映画専門家レビュー一覧

  • 樹海村 じゅかいむら

    • 映画評論家

      北川れい子

      前回の「犬鳴村」もそうだったが、清水監督は差別や偏見で見捨てられた人々の恨みやつらみを恐怖化して描く傾向がある。それと軽薄で物見高い野次馬達。今回は負のイメージが付いて回る樹海村を舞台に、あれやこれやの情報と小道具を使って恐怖を演出しているが、主人公姉妹が恐怖に関わるきっかけが全く不明で、特に統合失調症だという妹のその要因は何が何やら。樹海の映像にいまいち迫力がないのも残念だが、怖がりたい人が見るには、タイトルだけで充分ってことなのかも。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      清水監督も述懐しているように、この非常事態下の影響か、前作「犬鳴村」とくらべると、「人のつながり」に対する作り手の切迫感が段違い。若者たちの微妙に噛み合わない関係性や統合失調症といった要素を真摯に突きつめていく中盤までは(人が気前よく死にすぎるのが些か気になるけれど)目を瞠る。が、視覚効果と物量勝負で押してくる終盤の展開で一気に冷めてしまった。YouTuberの表層的な扱いやこれみよがしな前作へのセルフオマージュもただ緊迫感を殺ぐ結果に。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      樹海の出てくる作品、ずいぶん見た気がする。これは決定版にするくらいの気合いで臨んだものだろうか。新旧の、恐怖の土壌に貪欲に向かい、既視感などに臆さないのが、清水ホラー。強引に話を運び、呪いの元となる過去の惨劇をできるかぎりおぞましいものにする。こうなったら、人が人に対してやってきた非人道的なこと全体への大いなる批判を魔の力の根拠にしたいところ。もう一息か。ここではコトリバコだが、都市伝説と若者たちの扱い方、やはりなにかなぞる感じになるのが弱い。

  • ディエゴ・マラドーナ 二つの顔

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      これほど魅力的な生涯を送った人間だったとは。ひとりの人間が「ディエゴ」と「マラドーナ」と二項対立として描写されるが、ふたつの領域を侵犯することが、人間の不安定で危うい本当の魅力なのではないだろうか。実況中継が「なんということでしょう、泣きたい気分だ、ああ神様、涙が止まりません」と叫び続ける。このように個人と公の立場が混ざり合い、危うく不純物のない誠実さ。人々が愛したのは、歓喜し憤慨し悲嘆し落胆する愚直過ぎる正直な公私のない彼の姿だった。

    • フリーライター

      藤木TDC

      当初予定の公開がコロナ第一波で延期された間にディエゴが急逝、感傷的に見ざるを得ない。「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」同様、膨大な映像素材中の一瞬の表情から隠された本心を抽出する監督の手腕は素晴らしい。TVニュースが切り出すディエゴとはまったく違う顔の彼がここにいる。二度のW杯を含むナポリ時代の美技がたっぷり見られ、サッカーの狂熱やスター選手の栄光と苦悩が生々しく伝わる。それは本作がほかならぬあなたの映画だからだ。ディエゴよ、安らかに眠れ。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      サッカーに詳しくないけれども、マラドーナがお騒がせ有名人で毀誉褒貶が激しいのは視界に入ってくるし、引退後も波瀾万丈だった印象があるので、本作で焦点を当てて取り上げる期間が狭く限定されているのが物足りない。区切った分深掘りしているならまだしも、先述のイメージを裏付ける程度の意外性のない逸話や写真が多い。現役時代の有無を言わせぬ見事なプレーは見ごたえがあるが、タイトル通り二つの顔があってサッカーの天才でありつつ俗物だったという範疇を出ない作りだ。

  • ダニエル

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      イマジナリーフレンドという、映像で表現する際には細心の注意が必要とされるはずの題材を扱いながら、驚くほど即物的なアプローチをしている本作。その意図は、サスペンスやスリラーではなくファンタジーホラーであることが判明していくにつれて飲み込めた。メインキャラクター以外の描き込みの足りなさは監督の力量不足だろうが、「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」に続いて本作を手がけたプロデューサーとしてのイライジャ・ウッドの一貫性には今後も注目したい。

