映画専門家レビュー一覧
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十二単衣を着た悪魔
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詩人、映画監督
福間健二
周到にやればいろいろとできそうに思える企画だが、まず、現在から源氏物語の世界に入った驚きがユルイ。しまりがない感じ。千年という時間差についての発見がないのだ。ひとつの手は、平安時代を描いたかつての名作の影を意識して入れることだろう。黒木監督、そういう映画愛とは無縁のようだ。なにか言おうとしている存在は三吉彩花演じる弘徽殿女御。主人公の内面を、その妻となる伊藤沙莉演じる倫子とともに動かしたと納得させるには、セリフも十二単衣を着た姿も単調すぎる。
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おらおらでひとりいぐも
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フリーライター
須永貴子
「痴呆症が入ってきたのかも?」と周りから心配される75歳の主人公に見えている世界のなんという豊かなこと! 独居老人である彼女の寂しさや「どうせ」という虚無感を男性の俳優たちで擬人化し、先立った夫との恋の始まりを病院の待合室のテレビに朝ドラのように映し出すなど、茶の間に転がっている気安い玩具で、極上のマジックを披露する。若さや愛よりも、熟成と知恵、そして精神の自由に価値を見出す沖田監督の集大成にして最高傑作が、そのメッセージを証明する。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
長めの映画だったが、退屈はしない。それは立派ではあるが、そのためなのか、若い人にも見てもらおうとしたためか、様々に工夫を凝らしている。が、それが細工に見えて仕方ない。細工ばかりが目立って、それに気を散らされて作品の本当の中身が伝わってこない。桃子の分身だろう寂しさトリオだが、それが却って桃子の内面を推し量るのを邪魔している。人類誕生に至るCGアニメ、ステージと化す詫び住まい、坂道を登る桃子聖者の行進等、それなりに楽しくはあるんだが……。
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映画評論家
吉田広明
ごく平凡な主婦の老後、寂しさが擬人化して現れ、彼女の想念に茶々を入れる。神様が子供姿で現れたり、夫との馴れ初めが病院のTVに映し出されたり、夫への思いが歌謡ショーで歌われたり、現実と幻想が地続きで行き来する。老人の頭の中はこんな具合なのだ、ということだろうが、幻想によって現実が異化されるわけでも、現実と幻想の区別がつかない境地に至るわけでもなく、観客はごく安全な場所にいて、その行き来を楽しんでいればよい。映画にとってはその安全さが何とも退屈だ。
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ビューティフルドリーマー
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映画評論家
北川れい子
“映画をもっと自由に”という趣旨で、本広克行、押井守、小中和哉、上田慎一郎の4監督が設立した〈シネマラボ〉の第1弾の本広作品だが、ゴメン、スタッフ、キャスト全員が好き勝手をやっている監督不在の学生映画でも観ている気分。ま、話自体が映画など撮ったことがない映研の学生たちが、部屋で見つけた曰く付きの脚本で映画を撮ろうとしてのドタバタ劇ではあるが、中途半端に達者な若い俳優たちと、メリハリの希薄な筋立てによる進行は、実験性よりデタラメ感が強く、嗚呼!!
