映画専門家レビュー一覧

  • いつか、どこかで(2019)

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      映画の起点として劇中に登場する「別れの博物館」なる施設をネットで検索したら、クロアチアのザグレブの旧市街にありました。監督は自らをシネマ・ドリフターと称しているそうで、なるほどエピソードとシチュエイション、そして全体の流れには、その手法が反映されている。リュックひとつで異国を移動するヒロインを、美しい風景とともに写し込んだ画面は、さながら動画美女図鑑。展開にメリハリが欲しい気もするが、ドリフター的ではある。監督の手法を今後も注目していたい。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      映画を支配するぬるい空気は心地よくもあるのだが、物語がいくらなんでも場当たり的すぎて、何ゆえにこうまでガバガバなんだ、と首をかしげるも、監督トークショーで「脚本を用意せずにスタッフ3人と主演女優のみでとりあえず現地に乗り込んで、旅先で出会った人たちを役者としてスカウトし、即興で物語を作っていった」という制作形態を知り納得至極……とはいえ映画自体はまだ「面白い」の域には届いていないのだが、この変態的な方法論には唯一無二の傑作を生む可能性を感じる。

  • さんかく窓の外側は夜

    • 映画評論家

      北川れい子

      霊視者とか除霊師とか、ご大層な人物と設定による怪談仕立ての犯罪ミステリーで、あまり怖くはないが、あと味はかなりエグい。場所も人物も限定されて進行、そういう意味では広がりはないが、細かな仕掛けに凝っていて、娯楽映画としてそれなりに達者。題名の“さんかく窓”にもトリックが、と思ったら、なんのことはない霊視者の名前が三角=みすみで、三角が犯罪の窓口にってワケ。除霊師とコンビを組むことになっての作業手順にクセがあるのが面白い。シリーズ化してもいいかもね。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      ヤマシタトモコの原作マンガは、よくあるゴーストハンターものと思わせておいて、感覚を研ぎ澄まさなければわからないような人間関係のアヤを丁寧に描いてみせた点に魅力がある。ところが、この映画はみごとに表層的な部分に絡めとられており、おまけに微妙なバランスで成り立っている原作の人物配置をきわめて平坦で図式的な描写に移し替えている。興味深いはずの主人公たちの背景もきちんと深められることはなく、最後まで「中心」をもたない凡庸なミステリドラマで終わってしまった。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      子供時代の体験が人を縛る。映画、初期からずっと負債的に、それに抵抗できない人物が逃げ込む場所になっているかもしれない。本作に登場するのは、幼いときから特殊な「除霊」の力をもつ二人の心霊探偵。事件性の差はあるが、過去を背負っている。まず、自分をなんとかしろと言いたくなった。ともかく二人は解き明かすべきものに立ち向かう。どこまで話を持っていけばいいか。森ガキ監督と脚本の相沢友子、もたつきながらも、わかっている作り方で、見終わってなんとなくホッとした。

  • 羊飼いと風船

    • 映画評論家

      小野寺系

      あらすじを読んで、中国の人口抑制政策を批判する作品なのかと思いきや、逆にチベットの保守性や因習を背景に、“子どもを産む役割”に縛られる女性が家庭の中で自主性を奪われ続ける地獄を映し出す恐ろしい一作だった。それを理解すると、劇中の“魂の生まれ変わり”を予感させる抒情的シーンが呪いそのもののように感じられる。演出面での新しさは希薄だが、思想的にはかなり進歩的。いまの日本映画界に、ここまで国内問題をクリティカルに描き出せる作家が存在するだろうか。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      時代が変われば価値観や習慣も変わる。ここに描かれるチベットの祖父、夫婦と息子たちの三世代家族も然り。映画は一人っ子政策や輪廻転生といったこの地の伝統に根ざした家族、人間、信仰、暮らしといった、いくつかの題材が同時並行的に展開するが、避妊具を風船にかこつけたタイトルの二重性が物語るように、ユーモアと思慮が削がれることはない。政治的な方向にぶれない点を評価したい。それでいて登場人物個々人の視点が風船に集約されていく様を表現する監督の力量が秀逸。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      コンドームを風船にして遊ぶ悪ガキが父親にド叱られるトップシーンで手早くテーマを提示し、産児制限政策が行われているチベットの大草原に、性欲強めの夫婦、出家した女、子づくりを強要される羊たち、などのキャラクターを周到に置いたうえで、輪廻転生という信仰の葛藤を浮き上がらせるためさりげなく試験管ベイビーの話題を潜り込ませるなど、牧歌的な画作りとは対照的に意外なほど緻密な計算が施されている作劇なだけに、風船の如くふんわりしたラストには多少の物足りなさも。

