映画専門家レビュー一覧

  • 由宇子の天秤

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      惜しい。スマホでもドキュメンタリーが撮れる今、主人公がテレビに踏み止まり何を目指しているのか分からない。局に言われるままマスコミ批判は引っ込めるし。小さな学習塾を経営する父も同じ。理念が分からないから、女生徒に手を出す枷がない。タイトルの天秤、何と何を秤にかけるのか。父の罪を言うか言わないか? 正しさって、その程度?テーマに手が届かない。半径1メートル映画の多い中、志は見事。どうして演出力はあるのに脚本力は弱い映画ばかりなのか。惜し過ぎる。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      情報化社会の過剰な懲罰意識を描く映画が多いが、この作品はそこから一歩踏み込む。一方で叩かれる側に手を差し伸べつつ、一方で自身が叩かれる側へと追い詰められるテレビディレクターの内面のきしみを描くのだ。隠蔽された真実に迫るという職業倫理をもつ者が、身内の過ちを隠蔽する。そんな矛盾した行動を、説明抜きに具体的な画面で見せていく。春本雄二郎監督のカメラは対象にダイレクトに迫り、人物の葛藤を露わにする。ラストの6分を超すワンシーン・ワンショットは圧巻。

  • スイング・ステート

    • 映画評論家

      上島春彦

      問題の町長候補になるのが左派リベラル映画の傑作「メイトワン1920」で主役を演じたクリス・クーパー。という仕掛けが憎い。実はこの映画のポイントは物語終了の後、エンドクレジットにおいて本物の政治ジャーナリストが語るコメントにこそある。果たして彼のトラップは「良き民主主義」体現であったのかどうか。謎はむしろハッピーエンド後に集約されて現れるということだ。スティーヴを巡る三人の女についてもなぜか三つのオチが並立して示されるという不条理が鍵。なのかな。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      主人公の偽善的な「多様性」への配慮が戯画化されているのだろうが、本作は意図的な戯画化要素のみで構成しきれておらず、随所に作り手の無意識による差別的思想が露呈してしまっているように見受けられる。その時点で風刺作品として脆弱さを抱え込んでしまったのではないか。それまでの展開を覆す結末にあるカネと政治をめぐる啓蒙的なメッセージそのものは真っ当なのかもしれないが、スティーヴ・カレルのコメディ俳優としての力量をもってしても質の高いコメディ映画とは言い難い。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      私にはスティーヴ・カレルかローズ・バーンが出ているコメディにハズレなしという持論がある。とはいえ選挙コメディと聞いて少しだけ警戒したことは認めなければならない。だが蓋を開けてみると本作も持論に違わぬ抜けのよい快作であった。選挙という民主主義社会の根幹に位置するシステムでさえも食い物にしようとする後期資本主義という怪物をどうにか抑え込みながら、もはや骨抜きにされつつある民主主義を再起動させるために必要なユーモアの断片が本作にはちりばめられている。

  • スクールガールズ

    • 映画評論家

      上島春彦

      バルセロナ五輪の頃ってほとんど記憶にないのだが、エイズを巡る都市伝説がはびこっていたらしい。そうか。ようこそエイズの世界へ、というヤツね。この映画の少女たちは修道院に感性的に保護されていて、それ故にかえって外の世界へのあこがれも強い。エイズって何だか知ってるわけじゃなさそうだ。引用される映画「汚れなき悪戯」の孤児マルセリーノのような旧弊な世界観からはかけ離れているようでも純情な心のありようは似たりよったり。ほっとさせられる。物語性はかなり弱い。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      少女たちが声を発さずに歌わされる授業風景の序奏〈無声〉から、合唱風景の終奏〈有声〉への転調。それは、少女が自らの〈声〉を獲得した青春譚であると同時に、無声から開始し〈音〉を獲得した映画史についての作品でもあることを両義的に成立させている。そんな映画への憧憬や映画史的記憶の横溢は、映画館で少女たちが見つめる「汚れなき悪戯」(55)の挿入などにも表われているだろう。「はちどり」(18)のように繊細なニュアンスのみで、固有の政治性が照射されてゆく。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      ひょっとしたら世界はひとつのネイションなのではないかと錯覚するほど既視感にまみれたあるある演出が連発される、優等生的なカミング・オブ・エイジ映画だ。ヒロインをはじめ俳優たちの芝居も抜け目なくまとまってはいるが、少女の思春期を切り取った同じスペインの偉大なる先達たちの俳優が見せたような唯一性は見られない。血の話で侮辱された主人公が結局血を拠り所にしていては元も子もなく、早熟な転校生との関係性の中で新たな拠り所を見出すべきだったと思うのだが。

