映画専門家レビュー一覧
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はじまりの日
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映画評論家
吉田広明
一度地に堕ちた歌手と、同じく底辺に沈んでいた女性が、共に助け合い、歌によって再び活路を見いだす。舞台は日本の地方都市、主人公らが住むのは路地のアパートだが、女性が歌うのは英語、しかもその歌詞は前向きで多幸感に満ちており、なおかつ歌い方も朗々、ミュージカル風に演出される部分もあって、ほとんどディズニー作品のように聞こえる。泥臭い物語と歌が水と油、昭和の平屋住宅にシンデレラ城が乗っかっているようだ。「PERFECT DAYS」を連想させるのも不利に働く。
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若き見知らぬ者たち
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ライター、編集
岡本敦史
壊れかけの家族を描いたからといって、映画自体がバラバラになってしまうのは如何なものか。クライマックスの試合シーンは確かに迫力あるが、作品に貢献しているかというと疑問。映画制作には時間がかかるので、おそらく今の日本の若者を苦しめている問題をリアルタイムで描いたら、また違った中身になっただろう(困窮と政治批判が全然絡まないのはさすがに不自然)。また、コロナ禍を経て映画料金が2000円に跳ね上がったあとの企画なら、こんな鬱屈した作劇になったろうかとも思う。
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映画評論家
北川れい子
時代の気分をリアルに描いた内山監督の前作「佐々木、イン、マイマイン」は、世間に向かってザマアミロ!と一緒に叫びたくなるような青春群像劇だったが、今回は話が無理無理過ぎて、いささか置いてきぼり状態に。父の残した借金と精神が病んだ母を抱えてギリギリに生きている兄弟の話で、それでも兄には献身的な恋人やよき友人もいるのだが、とんでもない悲劇に。弟が総合格闘技の選手で試合の場面はかなり演出に力が入っているが、世間の理不尽さを描くにしても設定の強引さはやはり気になる。
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映画評論家
吉田伊知郎
前作と同じく内山監督が造形する世界には瞠目するが、これでもかと不幸が背負わされ、重苦しい空気が沈殿するので疲弊する。社会や権力への憎悪が希薄なせいか、主人公たちを不幸にさせているのは他ならぬ作者ではないかと思わせる作為性が気にかかる。一方、この窒息しそうな世界を、手綱を締めたま描き切る手腕が突出しているのも認めないわけにはいかない。生と死の境界が不意に越境して画面に出現する瞬間や、終盤の総合格闘技場面の技法も装飾もかなぐり捨てた描写が印象的。
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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
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俳優
小川あん
ジョーカー、またの名、アーサー・フレックについに終止符。ホアキン・フェニックスの俳優としての居方は真に感銘を受ける。人間離れした表情、身体性、重心のずれ、初作では、ジョーカーを追求し、演じ切った。次ぐ本作は、当人が映画の中でリーと共に歌っていた、まさに愛のエンタテインメント。人間を描くなら愛を探究するのは分かる。が、もったいない。ジョーカーとして、生まれ変わった後に、普遍的な感情に揺さぶられてほしくなかった。興奮が足りなかったのは逸脱しなかったからだろう。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
ジョーカーに「過去」や「内面」を付与してしまったのは前作限りしか通用しないことで、絶対無理が来るけどどうするんだろうと思っていたら、形式面(ちょっと「オール・ザット・ジャズ」っぽい)でも内容面でも、やっぱこうするしかないよねという作品に。ジョーカーとアーサーとに主人公が引き裂かれるさまも、前作のほうがよく描けていた気がするけれどどうだろう。ガガ様の影が思ったより薄いが歌は最高。個人的には「バンド・ワゴン」の上映プリントが無事だったかどうかが気になって仕方ない。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
