映画専門家レビュー一覧
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レスキュー
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映画監督、脚本家
城定秀夫
ポスターに躍る無邪気な惹句「10分に1回クライマックス!」はさすがに言い過ぎとはいえ、「海猿」シリーズなどの海難救助隊モノの面白要素全部乗せの贅沢な作品で、迫力の救助シーンの数々は、こんな大惨事が短期間に頻発するわけなかろうにというツッコミ所や、パキッとしすぎているCGの質感などに目をつむれば充分に楽しめるクオリティなのだが、彼らを過剰なまでに英雄として描いていることに関しては救命が犠牲的行為になってしまっていいのか、という疑問が頭をかすめる。
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やすらぎの森
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
周期的に必ずやってくる自然災害といえば、東北地方を襲った東日本大震災による津波も同じだろう。歴史的に見て周期の差こそあれ必ずやってくる自然災害。それは人間が勝手に統治できていると思っている自然からのゆりもどしだ。その周期的な災害がもたらす共通の集団トラウマとの間に挟まれたごくごく小さな一個人という人間の有り様。人間ではとても抗うことのできない事象の隙間の小休止に、自分の生の存在意義や生まれたこと、そして生き残ったことへの意味を探る尊厳を見た。
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フリーライター
藤木TDC
リタイア後の理想郷物語として面白く、隠遁者の生活物資補給や現金収入など現実的問題も押さえており感心。ただ東京に住んでも窓全開すれば室内に蚊や蛾や蜘蛛が侵入するのに森林暮らしで虫害がないのは信じられないし、水辺の木造家は湿気も大敵で画面に映るロッジ型ホテルのような衛生的生活は実際には難しいはず。高齢者が掘っ建て小屋でカナダの冬を越せるか、肥満体を維持できるのか等、大小いくつもある不審点に目をつむり、ファンタジーと割り切れば泣けるいい映画だ。
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映画評論家
真魚八重子
自分の人生を自分で決めるというのは、ワガママを押し通さないと無理なのだと思う。本作は自分自身に従ったら社会から逸脱してしまった者たちを、ちょうどいい温度で描く。たまに山を降りてバーへ行けるような、社会との適度な距離感が絶妙で、山火事の迫る不穏な気配が立ち込めつつも悲愴ではない。過度な擁護に走らず、ことさら陰鬱にもならず、カリカチュアもないのに観ていられる不思議な演出力。気の合った男女の軽い和気藹々ぶりと、老年のピュアな恋愛のどちらも魅力的だ。
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野良人間 獣に育てられた子どもたち
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「非文明的環境で育てられた子どもたち」という題材には目新しさはないが、その背景として描かれているメキシコのカトリック教会内の争い、そしてドキュメンタリー作品と見紛う真に迫ったアプローチに興味を引かれた。もっとも、ファウンド・フッテージものの宿命である映画的快楽の欠如を凌駕するほどの驚きが待っているわけではなく、良くも悪くもリアリティ重視の姿勢が最後まで貫かれている。序盤でワクワクさせられた時点で、ジャンル映画としては成功しているわけだが。
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ライター
石村加奈
偏った宗教観から森に引き籠る元修道士、既視感のある閉鎖的な田舎町など、意味深に煽るモチーフが多く、観終わった後、試写状にあった「メキシコに伝わる封印された禁断の実話」を検索したほどだ。フェイク・ドキュメンタリーとは、宣伝の妙に一杯食わされたわけだが、では「野良人間」の造語などによる表面的な刺激以外に、例えば本作では、何をもって人とし、獣とするのか、その骨格がなかったように思う。『野生児の記録』を読んだときの神話性や、慎重さは、見いだせなかった。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
フェイクドキュメントは、嘘の中に潜んでいるリアルをいかに見つけ出して楽しむか、作り手の仕掛けと観る側の想像力がより試される。本作は80年代に起こったある事件の真相を、残された当時の映像と現在のインタビュー映像で構成されているのだが、野良人間研究記録の作り物感と編集のテンポの悪さが絶妙に合わさり独特のリアリティを醸している。出てくる人間それぞれの話に臆測と隠し事が垣間見え、都市伝説が生まれるカラクリをこのジャンルで描いているのが面白い。
