マイ・ブロークン・マリコの映画専門家レビュー一覧

マイ・ブロークン・マリコ

平庫ワカによる同名漫画を「浜の朝日の嘘つきどもと」のタナダユキ監督、「そして、バトンは渡された」の永野芽郁主演で実写化。鬱屈した日々を送るOLシイノトモヨは、親友のイカガワマリコが亡くなったことを知り、マリコの魂を救うために遺骨を強奪し逃走する。共演は「君は永遠にそいつらより若い」の奈緒、「初恋」の窪田正孝、「とんび」の尾美としのり、「ハナレイ・ベイ」の吉田羊。
  • 脚本家、映画監督

    井上淳一

    虐待父や虐待男の性を含む暴力を甘んじて受け入れる女友達をやはり受け入れる永野芽郁。しかし友達は不意に自殺。即火葬され、遺体との対面も出来ない。本質的に友を救えなかった、救おうとしなかった。だから永野は遺骨を奪って旅に出る。それは欠落した友に自分がいかに依存していたか、自らの欠落を知る旅。ラストの手紙を見せずに成立させるスゴさ。永野の煙草を吸う仕草、生き方まで見えるよう。心の襞の奥まで分け入ろうとするかのような演出。こんな監督に自作を撮ってもらいたい。

  • 日本経済新聞編集委員

    古賀重樹

    生きづらさを抱えた女二人のシスターフッドものだが、片方のマリコは冒頭ですでに死んでおり、すべては残されたシイノの喪の作業として語られる。男たちの暴力に怯え続けたマリコ。そんなマリコを面倒くさいと思いつつ守り続けたシイノ。その暴走ぶりは爽快であると同時に痛々しい。親友の生きづらさを受け止めきれなかった悔恨も含めて、このくだらない世界にたった一人で立ち向かうシイノ自身の生きづらさが、永野芽郁のあられもないアクションを通して鮮やかに立ち上がる。

  • 映画評論家

    服部香穂里

    親友を亡くした悲しみ以上に、ひとり取り残された怒りに突き動かされているがごときシイノの壊れっぷりに、マリコとは違う無自覚ゆえの強靭な図太さが光る。窮地の度に登場する役得の窪田正孝が少々ご都合主義にも映るが、現実と幻想との境目を曖昧に撮っているため、シイノの潜在的バイタリティを覚醒させるためのみに現出した守護神のような存在にも見えてくる。共依存にも似た重めの友情を美化せず客観視する役回りの、飲み屋のおっちゃん連中や“クソ上司”もいい味を出す。

1 - 3件表示/全3件

今日は映画何の日?

注目記事