映画専門家レビュー一覧
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ストップモーション
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
どこかヤン・シュヴァンクマイエルのシュールレアルな悪夢的な世界を彷彿させる作風だ。ヒロインがコマ撮りアニメーターというのが異色で、斯界の先達である毒母の抑圧に抗い、解放を希求するも錯乱へと誘われる恐怖譚としてはポランスキーの「反撥」(65)も連想させる。東欧的で陰鬱なフォークロアの世界とオブジェとしての人形が腐臭漂う肉塊と化してゆくプロセスを克明に描写する粘着性へのフェティッシュな感覚が結びつき、露悪的なまでにグロテスクでおぞましい世界が現出している。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
「才能の限界」「抑圧的な親子関係の葛藤」「表現と重なるトラウマ」「曖昧になっていく現実と妄想の境界線」……物語構成要素を挙げれば「ブラック・スワン」をはじめとした“芸術に殉じるアーティストを悲劇的に描いたサイコロジカルスリラー”のクリシェばかりで成り立っている本作。下手をすれば魂なき模造品になりかねないが、紋切り型もうまく扱えば勝利の方程式! 静=死に生を吹き込むストップモーションという素材の新鮮さ、そして監督の確かな才気が作品に血肉を通わせている。
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劇映画 孤独のグルメ
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ライター、編集
岡本敦史
ドラマシリーズを10年以上やり続けてきた主演俳優だからこそ実現できる、作品のバランスを知り尽くした演出に打たれた。結果的に、破格の準備期間を与えられた初長篇だと考えれば、なんと贅沢な一皿であることか。「こういうのでいいんだよ」という原作の有名なフレーズは、作品の基本精神でもある。怠惰な手抜きではなく「足るを知る」という心を、映画も見事に体現している。冒頭から塩見三省に花を持たせ、海を越えてユ・ジェミョンの好演を引き出す、役者同士の絆にも痺れた。
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映画評論家
北川れい子
おや松重豊、この劇場版では監督・主演・脚本(田口佳宏と共同)まで兼任、さしずめ北野武ばり。彼が長きにわたって主人公を演じてきた勝手知ったるシリーズドラマということもあるのだろうが、なかなかの度胸である。しかもワケありスープの食材を探して、日本国内だけでなくフランス、韓国まで駆けずり回り、とんでもないアクシデントも。けれども松重豊の、そして主人公のキャラのせいか、程良いユーモアと洒落っけがあり、素直に楽しめる。各地の一品との出会いも気張らず、おいしそう。
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映画評論家
吉田伊知郎
食レポには、綺麗かつおいしそうに食べる技術が求められるように、食の映画も繊細な描写が求められる。TVシリーズは未見だったが、食べ物を前にしたときの松重の卑しくならない演技が絶品で、人気に納得。塩見三省、村田雄浩への愛情溢れる撮り方も良く、あくまで食を軸にしたドラマから逸脱しすぎないバランスも絶妙。食材探しの旅とラーメン屋を復興させる話を俳優が監督した本作、つい伊丹十三(『遠くへ行きたい』の親子丼珍道中の回+「タンポポ」)と比較してしまう。
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Welcome Back
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文筆家
和泉萌香
口が悪くちゃらんぽらんそうな兄ちゃんが主人公で、これから二時間どうなるかと身構えたが、彼らに自覚はなくとも大人たちに見捨てられた、ボクシングしか知らない青年ふたりがそれまでの人生に答え合わせをするべく殴り、殴られるさまにつきまとう寂しさと、強がりで自分をとりつくろう若者がたどる道へのやさしい眼差しに胸をうたれた。中盤より、兄弟のような関係のふたりに巻き込まれ彼らをフォローするはめになる「保護者」遠藤雄弥のたたずまいが穏やかにバランスをとる。
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フランス文学者
谷昌親
