映画専門家レビュー一覧
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大きな家
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映画評論家
北川れい子
この児童養護施設では、幼児たちは別にして小学生になると個室に移る。一般家庭の子ども部屋と変わらない。さらに男子、女子と分かれているが、一棟に5~6人の子どもたちが職員と共同生活をしていて、職員と一緒に自分たちの食事作りをしたりも。竹林監督は、ときには叙情的映像を挟みながら、ここで暮らす子どもたちの日常を四季それぞれに記録していくのだが、監督の問いに、ここは施設、家庭とは違う、と淡々と応じる子どもが何人もいて、その本音の重さに改めて家族の不在を実感する。
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映画評論家
吉田伊知郎
過度にドラマチックにするわけでも、絆や感動を押しつけがましく作り込むわけでもなく、淡々と日常を切り取るのが良い。さまざまな事情を抱える子どもたちへの踏み込みすぎない視点は、場合によると淡白すぎると思えるかもしれない。だが、施設は実家ではなく、あくまで施設にすぎず、同居人たちは疑似家族ではなく、あくまで他人であるという当事者たちの達観した眼差しを前にすれば、こうした作りになるのも必然に思える。むしろ作為性を捨てて撮ったからこそ現れる無機質さが好ましい。
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劇場版ドクターX
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ライター、編集
岡本敦史
人気ドラマの劇場版というと、やりたいことは大体テレビでやり尽くしたあとに作られるパターンが多いと思うが、これも多分そんな一本。もともとのファンには延長戦的に楽しめるだろうし、未見の観客も「こんなのがウケてたんだ」と眺める気分で退屈はしない。ただ、レギュラードラマ部分のおちゃらけぶりと、手術シーンの大真面目さのギャップには戸惑った(当然「M★A★S★H」の諷刺はない)。同業の芸達者陣に囲まれて楽しそうに演じる西田敏行の雄姿を見届けるために足を運んでもいい。
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映画評論家
北川れい子
人気ドラマと聞いて何度かチラ見をしたことはあるものの、しっかり観たのはこの劇場版が初めてなのだが、強気で冷静沈着な外科職人・大門未知子のキャラに、かなり“浪花節”的資質があるのを目撃。そうか、だからお茶の間受けが良かったのね。今回もお馴染みの大学病院を舞台にいくつもの因縁や思惑が絡んで進行、これがまた村社会的な賑々しさで、脚本も演出、演技も堂々と右往左往。冒頭のエピソードと後半の大手術は、現実にはありそうもなさそうだが、未知子の見せ場としてはこれもありか。
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映画評論家
吉田伊知郎
TVシリーズ未見につき予備知識なく接したが、各キャラが完成しているだけあって、自然と没入できる作りに安心する。往年のスターがカメラに向かって目を剥いてオーバーな演技をしたのと同じく、開腹した患者を覗き込んで目をカッと開く米倉の表情に価値あり。内田有紀とのコンビも良く、2人を見ているだけで愉しい。しかし、田中圭が米倉の故郷を尋ねて過去を探るのは唐突で、劇場版用の水増し感が強い。痛ましさなど無縁に座ったままでも躍動して笑わせる西田敏行が忘れがたい。
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ファイト
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文筆家
和泉萌香
世代のせいかプロレスにはまったく明るくない私。約8年間の取材をとおして構成されたドキュメンタリーとのことだが、大仁田厚氏のキャリア初期のフッテージは用いられず、描かれるのは近年の状況と周囲の人々の大仁田にまつわる思い出や証言、彼らそれぞれの話などで、肝心の大仁田というレスラーの歴史やいまここに至るまでの輪郭が?み難い。タイトルづけされた各チャプターも有機的に繋がっているとはいえず、うちうちの記録と物語にとどまってしまっている。
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フランス文学者
谷昌親
