映画専門家レビュー一覧
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にじいろトリップ 少女は虹を渡る
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
本作に限った話ではないが、まともな振り付けを施した形跡がなく、役者が台詞を歌っているだけの「ミュージカル風映画」は、ミュージカル映画の本質からほど遠いのはもちろんのこと、そもそも本質を履き違えているという点において「なんちゃって」ですらなく、自分には受け入れ難い。また、本作は主役を演じた少女の「アイドル映画」でもあるようだが、仕事で日本の芸能界にも少なからずコミットしてきた立場からの視点として、最後まで彼女にアイドル性を見いだせなかった。
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映画評論家
北川れい子
映画2作分のタイトルで、時間は1作分の半分以下の39分。しかもガランとしたキャンプ場が舞台で、主人公の少女は自分の思いを歌にする。離婚を決めた両親との最後の旅で、でも少女は離婚に大反対。そんな少女のちょっと危なっかしい行動を、ミュージカル仕立てで描いていくのだが、ひと夏のエピソードとしてもどうもふわふわして?みどころがない。何より歌も歌詞も単調で、演じている櫻井佑音はそれなりに達者だが、歌で作品が膨らむわけでもない。プロによる実験映画的な趣。
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映画文筆系フリーライター
千浦僚
櫻井佑音さんが良い。小沼勝「NAGISA」的なことをいまおか氏がやった。ここ数年ハンス・ジマーよりも宇波拓音楽の映画を多く観、聴かされているがそれは愉快なことだ。劇中のミュージカル曲が妙にレトロと思ったがそれゆえに滑らかに終盤の〈黄昏のビギン〉を呼び込み、〈黄昏のビギン〉の歌詞にはそこはかとなく大人の恋愛、性愛が織り込まれており、そこから11歳女子の恋そのものに恋する思いはシームレスにいまおかピンキー世界につながる。映画作家とは一貫してしまう業。
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黄龍の村
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「ファウンドフッテージもの」的なスマホ縦型画面の導入部から、「ミッドサマー」や「犬鳴村」のヒットでにわかに活気づいている「ウィッカーマン」系「村ホラー」へと突入。と思いきや、そこからの展開に驚きの仕掛けが。監督のフィルモグラフィーからも明らかなように、さほどホラーというジャンルに思い入れがないからこそなし得たトリッキーな一篇なのだろうが、だとしても村人たちのキャラクターの作り込みがユルすぎて緊張感が皆無。メインの若者たちの生態や所作はリアルなのに。
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映画評論家
北川れい子
怖くもなければ痛くもない賑々しいスプラッタホラーで、なにやら肩透かし。阪元監督作品といえば、今年公開の「ある用務員」や「ベイビーわるきゅーれ」には、設定やキャラには遊びがあったが、ハードなバイオレンス演出は本気だった。それが本作では殺し合いごっこでもしているようで、過激なわりに格好だけ、まるでうちうちでじゃれあっているかのよう。奇っ怪な風習のある山村に迷い込んだ8人の若者たちが、村人たちから皆殺しにというのだが、凶器も仕掛けもふざけすぎ。
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映画文筆系フリーライター
千浦僚
先頃公開された同監督の「ベイビーわるきゅーれ」より個人的にはこちらのほうが好きかも。ブチ殺す・おっ死ぬ、で、終わりっ! という映画の系譜(「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」「忠烈図」など)にまた一本。本作に比べれば「発狂する唇」(00年、監督佐々木浩久、脚本高橋洋)はまだ上品すぎ、優雅すぎたかもしれない。どうなるか読めず、斜め上に抜けていく、その角度と速度を愛する。なるだけ観る人には予備知識なしに観て驚いてもらいたいので、下手な説明書けず悩む。
