映画専門家レビュー一覧
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エゴン・シーレ 死と乙女
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脚本家
北里宇一郎
これは“シーレをめぐる四人の女”か。八〇年の前作に較べて、ぐっと妹の存在が重くなっている。近親相姦的親密さの思春期から、庇護者的存在となるシーレの晩年まで、陰で支え続けた妹がもう一人の主役に見えて。隣家の令嬢と結婚の経緯も、前作は純愛、今回は打算と実録風。代わりに同棲中のモデルの彼女との関係が深くなっている。もう一人の黒人モデルはシーレから妹を引き離す存在か。てな具合にシーレと女性たちの関係に絞った構成には納得。もう一つ人間描写の彫りが浅い気も。
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映画ライター
中西愛子
エゴン・シーレの画は、死とエロスの匂いが漂う中に、どことなく少女が近づきやすい甘さがあって、かつて私も魅了されたクチだ。さまざまな娘たちの心をつかみ、自身の芸術性を磨き、画家として大成していくシーレの純粋な情熱としたたかさが、ドラマチックに描かれる。シーレ役の俳優ノア・サーベトラが素敵。監督は彼を気に入り、役のためにわざわざ演劇学校に通わせたのだとか。まだ色のつかない美しさが映える。シーレのそばに長くい続けた女性ヴァリの誇り高さもカッコいい。
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ホームレス ニューヨークと寝た男
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映像演出、映画評論
荻野洋一
原題は“HOMME LESS”。ホームレスという意味と、アパレルで使う「男」を意味する仏語「オム」を架けている。この題が本作を言い尽くしている。雑居ビル屋上に野宿し、着替えはジムのロッカーに仕舞う。ファッション業界の片隅で仕事を探す主人公は惨めだが、おのれの滑稽さに自覚的でもある。ある日は陽気でエネルギッシュ、ある日は落ち込む。だがそれだけだ。私たちフリーランスは皆そうやって生きている。彼は負け犬だ。負け犬でもせめて本気の遠吠えを聴かせてほしい。
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脚本家
北里宇一郎
原題は“HOMME LESS”。“HOME”じゃないところが皮肉。ニューヨークに憑かれて抜け出せなくなった男の記録。ホームレスは自由な生き方、なんて発言は一かけらもない。フォトグラファーとかエキストラで食っているせいか、恰好だけは崩さない。そこに彼の、人としての矜持を感じて。が、もはや骨と皮の人生。それでも街にしがみついて生き続ける。こういう男もいるんだという、その存在を映像に刻みつけたのはいいにしても、そこから先に踏み込まないことの物足りなさも。
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映画ライター
中西愛子
モデルで写真家。50代のイケメン。昼は颯爽とNYを闊歩するマーク・レイ氏、実はビルの屋上で暮らすホームレスなのであった。いい意味で、観始めた時と、観終わった時の被写体の印象がこんなに変わるドキュメンタリーは珍しい。この方、変わってるけど、すごくピュアな人なんじゃないか。元モデル仲間で、いまは映像作家をするオーストラリア人の監督が、彼との再会を機に始めた企画。3年間密着している。この信頼関係が一番マジカル。生きていればいろいろあるよ。肩の力が抜けた。
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破門 ふたりのヤクビョーガミ
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評論家
上野昻志
そうか、佐々木蔵之介が、小藩の心優しい殿様じゃなく、やくざをやるか、と思ったが、これが見事にはまっていた。とくに、目玉?きだしにして、殴りかかるところなど、思わず吹き出した。いや、アクションの捌きもなかなか。対するカタギの横山裕も、へたれの感じをよく出していたし、キムラ緑子の母親と向き合う場面など、いかにも普通という雰囲気でいい(キムラのうまさもあるが)。で、全篇、追っかけに次ぐ追っかけはスピード感があり、捕まっては逃げる橋爪功のしぶとさも効いている。
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映画評論家
上島春彦
