バット・オンリー・ラヴの映画専門家レビュー一覧
バット・オンリー・ラヴ
1980~90年代にピンク映画で活躍し、“ピンク四天王”の1人に数えられた佐野和宏が、18年ぶりに脚本・主演兼任で手掛けた監督作。咽頭がんで声帯を失った佐野自身の経験を投影した主人公が、娘が自分の子でないことを知り、苦悩する。映画評論家として活躍する寺脇研が、「戦争と一人の女」に続いてプロデューサーを務めた。
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映画・漫画評論家
小野耕世
「お母さんは本当の親じゃないわ」と娘が言いだしたことで、老夫婦に不安と亀裂が生まれる。夫は演じる俳優の現実そのままに声が出ないという設定なので、彼の表情とその動きに対応する周囲の風景描写が重要になってくる。観客は朝の光やトンネルの闇や川の流れや咲く草花の色彩を目にしみこませまがら夫婦の気持ちにはいっていくことになる。演出も演技もさすがだが、スワッピングの場面が古く感じるのは、私がミシェル・ウェルベックの小説『プラットフォーム』を読んだせいか。
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映画ライター
中西愛子
夫の大病も乗り越えた熟年夫婦。が、ある日、夫は偶然、すでに結婚した娘が自分の血を引いていないことを知る。妻への疑念を抱いた男の壮絶な心の葛藤が始まる。もう決して若くない夫婦のエロスと愛を正面から探る日本映画は珍しいのではないか。性描写はかなり濃厚で、特に後半は倒錯した世界に観客を引きずり込むが、一方で全体をどこか冷静な目で見つめているようなところがあって、それがまた別のエロスを映画にくゆらせている。人間存在にまで触れたディープな内容だと思う。
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映画批評
萩野亮
声をなくした主人公と、よく喋る人たちの群像。せりふは説明的で、展開は唐突である。器用な映画ではない。けれど、中華鍋の炒飯に東京がかさなる淫らなモンタージュにひとたび映画が息づきはじめると、ぼくは自然とかれの声に耳を澄ましている。つましいひとつの家族も、教科書が語るこの国の歴史も、「偽り」こそが支えてきたとするなら、嘘をあばくことにどんな意味があるのだろう。声なき声のふるえ、光なき陽の光に、虚構に身をささげたひとりの男の生きざまを見る思いがした。
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