映画専門家レビュー一覧
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アイミタガイ
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フランス文学者
谷昌親
善い人ばかりが出てくる小説は嘘くさいと思ってきたが、いまは信じたい、と作中人物のひとりが述べる。実際、この映画には善人ばかりが出てくるのだし、その善人たちが偶然の作用でつながっていく美しい物語となっている。人生に希望を抱かせてくれる一方で、きちんとした人物造形と手堅い演出が印象的な映画でもある。だがそうしたすべての根源にひとりの人間の死があることを、この映画は本当に突き詰めているのだろうか。きれいなベールでくるむことになってはいないだろうか。
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映画評論家
吉田広明
ウェルメイドな人情群像劇。知った同士が助け合うのではなく、知らない人にどこかで助けられていたことにそれぞれが気づく。各人物を繋いでいる不在の存在を中心にまるでスライドパズルのように全体像が動き、最後に完成する。不在が現存を動かすという機制は、当初の監督の死去に伴い、現監督が引き継いだという製作過程にも表れていて、その形式内容の一致に驚く。エンドタイトルで、主演の黒木が荒木一郎のTVドラマ主題歌を歌う選択にもグッと来た。
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ヴェノム:ザ・ラストダンス
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俳優
小川あん
初ヴェノム。ご無沙汰マーベル。飽きさせないのは、凄い。ただ、いつも気になるのがシリーズものは遡ったら、初期が一番面白いこと。本シリーズでいえば、初期の地味さが、人かエイリアンかそのどちらの描写に注視するかの迷いが見えて、個人的には、そちらのほうが面白かった。キャラクターとしての人気から、ヴェノムの存在が派手になる。それにつれて、周囲の人物が死闘バトルのために出動する派遣要員にしか見えなくなってしまう。その時はその時で、盛り上がりはするのだけれど。
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翻訳者
篠儀直子
ファーストシーンの見せ方があまりにぱっとしないので、早々に「こりゃだめだ」となり、キャラクターの魅力とコミカルなシーンで興味をつないで観ていたら、登場人物全員エリア51に勢ぞろいしてからの怒濤のバトルスペクタクルが意外によくできていて、突然評価が爆上がり。『ムー』を愛読していそうなおじさんが率いるファンキーな一家が、もう少し本筋にからんでもよさそうだけど。エディとヴェノムの掛け合いは今回も楽しく、いつまでも見ていたくなるコンビなのだが、ほんとにこれでラストなの?
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
マーベルコミックのダークヒーロー「ヴェノム」シリーズ3作目。地球外生命体の創造主である邪神ヌルが登場し、主人公エディとヴェノムがメキシコ?アメリカと国を越えて闘いを繰り広げる。本シリーズはトム・ハーディ演じるエディと彼に寄生するヴェノムのコミカルな二人羽織/腹話術状態が売りなのだが、それがかなりマンネリ化。アクションはほぼVFXに依存しているのでドキハラするわけでもなく、VFX二人羽織漫才、しかもネタ切れに付き合わされている気分になる。
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ゴンドラ(2023)
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文筆業
奈々村久生
空の上ですれ違う二台の赤いゴンドラ。交わる視線。交互に訪れる停留所で指し合うチェスの対戦。 二人の女性乗務員の交流がセリフなしで語られる、一目見ればそれとわかるスタイルは「ツバル TUVALU」などのファイト・ヘルマー監督のもの。更衣室での目撃カットから漂うそこはかとなく官能的な匂い。山あいに生きる人々の生活音が音楽を奏でるミラクル。シンプルでミニマムなコミュニケーションの限りない豊かさ。夜の闇に浮かぶライトアップされた車体が彩る密会は涙が出るほど美しい。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
セリフがなくなるだけで我々観客はこんなに目を使うようになり、こんなに画面の情報量が増すものなのか。ちょっと衝撃だった。すべての脚本家と監督は(まあアニメだと商業的に難しいだろうが)台本をつくりながらセリフというものは本当に必要なのか、セリフがなかったらその物語は成立しないのか、一度は真剣に考えてみるべきなんじゃないか。セリフがないと恋愛というものが成立していく過程がゆっくりゆっくり感じられる。ただ寓話なだけに「悪役」は割をくってて可哀想だな、とは思った。
