映画専門家レビュー一覧

  • トゥルーノース(2020)

    • 映画評論家

      真魚八重子

      凄惨さでは「はだしのゲン」に迫る勢いで、息つく暇もなく胃に穴が開きそうな出来事が湧き起こっていく。これまでにも現実がフィクションを軽く超えてくる出来事は目撃してきたから、秘密のベールに包まれた国についても、本作が大袈裟とは言い切れない。最初に組織の中枢で実権を握った小さい利己的な仕組みが、国全体の方向性を大きく決定づけていく機運は本当に不思議だ。人間の悪い想像力が、容赦ない残忍さで人を管理する国のあり方にフィードバックした、最恐のリアルホラー。

  • グリーンランド 地球最後の2日間

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      最初の30分が面白くてラストにカタルシスがあればディザスター映画としては合格だが、そういう意味で本作は文句なし。コストの低下によってインフレ化した過剰なCG描写が増えている昨今、日常風景における「彗星の接近」を描いた抑制の効いたCGの使い方のセンスもいい。「Fallen」シリーズでは監督として途中参加(『エンド・オブ・ステイツ』)だったリック・ローマン・ウォーだが、ジェラルド・バトラーとのタッグで今後も同ジャンルの作品を量産していく予感。

    • ライター

      石村加奈

      最初から最後まで、イヤな選別が繰り返されてゆく。地球再建に役立つ能力の有無、安全なシェルターまで家族を運び込むことのできる配偶者/親としての実力の有無……観ているうちに憂鬱な気分になった。「大統領アラート」が象徴する選民意識も鼻持ちならぬが、世界崩壊目前の非常事態下で、圧倒的な腕力と決断力を誇る夫の浮気をチャラにして、幸せな家族の記憶にうっとりできる妻の選択は、息子と共に生き延びるため、背に腹はかえられないとはいえ、それを愛と言われてもなあと。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      心が離れている「普通の一家」が突然地球規模の危機に瀕することで再び絆を取り戻す2日間の物語、というプロットはスピルバーグの「宇宙戦争」を彷彿とさせるが、そのトム・クルーズと同じく、これまでのイメージを逆手に取った市井の人を演じるジェラルド・バトラーの抑えた演技が良い。生きるか死ぬかの状況はときに倫理観を試されるが、本作は、その連続を描くことで、常に揺れるそれぞれの曖昧な善と悪を浮き彫りにする。規模は違うが、現実の今の状況を重ねて観てしまった。

  • めまい 窓越しの想い

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      映画史的な見地からは「随分と大胆なタイトルをつけたな」(英題も“Vertigo”)と思わずにはいられないが、ちょうど今回取り上げた作品でいうと「ファーザー」、あるいはアマゾンの「サウンド・オブ・メタル」にも通じる、主人公の知覚を映像化(&音像化)した作品。その野心的な試みを結局はメロドラマに着地させてしまうところは韓国映画らしいが、女優(この呼称を自分は敬意を持って遣い続けます)の美しさで最後まで持たせられるのも現在の韓国映画の強みだろう。

    • ライター

      石村加奈

      不安定なヒロインを取り巻く不穏な状況が、冒頭から積み上げられていく。彼女の耳の不調の原因が、実父の暴力だったと知り、絶望的な気持ちになった。窓越しに、ヒロインへの想いを一方的に募らせていく清掃員(チョン・ジェグァン)の挙動を、優しさと受け取るか、恐怖に感じるかは微妙なところだが、彼の背景をもっと知りたくなるような、魅力的な人物ではあった。薄幸系ヒロインを、チョン・ウヒが好演。過酷な運命に負けない、しぶとい存在感は、チョン・ドヨンを髣髴とさせる。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      ほぼ一人の女性社員の日常を追っているだけの特に何も起きない展開をサスペンスフルな画作りと劇伴で不穏に演出。高層ビルにあるオフィスが舞台、彼女はデザイナーで秘密の恋人は美男、それを見守る可愛い系の窓ガラス清掃員の青年までいて、絵的にはキラキラしたドラマになりうるのに全篇息苦しい空気が漂い、観ていて辛い。それは監督の意図通り、派遣女子社員のリアルな現状、その真綿で首を締められるような日々の疑似体験。表裏の違和感、唐突なラストが不思議な余韻を残す。

