映画専門家レビュー一覧
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炎のデス・ポリス
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文筆業
八幡橙
振り切った邦題や若本規夫氏のナレも濃厚な予告篇から、ごった煮風クライム・コメディを想定したら、思いの外渋めのトーンに序盤、戸惑う。実像はむしろ「羊たちの沈黙」+「要塞警察」とでも呼んでみたい、辺境の警察署という密室で繰り広げられる心理戦に重きを置いたサバイバル活劇。新人警官(アレクシス・ラウダーがいい!)を筆頭に、バトラーの殺し屋やグリロの詐欺師、サイコ殺人鬼など面子は大いに興味をそそるが、訳アリ人物を盛り込みすぎた感も。70年代風の空気は痺れた。
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バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
ゆるいギャグの連打に、微苦笑が止まらない。そんな面白くないと思うのだが、必死に笑かそうとしているその涙ぐましいまでの必死さに、笑ってしまう。いちいち何かが起きる。小ネタの連続。そこにどれだけのアイデアを盛り込めるか。本筋のストーリーは、シンプルでわかりやすい。ちゃんとヒロインもいて、最初メガネの地味な女子だったのが、トラブルに巻き込まれて、メガネがなくなって、だんだんセクシーになっていくとことか良かった。何も考えずに楽しめる。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
非常に切れ味のあるアクションコメディ。これは文句なしに面白い。記憶を無くして自分のことをバッドマンだと信じ込む役者セドリックが次から次へと自ら面倒な状況を作り出してしまい、翻弄されていく。ハリウッド的な映画の手法を少しずつずらしていくことで、絶妙な笑いを誘い出す。まさにずらしの美学。元カノ・元カレに未練タラタラというエピソードの伏線の回収の仕方にいたってもお見事。このロマンティックなエンディングはちょっとずるいと言いたくなるほどに完璧だった。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
くだらないものに対してくだらないと言うことほどくだらないことはない。しかも、くだらないと言われたくてくだらないことをしているわけだから、それに対してくだらないなどと言ってしまえば相手を喜ばせるだけなのだ。この映画を前に居心地の悪さを感じるのは、そういう循環まで含めてくだらないからだ。異性愛規範に基づく下ネタから配役等に見られる人種的偏見まで、マジョリティの価値体系に胡座をかくさまは単に醜悪に映る。憧れのファレリー兄弟には遠く及ばずと知るべし。
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ゆめパのじかん
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脚本家、映画監督
井上淳一
「さとにきたらええやん」の不満は児童館の職員がなぜこんな大変なことをやっているかが描かれていないことだった。本作にもその「なぜ」はほとんど描かれない。パンフにはちゃんと書いてある。全員がパンフを買うわけではないのだから、映画内で描いて欲しかった。やれる人とやれない人の違いは何か。それを描くことで受け入れる側の社会の不寛容が際立つのでは。ドキュメンタリーをやる時にいつも思うのだが、50分のNHKスペシャルに勝てるか。子供だけ描いていて勝てるだろうか。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
虫好きの男子が歩き回り、アリを覗き込み、バッタに触れる。木工好きの女子がノコギリを引き、釘を打ち、小屋を建てる。走り回る、飛び跳ねる。よじ登る、滑り降りる。子どもたちが絶えず動いている。その姿をカメラがひたすら追う。大人たちの語りは最小限に抑え、子どもと最大限向き合う。母親が話している後ろで膝をすりむいた子どもが泣き出すところまで映っている。そんな位置にカメラを置くことで、子どもが主役のこの施設の空気を生き生きと伝えることに成功している。
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映画評論家
服部香穂里
さまざまな理由で学校に通えなくても、ひとりで引きこもる以外に、似た境遇の子も集う場所へ赴く選択肢もあると周知させることは、急を要する課題。否応なく迷い悩み続ける将来に目を向ければ、幼い頃からレールを外れて蓄える免疫も、必ず役立つとも思う。ただ、木工の才能をめきめき開花させて宮大工になる夢を見出す、ゆめパの理念を理想的に体現する彼女に目頭が熱くなる一方、遊びと学びのあいだでもがき続ける、カメラの外側のあまたの存在を想像すると、複雑な心持ちになる。