大仁田厚の魅力が十二分に描かれているドキュメンタリー映画である。だが、映画のなかでその魅力を語っているのは、もともと大仁田厚の賛美者だった人たちであり、そうした賛美者ばかりが登場する映画なのである。大仁田厚やプロレスにさほど興味のない人間の眼からすると、どうしても内輪褒めのように見えてしまう部分があるのは否めない。自殺する若者が増えているという重要な問題にも結びつけようとしているが、そうした問題を扱うだけの材料を充分に提示しているとも思えない。
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映画評論家
吉田広明
プロレスラーのこれまでの軌跡を描くドキュメンタリーということだが、この人にまったく関心がない者にも届く作品かといえばそうではないというしかない。彼をめぐる人のインタビューを見てもこの人の存在に興味が生じることは少なくとも筆者にはなかった。映像的にも、例えば子どもがいなかったジャイアント馬場に実子のようにかわいがってもらったとのナレーションで、まったく関係のない親子の映像を流す。そんな映画。関心がある人だけ見ればいいのではないか。
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モアナと伝説の海2
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俳優
小川あん
モアナがすべての海を繋ぎ、そしてまだ見ぬ人々を探し、航海に出る壮大なストーリー。結果、すべてを成し遂げて、故郷にもどる。全方位から船でモアナに会いにくる各島の村人たち。この姿形が私たちの世界にもあってほしいと、ファンタジーとアニメーションの力で思い知らされた。先祖を敬い、自然と共存する人たちは音楽と踊りで団結する。現代社会はそこからどんどん遠ざかっている。だからこそ、ディズニーが作り出す、この小さくて、でも愛に溢れた勇敢な女性像が必要なのだ。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
偉大な先人が生涯かけても達成できなかった危険な旅に、軽々しく友人たちを巻きこむところで「おいおい」となったが、ことの重大さをその後主人公にきっちり学ばせ、そのうえで物語をしっかり本筋に戻す安心設計。「お姫様(族長の娘)でないと主人公になれないのか?」という限界はあるけれど、このエンパワメント具合はやはり素晴らしい。マウイ(CV:ロック様)が、容貌と関係なく二枚目に見えてくるキャラ描写もさすが。動くタトゥーのミニ・マウイも、ココナッツの海賊も、可愛くてかっこいい。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
ポリネシアの神話を基にしたディズニー・アニメ「モアナと伝説の海」の続篇。少女モアナが島の未来をかけた冒険の旅に出る。お供を連れて困難に立ち向かうという冒険譚の元型(アーキタイプ)をディズニーらしいミュージカル込みのジェットコースター・ムーヴィーに仕上げているが、悶絶しそうなほど話が陳腐で、映像がひたすら乱高下する構成のため、三半規管が狂いそうになる。子供向けのアトラクションに深い物語やメタファーなんかいらないと開き直った製作態度が腹立たしい。
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クラブゼロ
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文筆業
奈々村久生
ハーメルンの笛吹き男伝説を現代に移植したような、あるいは「ピクニック・アット・ハンギングロック」の系譜に連なるストーリー。ミア・ワシコウスカの硬質な佇まいが教師という立場の特殊性と潔癖な思想に説得力を与えている。思春期は世の中の複雑さや理不尽さに触れて極端な考え方に偏りやすい時期。男女共通の制服やセットデザインの洗練はウェス・アンダーソンの世界を彷彿とさせるが、それはつまり自らの美意識に反するものを徹底的に排除した排他的な空間であることを意味する。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
恐ろしい映画。不食実践カルトは昔からあるが、これはまさに現在の、日本やアメリカの選挙戦、トランスジェンダーについての考えかたや、フェミニズムについての考えかた等々、自分の感情の傷を癒やすものだけを、いつのまにか暴力的に信じてしまった者だらけになった状況の隠喩だ。リベラルとネトウヨどっちがバカかという話ではない。ほとんどの人類は自分の身体と「えらそうでキモい親」が嫌いだし、さみしくて苦しい我々(そう、我々だ)は真理と真実で洗脳されて死ぬことを欲している。
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映画評論家
真魚八重子
