映画専門家レビュー一覧
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野球少女
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映画監督、脚本家
城定秀夫
韓国では(日本も)女性がプロ野球選手になれないというルールは存在しないとはいえ、実力至上の世界において腕力で劣る女性がなるのは難しい、という部分の公平性は提示したうえで、なお根強く残るジェンダー問題を扱ったスポーツ映画なのだが、社会派要素が説教臭くなっていないので青春娯楽映画としても素直に楽しむことができるし、音楽やカッティングなど少し薄味に感じる演出も少女の真っすぐな気持ちを丁寧に掬い上げており、変化球を封じて完投した監督の剛腕ぶりが窺える。
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ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
33年前のベトナム戦争で殉死した兵士の調査をしていく実話。勝者の歴史と言われるものがあるのと同時に、敗者のそれや、忘却された、埋没した、消去された、声を持たない、様々な「歴史」が存在するはずだ。アメリカ映画界の重鎮の役者が勢揃い。彼らの証言や記憶を収集するプロセスは映画界へのオマージュとも重なる。国家の利益や戦争の勝敗を超えて、偉業を成し遂げ埋もれた英雄たちへの感謝と敬意、そしてその継承が底流にある今作は、どの世界にも共通する誠実さに満ちている。
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フリーライター
藤木TDC
錚々たる名優が揃った映画だが、あろうことか、ピーター・フォンダのみならず、クリストファー・プラマーも本作が最後の実写作品となってしまった。ウィリアム・ハート、エド・ハリス、ジョン・サヴェージ、そしてサミュエル・L・ジャクソン。男性映画の星たちによる、いわば「戦争映画」への鎮魂歌だ。男性社会美化や戦争肯定など分かりやすい批判にさらされるテーマなのは充分に承知の上で、老優たちの顔に刻まれた深い苦悩と皴を見て、素直に涙ぐむことを許されていい作品と思う。
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映画評論家
真魚八重子
本筋はある兵士がベトナム戦争で勲章を貰えなかった理由を、ミステリー風に辿っていく人道的な政治劇。物語の曖昧な輪郭は後半になって引き締まってくる。描写はあまり客観的ではなく、時間の経過もセリフで伝えられるのみなので、視野狭窄に陥って主人公の行動が把握できなくなりそうだったが、徐々にそれが癖になってきた。愛国の挺身ヒーロー映画にピーター・フォンダが出ている衝撃も、役柄の背負った闇で中和されている。安さもキャスティングのセンスの良さで救われている。
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サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
これは凄すぎる。「超越」しか相応しい言葉は見当たらない。アフロフューチャリズムを根底に、サイエンス、ユートピア、宇宙時空間、社会批評をフリージャズという魔術で料理してみせた。いや逆だ。フリージャズと呼ばれる音楽の一ジャンルを様々なファクターで分解して見せた。ケネス・アンガーばりの描写もあるが、たとえばJBのステージには惑星の配列、北島三郎のそれにはキングギドラが登場といった、有無を言わせない超越した異次元性。そして昨今の米社会にも響く批評性。
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フリーライター
藤木TDC
カルト的ジャズ奏者サン・ラーのファンには輸入VHS時代から人気だった74年製作のチープでサイケなブラックスプロイテーションSF映画。劇場公開は今さら感もあるものの、字幕付きを大画面・大音量で観られるなら意義は感じる。深夜にアルコール+αの入った体調で観ないと満足を得にくい内容ゆえ、夜間営業自粛のもと日中、素面で観賞するのは作品にとっても不幸。上映館はケチケチせず彼の主張と音楽の記録映画「サン・ラー/ジョイフル・ノイズ」と2本立て公開してほしい。
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映画評論家
真魚八重子
自分を土星からの使者と言い、不思議キャラクターで押し通した自意識の塊のアーティストなわけだが、音楽もこの映画も普通に楽しめるのがサン・ラーの良いところだと思う。もちろんシュールな独自の哲学が勝っているものの、端々の演出が卑近でとっつきやすい。ヤバくないホドロフスキーにルチャシネマ風味とでもいうべきか。手作り感覚のSFテイストは癒し要素も持っている。黒人という鋭利なテーマを掲げつつも、それを表現する方法がブラックスプロイテーション映画で楽しい。