  • 女たち(2021)

    • フリーライター

      須永貴子

      かつて父が自死した主人公が、要介護の毒母になじられ、男に裏切られ、親友が急死し、職を失い、追い詰められていく。風呂敷を広げに広げたところで、おいしいはちみつが、母と娘の長年にわたる確執を雪解けに導き、ぐしょぐしょに泣いて叫んだ女たちが、あははうふふと幸せそうに笑い合い、エンドロールへ。この映画には理屈がなく、感情しかない。資料を読んだら案の定、脚本の「余白」を演者に丸投げしたらしい。この内容にこのタイトル。製作者の女性観が透けて見える。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      美咲はつらい。40歳独身、母を介護しながらの学童保育所勤め。非正規だろう。結婚するつもりの男が既婚だとわかり、先方の家庭に乗り込むが泥棒に間違えられて警察に捕らわれる。ついてない。バカだったと唇を?むしかない。生きづらい女性たち。生きづらいのは男も同じだが、女性だと余計につらそうだ。雨の中ワインを飲みながら死んでいく養蜂家の親友の方が、幸せそうに見えてくる。しんどい映画なのに、むしろホッとする。かつては、こんなまっとうな映画がいっぱいあった。

    • 映画評論家

      吉田広明

      主人公の女性には呆れるほど次々と不幸が襲い掛かるのだが、重要な父の自死と親友の養蜂家の自死についてすら、前者については原因曖昧、後者は鬱の彼女に偶々かまっていられる状況ではなかったというだけ(フラッシュバックでの死の描写もあざとい)で、彼女の責任とは言えない。要するに彼女の不幸は内発的なものではないため、彼女がそれを克服するにしても、それは彼女が自分自身と闘う姿として見えず、為にする設定にしか見えないのだ。脚本段階での練り上げが圧倒的に不足。

  • たゆたえども沈まず

    • フリーライター

      須永貴子

      地域に根づいたローカルテレビ局だから撮影できた、10年分の膨大な映像資料をもとに、震災の記録と記憶、そしてメッセージを後世に伝える貴重な作品。だが、奇跡の一本松、三陸鉄道の復興の軌跡、被災者を支えた旅館の女将、被災した人々の10年後など、複数の素材が散らかったままなのが残念。監督の視点やナレーション、ヴィジュアルデザインなど、なんらかのフックでこれらの素材を束ねて初めて「映画」として成立するのだと思う。津波が陸地を飲み込む映像は鑑賞注意。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      ドキュメンタリー映画にはどれほどの労苦が費されるのだろう。忍耐強く対象を見つめ、追い、膨大な汗と共に地道に時を重ねていく。十年という時の積み重ねが、〈生きる〉ということの荘厳な重みを我々の心に刻み込む。本当の意味の感動である。劇映画では決してできない貴重な営み。生々しい津波の映像もさることながら、津波を生き抜いたそれぞれの人たちの言葉の重み、悲嘆に暮れながらも懸命に探り当てようとする一縷の望み。そしてその人たちの十年後……。嗚呼、ここに人間がいる。

    • 映画評論家

      吉田広明

      東日本大震災時の津波の映像、俯瞰で見る時の緩慢さと、海面間際で見る恐るべき速度の落差には現場の臨場感があり恐怖を覚える。震災直後にインタビューした人々とその十年後を比較するのが映画のメインとなるが、被害を受け止め、受け入れ(そこには断念も含まれる)、新たに踏み出す、そのためには物理的時間には還元しえない心理的時間がかかることをインタビュイーは示し、「復興」という抽象的な言葉の内側にある複雑な様相を露わにしてくれる。事実の持つ力を感じさせる映画。

