独裁者と小さな孫の映画専門家レビュー一覧

独裁者と小さな孫

クーデターにより幼い孫と共に逃亡を余儀なくされた老独裁者が、行く先々で自分の圧政のために苦しんできた人々を目撃する…。ヨーロッパで亡命生活を続けているイランの巨匠モフセン・マフマルバフがグルジアで撮影したドラマ。2014年11月22日より東京・有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇にて開催された『第15回東京フィルメックス』にて、特別招待作品として上映(同映画祭タイトル「プレジデント」)。2015年劇場公開予定。
  • 映画・漫画評論家

    小野耕世

    「私が新作を撮ると知って中国も興味を示したが、脚本を見せたらすぐ手を引いたよ」とマフマルバル監督が香港で語ったこの映画を私は二度見たが、ヨハン・シュトラウスの曲が流れる開巻の街の夜景からひきこまれてしまう。ジョージアで撮影された独裁者の官邸の横のほうにわざと傾いたような白い建物が移動ショットで映るのがずっと気になっている。現地に行って見てみたいほどだ。従軍慰安婦問題すらも含むと言えそうなこの現代の切実な寓話にはユーモアもある。傑作。また見たい。

  • 映画ライター

    中西愛子

    舞台は、独裁政権下にある架空の国。クーデターが起こり、独裁者と小さな孫は逃亡し海に向かう。独裁者は道中で初めて自らの政権が招いた国民の惨状と怒りを目の当たりにする。ロードムービー的な展開で、ハプニングとサスペンスがうまく仕掛けられている。力の論理がすべての、暴力の荒野のような土地に見える男と女の壮絶な姿。そんな人間の根っこをえぐりながら、独裁、復讐、負の連鎖の本質に近づいていく。一方、孫の描写が生む寓話性が出色。踊る孫の優美に何より救われる。

  • 映画批評

    萩野亮

    目下革命後のさらなる混乱状態にあるアラブ各国を想起せずには見られない映画である。その意味では「神々のたそがれ」(アレクセイ・ゲルマン)と姉妹のような作品だと思う。どちらも架空の国の寓話のようでありながら、むしろそれゆえに現実の政治へのするどい喚起力をもっている。既存の犯罪逃避行ものに形式を得ながら、結末に約束された死(カタルシス)をかぎりなく引き延ばし、問い返すところに、このフィルムの暴力への批判的提言と映画的な野心の両方がゆるぎなくある。

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