サラエヴォの銃声の映画専門家レビュー一覧
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映像演出、映画評論
荻野洋一
連続公開の「汚れたミルク」では世界普遍の問題に敷衍したタノヴィッチ映画がこの新作では再び自画像へと原点返りする。ユーゴ内戦の象徴的な建造物であるサラエヴォのホテルでの有象無象を通じ、現代世界における終止符の打てない報復のスパイラルを打ち出しつつ、黄昏の憂愁もただよわせる。グランドホテル形式という点でE・グールディングやゴダールへの、サラエヴォの火薬という点で「マイエルリンクからサラエヴォへ」のM・オフュルスへのリスペクトが見え隠れする。
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脚本家
北里宇一郎
今もなお続くボスニア・ヘルツェゴビナの混乱状況をグランドホテル形式で描いて。経済は行き詰まり、労働者の身分も不安定。女性は生きづらく、ヤクははびこり、地下ヤクザが暗躍する。百年前の暗殺事件は賛否両論、この前の紛争の正否もあやふやなまま。このカオス状態を、目まぐるしいカット・バックの疾走感で、ゴロンと投げ出して。最後の銃弾一発の虚しさ、そして巨大な階段を昇り続けているような男の姿。もうもう監督の苦悩、そのため息が聞こえて。ちと直球すぎの感も。
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映画ライター
中西愛子
タノヴィッチが「ノー・マンズ・ランド」を発表したのが、01年。15年後に撮った本作は、彼が世界の矛盾や紛争、そこに発する人間の愛憎を最先端で問いかけている映画作家だと再認識させられる。原作戯曲は、ホテルの一室でサラエヴォ事件についての演説を練習する男のモノローグ。映画はホテルを舞台にした群像劇に脚色し、広がりのあるドラマに仕上げている。社会的立場と個としての内面のズレ。その小さな隙間を入り口に、壮大な問題提起をしていく話術が人間臭くかつ知的だ。
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