映画専門家レビュー一覧

  • ミス・マルクス

    • 映画執筆家

      児玉美月

      パンクロックな音楽と共に直立不動の女にカメラが迫っていくオープニングは、直近に公開されたフェミニスト映画の秀作「ペトルーニャに祝福を」(19)と同型であり、期待を高める。カメラ目線で観客に話しかけるかのようなスピーチ、誰も聞いていないお喋り、イプセン『人形の家』の劇中劇における台詞などは、エリノアの語りの形態を複数化する試みとして、彼女の言葉を誰が真に聞いていたのか? という問い、及び女の語りが軽視されてきた歴史的背景とも絡み合い必然性がある。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      昨今世界的にマルクスが大ブームだという。それは恐らく限界に達した資本主義から逃れる道を模索してのことだろう。本作はそんなマルクスがロンドンに残した末娘・エリノアに関する伝記映画である。マルクスは労働によって人の価値は形成されると説いた。しかし、残念ながらこの映画にエリノアが労働している様子はほとんど映っていない。ブルジョワのお嬢ちゃんが自我を持て余して世界を正しく論破していく様子は鳴り響く軽薄なパンクロックとあいまってあまりにナイーブに思えた。

  • 科捜研の女 劇場版

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      21世紀に入ってからも存続している東映京都撮影所において、1999年から20年以上コンスタントに制作されてきたこのテレビドラマの果たした役割は大きかったに違いない。まるで楽屋落ちのようにそれを誇示するクライマックスの一連のシーンに、満を持しての映画化である本企画のエッセンスが詰まっている。もっとも、それ以外のシーンでは科学捜査という静的な題材と映画的スペクタクルの相性の悪さがどうしても露呈していて、「ドラマファンへのサービス」の域は脱していない。

    • 映画評論家

      北川れい子

      このドラマシリーズは99年にスタートしたそうだが、実は私はこの劇場版がシリーズとの初対面。むろん噂ぐらいは聞いていたが。だから不可解な事件や犯罪に挑む科捜研の活躍、大いに期待したのだが、劇場版ということで気張ったのか、事件が大袈裟すぎていささかシラケる。科学者が科学者を実験台にしたような奇妙な犯罪。足で稼ぐ刑事ものと違って、みんな突っ立ったまま専門用語を口にするのはシリーズの特徴なのだろうが、これも何だか。終盤の沢口靖子の華麗な見せ場には感心。

    • 映画文筆系フリーライター

      千浦僚

      骨子としては「リング」を思わせる呪いの如き同時多発死と、それが主人公に迫ったときに展開する、コナン・ドイルのホームズものでも印象的な一篇「瀕死の探偵」に通じるネタ。本作が一種の警察もの刑事ものであることは、「ダーティハリー」「クワイヤボーイズ」「リーサル・ウェポン」に通じる主題“飛び降り”から規定されるだろう。それに関して本作の沢口靖子はほとんどメル・ギブソンだ。京都に映画撮影所があってよかった、という台詞には、まあそうですかねえと思う。

  • くじらびと

      • 脚本家、映画監督

        井上淳一

        スゲエと観ながら何回口にしたことか。どうやってあんな映像を撮ったのか。30年にわたる取材の成果だと知る。しかも、このご時世に鯨漁。年10頭獲れれば村全体が生活出来る。鯨の命を奪うことへの畏れ。死にゆく鯨の目。映像ですべてを語ろうとする強い意志。自分に問わざるを得ない。この映画とどう向き合うのか。欲を言えば、物々交換だけでなく貨幣経済の浸透も見たかった。スマホやってる若者も。しかし、他の誰にも撮れない唯一無二の映画。五輪の弁当大量廃棄。現代人必見か。

      • 日本経済新聞編集委員

        古賀重樹

        小舟の舳先に立った男が巨大なクジラに飛びかかり、銛を突く。クジラも反撃し、舟に体当たりを食らわす。インドネシアの寒村で400年続くというクジラ漁に密着。小舟に同乗して撮った迫真の映像に加え、ドローンを駆使した空撮で舟とクジラの闘いをダイナミックにとらえる。「アラン」(34)以来の題材に、最新の撮影機器で迫るドキュメンタリーの現在形。村人たちによる獲物の解体作業も壮観で、人口1500人の村が年間10頭クジラを捕れば生きていけるという経済的側面を伝える。