食べないことの行く末が死なのは自明で、それを教師と生徒たちが実践するのは、カルト教団の集団自殺と違わない。他の命を奪わず、雑多なものを身体に入れず、まるで透明な存在のようになりたい理想もわからなくはないが、でも好みの食と出会えなかっただけと言うカフカの『断食芸人』の突き放し方に比べると、まだ気取っている。吐瀉物を食べる不快な描写も、個人的にはまったく正視に耐えないが、やりきる心づもりは評価する。お洒落な色使いと装飾で映画を縁取る美学はある。
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正体
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ライター、編集
岡本敦史
最初は豪華キャストとシリアスな語り口に目を奪われるが、徐々にリアリティのない展開が目立ち、鼻白む。冤罪というテーマは、袴田巖氏の無罪確定のおかげでまさにアクチュアルな題材のはずだが、いまどき「あの人がそんなことするはずない」「信じてるから」といった人情劇に終始するのは古風に過ぎる。物語の核となる冤罪の形成過程もさすがに甘い。韓国映画を意識したような映像演出もあるが、力技に頼らず確固たる作品理解で「最適な語り口」を見出す本質までは模倣できていない。
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映画評論家
北川れい子
緩急のある手際のいい演出につい身を乗りだす。がいくら娯楽サスペンスという枠の中での話であり設定だと分かっていても、主人公の扱いの乱暴さにはさすがにオイオイ!日本の警察が犯人をでっち上げることは今さら珍しくはないが、一家3人殺しの容疑で逮捕された主人公は、そのままズルズル死刑囚に。その彼が逃亡しての1年間で、TPOに合わせた変身はまさにプロ級、演じる横浜流星、目立たず、騒がず、黙々と、髪型や目つきまで変えて映画を引っ張っている。でもやっぱり乱暴な印象は拭えない。
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映画評論家
吉田伊知郎
原作未読で予備知識なく目にしたので、別々の俳優が同一人物を演じていると信じ込んでしまった。横浜流星の見事な演技の変化は、顔の骨格まで別人に錯覚させてしまう。袴田さんの無罪や、八田與一の逃亡ともリンクするタイミングの公開だけに、現実を上回る虚構を見せて欲しかったが、古典的な“逃亡者もの”に収まった感。前半は犯人情報の提示がTVを通してばかりなのも単調。不利な証言をする重要目撃者の女性や、痴漢冤罪事件など、女が男を陥れるという構図の強調が気にかかる。
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ザ・バイクライダーズ
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俳優
小川あん
’60sの伝説的モーターサイクルクラブの軌跡。完全な物語に寄らず、その中心にいたベニーの妻、キャシーによるインタビューから軌跡を追うことになる。この形式がますます傍観者として、憧れ・ロマンを掻き立てる。キャシーが走馬灯のようにあの頃の青春を浮かべれば、男のロマンが女のロマンにもなり得るのだ。ベニーのような夫を、わたしもあのような形で苦しみを感じながらも、愛してしまうと思う。ジョディ・カマー、オースティン・バトラーも最高に尽きる。推しのコンビに+★1
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翻訳者
篠儀直子
男ふたりと女ひとりのトライアングルで、中心となるのは(取り合いの対象になるのは)オースティン・バトラーだが、物語自体の中心は若い夫婦ではなく、枯れた魅力と色気が共存するトム・ハーディ。題材から想像されそうなアクションや、バイク走行の疾走感よりも、時代の変化と人生の機微、人物の心理の交錯が作品の主眼。俳優の表情をとらえたクロースアップで、しばしばカット尻を長く残しているのが効果を上げる。「チャレンジャーズ」に続き、マイク・フェイストの柔らかい個性が映画を温める。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
60?70年代のシカゴのバイクライダーを捉えた同名写真集にインスパイアされた作品で、アメリカの暴走族グループの栄枯盛衰を描く。カリスマ的リーダーをT・ハーディ、グループ内一匹狼をA・バトラーが演じ、骨太の不良の美学を濃密に描く。劇中にマーロン・ブランドが暴走族を演じた「乱暴者」が紹介され、ハーディがブランド、またバトラーは往年のジェームス・ディーンを彷彿させる。男らしさや不良は今やノスタルジーだが、この命懸けのノスタルジックな美学は魂を揺さぶる。
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