    • ライター

      石村加奈

      イマジナリーフレンドが邪悪な存在だったなら? という発想がまず恐ろしいのだが、人形の家に閉じ込められていたダニエル復活後の描写に戦慄。子供のまま、時間の止まっていたダニエルが、もう子供じゃないルークとの溝に気づいた時の表情にゾッとした(P・シュワルツェネッガーの妖しさ!)。置いてけぼりを食らわされていた事実に気づいたダニエルがその後の悪ノリに拍車をかけたのだとしたら……。ジョンのエピソードを加えるより、ピュアなホラーになったのでは? 原作未読。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      孤独な青年ルークの前に、幼少期の想像上の友達ダニエルが同じように成長した姿で現れる、という冒頭から引き込まれるが、主演2人の美しさを際立たせる演出が徐々に目立ち、スリルが削がれる。旧約聖書に出てくる預言者の名前でもある“ダニエル”は、ルーク(聖ルカ?)の統合失調症による幻覚なのか、それとも悪魔(神?)の化身なのか、というミステリーとファンタジーの組み合わせの妙がそこまで効いてこないのは、演じるシュワJr.に妖しい色気が足りなかったからかな、と。

  • 写真の女

    • フリーライター

      須永貴子

      デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、自身の存在を証明する言葉。本作では、「我撮られる」を超えて、「たくさんのいいね、ゆえに我あり」の地獄で女性が迷走。白いスーツと赤いドレス、傷を介した触れ合い、カマキリの交尾と共食いの接写、レタッチで原型を失っていく写真など、言葉ではなく視覚とオールアフレコの音がモザイクとなり、現代人の承認欲求や、生の実感を得ることの難しさを批評する。残念なのはやはりアフレコのセリフ。狙いだとしても、役者の技量不足に見える。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      その昔、「かまきり」という韓国映画があって、シリーズ3まで作られた。カマキリのメスが交尾中にオスを食べるという習性をモチーフにしていた。この映画にはカマキリが全面に出てくるが、彼と彼女がその習性とリンクしているとは思えない。見合い写真の修正を頼む女が、「現実の自分より写真の自分のほうが人の印象に刻まれる」などと言うが、なるほど現実の物語より頻繁に出てくるイメージショットのほうが印象に刻まれる。が、劇映画にはリアルな物語がほしいのだ。

    • 映画評論家

      吉田広明

      主たる登場人物三人、少ないが意味深い台詞、的確な構図とショットの連鎖具合も見ていて気持ちがいい。写真の加工が容易になった現在、真と偽の境界の揺らぎを物語の核にした寓話。見合い写真をいじる悪い加工もある一方、死んだ娘の年を取らせることで父が救われる良い加工もある。逆に、傷をあえて出した真実の写真が、「いいね」狙いの悪い真実であったりもして、その是非は判定が難しい。ただ、もっと深い所に行けた哲学的=美学的な寓話をカマキリの怪異譚に着地は少し惜しい。

  • 心の傷を癒すということ 劇場版

    • フリーライター

      須永貴子

      このタイトルから、ひたすらに真面目なドキュメンタリーと思ったら、実在した精神科医を柄本佑が演じる、優良ヒューマンドラマだった。柄本が、相手に届く最低限の声量で、優しく語りかける言葉は名言だらけ。生真面目な演出とカメラワークから、医師の人間像や彼が放つ言葉が際立ち、作り手が彼を心底尊敬していることが伝わる。傷ついた心を癒やすことへの希望が、震災から復興した神戸の町並みを映し出すエンドロールに託されている。この作品にも、人を癒やす力がある。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      これはNHKのテレビドラマの再編集であって、厳密には映画とは言えない。だが、とても質の高いドラマである。脚本の良さが際立つ。セリフの一つ一つがまるで祈りのようである。そのひと言で、その人物がどんな人間かが手に取るようにわかり、そしてそれが人を動かす。そういうのを完璧なセリフと言う。脚本の桑原亮子という人の名前を心に留めておきたい。話は無理なく編年体で語られていくが、決して飽きさせない。あざとさと無縁の、とても静かで品のいい演出もいい。

