映画専門家レビュー一覧
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桜色の風が咲く
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映画評論家
北川れい子
この作品のモデルとなった東大教授の若き日とその母親のことは、まったく知らずに映画を観て、自分に活を入れる気になったのは事実である。でも誤解を恐れずにいえば映画としてベタすぎて、これでもかという押し付けがましさが鼻につく。いや、ムリに泣かせようとか感動させたりの演出をしているわけではなく、事実を再現しているだけなのだろうが、9歳で視力を、18歳で聴力まで失った息子と、息子を支え励まし続ける母親の演出が同じ調子で、それがかなり息苦しいのだ。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
私が福島智氏を知ったのは2016年の相模原市津久井やまゆり園での大量殺人に関して氏が自らを意志の表出と疎通を認められぬ側、劣者と選別される側として積極的に発言されていたことからだが、その行動にも、彼の来歴を描くこの映画にも一貫して、障害によって不通となる個々の魂を無視するなという抗議があった。うまい映画ではないが見過ごせず、忘れがたい。「エクソシスト」「震える舌」を親目線から観る苦痛と同じ、対症の日々の具体に胸を突かれる。母役の小雪が見事。
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窓辺にて
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
今泉力哉作品、特に自身のオリジナル脚本作品の特性の一つは、中心を欠いたままどこに辿り着くのかわからないその不安定な美しさにあるが、本作はそんな彼の作家性に深い部分で共鳴している稲垣吾郎という安定感抜群の中心を得て、これまでのフィルモグラフィーで最もすべての焦点がパキッと定まった作品となっている。稲垣同様、今泉作品初出演となる中村ゆり、玉城ティナも他の出演作とは比較にならないほど魅力的。自分にとっては、文句なしに現時点における今泉監督の最高傑作だ。
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映画評論家
北川れい子
固定カメラによる喫茶店のムダ話のような会話が延々と続くのには、またかとウンザリする。意味のない会話で相手の真意を探るのならまだしも、ただ喋っているだけのお喋り。さしずめ今泉監督にあっては意味のないお喋りは知的なゲームのつもりなのだろうが、あげく見えてくるのは妻の浮気を知っても何も感じない男のささやかな戸惑いだとはまさに肩透かし。女子高生作家や、不倫中の友人のエピソードも週刊誌レベル。低体温キャラの稲垣吾郞は一人のときが一番絵になることを発見。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
2019年の阪本順治監督「半世界」のときと同等のしっくりくる適役の稲垣吾郎。「半世界」ではフィジカルな職人的環境のなかで凝縮された力感や熟練の表れとして小さく見えた稲垣氏が本作の都市的精神的環境と風景のなかでふわりと大きく見えた。今泉監督はもっと若い頃は自意識の怪物だった。いまはその異形の凸凹、突出の位置までベースが盛り上がり、その認識も映画も大きくなっている。嫉妬、絶望を利用しないで愛の話をやる。そして「ドライブ・マイ・カー」に返し歌をした。
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鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽
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脚本家、映画監督
井上淳一
75年前の原作を48年前の脚本で今映画化する意味があるのだろうか、と恐る恐る観る。脚色で言えば、母との話を薄く、小説家を濃くして、実際に子供を産ませたことはさすがだと思った。しかし、その子が死んだ小説家と弟の生まれ変わりだというラストのナレーションで、戦後すぐ婚外子を産むことが私の革命だという原作の精神が台なしに。聞けば、そこは監督が書き足したという。逆に時代錯誤だし。手堅いだけの演出で映画的躍動はゼロ。白坂&増村のホンのまま、増村演出で観たかった。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
