映画専門家レビュー一覧
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天国にちがいない
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映画監督、脚本家
城定秀夫
監督が主演を兼任し台詞が与えられていないノホホンとした中年男が主人公、とくればジャック・タチの「ぼくの伯父さん」シリーズが想起されるも、描かれているのはパレスチナ問題に対するアイロニーっぽいナニか、って感じで、学のない自分がこの映画の本質を理解できたとは言い難いのだが、シンメトリーと集合体を基調とした画づくりとユーモラスに動く人物たちの様子は、位相の離れた並行世界を眺めているようで滅法楽しかったし、そこには間違いなく映画を観る幸せが溢れていた。
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わたしの叔父さん
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映画評論家
小野寺系
主人公が現状を打破して一歩前に踏み出していく……。そんな映画が数多いなか、むしろなかなか踏み出せない状況を温かく、ときに崇高であるかのように描くという点が挑戦的な作品。日常を丹念に描いていくだけなのかと思いきや、少女ギャグ漫画『お父さんは心配症』のような笑える展開になっていくのが面白く、ユーモアのセンスが相当ある監督だと思う。牛舎の中を映し出す場面では、作業道具を手前に置いた不自然な構図が、昔の大映作品を見ているようで、ここでも笑ってしまった。
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映画評論家
きさらぎ尚
セリフが初めて発せられるまで、映画が始まってから10分弱。日々のルーティンワークをこなす叔父と姪を見つつ、この間の無言に軽い戸惑いを覚える。同時にこれから動き始めるはずのドラマへの期待も。固定カメラによる画面はすべてのシーンの人物の感情表現も抑えられ、映像も簡素さで統一され、ドラマは観客を二人と同じ場所にいて彼らを観察しているような心地にさせる。ドキュメンタリーの風合いを持つ映像から揺らぎながら形を現す人間味。期待以上に、豊かな映画である。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
毎日同じ朝食をとり、畜舎で同じ作業を繰り返し、同じ時間に床に就く、という単調な日常を頑ななまでにカメラを動かさず雑味を排した画面で切り取ってゆく手つきは、世間との繋がりを僅かニュース音声にとどめていることも含め、渡辺紘文率いる大田原愚豚舎映画のようで、開巻早々にして大好物確定であったし、ヒロインに恋心が芽生えたことにより少しずつ変わってゆく生活の中で寡黙に紡がれてゆく彼女とその叔父の互いへの不器用な思いやりが、もどかしくも切なく胸に迫ってきた。
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プラットフォーム
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
経済的上位にいる1%の人々のために99%の人々は奉仕を強いられる、という新自由主義社会の階層構造を、そのまま直喩的にフィクションのフレームに落とし込んだスペインのアートハウス系作品。細部の設定まで考え抜かれていて感心させられた。ただし、大半のシーンが中年男性と老人男性の会話劇というのは、スペインでは知られた名優の二人とはいえ、映像的な快楽度という点ではなかなか厳しい。こういう作品こそ、他言語の地域でスピーディーにリメイクされる意義がありそう。
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ライター
石村加奈
主人公ゴレンと、同じ階層で1カ月暮らすことになるパートナーたち、トリマカシ、イモギリ、バハラトを比べても、なぜ“穴”に来ることになったのかなどそれぞれの話がバラバラ過ぎて、映画の展開に頭の整理が追いつかない(プラットフォームのシステムもわかりにくい)。わからないなりにもシステムを壊すべくゴレンたちの取った行動、パンナコッタと最下層に潜む子供とのエピソードを上手くストーリーに練り込められたなら、普遍的なメッセージとしてより伝わるものがあったのでは。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
評判の飲食店に予約を入れてから、事前情報なしで本作を観てしまい、すぐに後悔。オエェ……鑑賞後の食事を楽しみにして観る映画じゃねぇ……と、飽食にまみれた現代人を皮肉った展開がもろに直撃、まんまとヤラれてしまった。設定は「キューブ」を髣髴とさせ、「スノーピアサー」と同様、わかりやすい“社会構造”の暗喩をその限定された空間に描いている。後半の展開が急すぎて上手くサプライズに繋がらなかったのが残念。A・S・フアンの性別不詳の妖艶な魅力は相変わらず健在。
