映画専門家レビュー一覧
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私にふさわしいホテル
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文筆家
和泉萌香
彼女はいったいどんな物語を書いているのか、よく分からない。不遇のきっかけを作った作家を大恨み、手を変え品を変え名前を変え、ツッコミどころ満載で大攻撃するのはいいが、売れることを最大の目的としたヒロイン像が魅力的かといわれれば疑問。あこがれのホテルもただの権威の象徴に思えてくるし、ヒロインなりの下剋上を果たしたとはいえ、彼女もそのシステムの一員になっただけでは? 橋本愛、髙石あかりはじめ各所で登場する女優陣があざとい荒唐無稽さをチャーミングに和らげる。
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フランス文学者
谷昌親
のんと滝藤賢一の二人だからこそ成り立つ掛け合いがふんだんに見られる映画だ。とりわけのんは、自分の小説が売れるためには汚い手段にも平気で訴えるという性悪な人物を、大げさすぎると見えてしまうほどのハイテンションで演じ、コメディとして成り立たせているのは立派だし、それは堤監督の演出のたまものでもあろう。だが、主筋に付随する細かなエピソードの扱い方が雑だし、タイトルにもなっているホテルの空間が映画的に活かされておらず、めりはりのない作品になってしまった。
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映画評論家
吉田広明
芥川賞を取らせてくれと佐藤春夫に哀訴した太宰を思い出したが、そのみっともなさを含めて太宰はまっとうに文学=生を生きたと言え、そこにはイメージとしての文学などなかった。文学者たちに愛されたというホテルがまとわせるオーラのようなものは確かにあるとしても、それに寄りかかることで出来たものがまともな「表現」であるはずはないだろう。こういう使われ方では使われた方も気の毒だと思う。のんの文学臭を免れたパンキッシュな存在感が唯一の救いではある。
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夏が来て、冬が往く
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俳優
小川あん
ドラマ的演出でプロットもありきたり。主人公の女性は恋人からのプロポーズに躊躇う。生き別れになっていた実父の死。隠されていた姉弟。人物描写が表面的で、展開が引き延ばされすぎていて、苦しい。自国の社会のひずみにスポットを当てるならば、これだけの重要なテーマを綺麗に収めてはいけないと思う。フレームに動きを加えるためだけにカメラがズームされている箇所が多くあったのも残念。完璧にすることを意識せず、作家性を探すところからトライしてみたほうが良かったのでは。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
演技のつけ方も話の運び方も、ところどころのカットつなぎも、もっさりした感じがしてどうにもなじめず、ついには作品のメインの主張を登場人物がそのまま口に出してしまうのでいよいよ頭を抱えてしまったのだが、風光明媚な地方都市をとらえた超ロングショットと、この土地特有の風習や儀式の描写が、作品の大きな魅力であるのは間違いない。また、これほど女子が歓迎されない社会にあって、女の子をふたりも引き取った主人公の養父はどんな人だったのか、それを思うと心を揺さぶられるものがある。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
風光明媚な中国の海辺の街を舞台に、養子に出された女性が生家の家族と過ごす数日間のドラマ。大都市に生きる主人公と地方都市の対比、世代の対比などを織り込みながら、現在の中国的家族像を描く。話に大きなドラマ性があるわけではないので、映像力やモダンなセンスなどが問われる内容なのだが、デジタルカメラによるのっぺりとした映像と工夫のない展開で、あえて劇映画にする意図が見えず。撮影は中国で、仕上げ作業は日本でという中日共同作品だが、共同作業の利点が反映されていない。
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占領都市
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映画監督
清原惟
コロナ禍のアムステルダムと、第二次世界大戦中ドイツに占領されたアムステルダム、二つの時代の街を重ね合わせたドキュメント。外出制限がかかり、店が閉まって閑散としていたり、集会に集まった人たちが警察に止められている様子は、戦時中の街の緊張感とわかりやすく重なっていく。ドイツ政府に殺されていったユダヤ人たちの暮らした場所、逃げ隠れた場所。子どもが運河でスケートをする楽園のようなアムステルダム中に、今でもその場所はあるのだということを焼き付けられる。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
