映画専門家レビュー一覧

  • HOKUSAI

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      男も女もツルンと現代的な顔しか登場しないのは昨今の時代劇に共通する難題で、むしろその現代味を逆手にとった異化効果を愉しみたいところだが、この映画は演出も演技もことごとく古くさい見得芝居に終始しており、えらく安っぽい。それとこれは前々から気になっていることだが、日本の映画人には、田中泯さえ出しておけば、という悪癖があるのではないか。今回のようにツルン顔のなかに田中泯を置くと、むしろ田中泯らしさが悪目立ちして重力の均衡が崩れると思うのだが。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      浮世絵の表現の生成と江戸時代の文化の活力、どうやれるか。「絵は世の中を変えられる」「海のむこうに未知の世界がある」「描きたいものを描く」といった反権力、自由、欲望の肯定と封建制の間に人物を息苦しく閉じ込めているのは、工夫がなさすぎる。謎の写楽は少年。少年期から活躍した柳楽優弥演じる青年の北斎がそれに焦る。老年の粘る北斎は田中泯が強引に体でやりきり、彼を支える娘お栄には本作を発案した脚本家河原れん。等々、橋本監督はいわば妙運を引きよせてはいる。

  • 明日の食卓

    • フリーライター

      須永貴子

      事前に入れてしまった「母親が息子を殺す」という情報が、プラスに働いた。3人の母親と、それぞれの10歳の息子「ユウ」の3本のストーリーが、不自然に絡ませられることなく同時に進んでいく。徐々に緊張感と不穏さを増していく力強さと手際の良さに巻き込まれ、誰が誰を殺したのかを観客に知らせるシーンのカット割りも巧みで鮮やか。映像の力を体感できるスリリングな力作だ。「悪魔」「サイコパス」担当の少年「ユウ」と母親の関係性の着地のさせ方は、エモに流れた印象。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      恐ろしい映画だ。家族には救いはどこにもない。ただ息が詰まるばかりだ。この映画は、そんな日本の今を象徴的に抉り出していると感じた。〈石橋ユウ〉という長男がいる三つの家族、奇しくも生活レベルは上中下。冒頭に描かれるそれぞれの家族の一見何もない平和な生活が早くも息苦しい。ユウやダメ夫や母の弟が起こす問題がむしろ風穴を開けたかのよう。希望の象徴にも思われる飛行機雲は今回の東京オリンピックの暗喩だろうか。前は五輪を描いたその雲が今はむなしく伸びている。

    • 映画評論家

      吉田広明

      同じ名前の息子を持つ三人の母親。上流家庭に入った専業主婦、仕事に復帰しようとする主婦、仕事を掛け持ちするシングルマザー。階級差、出産後の仕事復帰の困難、シングルマザーの貧困など、日本の女性が抱える問題が彼女らの描写を通して浮かび上がる構造。このうちの誰の息子が殺されるのかがサスペンスとなるが、どの子が殺されてもおかしくない、ということはどの子であったとしても映画の図に大きな変化はないと予測がついてしまい、サスペンスを大きく減じることになっている。

  • アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン

      • 映画評論家

        小野寺系

        もはや歴史上の偉人と言っていいアレサ・フランクリンのゴスペルが、1972年当時のロサンゼルスの空気と人々の熱気を伝える映像とともに響き渡る。そのパフォーマンスの素晴らしさは言うに及ばず、黒人文化を知る上で資料的価値も大きい貴重な映像作品だ。端正な構図で撮る印象が強いシドニー・ポラック監督が指揮する撮影は、合唱団の一人ひとりがアレサの歌声に感極まって涙する感動的な瞬間をとらえるなど、意外にも即興的に対象を捉えているが、ここではそれが正解なのだろう。

      • 映画評論家

        きさらぎ尚

        アレサ・フランクリンのライブ・アルバム〈Amazing Grace〉に圧倒されたが、このライブを撮影した映像が40年近く眠っていた理由を知って驚いた。ポスプロで映像と音声がシンクロできなかったとは!? 移動するスタッフが映り込んでいたり、音声が途切れたりで粗いが、父親が女王の汗を拭くなど、本物の聴衆の前でのライブ収録に特有のアットホームな温もりがある。監督のS・ポラック、聴衆の一人M・ジャガーの姿も見え、今見るのはタイムカプセルを開けるような楽しさがある。