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おもいで写眞
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映画評論家
北川れい子
ナント町役場が、おもいで写真という名目で遺影写真の斡旋!? 映画の軸は、年配者相手にその写真を撮ることになった結子の成長ものだが、29歳、東京で目指した仕事に不向きと言われ、故郷にUターンしてきた結子の無神経、かつ未熟な言動がいちいち不愉快で、いくらその理由に触れていても、あっちへ行ってよ。オリジナル脚本は、記憶と思い出、思い込みについても言及しているが、とにかくこの主人公が手に余る。年配者たちのせっかくの笑顔写真が結子のサシミのツマに見えたりも。
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編集者、ライター
佐野亨
深川麻衣は、横顔が語る女優である。熊澤尚人監督と撮影の月永雄太は明らかにそのことを意識していて、彼女の横顔が次の展開を予期させたりさせなかったり、そのスリリングな振幅で物語を運んでいく。この映画の最大の見どころである。一方で彼女以外の俳優陣、むしろベテラン勢はというと、それぞれの役柄を達者にこなしているという感じで、ありうべき「おもいで」がいまひとつ身体化されてこない。写真に語らせようとするまえに、映画の語りにもう少し工夫がほしかった。
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詩人、映画監督
福間健二
コンスタントに作品を放ちつづける熊澤監督。本作のストーリーは九年前に書き、推敲を重ねてきたそうだ。題材への肩入れは納得できる。遺影のための写真を、その人の思い出の場所で撮り、よろこんでもらう。最初はふてくされ気味だった深川麻衣のヒロインがその仕事をやりながらポジティブに変化する。障がいと老いや地方の問題も視野に入れ、堅実に、そしてわかりやすく、ということだろうが、人物の性格や行為の動機づけの、いちいち作っている理由が浅く、底割れするのが惜しい。
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名も無き世界のエンドロール
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映画評論家
北川れい子
目的のためなら、手段を選ぶ――。その目的とは、そして手段とは――。それにしても、仲良し3人組(男子2人に女子1人)の青春ものと思いきや、いつのまにか立場の違う男2人の友情物語に移行。が真の目的は手間、ヒマかけた“ある企み”にあり、何やら、ひと頃、はやった“ハーレークインロマン”の世界。ともあれ説得力はともかく一粒でいろんな味のする変わり玉のような映画で、すべてが明らかになる終盤は、確かにえーっ。かなり暗い情熱に満ちた青春秘話だが、一見の価値あり!?
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編集者、ライター
佐野亨
「キサラギ」の佐藤祐市監督ということで悪い予感がしたが、頭で考えた話(原作)を見映えのするキャストを使ってまとめてみせた、悪い意味での職人仕事。迫真も感動も定型通りに用意されてはいるが、結局はどこかで見たような展開やセリフが散発的に繰り出されるだけなので、絵空事がリアルな実感となってわき上がってこない。主題歌からなにからすべてがお膳立てされた予定調和のなかで、現代の名手・近藤龍人の陰翳を際立たせた撮影が、かろうじて映画の彩りを保たせている。
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詩人、映画監督
福間健二
佐藤監督で、カメラは近藤龍人、衣装は宮本まさ江。工夫した画作りを楽しみたいところだが、大時代すぎる話で呆れた。装置的には現在の風景を、愚かな執念とその相棒が今風の顔で歩いている。ひとりの異性が命がけの仕掛けを用意するほどの目標になることが納得できないし、復讐譚だとしたら不可欠な痛快さとカタルシスが訪れない。原作、行成薫。韓流に対抗できそうな、その物語への野心には敬意を抱くが、一政治家の破滅程度で何が終わるというのだろう。命、虚構でも大切に。
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ヤクザと家族 The Family
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フリーライター
須永貴子