異色のボクシング映画だ。たしかに、試合やスパーリングのシーンでは、無暗に細かくカット割りせず、ボクシングファイトをしっかり見せている。だがこの映画が描こうとしているのは、同じ団地で兄弟のように育ったテルとベンの関係、そしてテルにひたすら憧れるベンの姿だ。知的障害があると思われるベンの描き方には疑問も湧いてくるが、ベンとテルがボクシング仲間の青山とともに大阪に向かうあたりから、独特のロードムーヴィー的味わいが加わり、映画としての魅力がきらめいてくる。
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映画評論家
吉田広明
知的障害者が兄貴分のボクサーを妄信、兄が負けて引退した後、彼を倒した相手を自分が倒すことに執心。兄のスタイルを完コピした弟は兄にとって鏡像となるわけだが、それが兄の自己反省の契機となるわけでもなし、物語の枠組みを規定する旅の過程で弟が成長したわけでもない。兄弟的関係は並行のままであり、ために最終的にコピーがオリジナルを凌駕する展開も説得力を欠く。この映画に時間は流れない。ラストの卵かけご飯の長い無意味なシークエンスが全体を象徴している。
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シンペイ~歌こそすべて
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文筆家
和泉萌香
島村抱月と松井須磨子の恋愛や、都市伝説的に聞いたことがあった〈シャボン玉〉の誕生秘話をはじめ、その時代を生きたひとりの男が見たさまざまな濃密なエピソードが悲しくもテレビドラマのごとくダイジェスト版で語られていくのだが、まず主人公である中山晋平の人生もナレーションに任せっぱなし、どの人物への肉薄がないのも寂しく、あっけなく出る「戦後」のテロップにもずっこけた。どのシーン、時代が移ろっても無邪気に歌をうたう子どもたちは可愛いのだが……。
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フランス文学者
谷昌親
信州から上京するシーンで始まるとはいえ、フラッシュバックで幼年時代も盛り込んだうえで、数々の名曲を生み出してきた中山晋平の65年の生涯を描き切ってしまっているのは、神山征二郎監督だからこその力技で、効率的に物語を進めるこうした手腕が日本映画の土台を築いてきたのだと思わせる。だがその一方で、やはり詰め込みすぎの感は否めず、次から次へと連なるエピソードが中山晋平の一生という枠のなかにほどよく収まるばかりで、映画的な濃密な時空間を構成してはくれない。
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映画評論家
吉田広明
伝記映画であるから既知の事柄が描かれてゆくのは当然のこととしても、映画として本作は一切既知を超えてくるところがない。本作の主人公は作曲家、しかも歌謡の作曲家であるからには、彼がいかに歌に、声に魅せられたのか、いかに自らの歌を、声を発見していったのかが画面として、音響として創造されねばならないのだが、それがないために結局事実の羅列にしかなっていない。作り手の主人公への思いなどどうでもよい我々としては、映画であるかどうかだけが基準である。
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エマニュエル(2024)
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俳優
小川あん
なぜ、こういった類の映画は官能映画になりえないのだろう……。残念ながら、本作もラインから外れてしまっている。肝心なセクシャルシーンがゾクゾクしない、冷めてしまう。あまりにも、登場人物の役割がパキッとし過ぎている。ハイキャリアだけれど性を解放できない女性と、自由だけれど性欲が枯渇した男性。交わっても面白くはならない。性はもっと曖昧なものであるはずだ。結果、舞台である香港のラグジュアリーホテルの内情がめちゃくちゃ過ぎてそっちに気をとられた……。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
原作小説が大胆に脚色され、当然1974年版とはだいぶ違った内容に。性の冒険というよりは、資本による管理と操作のせいで見失ってしまった真の自分を取り戻そうとする物語という感じが強い。美しい撮影と美術で描かれる超高級ホテルのあれこれを、「一生縁がなさそうだなあ」と最初のほうこそ珍しく眺めるが、実はこのホテル自体が抑圧の象徴であり、ずっとホテルに閉じこめられていた主人公は、終盤ようやく外に出る。最初のチョイスだったというレア・セドゥが主演していたらどうなっていたのかな。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