北村一輝に比べると佐々木蔵之介はいかにもインテリやくざっぽくて、これはこれで面白い。彼に引っぱりまわされる横山君は部下でも子分でもないのは当然だが、本人的には相棒ですらない。それが人間関係の機微を生むものの、脚本家が期待するほどにはクライマックスの逡巡が効いていない。それとやくざがあまりに簡単に騙されてしまって不自然。仕掛けは実は複雑なのだが作劇的にうまくいってないようだ。また橋爪が映画人だか詐欺師だか分からないのも、私としては納得しかねる感じ。
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映画評論家
モルモット吉田
実家の台所で横山が母のキムラ緑子と食卓を囲んで話す何でもないシーンが素晴らしい。多用される『ほなね』など大阪弁の柔らかな語感を大事にする小林聖太郎はデビュー作「かぞくのひけつ」のようなドライでペーソスのある喜劇が向いている。荒っぽい題材ではヤンチャさが不足。横山は佐々木がどんどん突っ込んでくるのを受け止めきれず、TV版の濱田岳が巧みな受けを見せるだけに、つい比べてしまう。壁に貼られたVシネマのポスターに映る急逝した芸人テントの姿に万感の思い。
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恋妻家宮本 KOISAIKA MIYAMOTO
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映画評論家
北川れい子
“仏作って魂入れず”のことわざではないが、“恋妻家”なる言葉を作って、中身は脳天気な夫の空騒ぎ、こんな他愛ない脚本をよくもまァ、映画にしたもんだ。ひょっとしたら、製作にも名を連ねているあの電通側に、ドラマの人気脚本家の監督デビュー、のちのちのためにハナシはヤワでも協力を、ナンテ思惑が……!? 夫が料理教室に通う中学教師で、そこでの井戸端会議も、悩みを抱えた生徒のエピソードも実に薄っぺらで、『暗夜行路』と離婚届けの組み合せも、作者は鼻高々だろうが噴飯物。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
映画全体にそれほど大きな影響を与えない一挿話で、アベちゃんをラブホに誘う菅野美穂がチラ見せした白桃のような胸乳が網膜に心地よく灼かれた。それはともかく、ヒッチコックの「スミス夫妻」を連想したりしつつ、横溢する好ましい遊びを楽しんだ。エンディングも好き。パッと思いつく前例は「時をかける少女」とか「ジャッキー・ブラウン」「40歳の童貞男」「私の優しくない先輩」、要するに登場人物がラストシーンの続きのまま歌うのだが、これもっとみんなやればいいのに。
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映画評論家
松崎健夫
問題を抱えながらも妄想が先走り、なかなか本音で問いただせないという主人公の姿。この映画は「言いたいことが言えなくなってきている」傾向にある、現代日本そのものを描いているようにも見える。「不満はないけれど不安はある」という台詞が示すように、本作では軋轢を避けないことも提言してみせている。終盤では「言いたいことを言う」ことで、夫婦関係が修復されてゆくように見えるが、実は「もともと壊れてもいなかった」という点もまた現代日本の抱える病理とどこか似ている。
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タンジェリン
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映像演出、映画評論
荻野洋一
トランスジェンダーの娼婦二人組の一日の動向をiPhoneぶん廻しで撮りきった。私も海外ロケでiPhoneを使ってみたが、機動力、感度、音さえも上々である。LA中心部でロケしている。あの街の中心部はあんなにスカスカなのか。広すぎる道路、広すぎる空、味気ない建物の連なりを眺め続けると、これがやはり文明の行き止まりなのかもしれないという感慨に囚われる。ラストのドーナツ屋で一同が会すあたりの気まずさは、まるでホン・サンスのよう。主演二人が素晴らしい。
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脚本家
北里宇一郎
いよいよ全篇スマホ撮影の映画が現れた。トランスジェンダーの娼婦2人の半日。そこにアルメニア人タクシー運転手が絡んで。とにかく、ミスターお嬢たちのお喋りがけたたましい。作品全体は、軽いスケッチの連なりで。自然な気分は出てるけど、キャメラの見た範囲というか、ちと狭苦しい感じがして。画面から空気感とか雰囲気が流れてこないのが、どうも。いやそれよりも、作り手がスマホ映画という手法に酔って、中身をあんまり吟味していないという印象。心あたたまるラストだけど。
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映画ライター
中西愛子