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映画評論家
真魚八重子
山の谷間を交差する二つのゴンドラ。それぞれに乗る二人の女性添乗員は、すれ違うとき互いに悪戯をして楽しむ。全体に他愛もないが、その様々な意匠の凝らし方が、可愛らしい企みで微笑ましい。彼女らの恋が距離を縮めるにつれて、地上も巻き込んだ祝祭となっていく。男性同士の恋愛だと、こんなに屈託のない作品にはならず現実の苦が滲む。幸福感だけに満ちた男性同士の愛の映画の不在と、男性監督にとって女性同士の恋愛は、結局ファンタジーであることの露呈を同時に感じる。
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DOG DAYS 君といつまでも
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映画監督
清原惟
何匹かの犬と何人かの人間たちの群像劇。娯楽的なタッチでありながらも、それぞれの人物が丁寧に描かれている。動物病院の院長先生や大御所建築家など、信念を持って働く女性たちが出てくること、その社会的立ち位置が見えてくることにも好感を持った。初めはめちゃくちゃ嫌な人だった動物病院のオーナーがいろいろなことを経て改心するのは、エンタメ的ご都合主義にも見えなくもないが、人は変わることができるのだというきらめきも感じた。動物たちの芝居がとにかくすばらしかった!
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
犬の映画といえば「トッド・ソロンズの子犬物語」や「ほえる犬は噛まない」を思い浮かべるのは少数派だろうか。どちらも愛犬家からみれば正視しがたい酷薄でブラックな受難劇。やはり本作のような登場人物がすべて〈善意〉というオブラートで包まれたヒューマンドラマこそが本流だろう。ある動物病院を舞台にそれぞれ階層も違う老若男女が交差しながら予定調和な大団円へと辿りつく。地味めなキム・ソヒョンとユ・ヘジンの恋の行方を含め、どこかウェルメイドな模範解答の味気なさも。
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映画批評・編集
渡部幻
現代における犬と人間の共生のヒューマンコメディ。日に日に家族のかたちは多様化している。共に生きれば犬も猫も家族であり、亡くせば片腕をもがれたような喪失感を感じる。人と同じように葬式をあげることも増えたが、資本主義的な発想や伝統的な考え方、何より凝り固まった人の意識が、その変化に追いつかないことがある。この映画は、人間の養子と保護犬、迷子犬の課題を重ね、死別、安楽死などのエピソードにリゾート開発の問題を盛り込んでお涙頂戴だが、人も犬もみな丸く収まるという娯楽作。
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ノーヴィス
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映画監督
清原惟
大学でボート部に入部し、異様なまでに勝ちに執着する主人公の心理を描く作品。はっきりとは明かされないが過去のトラウマによる傷を抱えている彼女の心のうちを、スポーツという行為を通して紐解いていくアプローチに惹かれる。部活内での人間関係の話と思いながら見ていると、急に彼女には見えていない物事の側面が現れて、自分自身が彼女の世界に閉じ込められている閉塞感と、妙な高揚感を感じていた。彼女の感知する世界を、音を使って表すのは古典的ではありながらも没入感がある。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
ふと虫明亜呂無の『ペケレットの夏』が脳裏を掠める。競漕に魅せられ、自ら得体の知れぬオブセッションに取り憑かれたヒロインからいつしか目が離せなくなる。仲間との軋轢、嫉妬、統御しがたい内攻する感情の奔出。反復される、朝まだき河川のトレーニングの光景がすばらしい。素肌にまといつくような豪雨、水と大気の匂い、筋肉の弛緩、水面を滑走するオールの官能的な肌触りが生き生きと伝わってくる。異化効果のようなB・リー、C・フランシスの甘い60年代ポップソングも特筆ものである。
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映画批評・編集
渡部幻
