映画専門家レビュー一覧
-
夕霧花園
-
映画評論家
きさらぎ尚
戦中戦後の日本軍とマレーシア、続いてかの国と英国軍、さらに80年代の、三つの時間軸。その軸を貫くヒロインに日本庭園造園の背景や山下財宝などのエピソードが濃密に絡まり、パッチワークを彷彿。主要人物4人が台湾、マレーシア、日本、英国人俳優なら、監督、脚本、それからスタッフ陣もまさに多国籍。その効果は画面にくっきり。日本軍の収容所、緑滴る茶畑や霧の日本庭園、千羽鶴などの屋内の設え、タトゥー。耽美的でさえあるも、一方、消化不良ぎみの感がする。惜しい大作。
-
映画監督、脚本家
城定秀夫
マレーシアでの日本兵の蛮行が生々しく描かれており、日本人としていたたまれない気持ちになりつつも、菊池寛『恩讐の彼方に』男女版を思わせる悲恋物語のどうしようもない切なさは胸に迫るものがあったのだが、隠し財宝や収容所の位置と刺青、庭石の関係性などが明かされるミステリ風の終盤は捻りがきいているとはいえ、それまで散々に日本庭園や刺青の芸術性について語ってきたことを考えると、そんなことに利用するのは文化芸術に対する冒?とも思え、少々モヤついた気分になる。
-
-
太陽と踊らせて
-
非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
イビザといえばパーティ三昧のイメージであるが、このDJジョンはオールジャンルでチルアウト系。イビザのスターDJたちとは対極の存在。かつてロンドンでカメラマンをしていて、D・ボウイなども撮影していたというジョン。ドローンを駆使した撮影は、まるで『スペース・オディティ』のトム少佐がイビザという星に不時着したような映像だ。そしてDJブースは小さな宇宙船で、サウンドは我々管制塔へ届ける信号だ。P・ゴーギャンやP・ボウルズなど西洋文明から逃れる轍を見る。
-
フリーライター
藤木TDC
80年代以降レイヴの聖地になったイビサ島の特異なクラブミュージック発達史は本作を見ても分からない。尖った感じでもない老DJの回想や知人らしき人の証言は具体性に欠け、権利が取れなかったかエポックな曲やパーティ映像も少ない。ドラッグについて言及が皆無なのはPに日本人がいて日本語クラウドファンディングで製作費が募られたせい? 関連ブログに「世界のビーチで上映する映画」とコピー。劇場でじっと見る目的の作品ではないようだし、特定のクラブの宣伝に思える。
-
映画評論家
真魚八重子
ある程度の水準の作品ばかり観ているとつい忘れてしまうが、ドキュメンタリーのリテラシーにも初歩的なものがある。身近な人を取り上げるにしても、その人物が一本の映画を作るに足る興味深い人物か、もしくは普遍的な問題提起などがあるかという点だ。自分にとって驚異的に心地よい場所でも、カメラでその感覚を写し取るか、またはなんらかの演出でそれを抽出しなければならない。本作は被写体がさほど珍しい人物に見えず、DJとして音楽史に残るふうでもなく見応えがない。
-
-
最後にして最初の人類
-
非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
様々なサントラでも名を馳せていた故ヨハンソン。1930年の原作はSF小説として少しも古くはなく、むしろSF小説界自体の将来を照らす予言の書ともいうべきものだ。20億年先の人類の物語を朗読するティルダ・スウィントンは秀逸。旧ユーゴスラビアに実在する戦争記念碑のデザインの美しさ。音楽家で建築家であったクセナキスというアーティストがいたが、ヨハンソンも建築設計したらこのような建造物を作っていたかもしれない。ミニマルでソリッド。擦り減りにくい作品だ。
-
フリーライター
藤木TDC