トランスジェンダーの2人の娼婦と、痴話話で彼女たちが巻き込む男たち女たちによって繰り広げられる、クリスマス・イヴの大騒動。3台のiPhone 5sでの撮影は、フットワーク軽く、舞台となるロサンゼルスの街をリアルに映し出す。一見、キワモノ的なようでいて、ジェンダーの多様性を生かしたそれぞれのキャラ設定が面白く、関係性の艶笑喜劇としてはかなり正攻法。語り口も役者の演技も安定していて引き込まれる。しかも最後はハートウォーミング。クリスマス映画だもの。
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エリザのために
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
ヨーロッパで評価されやすい映画、国際映画祭で賞を貰いやすい映画には幾つか特徴があり、そのひとつは、小さな問題、たとえば家族が見舞われる問題をリアルなタッチでつぶさに描きつつ、その背後に舞台となる国(マイナーな国家だとより望ましい)や社会の普遍的な矛盾を覗かせる、というパターンだと思うが、これは典型的なそういうタイプの作品。そこで問われるのは、まず演技演出であり、次いで画面(カメラ)の美学である。ムンジウ監督は硬派の芝居を創出し、見事な絵を描いている。
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映画系文筆業
奈々村久生
ちょっとした出来事、若い女性が暴漢に襲われることは「ちょっとした」で済まされるものではないが、それをきっかけにギリギリで成り立っていた日常が崩れていく様が、ムンジウ得意のリアリズム描写で追求される。特に事件を受けた父親の暴走とそれを追うカメラの働きは際立っているが、その肉迫が物事を個人の特異な行動に集約させてしまったようにも見える。原題の「卒業」は一つの親子関係の形に終止符が打たれることでもあろうが、そこには他者との関係性が不足している。
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TVプロデューサー
山口剛
情実、コネ、贈収賄で動いている自分の周囲の世界に批判を持ちながらも、それを利用して生きている主人公の医者。肥満の初老の男で薄汚れた情事のため離婚寸前。今、娘の留学のため医師のモラルを破ろうとしている。主人公にも彼の生きる世界にも全く共感はできない。見たくないものを眼前に突きつけられるような映画だ。だが、気がついてみればいつしか画面に見入っている。それがこの映画の力であり魅力なのだろう。娘の未来に託し一筋の希望を抱かせるラストシーンがいい。
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スノーデン
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翻訳家
篠儀直子
「シチズンフォー」に登場していた監督や記者の再現性が高いのと、JGLがスノーデンの話し方までコピーしているのはおおっと思ったが、あちらのドキュメンタリーにあった刺激的な曖昧さは消え失せて、O・ストーンは最悪の場合そうしてしまうだろうと危惧したとおり、画面や細部の演出の魅力を著しく欠いたまま、すべてを平坦な一方向に整理してしまう。ただ後半、コービンとスノーデンが会議室で対峙するシーンに目を惹く演出があり、その先しばらくはサスペンス的面白さが。
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映画監督
内藤誠
ローラ・ポイトラス監督の強力なドキュメンタリー「シチズンフォー」を見たあとで、ゴードン=レヴィットがスノーデンそっくりに演じる劇映画が、オリヴァー・ストーン監督の手で作られたことがまず興味深い。国家に対する裏切り者か、ノーベル平和賞を与えるべきかという議論もさることながら、二本の映画が堂々と製作公開されるアメリカ文化に希望をもちたい。劇版ではモスクワへとスノーデンを追っていった恋人リンゼイの物語がていねいに付加され、作品のテーマに厚みを持たせていた。
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ライター
平田裕介
ドキュメント「シチズンフォー~」は、劇中にも登場するホテルでの記者たちとの接触と彼らからの取材がメイン。それゆえに彼の経歴、暴露までの経緯にしっかりと触れることもなく、国家による監視の恐ろしさも伝わってくるとは言い難かった。こちらはスノーデン一代記としての側面も持っており、それらをくまなく拾っている。ただ、電脳っぽい空間にさまざまな者の写真と文字データが飛び交うみたいな個人情報収集のイメージ描写に、年寄りが撮っている映画だなぁと感じることしきり。
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