  • KCIA 南山(ナムサン)の部長たち

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      実際の大統領暗殺事件を基にしている作品。「はちどり」の「聖水大橋崩落事故(1994)」や「国家が破産する日」の「IMF介入(1997)」など、国民の誰もが記憶に刻まれた事件。映像体験と個人体験との関数における変数は、韓国民なら化学作用を引き起こすはずだ。いまでも大統領の辞職は、逮捕や不名誉な失脚を引き起こす。これは首長が命懸けで職務を全うし、責任を負わねばならないという気質がそうさせるのか。ハリウッド的演出はなく、史実を義勇的に描写する。

    • フリーライター

      藤木TDC

      イ・ビョンホンが眼鏡をかけ市川雷蔵風に硬質演技する渋さに酔えれば高評価になろうが、私はそこまで彼のファンじゃない。朴正煕は74年に夫人・陸英修を亡くして以後、政策に意見する人物を失って独善暴走する。その経緯や元部長によるコリアゲートの発端、政敵・金泳三を支持する米国の工作など背景説明が希薄なためKCIA部長の暗殺動機が個人の対立感情に矮小化されて見え、政治サスペンスの力感を欠く。自国の元首暗殺を根拠の薄い劇画調にするわけにもいかなかったか。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      最近の韓国映画では、社会派の作品を立て板に水のような語り口で撮るのが流行なのだろうか。テンポ的にはアダム・マッケイ作品のようにスピーディーで、振り落とされそうになる。非常に強面な作品で、でもそこが本作の振り切った魅力だ。抽象的ともいえるセリフと、緊密に張り詰めたドラマは観客に集中力と緊張を強いるが、政治劇としての渋さと強度にしびれる。その硬質さの中で、感情的な芝居はほとんどしないのに、揺れ動く心理を表現したイ・ビョンホンの演技力に驚嘆。

  • 天空の結婚式

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      笑いっぱなしのコメディ。人間関係や社会には、こういう底抜けの明るさと適当さが必要だ。そもそも異性同士の結婚制度が破綻している昨今。賛成する側も反対する側も、全ては「寛容」が大事。愛する人がいて、美味しいものを食べ、素晴らしい空間と時間を一瞬でも良いから共有する。それ以外何があるというのか。大都会ではなく、田舎町だからこそ認め合い尊重することが何よりも大事なのだ。勝ち得たのは、ゲイでも男性でもなく、「女性」だった。永遠は期待しなくとも良い。

    • フリーライター

      藤木TDC

      同性愛・同性婚テーマは今どき珍しくないので要は主人公をとりまく個性的脇役のドタバタと、それを伏線にした結婚式の新奇や感動に置くべきだが、驚くほど何も起こらず、バイヤー向けダイジェストビデオ並みの尻切れ感に「これだけかよ……」と?然とする。これで本当に完成形なら撮影時のトラブルを勘ぐる。小奇麗な空間で見目麗しいヨーロッパ人俳優が仲良しごっごするだけ、不幸感不潔感ゼロの砂糖菓子映画はひたすら幸せ光線を浴びたい能天気な観客なら満足できるかも。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      子どもが同性愛者であることを受け入れられない親について、ステレオタイプな描き方をした作品だ。そして深く考えずに楽しむロマンティックコメディとしてなら、ネタとして利用すべき題材ではない。頑固な父親と理解ある進歩的な母親という設定もおきまりで、もっと新鮮さがほしい。「窮鼠はチーズの夢を見る」でも思ったが、ゲイの男性に恋して恋人から奪おうとする女性が、恐ろしいほどがさつでデリカシーがないキャラにされるのは異様だ。嫌な役でも掘り下げは必要だろう。

  • どん底作家の人生に幸あれ!