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アララト 誰でもない恋人たちの風景vol.3
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フリーライター
須永貴子
お互いに愛し合っているのに、夫婦は離婚を選択する。その後の展開やファミレスの深夜の一人客への言及から、孤独化が進む東京という町では、なんらかの形でご縁で結ばれた人たちは、お互いにサポートして生きていってもいいのではないか? という大きなメッセージを受け取りかけたその時に、離婚した男女の長尺の性愛シーンが映し出されて困惑した。東京の片隅で交わされるこの情愛は、ラブストーリーとして惹きつけるものがなく、ただのミクロな物語で終わっている。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
ノアの箱舟が流れ着いたところはアララト山。タイトルはそのアララト山と関係があるんだろうか。サキちゃんは、半身麻痺のスギちゃんではない男に抱かれる時、スギちゃんを忘れようとしているのか、スギちゃんを思い起こそうとしているのか。そんなことを思わせた。越川さんのラブシーンにはいつも唸らせられる。行為そのもより、行為をする人の心を思わせるのだ。サキちゃんの行平あい佳もスギちゃんの荻田忠利も見もの。こういう密やかな、だが力の籠った映画がうんと増えてほしい。
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映画評論家
吉田広明
半身不随になった夫と、彼を介護する妻。二人の日常を淡々と描く中で、二人をつないでいたもの(画家である夫は、草や石しか描かず、夫の絵でそれらの美しさを知った妻は、彼が自分のヌードを描いてくれることで自分に自信を持つ)、妻に依存する生活に次第に夫の心が壊れかけている様が分かってくる。ゆっくりと壊れる二人の関係は、彼らを結び付けていたものをまた別な形で蘇らせることで、またゆっくりと再生してゆく。その緩慢さと親密さが、自然の治癒能力を思わせて説得的。
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グンダーマン 優しき裏切り者の歌
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
これが実話というから驚きだ。私たち日本人にとってシュタージ(秘密警察)の存在の実感は薄い。しかし、分断されていたドイツ国内ではこの映画は突き刺さるのだろう。疑念の目を持って隣人に接するというより、想像もしない人物がシュタージであったり、スパイであったという衝撃。矛盾を抱え生き続け、自身の音楽でそれを昇華したひとりの男の物語ではあるが、それが国民の共通経験と重なるとき、この作品は強く訴えてくる。それは個人の生の軌跡と集団の生の軌跡が重なるときだ。
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フリーライター
藤木TDC
ミュージシャンの評伝映画ではきわめてユニーク。ドイツ統一前、東独の秘密警察シュタージによる市民監視活動に手を染めた主人公の悔恨を縦軸に、80年代東独の若者の日常を独創的なタッチで点描。シュタージの活動実態は「善き人のためのソナタ」を見ると分かりやすいが、600万人が密かな行動監視で思想評価され、その膨大な記録の倉庫も重要場面で登場。ドラッグで躓く西側のロックスターと違い、政治と日常が結合した問題だけに、表現者の苦悩が見る者に肉薄する。
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映画評論家
真魚八重子
真面目で繊細な作りの映画ではある。時間軸が無説明に飛ぶ編集も、関連のあるテーマでつながっていくのですぐ慣れる。しかし時制を混乱させたことで、欠落した部分がより際立ってしまった。東ドイツの秘密警察に協力しながら、逆に裏切られてしまう出来事が重要なテーマとなっているにもかかわらず、その具体的な瞬間はこぼれている。周縁をなぞって際立たせようとした肝心の芯が見つからないなら、手管を使うより時間軸通りのほうが素直では。主人公の魅力が乏しいので引きが弱い。
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デッドロック(1970)
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