華族の没落というほとんど1940年代後半に固有のテーマを今どう描くか。70年代に脚本を書いた増村保造と白坂依志夫の意図はわからないが、近藤明男監督が丁寧に撮ったこの作品を見る限り、さほど奇を衒っているとは思えない。予算の制約のせいか戦後混乱期の風俗がどこか作り物めいている中で、最後の貴族の気品と退廃を表現した水野真紀に存在感がある。一方でシングルマザーとして生きる決意をする主人公の「革命」が霞んで見えるのは、時の流れなのだろうか。
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映画評論家
服部香穂里
舞台の伊豆と東京でカラーを変えているが、ベートーヴェン《悲愴》の力を借りても淡白気味に映る一夜限りの情事を含む東京の情景よりも、流刑地のごとき伊豆の場面に強度を感じるのは、演出の意図なのか。人間失格であれ、かず子に子を産みたいと切望させる、太宰の分身でもある上原の才能だけは本物であって然るべきと思うが、取り巻き連中の空虚な議論からは、作り手が彼を評価しているように見えないのも難。原作に色濃いデカダンスを一身に背負う、水野真紀の妙演は印象的。
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ソウル・オブ・ワイン
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映画評論家
上島春彦
農業ドキュメンタリーという分野は大好き。農耕馬の美しさ賢さを再確認できる好企画ともいえる。うねを耕す馬がカメラを気にして(目線で分かる)立ち止まるあたりのゆったりした画面はまさしく眼福也。良いワインは地層が作るのだ、という言葉が含蓄あり。評論家、学者、ソムリエのインタビューを組み込みつつも、やはり見どころは生産者(仕込むための木樽も含む)の一挙手一投足に尽きる。この映画を見るとむしろ、完成する前の濁っている状態のワインを飲みたくなるだろう。
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映画執筆家
児玉美月
パッケージ化されたワインが人の手に渡るまで、ブドウの一つ一つを手で摘んだり、それを地道に足で踏みつけたり、樽内をタワシで磨き上げたり、ワインを熟成させるために費やされる膨大な時間をこの映画はそのまま引き継ぎ、穏やかな時間がじっくりと工程を見せてゆく。そしてそれがこの映画の気品を醸成させている。ここではワインが人生に見立てられている。途中、緑生い茂る光景が広がるにもかかわらず、肥沃ではない畑で始まりと終わりが結ばれているのはそのためなのだろう。
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映画監督
宮崎大祐
日ごろ酒をほとんど飲まず、酒の中でもどこか高級な印象のあるワインとはまったくもって縁遠い筆者は「どうやらロマネ・コンティなる銘柄が世界一のワインらしい」というレベルの予備知識しか持っていなかったため、ワイン造りのドキュメンタリーに果たして興味が持てるだろうかという不安を抱えての鑑賞となったが、登場するソムリエ、ソムリエールたちが一流の詩人のような言葉をもって語るワインの味や深みについて聞いているうちに、気がついたらサイゼの片隅に着席していた。
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恋人はアンバー
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映画評論家
上島春彦
時代背景はノスタルジーで選ばれたのかと思っていたら違った。アイルランド法制史の重要な局面と徐々に分かる、この趣向が上手い。離婚が困難な宗教的縛りのある国家アイルランドならではの様々な思いが交錯する一家に、仲が悪いのに夫婦でいることに意味はあるのか、と決断がやがて迫られる。ただし中心は周囲へのカムフラージュで交際する振りをする(日本で言えば)高校生カップルの物語。少女の方がやることは計画的だが、振り回される同性愛指向の少年に監督の心情は傾く。
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映画執筆家
児玉美月
ゲイとレズビアンの「友情」を描くありそうであまりないストーリーを通して、セクシュアリティとジェンダー、都市部と地方……といったさまざまな問題が交差的に語られてゆく。1990年代のアイルランドの保守的な地域を舞台にしているだけあって差別や偏見の描写は厳しくもあるが、監督のデイヴィッド・フレインが愛好するアメリカのレズビアン映画の金字塔「Go!Go!チアーズ」のようなポジティヴさも漲っている。なによりキャラクター造形がチャーミングで、愛すべき作品。
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映画監督
宮崎大祐
