映画専門家レビュー一覧

  • サイレント・ナイト(2020)

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      コロナや気候変動といった時事的な要素を取り入れることで、すでに山ほど存在する似たような映画から差別化を図ろうとする狙いはわかる。だが、ワクチンをはじめとするコロナ対策を揶揄するためなのか、なぜ誰もが政府や科学者の指示に黙って従うのかがほとんど説明されないため、作品の核となる設定がまるで納得できないものとなってしまっている点が致命的。緑の党と保守党をめぐるギャグだけは笑えたが、左右陣営双方を冷笑するようなユーモアのあり方にも個人的に全く乗れず。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      人類滅亡を目の前にして、描くべき瞬間はそれでいいのかと終始疑問で、本作で描かれる場面はどれもあまりピンとこなかった。設定がどんなものでも、描かれるリアクションや感情は真に迫るものであってもらいたいと思う。しかし本作のクライマックスとでもいうべき、もう後戻りできない自決の際で、急にコミカルな演出をして登場人物たちに対して一歩引く態度も好きではない。極限的な状況における絶望感も悲しみも煌めきも滑稽さも、すべてが中途半端に感じてしまった。

    • 文筆業

      八幡橙

      ほぼ主演と言える「ジョジョ・ラビット」のローマン・グリフィン・デイヴィス(双子の弟たちも出演)の実母、カミラ・グリフィンのデビュー作。アットホームな聖なる夜に終末の絶望と葛藤を盛り込んだ設定は面白く、意欲も十分伝わるものの、脚本の弱さがネックに。集まる曲者たちの背景とキャラが捌き切れず、尊厳死を巡るテーマ自体ぼやけてしまった。人類を滅亡させる毒ガスの正体すらわからず、終盤の危機感も脆弱に。同じ最後の晩餐なら、「ドント・ルック・アップ」に軍配。

  • 奇蹟の人 ホセ・アリゴー

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      真面目そうな男が何度も「ハゲの男に取り憑かれて」と言うのが面白かった。取り憑かれてキャラクターが変わって、ものすごくシャキシャキしたキツめの男になるのが変。傷口に手を突っ込んで血の塊を取り出す。汚いナイフを目に突き刺す。次々と病名を言い当てる。結局世間から批判を浴びて牢屋にぶち込まれる。ここでも病気を治してヒーローになる。敵対する人たちが男のことを認めていくのがグッとくるところ。素直にこういう人がいたと悪意なく描いているのが良かった。

    • 文筆家/俳優

      唾蓮みどり

      心霊手術師の物語だと知り、オカルト的な趣の映画かと思いきや全くそうではない。あくまでも、ホセ・アリゴーという人物に焦点を当て、彼が病に悩む人々にもたらした奇跡が生み出す感動的なストーリーラインや音楽でつくりあげられる。心霊手術のトリックはすでに明かされているものの、信仰の力によって人々が回復したり、声が聞こえて導かれたようなことは、本当にあったのだろう、と本作を見ていると信じたくもなる。騙されているような、いないような、不思議な気分が残る。

    • 映画批評家、東京都立大助教

      須藤健太郎

      何者かに憑依されて半狂乱となったホセ・アリゴーは、子宮ガンだという女性の股間をまさぐる。そして血みどろになりながら肉塊を取り出し、病を治してしまう。奇跡だ。そんな冒頭の場面で、後は推して知るべしと悟ったが、実際その後の展開も予想に違わぬ駄作ぶり。車とミシンを車輪を媒介にクロスカッティングさせるという山場にも呆れたが、さらには止まったミシンのスポーク越しに妻の不安な表情を捉えるのには失笑を禁じえなかった。真面目なのか、それともふざけているのか。

  • ファイブ・デビルズ

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      小さな町の話。主人公の女の人はどことなく不機嫌。何かあったんだろうなと予感する。娘は匂いに敏感。何の匂いかすぐ言い当てる。設定だけで期待が膨らむ。片目の潰れた女が紫色の唇で「シャーッ!」と叫ぶ。おもろそう。夫の妹がやってきてから話が動き出す。謎の妹。意味深な言葉の数々。娘が突然タイムスリップする。理由はよく分からない。そのせいで過去の出来事が徐々に明らかになっていく。キッチンで蛸をバチンバチン叩きつけて料理する二人の芝居が妙にエロい。

