映画専門家レビュー一覧

  • すべてが変わった日

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      馬乗りにとって雷鳴がどれだけ危険かという説明もなく話がどんどん進行していく冒頭から、元保安官が一か八かの勝負に身を投じるラストまで、とても現代のアメリカ映画とは思えない作り手の高い志に貫かれたネオ西部劇。ネイティブ・アメリカンの描き方や、物語の決定権を握り続けるのが元保安官の妻というところに、「現在の映画」としての必然性もある。監督の過去のフィルモグラフィーがまったくあてにならないこういう映画に出合うことがあるから、映画は面白い。

    • ライター

      石村加奈

      原題も邦題も、観客の想像をかき立てるタイトルだ。60年代の設定だが、現代的なテーマをはらんだスリリングな展開が繰り広げられていく。暴れ馬を調教するように愛孫奪還劇を牽引するのはダイアン・レイン。姑然と嫁を邪険にしたり、男に気を遣わせる女と言われたり、一見厄介な女性が痛快な主人公に見えてくるから面白い。そのポイントを夫(ケヴィン・コスナー)の「ここで諦めるなよ」という愛の言葉と捉えれば、彼女は彼を手放していない? 実に面妖なラブストーリーではないか!

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      美しい朝焼けの中、牧場を馬が駆ける。それを見守る初老の男。往年のケヴィン・コスナー映画を思わせる完璧な冒頭。だが、本作は、ダイアン・レイン演じる孫を奪われた女の執念の物語だ。奪ったのは暴力で家族を支配し、他人までもコントロールしようとする、老女。演じるL・マンヴィルの眼差し、その滲み出るリアリティが怖すぎる。それぞれが正義と疑わない、価値観の違う“似た者同士”が親戚となって出会う悲劇はどこにでもあるが、その最悪パターンの行方にヒリヒリする。

  • ヨコクソン

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      「韓国歴代最高のホラー映画と謳われる」と資料にあるリメイク元の1986年版は、ネットで確認できる範囲だと確かに強烈なビジュアルで、作られた時期をふまえても一定の韓国映画史的な価値のある作品だったのだろう。翻って、本国で32年後に製作された本作は、韓国ドラマ的な平べったい照明と無駄な動きの多いカメラによるクリアなだけの映像で、リメイクの意義はどこにあったのだろうか? 蒼井優的な雰囲気と杉咲花的な視線の強さを併せ持つソン・ナウンの魅力が救い。

    • ライター

      石村加奈

      継母の抱く野望(不遜な振る舞いも様になるソ・ヨンヒ)、巫堂の助言にも耳を貸さず、名家に居座る薄幸系美女の不気味さ(ソン・ナウンが静かな存在感を発揮)、身ごもった妓女を躊躇なく拷問する、身分の高い主人の下衆っぷり……初夜に息子が次々と死んでいく、悪鬼に呪われた屋敷での騒動が、おどろおどろしく描かれる。女のすすり泣く声や煮えたぎる釜の音など、恐怖をそそる音響効果に震える。人間の心の闇と田舎の暗闇を重ね合わせる、古典的なホラーがいちばん怖い好例かも。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      韓国歴代最恐と謳われている(らしい)オリジナルは未見なのだが、物語は女の怨念をベースにした古典的な展開。何かが起きそうで起きない、思わせぶりな演出が続くので怖がる気満々のこちらとしては少し物足りない。顔面剥がしなど“痛い”シーンは豪快で、急に暗視スコープを使った映像演出が入ったり、嘔吐の描写が毎回異常に長かったり、エッジを利かせているが、それらの仕掛けと軸である“権力をめぐる女性同士の確執”のスリリングな心理描写とのバランスが悪く、勿体ない。

  • ビルド・ア・ガール

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      主人公の女の子が、ピュアなのが家族との関係で分かる。弟とかお父さんとやたら仲がいいのだ。その彼女がどんどん間違っていく。悪気がないのに、間違っていって、大好きだった彼に酷い仕打ちをしてしまう。彼女の後悔が痛いほど伝わってくる。彼女は、周囲の人々に助けられる。他人って大事だなと思う。間違っていたら、違うよと教えてくれる。優しさに満ち溢れた映画だ。最初はうざいと思っていた彼女がどんどん可愛く思えてくるから不思議だ。見終わって元気になる映画だった。