  • レミニセンス

    • 映画評論家

      上島春彦

      「ザッツ・エンタテイメント・パート3」でレナ・ホーンが口ずさむスタンダード曲〈ウェア・オア・ウェン〉の使われ方がヒント。歌詞も記憶がテーマになっていて納得。フィルム・ノワールの枠組みが窮屈な印象もあるが、代わりに香港ノワールのスターとしてダニエル・ウーが現れて大暴れ、点数を稼ぐ。もっと暴れても良かった。海面上昇アメリカというバラードSF的発想に度肝を抜かれ「アルタード・ステーツ」風の記憶想起装置が諸星大二郎っぽい奇想にぴたっとマッチする。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      人は未来を希求し常に前を向いて生きることを強いられる。過去に囚われてはいけない。そんな箴言は未来を上位、過去を下位に置き、否応なくわたしたちの時間軸に価値の序列をもたらすが、本作はそれを転覆させようとしているかのようだ。かつてある映画評論家は「原則としてフィルム・ノワールにハッピーエンディングはない」と言ったが、厳密な意味でジャンルを踏襲するこの女性の作家は、旧来のファムファタル像を換骨奪胎すると共に「ハッピーエンディング」の新たな解釈を示す。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      気候変動により世界が「なかば」水没しているという設定自体は悪くない。しかしフィクション・ラインや物語の前提が主人公の思いつくままに書き換えられていくので、サスペンスの約束事をほとんど理解出来ないまま唐突に謎解きがはじまる。そして、主人公とヒロインの感情の流れもほとんど追うことが出来ないがゆえに、ただただお互いの外見が気に入ったのであろうと推測されるふたりが展開する大仰なすったもんだは観客を完全に置き去りにし、誰にカタルシスをもたらすのであろう。

  • 偽りの隣人 ある諜報員の告白

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      尺はもう少し刈り込めたはずだが、深刻で重厚な主題をストレートに提示するのではなく、コメディタッチの演出が中心となる序盤から次第に各人物が直面する切実な状況を強調する方向に舵を切っていく流れは非常に巧み。また、展開にメリハリをつけることに加えて、ユーモアや軽みの要素が劇中でウィシクが何としても守ろうとした平等や民主主義の価値観とリンクさせられている点も見逃せない。悪役や主人公の部下たちも含め、すみずみまでイイ顔を揃えた俳優陣もそれぞれに魅力的。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      独裁政権の手段を選ばぬクズっぷりに反して民主化を進める党首側の人間味あふれる温かさの極端な対比はわかりやすすぎるが、社会派ドラマをエンタメとして楽しませようという心意気はとても好き。ただ「若くて純真で父親思いの美人な娘」を無惨にも犠牲にすることで主人公が心を入れ替えるためのトリガーとして機能させたり、見ることと聞くことに特化された極めて映画的な「張り込み」を映画の中心に据えながら、その描写に新しさを感じさせてくれなかったところなどが悔やまれる。

    • 文筆業

      八幡橙

      懐かしい手触り。二十年近く前、韓国ノワールに「洗練」という枕詞が付く遙か前に量産されていた、笑いも涙も感動もミソもクソも全部まとめて煮詰めたような、泥臭くも深く濃い、煮凝り風味の韓国映画のにおいがした。#MeToo運動で性犯罪疑惑が浮上したオ・ダルスが、金大中を彷彿とさせる人物を演じ、二年ぶりの復帰を果たした本作。彼の抑揚の効いた演技と、対するチョン・ウの熱血ぶりの塩梅も程よく、個人的には同監督の大ヒット作「7番房の奇跡」より、むしろしっくり来た。