    • 文筆家/俳優

      唾蓮みどり

      語られない多くのこと。見えないことで想像させる手法は、バランスこそが命である。そして本作におけるそのバランスは絶妙で素晴らしい。匂いを集める少女。少女が昔から見える叔母。過去に秘密を抱えた母という3人の女と、女同士で二人の子を作るために利用された(かもしれない)ひとりの男。残酷さが浮かび上がると途端に興味深い。香りを集めるという設定自体がとてもフェティッシュで官能的でもある。何度も観て謎を紐解いていきたい。アデル・エグザルコプロスの魅力が全開。

    • 映画批評家、東京都立大助教

      須藤健太郎

      ヴィッキーがしているのは、精神分析的な意味での「原光景」の探究である。原光景とは自分の存在の起源にある光景、つまり両親の性交のことだが、両親の間に性生活が成立していないとすると、それ以外のものの中に原光景を見出さねばならない。それがヴィッキーが直面する矛盾の最たるものだ。というわけで、ここで映されるのはすべてが性交のメタファーである。匂いを嗅いで失神するのも、ワセリンを体に塗りたくるのも、カラオケのデュエットも、木に火を付けるのも、なにもかも。

  • ザ・メニュー

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      レストランの空間設計や料理、客のふるまいの細部におけるリアリティを追求することは、前半の風刺的なユーモアとはうまくマリアージュしているものの、後半のより過激な演出とは食べ合わせが悪いと言わざるをえない。バラエティに富んだ客をある程度の人数用意した背景には、おそらく味覚にも嗅覚にも訴えられないなかでコース料理が進んでいく前半がダレ場とならないよう意識したという事情があるのだろうが、物語が転調するにつれ脇役たちの行動にどうしても疑問が湧くように。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      「ウィッカーマン」や「ミッドサマー」のような村カルト映画と『注文の多い料理店』が掛け合わされたような映画で、端正なショットとセリフの間合いなどで緊張感を持続させるのは見事。しかし最終的な結末がかなり早い時点から予想できてしまう点や、特にラストショットだが、なによりも画面の見栄えを優先するような画作りは多々気になった。しかし、第一声を発した瞬間に、しょうもないけど、憎めない人間だと感じさせるジョン・レグイザモは最高。彼はいつも最高だけど。

    • 文筆業

      八幡橙

      コース料理仕立ての構成。となれば静かなる助走に始まり、徐々に緊張感を高め、やがて恐怖という名のメインディッシュに突入する、いわゆる序・破・急を勝手に想定して臨んだが、本作は初っ端から主菜をチラ見せすることも厭わぬ潔さが! いわくのありそうな面々が集い、見るからに怪しい密室に閉じ込められ、溜めも起伏もほぼなく、いかにも奇妙な展開を辿る。直截的な社会風刺含めこれが現代の『注文の多い料理店』……なのか!? カーペンターによるB級バージョンが観てみたい。

  • 夢半ば

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      20代の若者が映画作りをテーマにして、半径5メートルの同棲相手との関係や仲間の肖像を、自分で脚本を書き、主役を演じて、フィックス長回しの画をひたすら繋いで135分の映画にする。タイトルは「夢半ば」。作中で準備中の作品のタイトルは「まだ行ける」。本当に不思議に思うのは、どうして他人がそこまで「自分」に興味を持ってくれると信じられるのだろう。仲間に観せるための映画ならばわかる。しかし、この主人公は自分が映画で「食えてない」ことを繰り返し嘆くのだ。

