映画専門家レビュー一覧

  • ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今

    • 著述家、プロデューサー

      湯山玲子

      この辛口点数は、世界中の女性たちの心をつかんだ「ブリジットは私だ!」的生き方大肯定リアリズムは皆無だったゆえん。アラフィフシングルマザーの奮闘、若いイケメンとの恋愛と別れ、このシリーズの期待値においてはNGすぎる、リアル故の毒気もない手垢の付いた表現に終始ゼルウィガーの演技もわざとらしく、自らのブリジット像を間違った方向に強化。シリーズを経ての俳優たちの経年変化は、見応えがあるのに、脚本がそれを生かし切ず残念。

  • シンシン/SING SING

    • 映画評論家

      川口敦子

      キャストの大半を演劇を通したシンシン刑務所の更生プログラム経験者で固めた一作は、穏やかに参加者を鼓舞するひとり、無実の罪で刑を被った作家と所内のだれもが恐れる強面のひとりがゆっくりと心を溶かし合う様を軸に人への眼差しのやわらかな緊密さが紡ぐ物語としてまず胸を打つ。波打つハドソン川、空の高み、吹き抜ける風――そこに息づく土地の精霊めいた感触を掬う繊細な撮影の力も称えたい。演出家役P・レイシーのS・フラーみたいな風貌もドラマをしぶとく支えて素敵だ。

    • 批評家

      佐々木敦

      全米最高警備レベルのNYのシンシン刑務所で長年行われている演劇による更生プログラムを題材にした作品で、コールマン・ドミンゴ以外の主要キャストのほとんどが実際に同プログラムを受けたことがある元囚人。ドミンゴとともに実質主演のすきっ歯が粋なクラレンス・マクリンは、これに出たことで人生が一変した。ドキュメンタリータッチの映像設計が功を奏しており、役者陣の本物ぶりも(本物なのだが)相俟って引き込まれる。本番を省略するのも上手い。終幕は紋切型だがまあ許そう。

    • ノンフィクション作家

      谷岡雅樹

      家に帰れた者と今も収監中の仲間に捧ぐ。そう記される。塀の外にあってもホームを持つ者と持たない者とがいる。時々いがみ合っても、同志的な感覚を持ち、またそれは死者にも通じる。実話を基にしたであろうことは、早いうちに気づく。だが解説を読んで初めて知る。登場人物の8割以上が実際にシンシン刑務所の元収監者であった。主人公の台詞にも出てくる映画「フェーム」の刑務所版を見る躍動感を覚えた。踊るか止めるか。何のために踊るのか。この文章もそうだ。踊るためにしか書けない。

  • ベテラン 凶悪犯罪捜査班

    • 映画評論家

      川口敦子

      まず「ベテラン」を見たらブロンディ〈ハート・オブ・グラス〉にのって愛人づれのチンピラがちゃらっと飛び出してきてR・スンワンこういう作風だった!?と目が点に。が、笑わせながら小気味よく大企業とそのバカ息子という巨悪に挑む手練れの刑事と捜査班の人となりを語り切る娯楽活劇の手際にリュ自身もベテランになったのねとしみじみ、しつつ「クライング・フィスト」の頃の尖りを想ったら「2」には往時の劇画調を射抜く鬱蒼があり、ネット映像の横溢も意図よねと許せる気になった。

    • 批評家

      佐々木敦

      大ヒット作の9年ぶりの続篇。監督のリュ・スンワン、主演のファン・ジョンミンを始めとする座組みはほぼ変わっていないのに、この約10年の韓国社会と韓国映画の変化を反映して、印象が大きく異なる作品になっている。前作は「大企業=悪」一点張りだったが、今回は法に護られ罪に見合わぬ軽罰で済んだ悪人を次々と手に掛ける連続殺人犯とドチョル刑事の対決をユーチューバーが世論を扇動する現象を背景に描く。「いい殺人と悪い殺人があるのか?」というドチョルの問いがテーマだろう。