一般的なスポーツ映画ではないことは、「エスター」のイザベル・ファーマン主演から想像していた。大学のボート競技ローイングの訓練に取りつかれた女性の強迫観念を観る者に追体験させる視聴覚的な緊張感が、同時に新鋭監督ハダウェイ自身の衝動を感じさせて特異である。アロノフスキーの「ブラックスワン」の影響は明らかだが、しかし、この主人公の狂的な完全主義は、特訓映画にありがちな外的な圧力に起因するものではなく、完全に内的な強迫観念に起因している。この点にこの力作の現代性があった。
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八犬伝(2024)
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ライター、編集
岡本敦史
最初に始まる「八犬伝」パートのムードのなさに、大丈夫か!?という不安を覚えるが、滝沢馬琴パートに入ると役所広司の芝居だけで十分引っ張るので早々に印象はよくなる。撮り方が平板なところもあるが、物書きの仕事場を描く物語の宿命でもあろう。馬琴と鶴屋南北が芝居小屋の奈落で対峙するシーンが何しろ出色。「八犬伝」パートも文字どおり役者が揃うと俄然覇気が宿り、監督得意のVFXアクションも上々。家族の悲劇と背中合わせの古風なクリエイター賛歌として見応えがあった。
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映画評論家
北川れい子
まずは力作である。美術セットや特撮もそれなりの大仕掛け。「八犬伝」といえば、いまや世界の真田広之も「里見八犬伝」(83年/深作欣二監督)で〈仁〉の霊玉を持つ犬士を演じていたが、今回の原作は山田風太郎。江戸の戯作者・滝沢馬琴が28年かけて伝奇小説『南総里見八犬伝』を完成させるまでの身辺話をベースに、その都度、いま書き上げた部分の怪奇譚を映像化して進行、途切れ途切れで緊張感には欠けるが一挙両得感も。「八犬伝」に託した思いを口にする役所広司の抑えた演技はさすがのさすが。
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映画評論家
吉田伊知郎
牧野省三に始まり、東映時代劇、さらに「宇宙からのメッセージ」「里見八犬伝」へと深作欣二が翻案した話を、VFX畑の曽利が撮るなら意味があると思えたが、さにあらず。原作同様に滝沢馬琴と八犬伝パートが交錯するのが目新しいが、虚実の世界が侵食し合うわけでもVFXが両者を接合させるわけでもないので、二部構成以上のものを感じず。鶴屋南北の芝居を見るくだりに「忠臣蔵外伝 四谷怪談」を思い、エネルギッシュに映画へと転換させた深作のことばかり思い浮かべてしまう。
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ゼンブ・オブ・トーキョー
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文筆家
和泉萌香
坂道グループのメンバーはもう今や2000年代生まれがほとんどなのかとビビる。浅草や竹下通りなど、観光客でいっぱいの実際の場所に溶け込んでいる撮影は、プレスによるとロケの日数がかなり限られていたとのことで、修学旅行ならではのドタバタなタイムテーブルとマッチして効果的。青春映画として以前に、日向坂46とアイドルファンのための映画といえばもうそれまでかもしれないが、彼女たちそれぞれのキャラの立ちっぷりもチャーミングで、気楽に楽しめるエンタメ作。
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フランス文学者
谷昌親
修学旅行で上京した女子高生たちがそれぞれ東京の街をさまようという設定はそれなりに映画向きであり、東京各地の風景も悪くなく、女子高生たちの個性も表現できてはいる。映画史にはすぐれたアイドル映画も存在するのだから、女子高生たちを演じるのが演技経験のほとんどない日向坂46のメンバーであることもさほど問題ではない。しかし、女子高生たちが東京の風景のなかにただ点在するショットの集積にとどまり、それらが有機的に結びつかない作品になってしまっているのが残念だ。
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映画評論家
吉田広明
修学旅行に来た女子高生たちが、班長の統率を逃げ出して各自勝手に行動し始める。アイドルグループに何の興味もない身としても、わちゃわちゃした群像劇として面白く見られたのは確かだ。ただ、題名になっていながらトーキョーが新鮮に見えてくるわけでもないのは、それだけ東京の都市としての魅力が薄れている現在をドキュメンタリー的に反映していると言うべきなのか。ならば別の場所でもよかったし、その地に新たな視点を与えることの方が映画は輝いたのでは。
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