      • 映画監督、脚本家

        城定秀夫

        「カチンコがなかったために音と映像をシンクロさせることができないというトラブルに見舞われ、未完のまま頓挫することに」(公式ママ)とのことだが、こういうドキュメンタリーのフィルム素材のカット毎にカチンコが入ってないのは珍しいことではないだろうし、トラブルとか言ってないで何とかしろよ、と思わなくもないが、とまれ、貴重なライブが現在の技術で蘇ったのは喜ばしいし、フィルムのテクスチャとアナログ録音の音質が当時の空気をそのままに封じ込めていて素晴らしい。

    • ローズメイカー 奇跡のバラ

      • 映画評論家

        小野寺系

        強い作家性は感じられないものの、薔薇園の仕事のあれこれを楽しませながら観客に伝える、親しみやすい職業映画だ。とくにカトリーヌ・フロ演じる、薔薇園を切り盛りする主人のコメディ調の演技が楽しく、目が離せなくなる。その一方で、労働者の苦境や犯罪歴のある青年の才能を伸ばそうとする内容の脚本が、ケン・ローチ監督の「天使の分け前」の設定に似過ぎているという点には留意しておきたい。その上で、社会風刺の要素が幾分抑えられてしまっているのは、なんとも居心地が悪い。

      • 映画評論家

        きさらぎ尚

        カトリーヌ・フロという女優には、観客をドラマに引き込む天賦の才がある。崖っぷち育種家に扮して、その才を自在に発揮する。奇跡の逆転人生をやってのけたその方法は、必ずしも世間様に自慢できないが、人情味に愛敬をたっぷりまぶして、引き込む。職業訓練所から安い賃金で雇った園芸の素人3人と、従業員の教育には素人のヒロイン。素人たちが知恵を出しながら織りなす逆転人生は、彼らの無茶で危なっかしい姿が、観客を味方につける。集団コメディはフロの才あってのものだった。

      • 映画監督、脚本家

        城定秀夫

        序盤でいきなり元犯罪者である就労者のスキルを使って大手栽培業者からバラを盗み出すというまさかのズッコケクライム展開に笑うも、その後は順当すぎる捻りのない筋運びで、愛と挫折と努力の末にたどり着く結末もタイトルから予想される域から一歩も出ていないのだが、カトリーヌ・フロの「美のない人生は虚しい」という、これまたド直球なセリフがなぜだか妙に胸に刺さった次第で、人生には時としてこんな映画が必要だと思わせてしまう力を秘めた、慎ましやかで美しい小品である。

    • 5月の花嫁学校

      • 映画・音楽ジャーナリスト

        宇野維正

        邦題の「5月」は5月革命と呼応している。映画では主にヌーヴェル・ヴァーグの諸作品を通して、我々は革命側の視点、あるいは都市(=パリ)側の視点から知ってるつもりになってきたが、その時代のフランス社会では妻は夫の許可がないと自分名義の銀行口座を開くこともままならなかった、というような地方の強固な保守性が描かれている。それを肩肘張ったプロテストではなくライトコメディとして提示できるのは、そこから成熟を経てきた社会の証か。日本はまだ「革命」以前。

      • ライター

        石村加奈

        ジュリエット・ビノシュの魅力がふんだんに活かされたヒロインだ。夫を喜ばせるために、家に花を飾ろうと大真面目に唱える花嫁学校の、堅物校長然とした序盤から既に、ピンクのスーツからは個性が滲み出ていた。急逝した夫の借金を背負い、学校の再建に奔走する中、初恋の人との再会を経て、どんどん軽やかになっていく彼女。新しい自分へのギフトを、義妹(ヨランド・モロー)に披露してみせる夜の二人のやりとりは、女学生よりもみずみずしかった! パリに向かうラストも爽快。