よくぞこのような作品を見つけ配給し、公開に漕ぎ着けた配給会社と劇場に拍手を送りたい。世界中がコロナによる影響で新作映画が制作できていない現状だからこそ実現したのだろう。以前は映画館くらいしかエアコンが効いていなかった時代、適当に入った劇場でたまたま流れていた映画を見たような美しい思い出。これは偶然に出会ってしまった圧倒的に面白い作品だ。監督や役者などの名前というより劇中に蠢きスパークする熱量。このような作品を劇場で鑑賞できることはコロナに感謝。
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フリーライター
藤木TDC
70年の作品でS・レオーネの影響はもちろん、「荒野のダッチワイフ」(67年)や「エル・トポ」(69年)にも似た抽象活劇で低予算映画マニアはタマランチ会長。だが同じ頃ドイツにはファスビンダー、ヴェンダースらが登場し商業主義的な本作の監督は21世紀まで忘れられた。ま、感性が近いヘルツォークのほうが圧倒的に派手で目立ったから埋没も仕方ない気も。本来は映画祭の役割だが、こうした魅力的作家は全作品一気に公開すべき。でないと海外盤DVDを買って見てしまいそう。
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映画評論家
真魚八重子
大金をめぐって男たちが醜い本性をあらわにしていき、命の奪い合いとなる映画の系譜だが、本作は微妙な緩慢さが個性的だ。各々が何かしら最後の決断を下すのをためらっているようで、その遅延が奇妙な時間を作り出す。大金の動きよりもむしろ、欲望の話から外れた、とある轢死に至るまでの停滞と躊躇がもっともドラマティック。女性が狂った娼婦と、知的障害のある若く美しい娘だけというのは、男性にとって好みの扱いやすい人形となるゆえで、この男性本位な設定に時代を感じた。
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海辺の家族たち
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映画評論家
小野寺系
マルセイユの北西に位置する入り江(カランク・ドゥ・メジャン)の、高いアーチ状の脚を持つ鉄道橋をバックにした、美しくも閉塞感の強いロケーションが、まるで劇場の舞台セットのようで、登場人物の会話によって構成される演劇としての魅力を持つ本作に素晴らしい劇的効果を与えている。同時に、この舞台に刻まれた歴史や、フランスの地域にまたがる格差問題、不法移民問題など、解決されざる現実社会の不安要素の描写は、やや表面的ではありながら無理なく劇中に詰め込まれている。
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映画評論家
きさらぎ尚
マルセイユを舞台に市井の人々を温かに描くという意味では、監督のこれまでのスタイルとそう変わらない。ではあるが、主題をよりパーソナルに引き寄せたとは言えるかもしれない。故郷で自分の過去と向き合う三人兄妹の思い出と現在とを物語に同居させ、しかし、くどくど説明せず具体的な事実を点描することによって、見る者は彼らに自身を重ねる。人生を先に進めるために過去を解決すべきというメッセージが、未来への展望を含め、堅実な作風から伝わる。時の流れの語り口がうまい。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
これぞおフランスな雰囲気の画面には美しい海辺の風景とお年寄りばかり、グループショットはやたらキマっているのに会話における寄り画の切り返しはいささか凡という薄味の演出に「このノリで押し切られるのはちょっとしんどいなあ……」と、あくびをかみ殺しながら観ていたのだが、家族と恋人たちの物語は静かにもつれ合いながら次第に深度を増してゆき、難民の子どもたちの登場で映画の輪郭がはっきり見えてくる中盤以降の展開は素晴らしく、鑑賞後は不思議な多幸感に包まれていた。
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ファーザー
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
認知症を患った父親とその娘の関係を描いた作品――という概要しか知らない段階で初鑑賞したので驚嘆させられた。主人公の知覚を映像で再現することによって物語にサスペンスを生み出していく構造も斬新だが、その際に総動員される撮影と編集の技巧が光る。監督デビュー作でここまで精度の高い演出を実現させたフロリアン・ゼレールの手腕と、ゼレールに自由を与えた製作体制(フランスとイギリスの合作)の勝利。現在のハリウッドでは、こういうタイプの傑作は生まれない。
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