アムステルダムにはフェルメールの《デルフトの眺望》を思わせる歴史的建造物がいまだに点在しているのに驚かされる。映画はその風光明媚な〈場所〉のディテールを切り取りながら、占領下にそこで起きたナチス・ドイツのおぞましいユダヤ人虐殺の克明な記録が延々とナレーションで被さる。S・マックイーンは平穏な日常のスケッチという〈画〉と抑揚を欠いた淡々とした〈語り〉という乖離を意図的な方法として選び取り、〈記憶と現在〉の抜き差しならない関係をめぐって瞑想に耽っている。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
“現代と過去”=“映像と言葉”を対置させるコンセプト、さらに圧倒的長尺から(敷居の高さを感じさせるという意味での)現代アート寄りの作品なのでは……と勝手に身構えていたのだが、実際は驚くほどに親密なアムステルダムという街のポートレート。個人的には教科書的知識とポール・ヴァーホーヴェンやディック・マースらの映画的記憶だけでフィクショナルに捉えてしまっていたオランダという国の歴史と現実に接続して同一化するにあたり、長大な上映時間にも確かな意味があった。
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私の想う国
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映画監督
清原惟
パトリシオ・グスマン監督の新作は、チリで2019年に起きた社会運動を捉えている。特定のイデオロギーを持たない民衆によって、組織化されない改革運動が広まったことにまず衝撃を受ける。女性たちが主体となっていた活動も力強く、それを情熱的な視点で捉えるカメラも素晴らしかった。タイトルにも込められている、作り手の祖国への想いが映像にも乗り移っている。「チリの闘い」の時代を重ねながらも、現代の人々にかつて成し遂げられなかったことを託すような、祈りが込められた映画。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
50年前の「チリの闘い」以来、パトリシオ・グスマンはチリの現代史を記録する唯一無二のドキュメンタリストだ。本作は2019年、首都サンティアゴで地下鉄料金の値上げ反対の暴動が燎原の火となり、150万人もの民衆が軍隊、警察と市街戦を繰り広げるさまを描く。映画で常に可能性の中心にいるのは、家父長制を否定する4人の詩人ほか数多くの女性たちだ。監督はその痛切な声に深い共感と希望を見出している。〈革命〉というワードが現在進行形で生々しいリアリティを帯びているのも特筆されよう。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
女性中心の社会運動でチリに決定的な変化が訪れた瞬間を捉えた、希望とオプティミズムに満ちた力強くも美しいドキュメンタリー……なのだが、この作品を観ながらどうしても脳裏をよぎるのは“その後”の現実である。2022年に製作された本作が示したような価値観への反発・バックラッシュが、チリのみならず世界的な趨勢となっている事実を無視できない2024年――。パトリシオ・グスマン監督が想像した希望が単なる“記録”に終わるか終わらないかの瀬戸際であることを強く意識させられる。
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キノ・ライカ 小さな町の映画館
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俳優
小川あん
フィンランドの巨匠、アキ・カウリスマキが自ら地元のカルッキラの工場の跡地を改装し、夢のような映画館を設立するまでの記録。次第に形になるにつれて、地域の文化・芸術に対する意識も同時に再構築されていく様子が描かれる。まるで映画制作そのもののように、プロジェクト自体が地元の人にとっての大きな物語になる。まるで、映画の登場人物のようにユニークな人々は自分たちがただの観客でなく、新たな文化の誕生に関わる当事者であると気づく。本作を観て、改めて映画館を失ってはいけないと強く思い直した。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