  • のさりの島

    • フリーライター

      須永貴子

      流れ者の青年がオレオレ詐欺を仕掛け、文字通り老獪で食えない老婆に丸め込まれていく展開に期待値が上がったが、今と昔、若者と老人がざっくり対比されているだけで、まったく盛り上がらない。若者たちが、シャッター商店街が賑わっていた時代の映像の、上映会を企てる動機も謎。町おこし的な企画性が重視され、あちこちへの配慮がなされることで、映画にとって大切な「物語」がないがしろにされている。天草に行ってみたいとは思ったので、まんまと、ではあるが。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      題名は忘れたが、もう随分前に同種の設定のNHKのドラマを見ていたく感動した覚えがある。最近では、『おばあちゃん ありがとう』という韓国の泣けるテレビドラマもあった。おいしい設定なのか、同種のものをいくつも見聞きした。オレオレ詐欺の青年と一人暮らしの老婆。町内放送でその詐欺に気をつけろと警告しているが、住民たちは老婆の孫と称する青年に警戒心すら抱かない。過疎の町なら、人間関係は却って濃密だろうに、孫がすでに死んでいるという話すら聞いてなかったのか。

    • 映画評論家

      吉田広明

      オレオレ詐欺でやって来た男を孫として受け入れるおばあさん。案山子の顔に母親の顔を見出した人。観光の目玉として作られたマリア像。どれも「まやかし」なのだが、人にとって時にはそれも必要なのだとして映画は閉じられる。そのメッセージ自体に否はないのだが、しかしまやかしを必要とする人の心の飢えが描かれていないので、痛切なものとして感じられない。エピソード間のつながりは弱い、というか無いに等しく、何となくの雰囲気だけで話が進められており、食い足りない。

  • 愛うつつ

    • フリーライター

      須永貴子

      男の秘密を知った女が、唐突に男を問い詰めるスリリングなやりとりに呼吸を忘れた。男はパニックを起こして絶句し、過去のあれこれも蒸し返す女に逆ギレ。ふだんは年上の余裕をかましているだけに、男の狼狽ぶりがあまりにも無様。「愛しているから勃たない」という悩みを打ち明けるなら、あのタイミングしかなかった。なんて考えを巡らせてしまうくらいには引き込まれた。ラストも鮮やか。雪見だいふくの使い方も上手い。もっと予算があれば、映像に色気が増すのだろうか。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      彼は「愛しているからこそ抱けない」そうだが、何故? 彼女を抱くと彼女を汚すことになると思ってるのか。それとも、抱いたことで彼女を失望させるのが怖いから? 現に、彼は彼女には勃起しないらしい。この何故がわからないから、「先輩に何がわかるのか」とか逆ギレしても、彼のことが理解できない。つまりは共感できないのだ。そうなれば、彼のことはどうでもよくなる。勝手にすれば? となってしまう。愛の姿形がちっとも見えてこない。「妻への恋文」という映画を知ってますか?

    • 映画評論家

      吉田広明

      夜は男娼として働いている男が、彼女に対しては勃起しない、それで別れた彼女が彼を客として買ったら出来た、と思ったら、これで彼女は彼に別れを告げる、という通俗的な展開は現実にはあるだろうし、その原因は心理カウンセラーにでも聞けば分かるのだろうが、真因が何であれ映画なら映画として理屈をつけ、またさらに重要なことには画面こそがそれを説得的にするべきなのであって、思い入れたっぷりの長回しで観客は納得すると思われたなら映画も舐められたものである。

  • HOKUSAI

    • 映画評論家

      北川れい子

      主人公が同じだからといって、脚本も監督も俳優も異なる旧作と比較してあれこれ言っても意味ないことは承知だが、それでも新藤兼人監督「北斎漫画」のタフで飄々とした緒形拳=北斎を思わずにはいられない。今回の4章仕立てで描かれる絵師北斎は、時代の波ごとに、画風を変えながら絵を諦めないのだが、田中泯扮する晩年はともかく、野心まみれの青年期は騒々しいだけ。しかも重要な人物役の俳優陣が客寄せで呼んだように厚みがない。万事が徒花的な野心作!?でもったいなや。

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