と窮状の辻褄合わせをこえるべき「解放区」への思い、画に僅かでも出ていただろうか。

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