    • 文筆家/女優

      睡蓮みどり

      ロックの辛口批評家になった高校生の女の子が吠えまくるなんて面白そう! と期待しすぎたのか、ご都合主義が邪魔をしてきて乗り切れず。アルフィー・アレンは素敵だけれど、優しすぎて主人公の妄想の王子様キャラ止まり。どんなに酷いことをしても結局主人公はあっさり許されるし、それでいのか? せっかくの毒舌要素をキラキラしたものでまぶしてしまうなんて勿体ない。「ブリジット・ジョーンズ」シリーズが苦手なので、同じの製作陣とのことで妙に納得はしたが。

    • 映画批評家、東京都立大助教

      須藤健太郎

      正直、よくわからない。まったくつかみどころのない映画で、かなり困惑している。青春映画のようであり、ビルドゥングスロマン的な成長を描くように見せながら、その種の作劇を成り立たせていた大事な要素が欠けている。初めて銃を撃っても見事に命中してしまうというあたりに象徴的かもしれないが、できなかったことができるようになるとか、そういうプロセスがないのである。すべてが「やってみたらできました」の連続といった感じで、この葛藤のなさをどう捉えればよいのか。

  • 名もなき歌

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      エスニックマイノリティとセクシャルマイノリティが寄り添い交錯していく。貧困や民族差別など声を持たぬ者たちの叫びや心の声を詩情豊かに映し出す。確かに80年代のペルーの社会や政治の歪みや矛盾が生んだドラマが描かれているが、それ以上に乾いた風が吹き荒む台地と光と影がドラマを超えて訴えかけてくる。善悪を超えて、社会に存在する複雑な矛盾とカメラに収められた人物や風景のドキュメンタリー的な存在感に圧倒される。類を見ない映像センスを持つ新人女性監督の今後に期待。

    • フリーライター

      藤木TDC

      縁ボケ白黒スタンダードサイズの美しい映像でキュアロン「ROMA/ローマ」に通底する南米先住民の差別と苦難の現代史を描く。ペルー映画としては09年金熊賞「悲しみのミルク」の前史に接続される女性問題。アルベルト・フジモリが大統領時代、数十万の先住民女性に不妊手術を強制したように、母権?奪はペルーにおける歴史的で恒常的な政治の横暴だ。ならば監督は詩的な映像で口当たり良く見せることに終らず、もっと攻撃的に演出するべきだ。悲嘆的なラストは実に残念。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      組織的に行われている児童誘拐や人身売買にまつわる、実際の事件に着想を得たという点が昨今の映画らしい。好奇心を刺激する俗なテーマは新進の監督にふさわしいものだし、先住民の貧困も描くべき問題である。しかしこんなテーマを掲げながら、国際映画祭を意識したようなアート映画っぽさに終始し、核心に迫る気がないのは不誠実。同性愛への言及も同様だ。事実に肉薄しながらアートでもある映画は撮れるはずなのに、ワールドシネマにありそうな演出に甘んじるのは一種の冒?では。

  • 日常対話

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        カメラは現代の魔術だ。死者の魂を鎮めたり過去を救済するまるで修験道士の役割を果たす。娘はカメラを携え、母親の過去を尋問か取り調べをするように追い詰めていく。敢えて語らなかったこと、衝撃的な内容はさることながら、カメラが映し出すその語り口や態度、沈黙こそが語り得なかったことを雄弁に語り出す。監督による詩情溢れるモノローグは、一個人たちの生き様を超えて、見るもの全てに共感を誘う。そしてかつて住んでいた家屋もまた写真と同等な記憶を喚起する装置となる。