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殺人鬼から逃げる夜
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米文学・文化研究
冨塚亮平
主人公親子の「聞こえなさ」と結びついた演出、とりわけ音を視覚化するいくつかの仕掛けは、たとえば「ドント・ブリーズ」シリーズにおける盲目と音の関係をずらしたような斬新なサスペンス感覚をもたらすものとなっているし、星野源に瓜二つの犯人が凶器の一つとしてあえて斧を使うあたりのサービス精神も楽しい。だが、観客の予想を裏切ることだけを意識して組み立てたとしか思えない終盤の展開はあまりにも説得力に欠けており、物語を真面目に追う気が失せてしまった。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
聴覚を持たぬ主人公を見て頭をよぎる、昨今流行りの感覚制限系ホラーかぁという嫌~な予感は、殺人鬼が標的に向かって突如走り出した瞬間に一蹴される。あまりに清々しいその走りっぷりは、殺人に至る動機も原因も豪快に置き去りにし、気づけば主演も助演も三つ巴に入り乱れ、ひたすらに走りまくるシャトルランホラーが開幕する。住宅街から繁華街まで一夜の間で走り続けるミニマルな設定も聡明で、間の抜けた警官から安っぽいエピローグまでなにもかもが素晴らしく狂おしい。
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文筆業
八幡橙
ともに聴覚に障害を持つ娘と母が、連続殺人鬼に追われる一夜の出来事。駐車場、警察署、自宅、狭い坂道に繁華街と、場所と状況を変えて数珠繋ぎの死闘が。時に音を消し主人公のよるべなさを観る者に共有させ、時に騒音や激しい光で静寂を突如切り裂く。恐怖を煽る演出が斬新かつ巧みで、先が読めないギリギリの緊張が続く。手話を操る二人をはじめ俳優陣は一様に達者だが、犯人役ウィ・ハジュンの市井に溶け込む憎らしいまでの擬態ぶりに唸った。新鋭クォン・オスン。その才気に刮目!
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ディナー・イン・アメリカ
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米文学・文化研究
冨塚亮平
サイモンは序盤に傍若無人な発言や振る舞いを繰り返すが、田舎の因習的な社会や家族といった制度に中指を突き立て続ける彼の姿勢と、その後パティやその弟に見せる優しさは全く矛盾するものではない。一見正反対なようでいて、まともさを押しつける規範にどうしても従えない不器用さと純粋さを共有するサイモンと出会ったことで、パンクスとして少しずつ目覚めていくパティの表情の変化が感動的。おそらく本作を最後まで観れば誰もが二人をとにかく愛さずにはいられないはず。傑作!
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
日常の娯楽といえばダイナーで食事をするかゲームセンターで散財するしかない、見事なまでの退屈で平凡な田舎町で展開される変わり者同士のこのラブストーリーは、最終的な目的地が一向にわからず、その道行を見守るのはかなり辛い。彼らは一体なにを目指しているのか。目指すものがないことの絶望を語っているわけでもなさそうだ。ここではないどこかへ向かうこともせず、かといってこの場に蔓延るしがらみに向き合うこともなく生まれたパンクソングは誰の胸に響くのだろうか。
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文筆業
八幡橙
片田舎の掃き溜めのような路地裏で出会った、自称「負け犬」と「負け犬」。ダメ人間meetsダメ人間。だが、ダメを掛け合わせたその先で、ゲロだのクソだの放送禁止用語だの、あらゆる汚泥をべちょっと集めて篩にかけたら、残ったものはごく小さい、けれどとびきり純度の高い一粒の結晶だった……。「バッファロー66’」の地獄の実家を思わせる“アメリカの晩餐”の居た堪れなさと、そこから解放される二人の夢の遊戯場と、サイモンの澄んだ涙に、恋というより同士の無二の愛を見た!
