愛について語るときにイケダの語ることの映画専門家レビュー一覧
愛について語るときにイケダの語ること
四肢軟骨無形成症と呼ばれる障碍をおった青年、池田英彦の初主演・初監督にして遺作となった性と愛をめぐるドキュメンタリー。スキルス性胃癌ステージ4の宣告を受けた池田は生きているうちにセックスをたくさんしたいと考え、カメラを回し始めた……。イケダの身長は100センチ。「僕の本当の姿を映画にして、見せつけてやる」と考えたイケダは、20年来の親友であり、脚本家・真野勝成を巻き込み、虚実入り乱れた映画の撮影を始める。エンディングは初めからイケダの死と決まっていた。「僕が死んだら必ず映画館で上映してほしい」と言い残して、イケダは2年間の闘病後に逝去する。あとにはイケダが「作品」と呼んだ不特定多数の女性とのセックスを記録した60時間を超す映像が遺された。「相棒」「デスノート Light up the NEW world」などの脚本を手掛ける真野勝成がイケダの遺志を引き継ぎ、プロデューサーとなって映画を完成へと導く。「ナイトクルージング」「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」などの監督作がある佐々木誠が編集を務めた。
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映画評論家
北川れい子
カメラは確かに正直だが、人間という被写体は虚勢をはる。肩から上はふつうの大人で、身体は3~4才児のイケダ。自らカメラを手にして記録した風俗嬢とのセックス映像が、どこか茶目っ気があるのも虚勢なのかも。自作自演が興じてのヤラセの〈理想のデイト〉も、公園のブランコに乗ったり、ぎこちない会話で虚勢をはる。けれども画面に映り込むこの虚勢こそがイケダの凄いところで、その姿から目が離せない。自分の死を前提にしたイケダの愛と性をめぐる冒険に敬意を表したい。
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編集者、ライター
佐野亨
パートナーを亡くした経験のある男性が、自身とパートナーのセックスを映像として残しておけばよかった、と話していたのを聞いたことがある。セックスは、究極的にプライベートないとなみであるがゆえに、その瞬間の無意識的な人間の本性がむきだしになる行為でもある。しかしそれを撮影し始めると、そこにはセックスの相手との関係の先に、自身との対峙を余儀なくされる。善意と悪意、自己と他者との対話。そのなかで悩みもがいた池田さんは、やはり優しい人なのだと感じた。
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詩人、映画監督
福間健二
映画でひとりの人間に出会う。できたつもりでも、隠されている部分が相当あるのが通例。これは、それが少ないと断定したくなる。素材から作品を完成させたのは脚本の真野勝成と構成・編集の佐々木誠だが、どうでもこれを池田英彦の「監督作・遺作」にしているのは、ショッキングな面もあるその「本当の姿」以上に、語る力をもつ池田自身の言葉。いちおう感心したのは、表現としての危うさを、用意した虚構とそこから抜け出してしまうリアルなものという考え方で切り抜ける賢明さ。
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