    • 映画評論家

      吉田広明

      心など訳の分からないものではなく、役に立つ学問をしろという実業家の父に対し、だからこそ知りたいという主人公が、回り回って有益になる逆説。役に立たないもの、目に見えないものを軽視し、それへの想像力を欠くことがいかに有害であるか。心のケアとは誰も一人ぼっちにしないことと主人公は言うが、コロナ下での現状を鑑みるに、未曾有の災害を多々経験しながら、日本が安氏の教訓を生かせているのか心もとない。災害時の心的外傷がどう現れるのかその諸相をもっと見たかった。

  • 花束みたいな恋をした

    • フリーライター

      須永貴子

      同じ価値観で結ばれた大学生の男女が、仕事と生活への向き合い方ですれ違っていく。男は、震災後にひたすら貧困化した日本社会の被害者だろう。芸術の才能を安いギャラで使い捨てられ、就職活動に苦戦し、労働に忙殺され、感性が摩耗。それが大人になるということなのかもしれないが、ポケットに入れておいた夢が、日々の洗濯で溶けて消えたのは、果たして彼だけの責任なのだろうか? 膨大なカルチャーネタへの言及も含め、ある恋人たちの物語から、日本の5年間が見えてくる。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      「恋」という文字がタイトルにあるからには恋愛映画なんだろうが、そうでない気もする。焦がれる眼差し、高鳴る鼓動、言葉にできないもどかしさ、息を詰め、煩悶とし、そして突っ走っていく。恋愛ものに付き物のそれらはどこにもない。どこにでもいるような男と女の、いくらでも見かける恋愛模様。名脚本家が敢えてそれにチャレンジしたのだろう。が、日常と地続きの話を映画にする難しさを改めて知らされた。日常を映画にしてきた小津安二郎や成瀬巳喜男の偉業は今や奇跡なんだろう。

    • 映画評論家

      吉田広明

      本や映画や音楽の趣味、履いている靴まで同じ二人が恋に落ちる。自分たちはみなとは違うと趣味の良さを特別視するのも厭らしいが、それよりも、その二人も趣味の延長のままでは生きられず、仕事するようになってすれ違い、別れるにいたるという身もふたもない展開。花束みたいな、つまり地に足のついていない恋などいずれ破綻するのだという、「大人」からの呪詛に満ちた映画。どうせかなわないなら夢など見るだけ無駄。こんな保守的な映画を若い人が好むとしたら絶望的だが。

  • 天国にちがいない

    • 映画評論家

      小野寺系

      監督自身が演じる主人公の彷徨がパリ、ニューヨークに及び、ジャック・タチ風のシュールなコントで結ばれることで、それぞれの地に居場所がないことの不安を感じさせる。主人公の撮る作品に民族的な切迫感が希薄だという評価を与えられる場面が痛烈で、ある出自に対して限定的なものを求めてしまいがちな、われわれ観客の盲点を突いてくる。とはいえ、それは現在の世界が思想的な後退を見せているからこその要請だともいえ、スレイマン監督の孤独が癒されることは当分ないのだろう。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      普通の日常のようなシュールなような。ユーモラスなようなシニックなような。シリアスなようなコミカルなような。スレイマンの新作はなんとも不思議なテイストをたたえている。自身が主演して、ナザレ、パリ、ニューヨークと移動するなか、セリフの少なさと状況説明のなさで、想像力を動員して読み解く楽しさはあるものの、誰もが面白がる類の作品とも思えない。でも、今、この世界に天国なんてそうそうあるものではないという、この監督特有のメッセージの伝え方をしかと受け止めた。

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