      • フリーライター

        藤木TDC

        製作総指揮・侯孝賢の趣味っぽい台湾の田舎町の風景や大衆演芸にウットリできる人か、自分の家族にカメラを向ける私的記録映画に強い興味がある人、入場対価に満足するのはその2タイプだけでは。レスビアンの母を持った運命や、ほかにもある監督の暗い事情は充分に映画的な重みだが、退屈なアングルとスローテンポで88分は長すぎ。間延びさせたフジテレビ日曜午後ドキュメントの台湾版てな印象。私の場合だいぶ前に両親とも死んで親がテーマの作品に関心薄いせいもあるけれど。

      • 映画評論家

        真魚八重子

        夫からのDV被害に耐えかねた母とともに逃げ、貧乏を余儀なくされた逸話に対し、その母が同性愛者で多数の女性と享楽的に過ごす姿は、本作の世界観において気まずさが漂う。実の娘らをないがしろにした動機に、母が自分自身の出産する性=女である部分を否定したかった本能があるのは仕方ない。そういった同情すべき点はあるが、内縁の妻を泣かせ、とある秘密の生贄を差し出した母の行動は和解すべき相手と思えない。作り手である娘の願望に基づいた編集でなければいいが。

    • 8時15分 ヒロシマ 父から娘へ

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        「アウシュヴィッツとヒロシマ以降に詩を書くことは残酷だ」とパウル・ツェランは詠んだ。しかし加害の時間や誰の行為だったのか、両者の決定的差異は指摘される。ヒロシマを歴史的に見れば、当時の正義や合理性の名において実行された。勝者の歴史。この美甘進志氏の「赦す」という哲学/生き方は、これからの人類の過去と未来が同時に存在し絡み合う現代において、とても重要なものだ。もはや加害者や被害者という対立構造ではなく、他者への想像力。重要な映像の存在意義を見た。

      • フリーライター

        藤木TDC

        学校上映が主目的の映画だろう。すでに多くの原爆映画やドキュメントを見ている中高年には不要な内容だ。原作者の父の原爆体験が他に代えがたく悲痛なのは間違いないものの、強運と思える描写もある。俳優によるモノローグとドラマを混ぜた演出は低予算のせいで時代再現のクオリティが低く、役者の日本語も変だ。米国上映を想定してか「許す心」を説くのに私は同意できなかった。ちなみに『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』(中条一雄著)という書籍もあることを記しておく。

      • 映画評論家

        真魚八重子

        日本は原爆の被爆国でありながら、昨今は広島長崎にまつわる映画は作られなくなった。本作も米国に住む被爆者の実娘の尽力で完成している作品だ。そのため無説明で突然始まり、通常のドキュメンタリーとは異なる奇妙さで進むが、独特の再現話法によって不思議な迫力はある。「アウシュビッツはなかった」というような歴史改変が湧きおこる世の中なので、被爆者の体験談は見やすい形で残しておかないと、近い未来に原爆はなかったという放言も起こりかねないと危惧している。

    • ベイビーわるきゅーれ

      • 映画評論家

        北川れい子

        かなり人騒がせな設定だが、冒頭から能書き無用のアクションで一気にこちらの気を引いて、座布団一枚! 殺し屋をしている10代女子2人の、バイト探しでの暴走。1996年生まれの阪元監督の、どこかとぼけたバイオレンス作品で、ルームシェアをしている2人の緩いお喋りがまたくすぐったい。なにより魅力的なのはキャラの違う彼女たちの演技とアクションで、素早い動きは言い訳無し。2人が殺し合う相手が迷惑なヤクザや半グレなのも小気味よく、阪元監督、乞うシリーズ化。

      • 編集者、ライター

        佐野亨

        揺るぎない世界をもった阪元裕吾監督。前作「ある用務員」で抜きん出た存在感を放った高石あかりと伊澤彩織を同じような殺し屋コンビで登場させ、キャラクターの魅力でまず引きつけるが、今回は彼女たちを包囲する社会(男性社会)との対立図式を明確に描き、現代にふさわしいシスターフッド映画に仕立ててみせた。スタントマンの伊澤、アクションのキレはお墨付きだが、初めてセリフのある役をふられたというその口跡に絶妙なおかしみがただよう。伊集守忠の撮影も冴えている。

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