地方に移り住んだ映画監督が住民と活動を始めることで、その地の映画文化が豊かになる例は各国にあるけれど、本作で描かれているのもそのひとつだろうか。とはいえここには、カウリスマキを受け入れる文化的土壌があらかじめあったようにも見える。さびれて停滞した田舎町を想像してはいけない。若い女性や子どもの姿も多く見られ、新しいものが生まれそうな空気が充満している。それにしても、誰も彼もが「アキ」の名を、なんと楽しそうに口にすることか。カウリスマキ自身の変わらぬ仏頂面も最高。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
カウリスマキがフィンランドの地元に作った映画館を巡るドキュメンタリー。彼自身も工事に取り組む様子やカウリスマキ組の俳優たち、ジム・ジャームッシュなども登場し、各々がカウリスマキさらには映画への思いを語る。本作はカウリスマキ監督作ではないが、独特のオフビートなムードは共通。さまざまな言語が飛び交い、日本語による古びたムード歌謡な曲が流れ、地球の辺境で資本主義から降りた人々の映画を巡る交流を慈しむように描く。スペクタクルとは対極の、オフであることの豊かさに魅了される。
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映画「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」
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ライター、編集
岡本敦史
普通の芝居や日常的なシーンでは、記録ミスかと思うレベルでぎこちなさや間の悪さを感じさせるのは何故なのか。それに反して怪異や非日常を描くときの演出は淀みなく手慣れたもので、そこまで極端な作風だっけ?と思ってしまった。故に異界の住人に扮する天海祐希、上白石萌音は当然のごとく輝いており、一見冴えないヒロイン役の伊原六花は狂乱シーンで俄然光る。そんななか善良な凡人をひたむきに演じて好印象を残す大橋和也は、日本のコン・オニール目指して頑張ってほしい。
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映画評論家
北川れい子
中田監督による児童向けホラー? ファンタジーといえばそれまでだが、キャラも仕掛けも話も大人が観るには、ツラ過ぎる。原作はすでにアニメ化もされているそうだか、その駄菓子屋に行くと自分の願いが叶う菓子類が手に入るというゆるい安易さは、幼児ならともかく、尻がムズムズ。駄菓子屋の店主が「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の孫娘ふうなのも、いまさら感が。子ども向けでも大人も一緒に楽しめる映画は少なくないが、本作は思いっきり大人は置いてきぼりで、天海祐希、お疲れさま。
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映画評論家
吉田伊知郎
息子と幼児番組を見るようになって一番ハマったのがアニメの「銭天堂」。人間の弱みや悪意が巧みに描かれているだけに、この監督と脚本家が実写化するならトラウマ・ジュヴナイルを期待したくなる。だが、オムニバスではなく、新人教師と関係ある人物のみで描かれるだけに、突き放したオチにも出来ず微温的になってしまう。映画なのだからクライマックスは銭天堂大爆破ぐらい見せてほしかったが。松坂慶子と見紛う天海祐希の紅子は、ここまでするなら松坂慶子で良かったのでは?
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はたらく細胞
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ライター、編集
岡本敦史
前半のコスプレ学芸会的ノリはしんどいが、後半で思いがけずハードな戦争映画然としてきてからは俄然良くなった。「ミクロはマクロに相通じる」という実感は年々強まるばかりなので、人体に起きる致命的な内乱や悲壮な抵抗運動は、地上の戦禍、あるいは壮大な循環システムをもつ地球史にも重なって見えてくる。だから、この星も自分のカラダもどっちもいたわろうぜ、と訴える教訓的娯楽作として楽しんだ。終盤の終末ヴィジョンのクオリティに、ツインズジャパン作品らしさも感じたり。
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映画評論家
北川れい子
「翔んで埼玉」の武内監督によるさしずめ“翔んで細胞”“翔んで悪玉菌大騒動”! ただ人気コミックだという原作を知らずに観たこちらとしては、CGを駆使したカラフルな体内空間を飛び跳ね、走り回るコスプレ調擬人化キャラのケタタマシサにひたすら脱力。この辺り「翔んで埼玉」と共通する。それでも武内監督は健康な体内を平和国家?に見立て、そこに入り込んできた悪玉菌が国家転覆を企てる危ない存在風に演出して話は進めているが、紅白コンビより悪玉菌たちの方が痛快なのはどうよ。
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