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WANDA ワンダ
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米文学・文化研究
冨塚亮平
映画は、ドキュメンタリー畑のニコラス・プロフェレスによる構図・質感双方の無骨さが素晴らしい撮影とともに、家族を捨て仕事と金も失ったワンダが、場当たり的に目の前に現れる男たちに頼ろうとして失敗を続ける様を、突き放したユーモアとともに追い続ける。彼女の受動性を無批判に肯定するのでも声高に否定するのでもなく、ただその姿に厳しくも優しく寄り添い続けようとするローデンの視線は、当時の女性が強いられた抑圧を想起させるだけではない、普遍的な強度を備えている。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
だらりと身体を横たわらせ、見るからにダラけた姿が印象的に演出されるワンダは、社会的規範から外れ、社会から置いていかれている人物だ。当然、そんな社会が要請する“良い妻”にも“良い母親”にもなれない彼女は、同じく社会的規範から逸脱する犯罪者と行動をともにするのだが、彼女の目的は、犯罪者と違って金銭でもない。良き人にも、犯罪者にもなれないワンダのどん詰まりの絶望は、しかし多くの新しい女性像を創造し、50年経ってもいまなお鮮明に見るものを突き刺す。
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文筆業
八幡橙
バーバラ・ローデンが自ら書き、撮り、演じるのは、煙のような人物の不安定で行き場のない彷徨だ。ゆらゆらと心許なく、か細いかと思えば案外太く、目的も野望も気力もないまま漂うだけの人生を淡々と映し出す。ラジコンの耳障りな音に抜ける空。モーテルのゴミ箱へ指で摘んで棄てられるハンバーガーの玉ねぎ。そしてラスト、バーの喧騒の中、煙草をくゆらせ俯くワンダの瞳の奥に潜む底なしの虚……忘れえぬ場面も多数。己を肯定し切れぬ現代的な人物像は、今こそ深く引っかかる。
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X エックス(2022)
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映画評論家
上島春彦
おじいちゃん、歳を取るってそういうことなんですよ。と私が慰める義理もないのだが。老夫婦の“性”活に焦点を当てるホラーは珍しく、70年代末の殺伐とした雰囲気と併せて一見の価値あり。若者たちがポルノ・ビジネスで一旗揚げたい映像集団というのも時代を感じさせる。初期のAV市場に食い込むのが目標だからか、作品はソフトポルノにしている。妙に芸が細かい。劇中劇の小型フィルムの質感が懐かしい。その分スプラッタとしては上品。映画マニアに確かに受けそうなムード。
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映画執筆家
児玉美月
「老い」をひとつのテーマとして持つホラー映画として近年公開された「レリック?遺物?」と、合わせ鏡といってもいいような作品。とはいえ老いること自体がホラーであるように描く一方で最終的には美しさとともに生を賛美しているともみれる「レリック」とは異なり、本作はとことん泥臭い。ひとりの女性俳優が若き姿と老いた姿を演じ、対峙させることで本作のグロテスクな様相がより際立つ。「ドント・ブリーズ」の老人男性とはまた別の恐ろしさをもつ老人殺戮が繰り広げられる。
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映画監督
宮崎大祐
清々しいほどのムービー・ゴアぶり。ベースを「悪魔のいけにえ」に置きつつも、ホラーやエクスプロイテーション、ミュージカルなど、さまざまなジャンルをその映画的運動神経をもって縦横無尽に行き来するタイ・ウェストの身軽さと映画史に対する深い理解と愛情はいずれ大傑作に結実するだろう。過去のサンプリングから新しいものを生み出す一方、池の中で接近するワニと人との距離をドローンからのスーパー・ロングで捉えたショットなど、最新技術を用いた演出も効いている。
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ビリーバーズ(2022)
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
山本直樹の原作が発表されたのは1999年。オウム真理教事件の余波の最中で、その約20年前に起こった人民寺院集団自殺をレファレンスの射程に収めた作品だった。そこからさらに20年以上が経過して、新興カルトの前提となる社会がすっかり変化した痕跡、つまりこのタイミングで実写映画化した理由が、本作には見当たらなかった。夢や回想のシーン以外、ほぼ全篇を極端に限定されたシチュエーションと人数で展開していくならば、もっと映画的趣向を凝らす必要もあったのでは?
