ミセス・ノイズィの映画専門家レビュー一覧

ミセス・ノイズィ

第32回(2019年)東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門で上映され話題を集めたサスペンスドラマ。1枚の布団から始まった小さな口論から火がついた隣人同士の対立が、マスコミやネット社会を巻き込んで、やがて2人の女の運命を狂わせる大事件へ発展していく。出演は「湯を沸かすほどの熱い愛」の篠原ゆき子、「どうしようもない恋の唄」の大高洋子。監督・脚本は「ハッピーランディング」の天野千尋。
  • フリーライター

    須永貴子

    ご近所トラブルは他人事ではないので、お隣の騒音おばさんに悩まされる主人公に感情移入して鑑賞していると、タイトルから始まっていた仕掛けにまんまと引っかかった。中盤でお隣さん視点の描写に切り替わると、主人公の視野の狭さや他者に対する想像力の欠如が明らかになっていく。小説家の主人公は、編集者から「人物も展開も表面的で深みがない」と弱点を指摘される。その言葉は、先入観に囚われて(登場)人物をジャッジする、筆者のような観客を巧みに批判する。

  • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

    山田耕大

    映画のもとになったのは、十数年前に、早朝から布団を叩き、ラジカセから大音量の音楽を流して、近所の住民に精神的苦痛を与えたとして逮捕された奈良の主婦だろう。その主婦はワイドショーなどでこぞって取り上げられ、ギャグのネタにもされた。面白い映画にしたものだ。善良な一人の主婦が滑稽なモンスターにされていく。本当の悪は不特定多数の無責任な我々である。初め笑っていた顔がやがてひきつってくる。荒っぽいが、人を引きつけるには充分だ。

  • 映画評論家

    吉田広明

    騒音おばさんが実は真っ当な人だったら、という発想が面白い。ただ、いささか直線的。「被害者」の視点とおばさんの視点で同じ出来事が語られ、台詞も違っていて観客を惑わせるが、その不確定性は持続せず、おばさん視点が正しいというのが結構早い段階で明らかになってしまう。どちらが正しいのかを逆転させる展開の面白さよりは、どちらが真実なのか分からないという曖昧さのサスペンス、どちらも理があるように見えるという人間社会の複雑さを選ぶ選択もありえたかと思う。

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