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素晴らしき、きのこの世界
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
菌類学者のおっさんが、胡散臭い。舞台にお母さんを呼んで、ガンが治ったのはキノコのお陰と言って抱き合う。このシーンを見て、この人大丈夫か? と思った。彼は自画自賛しながら、きのこの素晴らしさをまくしたてる。喋りが上手いので引き込まれてしまう。胡散臭いけど、それが微笑ましく思えてしまうのは何なのだろう。彼のキノコへの情熱に嘘がないからだろう。本気のアホは面白い。あと、出てくるきのこの美しいこと。見終わってマジックマッシュルームが食べたくなった。
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文筆家/女優
睡蓮みどり
魅惑的なきのこの世界が、きのこ目線で、きのこに魅了された人々の言葉で語られる。きのこの生き様や思想がぎゅっと詰まった驚きに満ち溢れた本作。ヒーリング音楽とともに流れるスピリチュアルな雰囲気に引き込まれ、語弊があるかもしれないが、きのこ教勧誘映像のようでもある。マジックマッシュルームは幻覚作用があるとして日本では禁止されているが、鬱にも効くとされる成分シロシビンの医学的なアプローチも興味深い。自分と向き合うことは何か、きのこ哲学は語りかけてくる。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
やたらと豪華な教育番組かと思いきや、途中から幻覚剤と精神医療の話になって、怪しい勧誘ビデオの趣きとなる。きのこってこういうことか。少し身構えてしまう人もいるはずだが、監督がタイムラプス撮影を得意とする専門家だけあって、科学映画に特有の視覚的な快楽には満ちている。超低速撮影や電子顕微鏡を駆使し、実写とアニメーションの区別のつかないハイパーリアリズムの世界に誘われる。当然、幻覚も映像化されるが、それはあたかもホイットニー兄弟への目配せか。ご愛敬。
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マイ・ダディ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
公共の場で不愉快な騒音を垂れ流しても平然と生きていられるストリートミュージシャンがクズ野郎なのはわかるとして、主人公の設定が牧師である理由が最後までわからなかった。鈍感なお人好しと、キリスト教の慈愛の精神は異なる。また、新しい才能を発掘するのが目的のコンペティション(過去の受賞作には野心作もあった)で、大手映画会社がこれまで散々粗製濫造してきた難病ものをわざわざ選ぶ必要があったのだろうか? 若手俳優たちの好演に★一つオマケして。
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映画評論家
北川れい子
日本映画には牧師が滅多に登場しないからだろうが、ムロツヨシの牧師姿、彼なりに役を演じているのはわかるが、どうも長めのコントでも観ているよう。シングルファーザーでもある牧師は、ガソリンスタンドでバイトをしていて、こちらは自然。そんな主人公の娘が白血病になったことから、ある事実を知るのだが、別に主人公を牧師にしなくても成立する親子愛の話だけに、違和感が残る。やたらにムロツヨシのアップが多いのも気になり、彼が口にする神様の教えも、空念仏に聞こえたり。
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映画文筆系フリーライター
千浦僚
ムロツヨシ氏の顔の美しさ。流行イケメンとは違う高橋貞二やリシ・カプール的な若干ふっくらの旧世代美男の系列。演じるキャラの柔和さ優しさを保証。その泣き顔だけでも勝負できるのに加え、時制を感情に準じて混交させる仕掛けがある。ムロと共に泣け。毎熊克哉の最低男ぶり最高。宗教者と生さぬ仲の子、で「極楽坊主 女悦説法」(72年/監督林功)を連想。軽い艶笑喜劇だが主役平凡太郎が拾った子を、わしゃ生臭坊主これは隠し子、と周囲に語って育てたのに結構感動した記憶が。
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空白
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脚本家、映画監督
井上淳一
対立と葛藤がドラマならば、田恵輔の登場人物はそれらを他者との関係ではなく、あくまでも自分の中で処理しようとする。自分を赦せて初めて他者を赦せる。拳闘を描いてさえそうなのだから、本作も然り。それが極めて今っぽい。が、文学でなく映画でやるのは容易なことではない。現実を安易に借り物競走せず、時代を描くという離れ業。フィクションとしての強度。脚本に嫉妬。演出には嫉妬すら出来ない。これで松坂桃李がもう少し分かれば。今年のベスト・テン、前作と2本入るか。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
人間関係の機微を繊細かつリアルに描いてきた吉田恵輔監督のまなざしがついに社会に突き刺さった。懲罰意識が異常に高まった不寛容な社会、安全な位置から無責任に標的を非難する群衆、事なかれ主義で人を切り捨てる組織、分断と対立をあおり増幅させるメディアとネット。そんな社会を「空白」と名付けてタイトルとしたところに、この作品の志の高さが読み取れる。吉田の冷徹な観察眼と確かな演出力に拍手を送りたい。古田新太の暴走する身体を初めて正面からとらえた映画でもある。
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