冒頭の23分間で、なぜ主人公がヤクザになったのかを一気に描く。題字を挟んで6年後、全身に立派な墨を入れた主人公が、銭湯の湯船に入る姿を背後から捉える。この24分間の強烈な先制パンチで観客を圧倒する。抗争シーンで、ここぞという瞬間に主人公の視点になる、臨場感のあるカメラワークも気付け薬のように効いてくる。主人公と組長の親子のような関係だけでなく、「ヤクザと家族」の話が重層的に描かれていき、主人公の人生がファーストシーンをなぞる形で帰結。大傑作。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
「義理と人情」という言葉が出てくる。高倉健らがやってきた東映任?映画のメインテーマだ。「仁義なき戦い」が吹っ飛ばしたが、それを復権しようとした試み、でもなさそう。「シャブは御法度」という極道の王道を行く組は、仲間を殺した敵対の組に対しては当然仕返しをしてきっちりケジメをつける。主人公をはじめ組長も兄貴も敵対組のワルたちもみなステレオタイプ。「任?映画」はそれでなくてはならないのだろう。そのヤクザたちが滅びていく様が哀しい。が、スクエア過ぎて味がない。
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映画評論家
吉田広明
組長に父親を見出し、抗争で長い刑期を終えて出てきた男が、知らぬ間に家族ができていたことを知り、足を洗ってやり直そうとするものの世間に阻まれる。こうした筋自体はそう珍しくはないだろうが、ヤクザの人権や、反社という形での異物排除の風潮に焦点を当てたところが現在に即している。何もヤクザを弁護するわけではないが、人間社会から悪が消えない限り、ヤクザもなくなりはしないだろうし、その対処が排除=差別でいいのかとは思う。「ヤクザと憲法」のドラマ版。
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出櫃(カミングアウト)中国・LGBTの叫び
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
親は50人や100人子供を産んで育てれば親としてプロだろうが、せいぜい多くて5人程度。親は「親」としては一生アマチュアだ。一方子供は、全員プロの「子供」。親はどこまでも不利な存在なのだ。世界中ダブルバインドの価値観が横行している。テレビやマスコミ、他人だったら容認できるが、身内では決して非容認。カミングアウトで引き裂かれたどの親子関係の亀裂にも宙づりの絶対愛が残る。衝撃的なシーンばかりが目につき、監督自身が見えてこないのが作品として弱いか。
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フリーライター
藤木TDC
2019年にNHK BS1で放送されたドキュメントで54分の短尺。中国の同性愛者二名の親へのカミングアウトをシンプルに撮影、出演者がカメラの前であけっぴろげに感情を見せるのが魅力。一方、見せ場はそれのみで中国社会全体のLGBTs理解度や当事者団体による行政へのアプローチに言及しないのは映画として不足だ。とはいえストレートな内容ゆえ現実に目の前にあるカミングアウト問題でひとり悩む当事者への励ましや参考にはなろう。そのために劇場公開するのだろうし。
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映画評論家
真魚八重子
取り上げる人材が二人という質素な作りがもったいなく、映画の規模に拡大したものが観たい。親にカミングアウトした際、同性愛者に対してありがちな誤解がぶつけられる様子を、カメラが余すことなく捉えているのは監督の引きの強さだ。「根気よく同性愛を治していこう」という無理解や、親戚の手前、嘘をつくよう求められる典型的な反応。中国に限ったことではない、要所を押さえた親のリアクションのバリエーションが観られる。監督と登場人物たちの距離感も気になる。
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いつか、どこかで(2019)
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映画評論家
小野寺系
マカオからやってきた女性がバルカン半島を無軌道にめぐる物語だが、様々な出会いや出来事があるだけで、主人公の人生において決定的な何かが起こるわけではない。だからこそ、即興的に撮られていると思われる多くのシーンが新鮮に感じられ、観客である自分も主人公として旅をしているような錯覚にとらわれる。これこそ良い意味での“観光映画”そのものではないだろうか。ホステルでの出会いや交流が素晴らしくリアルで、複数の国を越境する監督ならではの国際感覚が活きている。
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