虹蛇と眠る女の映画専門家レビュー一覧
虹蛇と眠る女
オスカー女優ニコール・キッドマンが、母国オーストラリアの先住民族アボリジニに伝わる説話を題材にしたサスペンスに主演。砂漠の町に越してきた一家の子供たちが突如姿を消してしまう。行方を捜し憔悴する中、母親は虹蛇の伝説を知る。本作が長編劇映画初作品となるキム・ファラント監督が、原初の自然が残るオーストラリアで伝わる『奥地で行方知れずになる子どもの物語』を甦らせた。ニコール・キッドマンは身も心もさらけ出し、追い詰められていく母を演じる。ほか、「マトリックス」シリーズのヒューゴ・ウィーヴィング、「恋に落ちたシェイクスピア」のジョセフ・ファインズらが出演。
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映画監督、映画評論
筒井武文
朝の食堂を下着で歩き回る娘の描写から、家庭の不協和音は全開になる。性的ヒステリーの軋みは、娘から夫婦間に転移する。娘とその弟の失踪は、犯罪なのか、オーストラリアの未開地帯の伝承に基づく神隠しなのか、映画は答えない。しかし、フィクションである映画としては、合理性と神秘性をごたまぜにすればいいというものでもないだろう。その積極的な混交は、すべてを意味ありげな時空に放り出し、責任を取らない。ニコール・キッドマンを全裸で歩かせれば済むわけではないのだ。
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映画監督
内藤誠
ときに砂嵐が襲うオーストラリア奥地の町に引っ越してきたニコール・キッドマンが突然、娘と息子が行方不明という事態に見舞われる。話はミステリー形式で進むのだが、アボリジニの虹蛇神話や町の荒れた人間関係、心の通わない家族、満たされない性の問題など、新人監督が続々と重要なテーマを提示しては、消化しないまま物語を進めていくので、戸惑ってしまう。故郷で主演するキッドマンの意欲はよく分かるけれど、街中で全身裸体になって歩き出す場面は、興行上のハッタリに見えた。
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映画系文筆業
奈々村久生
「ピクニック?at?ハンギングロック」(75)の流れを汲む正当なオーストラリア映画。少女の失踪、思春期の性、帰って来る者と来ない者といったモチーフを、「女性」の生態と深く絡め合わせて描いた脚本もいい。娘役のマディソン・ブラウンはもちろん、母親のニコール・キッドマンが、娘の事件を通して女性性につきまとう苦難の追体験および年齢と共にアップデートするそれを体現。オーストラリアの過酷な自然は時にファンタジーと結びつくが、別の角度から見れば悪夢になる。
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