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      テレビシリーズを追ってる人にとっては「『Veep』のショーランナーの新作」と紹介するのが適切だろう。メインキャラクターだけでなく周辺のキャラクターもちゃんと活きている丁寧なストーリーテリング、少々優等生的なコメディ・センス、多様性やジェンダーへの周到な配慮。原作はこれまで何度も映画化されてきたディケンズの代表作だが、本作におけるアーマンド・イアヌッチのアプローチは、自社作品を現代のコードに合わせてリメイクする際のディズニーの手法に近い。

    • ライター

      石村加奈

      ユーモアあふれる登場人物たちがいきいきと描かれて楽しいが、厚みのある、小説的な人物として成功しているのは、ティルダ・スウィントンとベン・ウィショーか。ディケンズ的な世界ともいうべき人間や社会の影については、アーマンド・イアヌッチ監督の鋭さは感じられず、クリスティーナ・カサリの美術がイギリス・ヴィクトリア朝時代の格差社会を代弁した印象だ。代弁とはいえ、カラスの家に逆さの船の家、瓶詰め工場に伯母の家など緻密な舞台設計が作品の背景を雄弁に物語っている。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』の映画化で、作家デイヴィッドが自分の人生を振り返る構成は原作と同じ。彼の現在、記憶と妄想の境界線を曖昧にした挿話が数珠つなぎで綴られるのだが、そのダイジェスト的演出にイマイチ乗れなかった。しかし最終的に〈ディケンズの体験を基にした物語のさらなる映画化〉という幾重にも重なった虚実皮膜な人生を描くのには適していたのかも、と。その視点の作品として考えると邦題に“作家”入れたのはアリかな、とも。

  • ミッドナイト・ファミリー

    • 映画評論家

      小野寺系

      一家が自前の救急車で“もぐり”の救急活動を営んでいるという、ドキュメンタリーとは到底思えない取材対象に度肝を抜かれた。家族一人ひとりのキャラクターが立っていて、TVアニメ「マッハGoGoGo」そっくりだ。優秀でたのもしく大人びている息子たちが、闇事業に従事していたり振り回されていることは社会的な損失に思えるが、同時にこの稼業が“自己責任社会”のなかで必要悪とされていることがよく分かる内容になっていて、観る者に複雑な現状をまるごとぶつけてくる。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      終始、驚きに満ちたドキュメンタリーである。公的な救急車の数の少なさに驚かされるが、してみると主人公一家のような私営救急隊稼業の存在は必然だろう。加えて業者間の競争、要請者から日銭を得る、業者に違反切符を切り賄賂を要求する警官、利用者。もちろん主人公一家の事情も。等々、夜の救急車の舞台裏を追うことで、行政や医療や市民生活が抱える問題が浮き彫りになる。さながら快調に展開するハリウッドの劇映画を見ているようだが、記録映画ということがそれ以上に驚く。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      深刻な公営救急車不足のメキシコシティで闇救急車で生計を立てる家族、という元素材から映画的であるうえに、ドキュメンタリーとは思えない的確なフレーミングやカッティング、公道で繰り広げられるカーチェイスの迫力など、劇映画さながらに完成度の高い画面設計には驚かされるばかりで、ナレーションを排して、警察や政治、時に利用者を口汚く罵りながら金のために人助けを行っている彼らの背中から清濁あわせ呑んだ人間の善の本質を炙り出さんとするドライな眼差しにもシビれた。

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