原案小説と無関係ではないが関連性は希薄、映画というより映像と朗読つきの音楽作品と考えるべき。私は現代音楽が好きなので贔屓目になるが、サウンドと画面の呼応に72分間魅了され続けた。旧ユーゴの戦争記念碑というオブジェは宇宙からの啓示を感じさせ、当監督が音楽を担当した「メッセージ」(16)に似た感触がある。商業地のシネコンだと観賞後の陶酔感を損ないそうで、可能なら巨大スクリーンのある郊外の美術館で観たい。字幕がとても邪魔、吹き替えのほうが良かった。
-
映画評論家
真魚八重子
こういった傾向のアート映画に寛容なのはやめようと思う。もちろんこの手の中にも鑑賞に堪えうる作品とまがい物はあるが。観客に忍耐を強いて、我慢できたら芸術に理解があるかのような印象を与える作品には、厳しくしないと安易に真似する後進作家が現れがちだ。本作はオーディオブックと違いがない。この映画で抜粋を聞くよりは、オラフ・ステープルドンの同名原作を買いやすくしてもらいたい。映画というより、爆音上映で音楽を聴きながらVJ映像として楽しむならいいかも。
-
-
ココ・シャネル 時代と闘った女
-
映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
フランスとドイツの共同資本によるカルチャー専門テレビ局、アルテが制作したドキュメンタリーということで、これまで散々語られてきた「ココ・シャネルの物語」が避けてきた不都合な真実(特にシャネルとナチスの関係)に踏み込んでいくところが面白い。原題(直訳すると「ココ・シャネルの戦争」)の通り、この女傑が第一次世界大戦と第二次世界大戦をどう切り抜けてきたかに焦点を当てた作品なので、モード寄りの関心で臨むと肩透かしを食らうだろう。
-
ライター
石村加奈
数多の評伝などでも語られてきた、ココ・シャネルの伝説が、駆け足で紹介されていく中に、正直目新しさはない。「No.5」誕生100年にあたって、元祖シャネルのファッション美学を、若い人たちにイージーに周知させるべく、作られたのだろうか。ナチスへのスパイ協力から「No.5」製造販売権をめぐる香水戦争まで取り上げた心意気は買うが、ならばもっと踏み込むべき。次々と新しいスタイルを打ち出していった彼女の闘いの原動力=嫌悪の精神に言及されないのも残念だ。
-
映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
55分に凝縮されたココ・シャネルことガブリエル・シャネルの生涯。ということでだいぶ駆け足で描かれる彼女が生きた87年間のダイジェスト。ナレーションベースの作品なのだが、原稿はほとんどWikipediaの説明文のようで、その内容にココや関係者の当時のインタビュー、世界大戦などその時代時代の資料映像を合わせていく無駄のない、流れるような構成。時代に翻弄された彼女の壮絶な生き様を「情報」として得るので、感慨はなく物足りないが、入門篇としては十分な完成度。
-
-
親愛なる君へ
-
映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
人生はビデオゲームのように一つのミッションをクリアすれば次のミッションがやってくるというものではなく、同時多発的に次々と問題が起こって、それぞれの問題が複雑に絡み合い、その一つに対処すればさらにそこから派生して問題が起こるものだ。一人の青年の冤罪の物語のように始まり、やがてそれが贖罪の物語であると明らかになっていく本作には、そういう意味において極めてリアルな人生が描かれている。台湾北部の港町(基隆市)の風景の捉え方も見事。
-
ライター
石村加奈
観終わって、さらに観返したくなる、奥行きのある構成だ。チェン・ヨウジエ監督の練り上げた脚本力が冴えわたっている。ラストシーンの、ヨウユー少年(バイ・ルンイン)の澄んだ歌声を聴き、主人公ジエンイー(モー・ズーイー)との別れの場面での、印象的なカメラワークを想起した(それは二人が山へ向かう、電車の中から始まっていたのかもしれない)。二人のデリケートな関係性を、独特のカメラワークが柔らかく捉えている。ヨウユーの祖母を演じたチェン・シューファンが圧巻!