      • 映像ディレクター/映画監督

        佐々木誠

        68年のフランス、5月革命直前の家政学校が舞台、という女性の意識の変化をダイレクトに描いたコメディタッチの作品。50年以上前を描いているのに今の時代に観ることがピッタリで、それがいろんな意味でフェミニズムをめぐる問題の根深さを感じた。登場人物たちの設定が緻密に作り上げられているのでそのアンサンブルが楽しい。突如ミュージカル調になって、先進的な活動をしてきた著名な女性たちの名前を列挙して歌い上げるのはさすがにダイレクト過ぎるとは思ったが。

    • アメリカン・ユートピア

        • 映画評論家

          小野寺系

          アルバム完成後のライブとしての役割を持ちながら、配線を見せない趣向でショー形式に表現されるステージが画期的だと評されている本公演。そのような世評もデイヴィッド・バーンの知性とシニカルなセンスあってのことだろう。だからこそ、多様なルーツを持つ演奏者らが並ぶ舞台の上で、アメリカ社会の一つの理想的な姿を表現してみせる“あざとさ”に心打たれ、彼をして真っ直ぐにならざるを得ない危機的状況に動揺できる。スパイク・リー監督の起用理由は最後まで観ると納得できる。

        • 映画評論家

          きさらぎ尚

          客席とカメラ。両者の眼の位置の違いにより、舞台作品の映像化には不満が残ることがある。この作品は例外。映画用に企画・ステージングしたかような映像に特有の、機能性と美しさを発散。グレーのスーツに裸足という、ミニマムを象徴する削ぎ落とされたルックに加え、歌・ダンスも、統制されたマーチングバンド風の動きにも無駄がない。トーキング・ヘッズ時代から変わらぬD・バーンの特異的知性に、世界を危機が覆う今日、信じるに足りる可能性を、S・リーには新境地をみた。

        • 映画監督、脚本家

          城定秀夫

          デイヴィット・バーンと11人の仲間たちによる100分に及ぶパフォーマンスは圧巻のひとことで、投げかけられるメッセージの数々は時代や人種を超えた人間愛に溢れており、このステージを映画として世に送り込んだスパイク・リーの作家としての確然たる視座にも感動するのだが、コロナ禍の現代に生きる我々に強く響くであろうこの映画をコロナ禍であるがゆえに家のモニタで観ざるを得なかったというのは皮肉で、公開のあかつきには劇場の大スクリーンと大音響で改めて堪能したい。

      • アオラレ

        • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

          ヴィヴィアン佐藤

          ラッセル・クロウ版都会の「ヒッチャー」か。特に脚本やセリフが練られているわけでもなく、現代の都会においてこれほど好き勝手なことをして警察に捕まらないことなど不自然が満載。月曜の朝は誰もがストレスを抱え憂鬱だ。微動だにしない渋滞だからこそ恋愛や妄想が生ずる「ラ・ラ・ランド」などもあった。予測ができない予定調和でない状態だからこそ物語は動き出すものではあるのだが。あまりに自由な乱暴者ゆえ、この男は現実には存在しない現代の抑圧の象徴にさえ見えてくる。

        • フリーライター

          藤木TDC

          「ファナティック」のトラヴォルタ、「カポネ」のT・ハーディに負けじとラッセル・クロウも強烈なキモデブ中年サイコを真面目に熱演。ブサイクに変身が流行なのか? しかも中身は「激突!」や「ヒッチャー」を都市部に舞台移植しただけの新味も社会性もないDVDスルーにありがちなB級スリラー。ラッセル、過去の栄光をドブに捨てたくなる痛手でもあったかと心配に。とはいえ彼が演じる醜い中年の無様な暴走と心情吐露に私は感情移入でき、スカッと爽やかに見終えた口だ。

        • 映画評論家

          真魚八重子

          80年代辺りに粗製濫造されていたサイコスリラーを思い出す小品だが、端々で現代的な問題が浮き彫りになる。犯人像がもはや失うものがない、いわゆる“無敵の人”で、他責的な憤怒と暴力の過剰さがいまの時代の不穏さと共鳴する。「激突!」のような映像作品史に残る傑作の後追いは分が悪い。そのためか本作の恐怖は早い段階で車を離れ、責任の負荷に移行するのは、正解ではないだろうが仕方ないかもしれない。ラッセル・クロウの面立ちが暗く、不機嫌な顔は、恐ろしい悪役にはハマる。

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