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さつきのマドリ
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映画評論家
北川れい子
そういえばバブルの頃だったか、高学歴、高身長、高収入の“三高”が理想の結婚相手だと騒がれていて、高けりゃなんでもいいのか、いっそ高山植物とでも結婚しろ、とアキレていた記憶がある。ま、それに比べれば男がみな賃貸マンション物件に見えてしまう本作の主人公などカワイイものだが、話のネタはそれっきり、これっきり、映画というより長めのコントがせいぜい。しかも主人公が働く小さな不動産屋にやってくる客はなぜか男ばかり。彼女が願掛けをする路地の地蔵の表情は愉快。
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編集者、ライター
佐野亨
現状に充足できない主人公が、あるとき身の回りの変化を通じて、足元の「小確幸」を見つける物語、という意味では葛里華監督の前作「テラリウムロッカー」とも通じる。主人公を精一杯チャーミングに映し出している点も同様で、平井珠生の表情や動きがいちいち魅力的で可笑しい。ただ、これも前作同様、結論めいたものをはっきりセリフで言わせてしまうのはどうだろう。間取りの紙が降ってくるクライマックスなど、撮影は相当頑張っているだけに、もっと画で語らせられなかったろうか。
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詩人、映画監督
福間健二
不動産屋に勤めるヒロインは、仕事でも同棲相手との関係でも手痛い反発を食らいながら、自分のどこがよくないのか思いつかない。性格はよいが、考える力がないという造型になっている。演じる平井珠生も葛監督も、それなりにノッテいるようだが、この現在にこれでは「女性」をバカにしていると思う。夜の散歩に出たときの衣装がひどいと思ったら、そのあとそれをずっと着っぱなし。病的に、男の顔が物件の間取りに見えるようになる。アイディアも表現もその病いへの思考が足りない。
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二重のまち 交代地のうたを編む
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映画評論家
北川れい子
ちょっと私事になるが、東日本大震災から5年後、被害甚大の三陸周辺を友人と旅したことがある。タクシーで大震災の傷あとや復旧工事の現場を回ったのだが、どの運転手の方も、震災時の体験を語るよりも、ここはこうだった、ここにナニがあったと、震災前の土地の風景やその日常を語り、それが凄く印象的だった。本作の若い訪問者4人(とても感じがいい)が、地元の方々から聞く話も、そこで暮らしていた人々の営みで、まさに過去と現在の風景が二重写しとなって心に迫る。
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編集者、ライター
佐野亨
あの震災を受けて、大文字のメディアは、連帯すること、結束することこそが、大事を乗り越えるためになにより必要であるとさかんに喧伝した。しかし、そのように容易くわかり合ってみせることが、一方で「わかり合えないこと」の尊さから目を背けさせはしないだろうか。この映画は、震災という事実を媒介として、事実を共有することと思いを共有することがいかに本質的に異なるかを徹底的に映し出す。そのわかり合えなさに、もしかしたら人間の美しさがあるのかもしれない。
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詩人、映画監督
福間健二
3・11からの時間に対して何をすべきか。ちゃんと考えていると思った。「空に聞く」でコンパクトに当事者のいまに寄りそった小森はるかと、ジャンルをこえていま書くべきことを見出す瀬尾夏美のコンビの、画と言葉。押し合っても大丈夫という立ち方が双方にある。当事者ではない四人が当事者から受けとったものをどう伝えるか。被災地に出入りした表現者の多くとはちがう質の持続から生まれた発想であり、発見がある。おいしそうな食卓を囲む家族を見ただけでもうれしくなった。
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きこえなかったあの日
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フリーライター
須永貴子
