劇場版 ナオト、いまもひとりっきりの映画専門家レビュー一覧

劇場版 ナオト、いまもひとりっきり

2011年の福島第一原子力発電所事故により全町避難になった福島県富岡町に動物たちと残り続ける松村直登を追ったドキュメンタリーの続編。震災から10年、コロナ下での五輪、形ばかりの町の再建など、矛盾の渦中にある地で暮らす彼を通し、日本の今を考える。前作から続き中村真夕が監督。
  • 脚本家、映画監督

    井上淳一

    ダメと思ったらいつでも全部殺処分しますからと農水省が簡単に言う。だからナオトは残された生き物の面倒をひとりみる。自分も原発に関わった。その贖罪もあるのか。8年に亘る密着。政府の無策。安倍昭恵のサイン色紙。観客のいない聖火リレー。描かれるのは原発で潤った町の末路だ。ナオトの口から出る原発再稼働容認の衝撃。福島も原発も続いている。中村さん、いい仕事をしたと思う。福島の映画を撮っていて助かった。じゃないと恥ずかしさで死ぬところだった。いや、また撮らねば。

  • 日本経済新聞編集委員

    古賀重樹

    松村直登さんはなぜ今も一人で富岡町にいるのか? 我がことのように考えさせられた。誰に求められているのでもない。自分の意志でそこにいる。震災直後に目の前の動物たちに餌をやり始めたときは、理不尽な国の施策への抵抗の思いもあったろう。その後も、蜂を飼い、鶏を飼い、水田を作る。やっぱりそれも理不尽な体制への抵抗なのだと思う。道路や港はできても、人はほとんど戻ってこない。「復興」というお題目ばかりで、形はあっても実を伴わない。そんな理不尽さへの怒りだと。

  • 映画評論家

    服部香穂里

    原発事故を機に生まれた根拠の乏しい膨大な造語の矛盾を、“警戒区域”にはじまりコロコロ形容が変わる富岡町で、見捨てられた動物を世話して独り暮らし続けるナオト氏が、まざまざと体現する。最後に自身もカメラ前に立つ中村監督の、終わりなき原発問題を作品として強引にまとめようとしない誠実さが、監督も含め大半の予想を裏切る、震災前後を肌で知るナオト氏ら当事者ならではの衝撃発言を引き出したふうにも思え、その結果、“復興”とは何かをも問う、ズシリと響く仕上がりに。

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