「エマニエル夫人」を「あのこと」でヴェネチア金獅子賞受賞のオードレイ・ディヴァン監督が新たに映画化。主演は「燃ゆる女の肖像」「TAR/ター」のノエミ・メルランと聞くと期待したいが、結果は裏切られる。舞台を現代の香港の超高級ホテルにして、セリフもほぼ英語とアップデートを図ったが、元の「エマニエル夫人」が持っていた古き良きフランス臭さが薄まり、ただのソフト・ポルノに。女性目線のスタイリッシュな性描写を意図したのだろうが、映画史の性描写を更新する覚悟が足りない。
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ブラックバード、ブラックベリー、私は私。
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文筆業
奈々村久生
天涯孤独のシングル女性エテロを演じたエカ・チャヴレイシュヴィリの存在感が見事。物理的・視覚的にも確かな質量を持つその身体性が、安易な同情や誹謗中傷を撥ねつけ、彼女が生きているという現実を何よりも証明する。他人に媚びることも愛想を振り撒くこともなく、自分の小さな居場所を守りながら生きてきたエテロのインディペンデンスと、悪口を言い合いながらも世代や立場を超えて緩やかに連帯する女性同士の関係の妙。村の閉鎖性が持つネガティブな側面が思いもよらぬ可能性を生んでいる。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
クソババアたちのコミュニティの近くにはいるけれど同調圧には屈せず、クソ男のルッキズムにも屈せず、一人で野生のベリーを摘み、一人で喫茶店で高カロリーのでかいスイーツをむしゃむしゃ平らげ、時に自らの近未来の死や家族から受けたトラウマを幻視する、鳥のような顔の高年齢処女。初めてのセックスも恋愛も彼女を楽しませはするが、快適な孤独を揺るがすことはない、ていうか孤独に自適してる者にしか本当の意味でのセックスや恋愛を楽しむことはできない、はずだったのだが……。
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映画評論家
真魚八重子
即物的なたるんだ腹の肉、リアリスティックな陰毛、まごうことなき50絡みの女の全裸が写し出される。同じ年頃の男も尻の肉が落ちてすぼみ、お互いに性欲をかきたてる裸ではないから、逆に相性の良い肉体の出会いなのだと思う。物語は独りで楽しみ、孤独もいとわない女にとっての、女友だちとの関係の難しさがメインだが、正直重要でもないだろう。それよりいまだに女が男に詩心を求めていたりする甘さが、正直で微笑ましかった。思いがけない初恋の形が夢見がちな可愛いドラマだ。
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苦悩のリスト
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文筆業
奈々村久生
米軍完全撤退の期限が迫る中でカブール空港に押し寄せた人々。中には飛行機に乗り切れず機体から振り落とされる者もいた。当時数えきれないほど目にした動画。彼らの救出に遠隔で尽力したマフマルバフ監督らの心痛が、瞬時に的確な人選を決めなければならない冷静さの中で浮き彫りになる。ただし、救出リストの候補に入れる人はやはりある種の特権階級といえる。タリバン復権下で生命や人権を脅かされているのは芸術家だけではないし、芸術家至上主義のような結びにはやや疑問が残る。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
こうしている今も、どんどん人が無惨に殺されている現実。苦悩してるだけで何もできてないわけではない。人の命を助けることの役にたててはいる。かろうじて「絶望の」リストではない。だが助けることが間に合わなくて拷問をうけて生きたまま目をえぐられた人もいた。現地まで行くことはできない。家にいて、自分の平和な日常のなかでパソコンとスマホで助けるしかない。映画が終わっても「信仰」も虐殺も戦争も終わってない。分断の末、明日には我々が殺して殺されることになるだろう。
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映画評論家
真魚八重子
人命を一人でも多く救うための活動が、どれだけ素晴らしく必死なものかはわかる。だからといって、室内でひたすら電話をかける様子だけを捉えた映像を、救済のためだからといって高く評価するわけにはいかない。映画的にはなんの面白みもないからだ。「人を救う作品に低評価を与えるのか」と言われたら困る。明らかにそこには線引きが必要であり、これは映画と分類するかすら難しい。助かる人選がたまたま電話のそばにいることで決定する、残酷な運命の記録映像とは呼べるだろう。
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