今村監督の「友達やめた。」では、玄関に立つ被写体の表情が印象的だった。本作でも、監督を出迎える瞬間の、ろうあ者たちの表情から、監督やこの作品が、彼らにとって大切な存在になっていることが伝わってくる。被写体と友好な関係を築けることは大きな才能だが、優しさなのか遠慮なのか、作品としては淡白な印象を受けた。せっかく監督にしか撮れない映像、テーマ、メッセージなのだから、なるべくディレクターズノートで補完せずに、映像だけで語り尽くして欲しい。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
この今村監督の「友達やめた。」は記憶に新しい。アスペルガー症候群の女友達との交遊の様がとても心に迫った映画だった。その今村さんが今度は災害下の聴覚障碍者たちの生き様を追った。東日本大震災の宮城、熊本地震の熊本、大水害の広島、コロナ禍の豊橋……。聴覚障碍者は一般の人たちに比して災害で死亡する率もかなり高い。津波警報が聞こえなかったりするのだ。よく撮っているなと思うが、テーマが分散していて、何に思いをはせて見ればいいのかわからなくなってしまった。
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映画評論家
吉田広明
災害の真っただ中での難聴者の姿を伝えることは不可能であるのは無論、ただ、健常者の恐怖以上であろうその恐怖を感得させる難聴者ならではの表現を期待したのだが。被災した難聴者の何人かの姿を追い、確かに彼らの人としての魅力は伝わるが、その一人が言うように、監督が撮影に精一杯で、彼らとのつながりが築けているのか心もとない。また震災以外の災害地での被災者の姿、震災を契機に広がる手話言語条例なども伝えるが、総花的なまとめ方で、作り手の視点や立場が見えてこない。
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DAU. ナターシャ
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
「DAU」シリーズ第一弾で、これから連作として発表される。オーディション40万人、キャスト400人、エキストラ1万人、2年間そこに住まわされて撮影するという余りにも壮大かつ狂気なプロジェクト。しかし「DAU.ナターシャ」は、主要出演者はたったの4名。今作だけからその規模は想像し難い。視覚と台詞情報で全体の設定把握は困難だ。「カクテルパーティ現象」と呼ばれるその空間に満たされている会話や音の何を取捨選択するのか。膨大な断片たちは巨大な全体像を予感はさせる。
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フリーライター
藤木TDC
背景にある壮大な映像芸術実験プロジェクトの全容はホームページやパンフレットの文字情報で知るしかなく、この一作だけでその意義や成果の理解は難しい。「1970年代のカサヴェテスが50年代のソ連を撮ったら?」みたいな映像感覚を楽しめる観客なら料金相応と納得するかも。飲酒や全裸の場面が随分多いが、どういった実験目的の反映か知りたい。ロシアや欧州では同プロジェクトの続篇が次々と公開・配信されており、全貌を把握した後、評価が大きく変わる可能性はある。
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映画評論家
真魚八重子
事前情報で本作の途方もない規模に驚かされつつ、それをグイグイ押し付けてこない堅実な雰囲気に好印象。ストーリーが意外にコンパクトな分、ウェイトレスたちの均衡が危うい関係性など、日常の細部に神が宿る系の作品だ。いつまでも観ていられる良質な子葉であり飽きないダラダラ加減。ただ性描写や拷問描写を巡って、ここ数年で否定的な捉え方へとかなり決定的な流れができたので、本作の監督たちも見解が求められるだろう。むしろ女性が拷問を受け流す描写に嫌なものを感じる。
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夏時間
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映画評論家
小野寺系
韓国の新人女性監督による少女の日常をとらえた初長篇作品ということで、「はちどり」と比べる向きもあるが、こちらの映画は新時代の波というより、90年代の日本映画を想起させる雰囲気で、ちょっと大人しい。少女の弟の即興ダンスが家族をなごませる場面の面白さや、決定的な場面に居合わせられない主人公を映し出す描写など、おそらく実体験に基づく説得力ある表現が見られるのは素晴らしく、強いテーマと表現力を身につけられれば、大きく化ける可能性のある監督だと思われる。
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