  • シー・イズ・オーシャン

      • 映画監督/脚本家

        いまおかしんじ

        サメと一緒に泳ぐ女の人に驚いた。サメは所構わず人間を襲ったりしないんだ。初めて知った。「ジョーズ」(75)とか見て育った世代には、衝撃の事実でした。あとサーフィンでこんなに人が死んでいるっていうのも驚きでした。確かにあんなデカい波から落ちたら危ないよな。知らないことをたくさん知れてよかったのだが、9人も描くと浅いというか、人物を紹介してるだけの印象があって、残念だった。でも出てくる女の人がみんな、力強くて明るくて、見ていて気持ち良かった。

      • 文筆家/女優

        睡蓮みどり

        この映画に登場する海を愛する9人の女性たちは、サーファー、サメの保護活動家、ダンサー、海洋生物学者など役割は違うものの、意識を高く持ち、挑み続ける。サメとの共存や海中ダンス、ビッグウェーブなど、美しくも驚きのあるシーンも多い。サーフィンで世界チャンピオンにもなったケアラ・ケネリーの言葉は女性として生きることとは何かを問いかけ、フェミニズム映画としての見応えも十分。まさにこの時代に見られるべき作品。強いて言えば登場人物が多すぎるという印象だった。

      • 映画批評家、東京都立大助教

        須藤健太郎

        たまにタガが外れたように音楽ガンガンのモンタージュ・シークエンスが始まるが、だからなんだというのだ。いや、全篇通してそうだとして、何が悪いのだ。スポーツ・バー(行ったことないけど)のモニターでも見ているようだが、海に魅せられ、海を愛し、海と交流を持つ女たちは誰もが素晴らしく強くて誠実で、そういう通俗すべてを吹き飛ばすのだ。サーフィンも飛び込みも、サメもダイビングも海洋生物学も自分からはあまりに遠いのが悔やまれる。彼女たちに心からの敬意を。

    • マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ“

        • 映画監督/脚本家

          いまおかしんじ

          ナイーブで頑固な人なんだろうと思う。ドキュメンタリーに出演することはオッケーなのに、顔を映すなっていうのは相当ひねくれている。本人がめっちゃ喋ってるし、服を作っている手とかは写っているので、顔が見えないことへのストレスはあんまりない。ファッションショーの描写がたくさんあって、モデルたちやスタッフの誰もが、彼のことを好ましく思ってるのが、よくわかる。本人ではなく、その周りを描くことによって、より本人を描けてるって、面白いと思った。

        • 文筆家/女優

          睡蓮みどり

          知的かつエレガントな思想をのせ、マルジェラ自身の声が映画全体を誘引する。プロが読むナレーションでもインタビューでもなく、この語りは同時に見えないままに「匿名でいることで自分を保つ」マルジェラその人を映し出すことに成功している。前作のドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリーも素晴らしかったが、ホルツェマー監督は距離を保ちながらも被写体の中に確実に入り込んでいることが伺える。ファッション史における貴重な記録でありながらそれ以上に未来が映っていた。

        • 映画批評家、東京都立大助教

          須藤健太郎

          背景音楽が鳴り止まないのが気になるし、なんでも足せばいいと思っているふうで、どうも好きになれない。情けないBGMの流れるなか、マルジェラが「父が美容師で…」と語り始めるくだり。美容院の様子を映したモノクロのフッテージが挿入されると、プロジェクターの動作音を真似たカタカタ音がさらに重ねられる。一事が万事この調子である。ラストの眼鏡も失笑もの。むろん被写体に非はない。声も手もよかった。作業を担い、他人と関係を持つ、媒介となる手。あとは幼年期のこと。

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