    • ノンフィクション作家

      谷岡雅樹

      無茶な主人公でも先が見たくなるのは、愛されるキャラクターであるからだ。自由な人間か好き勝手放題なのかの鍵は、感情移入できるかだ。植木等の「無責任男」は、出鱈目の陰で努力家だ。寅さんも、ズボラの裏に配慮がある。本作の刑事たちにあるのは、僅かの人情程度だ。主人公以上に酷い悪人を対置させても割引きされない。喜劇でもあるから笑わせるが、手法が暴力的だ。毒で毒を制するという理屈の作品か。悪に同調し許す者の問題をこそ掘り下げて描くべきだ。主人公の妻が救いである。

  • ウリリは黒魔術の夢をみた

    • 映画評論家

      川口敦子

      ロシア製レンズヘリオスが醸すボケの感じがきまっているモノクロの映像はT・ディチロやA・ロックウェルが撮った90年代NYインディのシャビーな感触とも似て、実験的と構えるより遊んだといいたいような重/軽なフットワークが面白い。筋をかいつまむと青春スポーツドラマになるのだが、すんなりそうとは見えない味つけ部分こそがこのフィリピン映画の新鋭ハーン監督の要だろう。トパンガあたりでゆるくらりっていてもおかしくないルイス役、M・アドロの“ぽさ”がいい。

    • 批評家

      佐々木敦

      フィリピン映画というと、私の貧弱な映画的記憶では、古くはキドラット・タヒミック、近年はラヴ・ディアスぐらいしか思い浮かばないが、本作のティミー・ハーンは「フィリピン映画シーンの最先端」とのことである。実際、非常にユニークな作風で、ちょっと驚いてしまった。まるでユスターシュのようなモノクロの映像といい、先の読めないストーリー展開といい、まったくもって一筋縄でいかない。芸術映画と娯楽映画の歪で魅力的なハイブリッド。日本の小説だと小川哲や佐藤究に近いかも。

    • ノンフィクション作家

      谷岡雅樹

      バスケの神様MJと名付けられた主人公。鮮明な固定カメラと白黒映像が印象深く新鮮だ。足りないものは何か。金か。チャンスか。自由か。持っているものは何か。仲間、恋人、育ててくれた叔母。だが強欲で自分勝手で愛情も疑わしい。そしてバスケの才能。いや、度胸も正直さも、体格も、それなりの風貌にも恵まれている。車もある。夢もある。だが悲劇が襲う。生命線のスラムダンクへの道は遠のく。やたらと死ぬ人間は隠喩なのか。フィリピンのルー・リードのような歌声と弦の音色に和まされる。

  • おいしくて泣くとき

    • 映画評論家

      上島春彦

      子ども食堂の意義を説く貴い企画である。しかし映画としては問題含み。意義を理解しないクズみたいな連中と貧困少女をさげすむクズな女子生徒たちのいじめ描写にうんざり。教師が輪をかけて無能なのもどうかと思う。世の中こんなもんと脚本家は言いたいのか。そして少年時代の主人公がさらにふがいない。少女が健気なのが唯一の救いじゃ映画としては持たんよ。親切な工務店の謎というのもあるのだが、常識で考えて謎にしておく理由がない。映画の物語の都合に過ぎないだろう。

    • ライター、編集

      川口ミリ

      若い世代はネオリベラリズム以外の社会像を知らないがゆえに、何事にも自己責任を刷り込まれているといわれる。そんな中で「貧困は自己責任では解決できない」と伝える真っ当な物語を、人気の長尾謙杜を主演に描いたのには、それがたとえ薄味であっても一定の価値があると感じる。けれど映画としては物足りなくて……。キャストは役を全うしているし、夏らしい自然現象が物語を美しく彩ってもいるが、ラストの仕掛けも含めすべてに新鮮味がなく、何か他にないのかなと思ってしまった。

    • 映画評論家

      北川れい子

      タイトルが子ども食堂絡みであることはすぐ分かる。貧困、差別に孤独、家庭内暴力などでお腹をすかせた子どもたち。が本作の場合、貧困や家庭内暴力は初恋話の小道具にすぎず、それがいささか引っ掛かる。子ども食堂の息子のボクが、そういう状況にいる同級の少女を連れ出しての危なっかしい逃避行。それから30年。実らなかった初恋を引きずったボクは子ども食堂を引き継いでいるのだが。ともあれ終盤の思いがけないエピソードは観客への玉手箱。これはこれでいいか。