同性愛者同士が異性愛者のふりをしてカップルになったはいいが云々という使い古されたネタが実感をともなう演出とペーソス風味のアイロニーの積み重ねによってなんとも痛ましく心に響いてくる。アイルランドの田舎町、去勢された者たちに囲まれ生きるカップルを演じる主演ふたりは決して達者ではないものの、彼らにしか見せられない決定的な表情や瞬間を映画の中に何度も咲かせている。それにしても、恋愛にしろ性愛にしろ家族愛にしろ、我々が抱く「愛」とは一体なんなのだろう。
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パラレル・マザーズ
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映画評論家
上島春彦
境遇の違う二人の母親の運命が交錯する瞬間。そこが圧倒的に面白い。しかし皮肉なことに、一方の母親の個人史を形成するスペイン内戦の民族的記憶がかえって話を薄めてしまったようだ。良く出来たスクリプト(あらすじ)を読んでいるみたいな気分に留まる。そうした欠点は欠点として、もう一方の比較的幼い母親の来歴が凄い。描かれず語られるだけだが、こちらがメインであるべきなのではないか。彼女のお母さんの売れない演劇人も深い役柄だ。バランス悪く傑作になりそびれた感。
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映画執筆家
児玉美月
アルモドバルが一貫して描き続けてきた「母」の主題に、スペインの歴史を併走させてゆく。子を取り違えるというメロドラマのプロット単体にはそこまで新奇性はないかもしれないが、それがそうしたアルモドバルのルーツと合流したときに意味が変容する。「母性」や「レイプ」などアルモドバルがこれまで何度となく取り入れてきた要素を、本作では時代的変化とともに自己批判的に言及している。ペネロペ・クルスをここまで魅力的に描ける映画作家は現代においてほかにいないだろう。
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映画監督
宮崎大祐
前作「ペイン・アンド・グローリー」で作家としてのすべてを出しきったかに見えた名匠ペドロ・アルモドバル。だが、どうやらあれは序の口だったようで、盟友ペネロペ・クルスとふたたび組んだ本作ではその極彩色の欲望を画面狭しと塗りたくっている。近年映画祭監督界隈がしばしば取り上げてきた「親子の取り違え」という主題もアルモドバルの手にかかると、苦い勝利を落とし所とする家族劇からは遠く離れて、フランコ政権の暗い記憶さえも踏み越える力強い肯定の歩みへと変わる。
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犯罪都市 THE ROUNDUP
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映画評論家
上島春彦
前作を見逃したが話は別々。だから単独鑑賞で無問題、もっともコンセプト自体は刑事たちのグループ捜査にある。この40年間、日本の連続TVドラマが得意としたパターン。石原プロ作品群とか、あるいは東宝系の『大追跡』とか。主演のマ・ドンソク刑事(副班長)と好対照のチェ・グィファ班長刑事キャラをはじめ喜劇風味の隠し味が効いている。大いに楽しめたが星が伸びないのは、悪役が「悪くて強いだけの人」だから。役者はカッコいいものの、誘拐殺人ビジネスの闇が深くないな。
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映画執筆家
児玉美月
真面目なクライムアクションでありながらもユーモアの雰囲気が絶妙に漂い、終始うっすら笑える(マ・ドンソクのせいかもしれない)。バスの車内で刃物を持つヴィランと素手のマ・ドンソクが対決するクライマックスのシーンのアクションはとにかく圧巻。残酷描写を直接見せない上品さにも好感を覚えるが、女性が絡む暴力がシリーズ一作目よりも減ったため、特定の観客にとってはより観やすいだろう。前作の期待を決して裏切らない完成度(マ・ドンソクのおかげかもしれない)。
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映画監督
宮崎大祐
ものすごく悪いやつをものすごく善いやつが捕まえようとする、前時代的といってもいい構図をサクサクブスブスズタズタ、おなじみコリアン・ヴァイオレンスの雨あられが満たしていく。小休止として差し込まれるコメディ・リリーフはなかなかウィッティーで、主演のマ・ドンソクのアクションにはその身体に基づいた圧倒的な説得力がある。一方、相手役を演ずるソン・ソックは顔も怖いし、相当がんばってはいるもののミスキャスト気味で、最後までゾッとさせられることはなかった。
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