-
映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
謎の間借り人ジエンイーが、家主の老婆殺しの容疑で逮捕される。さらにその数年前、老婆の息子の死にも彼が関わっていることがわかってくる。現在、過去、さらにその過去、2つの死をめぐるミステリー。3つの時期を重ねて描く構成は「暗殺の森」を彷彿とさせ、愛憎交錯するドラマが展開する。ジエンイーと“養子”のヨウユー、死んだ親子、それぞれの複雑な状況、関係性は、その構造で描くことで、シンプルにあぶり出される。それは多様性を生きる「現代」のリアリティ。
-
-
復讐者たち
-
映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
終戦直後のドイツでの、ユダヤ人組織ナカム(ヘブライ語で「復讐」の意)による市民大量虐殺計画という際どいテーマを扱った作品。ナカムに関しては近年になって公にされた情報も多く、監督がイスラエル人のパズ兄弟ということも含め、作中の出来事がどれだけ裏付けのある事実に即しているのかと邪推せずにはいられない。特に冒頭と最後のモノローグにおける扇情は、本篇からも浮いていて、何十年もイスラエルがパレスチナ人に対して行ってきたことを考えると、とても居心地が悪い。
-
ライター
石村加奈
敗戦後のドイツで水道施設が復興し、うまそうに水を飲むドイツ人の傍らには、ナチスに殺された家族を思い、目に涙を浮かべて「目には目を」と復讐を誓うユダヤ人たちが居た。生き延びた彼らの抱えた、深い哀しみは、彼らを新たな人生に向かわせず、過激な復讐計画へと駆り立てる。絶望の中「歴史を変えよう」という大義に、希望を見いだす彼らの、実話に基づいた心情を、様々な水の描写や死神のエピソードなどで、切実な物語へと昇華されている。複雑な構成にも、監督の思いを感じた。
-
映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
冒頭のモノローグ、「家族が殺されたとしたら。想像してみてくれ……」がゆっくり突き刺さる。我々はその言葉に導かれ、主人公マックスに憑依し物語を体験せざるを得ない。ホロコーストを生き抜き、戦後を迎えたユダヤ人たちの怒りと悲しみは消えることなく、より深くなっていく。その苦しみから逃れるための復讐への渇望。そこにもまた新たな確執が生まれる。最終的に最大の復讐を行なったマックス。その選択の正否に対して“死ぬまで”葛藤するクライマックスが秀逸。
-
-
サイダーのように言葉が湧き上がる
-
映画評論家
北川れい子
あらゆる色のパステルカラーで彩色されたカラフルな画像に、ヘッドフォンを耳から離さない無口な俳句少年と、カワイイを連発するマスク少女。互いの泣きどころの視覚化ってことらしい。それはともかく、俳句という言葉による心情スケッチを字幕化しつつ、青春の定番要素をゴッソリ盛り込み、さらに思い出のレコードを探す老人のためにせっせと大奮闘、なんとまぁ良い子たち。夏祭りに花火という定番中の定番のクライマックスも、お約束事として据わりはいい。悪意ゼロのアニメ。
-
編集者、ライター
佐野亨
鈴木英人か永井博をほうふつとさせる色使いと均質な描線。シティポップ隆盛の昨今を意識しての企画だが、さらに俳句というファクターがそこに加わる。かつて80年代に風景の均質化をポップに切り取る映画作家とみなされた森田芳光は、同時に地方都市の空洞化と日本的言語表現の変容の問題にこだわりつづけた。この作品は、シティポップの言語面でのアンリアルなリアリティが、こうしたいくつかのねじれと二重化の上に成立していることをみごとに描き出していて虚を突かれた。
-
詩人、映画監督
福間健二
俳句を使ったアニメ。老人フジヤマの俳句は監修役でもある歌人黒瀬珂瀾の作。主人公チェリーの俳句は複数の高校生たちの作。まず、そのへんが微妙にユルイ。劣等感もつ者どうしのボーイミーツガールで、作画、演出、ともに古い手が連発される。なにかが割れそうだと心配させたら、ちゃんと割れるという具合だ。でも、チェリーも、彼がなかなか好きだと言えないスマイルも、憎めない。そして大事な歌がなんと大貫妙子の曲でその歌声が響く。イシグロ監督、俳句好きだったらうれしい。
-