  • アンジーのBARで逢いましょう

    • 評論家

      上野昻志

      企画からそうなのだろうが、草笛光子あっての映画。彼女演じるアンジーと名乗る、訳ありの流れ者が行き着いた町で、放置された家屋を借りて、バーにしていく。手伝うのは、ホームレスの大工や職人に、物言わぬ舞踏家。そこに関わる連中で、まともなのは、向かいの美容院の女性経営者ぐらいで、あとは一癖も二癖もある住人。ただ、それらが賑やかしに留まっているのが、残念。バーが完成、その開店祝いで一騒動が起こり、アンジーはまた旅に出る。草笛光子の存在感で★一つプラス。

    • リモートワーカー型物書き

      キシオカタカシ

      現代のおとぎ話のような優しく心に染み入る温かい人情噺なのだが、「ある日ぶらりと流れ者が町にやって来て……」という構造は完全に西部劇のそれ。本作は言うなれば“草笛光子版「ペイルライダー」”である。ただしある意味で天上の存在と化していたイーストウッドの“牧師”に対して、本作の主人公アンジーは超然としながらもその確かな実存を伝える生の躍動感を備える。もはや本人を“ひとつの映画ジャンル”として成立させてしまう草笛光子のオーラに、改めてそのスター性を見た!

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      流れ者が街にやって来た、的な西部劇みたいなオープニングから、小津みたいな煙突の立ち並ぶ風景へという導入にわくわく。青木柚をめぐるエピソードの描き方が瑞々しくてよいのだが、手垢のついた表現になっているところとの落差が激しくて、どうしたものかと思う。でも、草笛光子の魅力がこれだけ炸裂していたら悪く言う気にはなれない。彼女が経営するバーに行きたくない人などいるだろうか、早く開店してほしいと思いながら観ていたから、その点では肩透かしだったが、まあこれはこれでよいかと。

  • 片思い世界

    • 評論家

      上野昻志

      片思いということ自体は、珍しくはない。だが、そこに世界という言葉があることが、この物語の重要なキィである。一軒の家で仲良く暮らす女性3人組。まず、この3人の組み合わせがいい。朝になると、3人は、それぞれオフィスや大学、水族館などに行き、仕事や学業に励む。なんの変哲もない日々に見えるが、少しずつ、3人の生きている世界と、日常とのズレが顕わになっていく。やがて、3人それぞれが、想いを通じさせたい相手に近づくところから、物語は一挙に核心に向かう。見事!

    • リモートワーカー型物書き

      キシオカタカシ

      どういうわけか「少年」と謎のシンクロニシティが発生。90年代・Y2Kに起きた事件が下敷きかつ、早くも序盤で明かされるツイストが1999年・2001年に製作された映画そのまんま。「(時代は)なんかこう一周したりするのよ」という昔の人の言葉を思い出した。類似作品と比べれば“クライマックスでどんでん返しになっていたような設定を主人公たちが最初から自覚している”点が新機軸だが、それは“受容”ではなく“否認”……後に遺された者の願望充足ではないだろうか。真摯だが、奇妙な味わい。

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      本誌が出た時点でたぶん世の中全員が言っていると思うけど、坂元裕二の関心はいま、マルチバース的な世界や並行世界にあるのだなと思わせる、正しく「ファーストキス」の姉妹篇と言えるだろう作品。彼が以前からTVドラマでも取り上げていた、重いテーマも絡む。坂元作品特有の饒舌さはだいぶ控えめ。合唱シーンからラストまではもっとコンパクトにまとめてくれるほうが好みだが、土井演出は人物の感情を丁寧にすくい、横浜流星の悲しみ、椅子に乗る妹を無言で見つめる杉咲花の表情など忘れがたい。

  • 終わりの鳥

    • 映画評論家

      鬼塚大輔

      ポーの『大鴉』がヒントなのかもしれないが、死の象徴である鳥を巡るパーソナルな物語なのかと思って観ていると、中盤から一気にスケールアップして瞠目させられる。そして再びパーソナルへ。めちゃくちゃをしているようでいて、実は誰もが経験したことのある/これから経験する物語なのである。CGIをこれでもかと乱用する娯楽大作には食傷気味だが、この作品のようにユニークな使い方をするのであれば大歓迎。悲劇と喜劇と奇想のバランスも心地よい。

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