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編集者、ライター
佐野亨
冒頭、あの名作と似たような音楽が聞こえてきて、そっくりなカットが出てきたところでのけぞった。まさか、と思ったが、その後は映画による映画の自己言及がはじまる。しかし、段取りは極端に演劇的なので、そのずれがなんとも居心地わるい。で、やはりあの名作のあんな名場面やこんな名場面を再現してみせるのだが、観ているうちにそれに付き合わされている若い役者たちはいったいどういう心持ちでこれを演じているのか、と気の毒になってしまった。世迷言もいい加減にせえ。
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詩人、映画監督
福間健二
大学の映研で映画を作る話。未経験の学生がなぜこんなに急にプロっぽくやれるのか。作られていくもののそれなりのクオリティーとともに、そこがそもそも奇妙。いろんな映画作品のことがセリフで触れられるが、人物たちに共有されている「映画が好き」がピンと来ない。使われた押井守の習作的脚本の面白さも、本広監督の映画への思いも、よく見えない。それでも、現実に映画を作る女優小川紗良でなければ、というものはあって、こちらも監督の「勉強」をちょっとだけした気はする。
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ジオラマボーイ・パノラマガール
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フリーライター
須永貴子
原作の東京郊外から港湾エリアに舞台を移し、小沢健二の『LIFE』、昭和のお菓子や映画ネタを、2019年のボーイミーツガールにぶち込んだ。二人のファーストコンタクトのシーンではヒロインの心象風景の雷鳴を画面に映す。ヒロインは歌詞のようなモノローグを独白し、ウキウキするとくるくる回りながら不自然な動線を描く。フィクションの技法を駆使した様式美の中で描かれる、恋と青春のカラフルな痛み。東京から未来と世界を展望するエンドロールまで抜かりなし。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
近頃こういう映画が増えている。なぜこれを映画にしたんだろうと疑問符がつく映画。恋愛もののつもりなんだろうか? が、愛らしいトキメキも切ない戸惑いも何も感じさせてくれない。このどん詰まりの世の中に生きる少年少女のリアルを描いたつもりなら、失敗していると思う。しつこく言うが、映画は人間を描くのが使命。人物の見てくれ、ファッション、一見個性的に聞こえるセリフ、かわいらしい癖、変わったアクションなどをいくら表面的に並べても人間を描いたことにはならない。
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映画評論家
吉田広明
キレイでカッコイイトーキョーとか、世界がどうなろうと好きな子と一緒にいられればそれでいいとか、アイロニーとも本気ともつかない危うさ、脆さはいかにも岡崎京子で80年代的。外=世界に晒されずに済むモラトリアムと、外は外だった80年代が重なり、岡崎の描く少年少女は時代のアイコンたりえた(岡崎自身は外の過酷を知っていたが)。しかしもはや外が外ではなく、子供ですら容赦なく世界に晒される現在に本作が作られる意味は、逆説的に今(の悲惨)を感じさせる点にあるのか。
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461個のおべんとう
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フリーライター
須永貴子
お弁当も、父親と息子の3年間のストーリーも、丁寧仕立て。特筆すべきは、井ノ原快彦が演じる父親=原作者の渡辺俊美が所属するバンドのキャスティングと演奏シーン。トリオ編成や担当楽器、なんとなくのキャラクター設定はそのままに、バンド名と人名を変更し、この映画のために渡辺が書き下ろした3曲を、井ノ原、KREVA、やついいちろうがフルで披露した。この手法は画期的な発明であり、音楽映画として高く評価したい。エンドロールの映像はアイドル映画として大正解。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
パパが息子に弁当のことを「お弁当」と言う。それがこの映画を象徴している。パパが作るお弁当はプロ顔負けの、まるでデパ地下の売り物。品行方正な人たちが当然のように品行方正なことをする。こんな人たちを見たことはないから、神様かフィギュアかどちらかなのかも。その人たちがまるで実感のこもっていない、「あれ?」と首を傾げるような的外れなことを言う。どこかで借りてきたレッテルを貼っているよう。フェイスブックやインスタグラムでの自慢を延々見せられた気持ちがした。
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映画評論家
吉田広明
息子が父に向って質問し、父が返す答えに息子が不審げな顔つきをすると「もっとちゃんと説明した方がいい?」と問い返し、息子が「分かった」と答える場面が二度ほどあるが、映画全体がこんな調子、何となくで進んでゆく。父が弁当を作り続ける意味、それを通して父と子の関係がどう変わったのか、父がフクシマ出身は物語にどう関わるのか、また母親との関係が父と息子の関係にどう影響するのか、全部結局曖昧で、何となく分かるでしょ、と観客に丸投げしている印象だ。隔靴掻痒な映画。