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映画評論家
北川れい子
「夜を走る」「鬼が笑う」と、ここ立て続けにカルト宗教が登場しているが、本作は孤島で修行中の宗教3人組のかなりシリアスなピンク系ブラックコメディで、殺しまである。悟りを得るためにストイックな合宿生活を送っている男2人に女1人。女は若い。当然、男2人はいま目の前にある欲望の対象に翻弄されていくのだが、精神と本能の対決ふうな小難しい展開があるわけでもなく、終始白いTシャツに半パン姿で動き回る彼らはどんどんワイルドに。北村優衣の大胆な演技は悟りかも。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
原作漫画から二十余年経ってここまで的確に映像化されると、もはやオウム真理教への揶揄や批判を超えた、普遍的な社会論人間論のように見える。メインはほぼ三人の芝居だがこの彼らが素晴らしい。宇野祥平氏は「夜を走る」で新興宗教の教祖役だったが本作では同様の組織のランク12位の「議長」。どこに置かれても説得力のある演技マンが今回も見事。磯村勇斗氏もここまで出来ると知らなかった。北村優衣氏の全身、磯村北村の絡みに、組織化を否定する真のユートピアを見た。
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こちらあみ子
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脚本家、映画監督
井上淳一
悪くない映画だと思う。これがデビュー作なんて大したものだ。無垢過ぎる少女の逸脱を描くことで、多様性多様性という社会がどこまで異物を許容できるかというテーマもいい。少女を演じられる役者を見つけ、あそこまで演出できるなんて。傑作だと言う人もいるだろう。でも何でだろう。「お引越し」が心に響いたようには響かない。相米さんと違って、少女の心に迫るのではなく、少女を俯瞰して理解しようとしているからか。偏差値の高い映画だが、それが映画的感動を遠ざけていないか。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
画面に力があり、ワンシーンワンショット撮影に引き込まれた。例えば病院から一旦戻った父が去り、あみ子が「赤ちゃんは?」と問うと兄が「どこにもおらん」と答える玄関のショット。あるいはあみ子が作った墓標を見た母が嗚咽し、帰ってきた父が連れ出す庭のショット。新しい母親を迎えた家庭の崩壊という世俗的な物語の傍らに、マイペースで超然としながらも真の繊細さを内に秘めたあみ子の世界がある。そんな物語世界を森井監督が一つ一つのショットの中に具現化している。
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映画評論家
服部香穂里
不意にホラーな影に支配されていく日常を、小学生から中学生になる少女の視座で、メルヘンの要素も絡めて映すならば、他者の心も自己流に解釈して奔放な言動を繰り返すあみ子を、“おかしな子ども”と認識させてしまうのは、演出上マイナスに思える。惚れ抜く新星に敢えて演技をさせず、特異な存在感だけで押しきった制作陣の賭けは、吉か凶か。何かとちょっかいを出す一方、鋭い観察眼ももつ坊主頭の少年の存在が救いで、天性の野生児の乙女な一面を引き出すのにも貢献している。
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破戒(2022)
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脚本家、映画監督
井上淳一
プロの仕事だと思う。人物の置き方や出し入れ、説明するしないの判断、どれも上手い。プロの手練は、部落出身だと口外してはならぬという父の戒めを破る青年の軌跡を見事に描く。しかし百年前ですら通俗的で甘過ぎると批判された原作を今やるには何かが決定的に足りない。今、『破戒』をやる意味は何か。今、部落をどう伝えるべきか。部落を抜きにしても面白い映画かどうか。その答えが見えない。教育映画や手垢のついた娯楽映画が見たいのではない。見たいのは、21世紀のシン・破戒だ。
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