    • 映画評論家

      北川れい子

      長い。長過ぎる。いくら夢半ば、焦らず、めげず、諦めず、がモットーだとしても、冗漫な場面が多すぎる。映画が撮れない、何を撮ったらいいのかわからないという、自分の人生をまんま映画に仕立てた安楽涼の監督、脚本、主演のプライベートフィルム。町を延々と歩いたり、彼女や友人とのとりとめのないお喋りなど、確かに当人の日常なのだろうが、現実に対してはほとんど受け身で仲間たちも然り。そんな自分たちを肯定し、そっくり映画にしてしまうとは、安楽涼、かなりしたたかだ。

    • 映画文筆系フリーライター。退役映写技師

      千浦僚

      かつて聞いた脚本執筆の訓練法・書き出すための呼び水、というので日常をずっと全部書き出していくというのがあった。起き出して家を出て歩いて、を全部書いてみろと。それとは違うかもしれないが、日常を見据え、どんどん撮影回すことから始める可能性を本作に感じた。とりとめなさを補って余りあるリアルさや、歩いてゆく人物(監督自身)の背を追う画に乗る自意識、そのやむにやまれずやってる感は好きだ。この漂いはいずれ凝縮して発光する恒星となるのではないか。

  • あちらにいる鬼

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      寺島しのぶや豊川悦司と肩を並べて、複雑な人物像にリアリティと尊厳を与えている広末涼子の好演には刮目させられた。60代後半にして今年5本の劇場公開作、配信作品も加えればそれ以上の量産体制にある廣木隆一は、題材的に無理をしていると感じる作品もあるが、この題材は本人的にもしっくりきているのではないか。しかし、瀬戸内寂聴の私生活にまったく興味が湧かないのは本作を観ても変わらず。不倫したけりゃ勝手にすればいいし、出家したけりゃ勝手にすればいい。

    • 映画評論家

      北川れい子

      阿吽の呼吸で性愛関係になる作家同士の女と男。瀬戸内寂聴がモデルの作家と、原一男のドキュメンタリー「全身小説家」の井上光晴。周囲の思惑など無頓着な2人と、すべてを承知で見て見ぬふりをする光晴の妻。それぞれが微妙な共犯関係にいる彼らに時代を滑り込ませていくが、作家とか文学界とかを抜きにすれば所詮世間にゴマンとある三角関係、寂聴の出家もスタンドプレーに見えたり。太宰治『斜陽』からの引用か、“青春は恋と革命よ”という台詞がくすぐったい。

    • 映画文筆系フリーライター。退役映写技師

      千浦僚

      東京駅でよく作務衣姿の尼さんとすれ違うが、いつもインパクトを受ける。普通の中年女性だが、あの頭、もうそれだけで髪は女の命、だとかいう慣習的容貌から頭抜けた存在感で、ああ反=俗世の何かだな、と感じる。メディアで見る代表的尼僧ビジュアルは瀬戸内寂聴氏だったが流通する氏の姿はもはや一種記号化された、波瀾万丈の後の凪だった。そこを剃り跡青く生々しく艶めかしい、なぜそうなったかというところまで投げ返すのが本作であり、演じた寺島しのぶ氏。

  • わたしのお母さん

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      終盤のある展開までは驚くほど何も起こらない作品で、その終盤のある展開を経てもやはり驚くほど井上真央演じる主人公の佇まいは変わらない。母と娘の関係(それ自体は良く言えば「あるある」、悪く言えばありきたりなものだ)というより、そうした変わらなさの裏にある記憶の積み重ねや微かな心の動きを捉えることが本作の主題だとしたら、これはかなり野心的な作品なのではないか。容姿も性格もまったく似てない母の面影が娘の表情に浮き上がる瞬間にドキッとさせられる。

    • 映画評論家

      北川れい子

      母と娘の関係を大まかに言えば、年齢にもよるが、母親を絶対視するか、反面教師もしくは全否定するか、あるいは見て見ぬふりのいずれかで、それも時間とともに変化していく。本作のすでに夫のいる娘の場合は、同居を余儀なくされた母親の言動にいちいち鬱陶しさを感じていて、でも母親に正面きっては何も言えない。そんな微妙な感情を、母親を“陽”に、娘を“陰”ふうに描いていくが、子供時代のエピソードにしろ曖昧な描写が多く、なにやら娘の独り相撲を観ている気分。

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