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昨日からの少女
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映画評論家
小野寺系
ベトナムのキラキラ映画ともいうべきピュアな恋愛作品で、映像にはツルンとしたキレイさがある。随所にCGが使われ、全体的な質はコントロールされているものの、男子高校生の恋愛と、少年時代の思い出が並行して描かれる構成は単調に感じられる。本筋のエピソードに大きな葛藤が存在せず、予定調和に進んでいく物語は安心できるが刺激が少ないし、陰の部分がない明快な演出で、引っかかる要素を見つけづらいまま進んでいくのはつらい。南国の植生や緑の色は美しく印象的だった。
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映画評論家
きさらぎ尚
美人の転校生にひと目惚れしたお調子者の男子高校生があの手この手でアプローチするが、実は彼女は……、だった。結末で……部分が明かされるまで、10年前の子ども時代の回想シーンがやたら多く、鬱陶しい。例えば時間を超えるファンタジーにするなどの工夫があればすっきりしたかも。それにしても、ことあるごとにしなを作る女性教師、唐突に浮上した体育教師と級長の関係、その?末など、理解が及ばない。加えて演出のもたつきにも不満あり。風景の美しさには目が和むのだが。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
説明過多のナレーション、人物の心情や動きに律儀にリンクさせるミッキーマウシング的手法の音楽のあて方など、とにかく描写が脂っこくてゲップが出てしまうとはいえ、キラキラ映画としてはかなり誠実に作り込んでいるし、幼少時代の物語はすこぶる可愛らしくて好感が持てるのだが、過去と現在の恋模様をさほどの必然性もなく交互に見せてゆく構成のうえに額の傷などという「愛と誠」な古典ネタを被せてしまったら、多くの観客は中途で大オチが読めてしまうのではないでしょうか?
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PLAY 25年分のラストシーン
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映画評論家
小野寺系
「クローバーフィールド/HAKAISHA」や「クロニクル」のように、フェイクドキュメンタリーの手法を利用しつつ、周到にカメラの位置を計算しながらドラマを見せていく。その撮り方で恋愛を扱うコンセプトは面白いし、予算なりの工夫が随所にうかがえる。だがコメディアンが演じる主人公の異様なテンションの高さや、彼の身勝手な態度ばかりが映し出されるために感情移入が難しく、そんな主人公にヒロインがずっと愛情を感じ続けているのは不可解。わだかまりが募ってしまった。
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映画評論家
きさらぎ尚
フレンチ・コメディの特徴のひとつに、自らの体験を笑いで伝えることを挙げるとしたら、人気コメディアンが主人公を演じるこの映画はまさにそれ。少年時代から四半世紀にもわたって個人的に撮り続けたホームビデオをつないで観客に披露するのだから。時におふざけが過ぎて引いてしまうこともあるが、雑音を入れて時代感を出したり、カメラをブレさせて素人のビデオ・オタクを演出したりで、それなりに凝った作りをしている。画面に見える映像や通信などの情報ツールの進化が面白い。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
ある男が25年撮りためたものを編集した映像でありふれた人生を延々と見せてゆくこの手法はそれが本物であるなら素晴らしいが、あくまで作られたものであるし、フェイクドキュメントとしてもリアリティ面に首を傾げてしまう部分が多く、そもそも記録者が何でもビデオに収める趣味の男であるからどんなシチュエーションが映っていてもおかしくないというのは、これはもう設定からしてちょっとズルいなあと思ってしまうも、随所に技は感じるし、ラストは胸キュンでよかったよかった。
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ストックホルム・ケース
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
コメディタッチに人質銀行襲撃事件を描写。金庫に入れられていたのは「紙幣」ではなく「心情」。いくら強固な施錠をしたとて、人の心は不可思議で予期せぬ科学変化を起こしてしまうものだ。そもそも恋愛とはある種の非日常的な共犯的犯罪で、集団的な常識を侵犯し禁忌を踏むところにある。それを「結婚」という法に落とし込むというすり替えを行なうことで社会の安定をもたらす。「通貨」「警察」「政治」という三大公的立場と対峙するものが、「心情」や「予定不調和」か。
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