    • その日、カレーライスができるまで

      • 脚本家、映画監督

        井上淳一

        まさか本当に「カレーライスができるまで」の映画だとは。子供の死から立ち直れず、妻とも別居した男。3日後の妻の誕生日に向けてカレーを作り始める。やめてくれと思う。喪失や救済や再生を便利使いして消費するのは。開始5分ですべて読める。52分が長い。中篇で抑制の効いたいい話でいい役者使ってと企画会議が目に浮かぶ。映画をナメてるのか。それなら長篇で堂々とやれよ。この程度の映画なら作らないで欲しい。あと、ルーは火を止めてから入れるので。それくらいちゃんとやってね。

      • 日本経済新聞編集委員

        古賀重樹

        幼い息子を難病で亡くし、そのために妻にも去られた男の喪失感と無力感を、アパートで独りカレーを作るリリー・フランキーが表現する。外は雨が降りしきり、小さな部屋の中ではラジオと生活音が聴こえるだけ。そんなミニマルな一人芝居として始まり、次第に家族の事情が明らかになる。序盤はちょっと期待をもたせるが、中盤から感情をあおる音楽が流れ始め、息子の写真が倒れるようなオカルト現象まで起きて、興覚め。男が涙を流すころには、すっかり凡庸なメロドラマに着地する。

    • モンタナの目撃者

      • 映画評論家

        上島春彦

        最初に辛口を書かせてもらうと前半、アンジェリーナのクロースアップが多すぎ。深刻の度が過ぎてもたれる。ラストのボロボロの顔だけでよかったのに。山林火災消火のスペシャリストが抱えるトラウマを、殺し屋二人組から逃げる少年の手助けに絡ませる作劇は巧妙だし、どこまでがSFXか判然としない山火事風景もさすがの仕上がり。注目ポイントはアンジェリーナも妊婦に扮するメディナ・センゴアも普通の女性であるところ。この二人は一緒に出る画面はないのだが、同志って印象だ。

      • 映画執筆家

        児玉美月

        質が高い往年のハリウッド製ディザスター映画を彷彿とさせる演出力が優れた作品。孤高の消防隊員を演じたアンジェリーナ・ジョリーももちろんだが、妊婦を演じたメディナ・センゴアもアクションシーンを好演しており、女性俳優陣が珠玉の布石。主人公ハンナが苛まれているPTSDが一つのテーマにあるが、少年を救うことによって自らも救われるのではなく、両親を共に失った少年の悲劇性との比較によって傷が緩和されたようにとれてしまう台詞を含む脚本には綻びがあるのでは。

      • 映画監督

        宮崎大祐

        台本のト書きをそのままマルチアングルで撮ったかのような説明カットの連続に鼻白む上に、山岳レスキュー隊やパラシュート、暗殺部隊に山火事と、すぐにでも映画が立ち上がりそうな要素がいくつもそろっているにもかかわらず、それらがとっ散らかったまま最後まで像を結ばないのがなんとも残念だ。それでも、山火事の粉灰舞い散り色を失った闇夜の中を愛馬にまたがった黒人妻が猟銃片手に疾走していくシーンは、遠く「狩人の夜」を思わせる荘厳さと崇高さがあった。

    • テーラー 人生の仕立て屋

      • 米文学・文化研究

        冨塚亮平

        大胆な転身に伴う苦労や父親との確執がほとんど描かれないからか、やや盛り上がりに欠ける後半の展開には拍子抜けするも、コメディとして割り切って捉えてしまえば特に気にならない。設定上重要な主人公親子や女性たちが身に纏うスーツとドレスのデザインは、端役である父親の友人たちが着るカラフルなスーツに至るまでいずれも説得力十分。どこかジャック・タチを思わせるとぼけた魅力に溢れた、ディミトリス・イメロス演じる寡黙な主人公の表情や身振りがなかなかに楽しい一本。

      • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

        降矢聡

        リスタートを描く映画はそれだけでどれも素晴らしい。高級紳士服の仕立て屋が、時代の変化に合わせて移動式屋台で街へ繰り出しウェディングドレスの露天商を始める本作は、旧世代、旧来のジェンダー観からのリスタートであり、芸術におけるハイとローをめぐる新たな価値観を創造する映画だ。チャーミングなキャラクターによって紡がれる現代的なそれらのテーマはしかし、一つの新しい物語として巧みに縫い合わせれているかといえば、いささか尻つぼみに終わってしまっている。

      • 文筆業

        八幡橙

        ギリシャの新鋭女性監督長篇デビュー作。「次世代のアキ・カウリスマキ」と謳われているが、滑り出しの印象はむしろジャック・タチ!? テーマは50歳の仕立て屋の初めての自立、なんだろうか。だとしたら、いくらタチに通じるおとぼけ風味を狙ったとしても、老父との価値観の違いや自身の職人としてのプライド、女性服への宗旨替えに対する葛藤などはもう少しきっちり描くべきでは。隣の母娘との交流も、微笑ましいでは片付けられない生々しさが。遠きギリシャに吹く風は、心地よかった。

    • アナザーラウンド

      • 映画監督/脚本家

        いまおかしんじ

        血中アルコール濃度0・05%で全てがうまくいく。そんなアホな。アレコレうまくいかない中年たちが、真剣にアホなことにのめり込んでいく。小さい話だけど、身につまされた。酔っ払って馬鹿騒ぎをしている彼らを見ていると、だんだん切ない気持ちになってくる。そんなことでうまくいくわけがない。残酷な失敗がいくつも重なる。それでも生きていかなきゃいけない彼らを自分と一緒だと思った。最初は飲まないと言っていた主人公が、結局飲んじゃうのが、微笑ましくてよかった。

      • 文筆家/女優

        睡蓮みどり

        根が暗いのでお酒を飲まないと喋れないというのは痛いほどよくわかる。実際に何度も失敗もしてきた身としては登場人物たちが他人とは思えない。人生を向上させる実験という大義名分のもと、さえない教師たちが日々酒を浴びる姿が切なくも愛おしくてたまらない。どうしてマッツ・ミケルセンの目はあんなに愛情深いのだろう。『ハンニバル』で完全に彼の虜になってから心待ちにしていた作品。バレエを学びプロダンサーとしても活躍したマッツが踊るシーンにも釘付けで、至福の一言。

      • 映画批評家、東京都立大助教

        須藤健太郎

        こういうのは知らない振りをしておくのが粋だと教わった気がするが、一応突っ込んでおく。これはカサヴェテスの「ハズバンズ」ってことですよね。計画的に、節度をもって、ハズバンズを日常に取り入れる。すると、社会生活が円滑にって、それはやっぱり無理な話だろう。どういう発想なのか、理解に苦しむ。終盤に友人の葬式があって、「ハズバンズ」の逆なんですよというあたりも実に言い訳めいている。私は酒を飲まないので、辛口なのは下戸の僻みかもしれません。ご寛恕を。

    • 華のスミカ

        • 脚本家、映画監督

          井上淳一

          横浜中華街にも大陸派と台湾派がいて対立していたなんて、ちょっと考えれば分かることなのに本作を観るまで思い至らなかった。恥ずかしい。その証言集としてだけで価値がある。ただ痒いところに手が届かない。文化大革命や天安門事件、今の中国をどう思っているか、なぜ問わないのか。個人と国家の関係が見えるようで見えない。15歳で半分中国人だと知った監督自身のアイデンティティにも迫れていない。本作のラストをファーストシーンにした続篇に期待。まだ何も始まっていない。

        • 日本経済新聞編集委員

          古賀重樹

          横浜中華街の華僑社会における大陸派と台湾派の対立と和解の歴史を、華僑4世の監督が追ったドキュメンタリー。中華学校での教育方針を巡り両派が衝突した1952年の「学校事件」以降の流れを、父や伯父、その恩師やゆかりの人らへの取材を通して明らかにしていく。父の出自を知らぬまま育ち、文化大革命の実感ももてない30代の監督の青いながらも曇りのない眼差しが、複雑な問題の本質に迫る。中台関係の緊張が高まる今、華僑社会の成熟が物語るものはより深くより重い。

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