「バットマン」に悪役で登場するジョーカーの誕生秘話を描いた「ジョーカー」の続篇。前作で逮捕されたアーサーは刑務所の中でリーという謎の女性と出会う。全米が注目するアーサーの裁判が始まり、彼の二重人格性に焦点が集まる。レディー・ガガ演じるリーが大きな役割を占め、二人の妄想ミュージカルが全篇にちりばめられた続篇は、人々がカリスマやエンタテインメントを切望することへのスペクタクルな批評だ。今シェイクスピアが生きてこれを観たら、泣いて悔しがるであろう、時を超える悲喜劇の傑作。
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リリアン・ギッシュの肖像
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文筆業
奈々村久生
映画界の黎明期とサイレント時代を支えた大スターである先輩にジャンヌ・モローが迫った貴重なインタビュー映像。特にグリフィスに関する話は興味深く、スペイン風邪が流行った「散り行く花」の撮影当時、監督が罹患せぬようマスクを着用して臨んだ現場から指でスマイルを作る芝居が生まれたエピソードは、コロナ禍を経た今こそ響く。女性が働いて自活することが困難だった時代に生涯独身を貫いたギッシュが、孤独についての質問に「プライバシーは唯一の贅沢」と答える姿が美しい。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
映画創成期に、出演者の顔の美しさという「武器」が、クローズアップの技法を育てた。リリアン・ギッシュという美しすぎる眼と唯一無二の瞳の角度をした女の子が存在したから、その技法が観客の心に定着した。AVを撮っててもいつも思いますが、どんなジャンルの今では誰にでも知られた技法も、それを世界で初めてやった人がいて、それを世界で初めてやらせた人(思いついて命じてやらせた人ではなく、その人の存在に吸い込まれるように、やったほうは思わずやってしまった)がいるのだ。
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映画評論家
真魚八重子
リリアン・ギッシュは素朴な役柄でしか観たことがなかったため、インタビューの席に赤と黒の瀟洒なチャイナ服で現れた姿に、女優としての矜持を改めて認識した。まさにハリウッドバビロンの時代に清楚な佇まいでいられた精神が、いかに強靭であったかを思い知る。グリフィスを尊敬しつつも、数年間共同作業をした恩師にすぎず、映画より舞台俳優であったことが印象付けられる。監督で聴き手のJ・モローは様々な角度から微笑むショットがあり、尋ね方は謙虚だが、自分の見せ場作りに余念がないのはさすが。
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二つの季節しかない村
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映画監督
清原惟
夏と冬しか存在しない村での、閉塞感に包まれた人々の生活を描いた作品。主人公の男性は、かなりどうしようもない人間だが、それで得をするわけでも裁かれるでもなく、一人の住人として怠惰に生きている。時折挟まれる誰とも知らない人々のポートレート写真を見て、まさに主人公がその一人にもなりうる、市井の人であるに過ぎないことを示しているのだと思った。ただやはり彼にはどうしても嫌悪感をぬぐえず、女性の家を訪ねるシーンでは早く帰ってほしいと心から願ってしまった。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
昨年のTIFFで見て忘れがたい印象を受けた。とにかく見る者の共感や感情移入を完璧に拒む美術教師サメットの造型がうんざりするほどにリアルだ。トルコ辺境のこの村を「ゴミため」と呼んで嫌悪し、苛立たしいまでに自己中心的で狡猾な冷笑家。一方で彼が撮った肖像写真はウォーカー・エヴァンスを思わせる親密さが漂う。義足の教師ヌライとの10分を超える烈しいディスカッションは篇中の白眉だが、次第にこの鼻持ちならぬ人物を見舞うある受難が普遍性を帯びた切実な寓意として迫ってくるのが圧巻だ。
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映画批評・編集
渡部幻
「昔々、アナトリアで」「雪の轍」に感銘を受けた名匠の新作。流暢な語り口と壮大な風景画、彫りの深い人物像と会話の緊張感に時間を忘れた。一面的な人物は出てこない。誰もが別の顔を隠していて、そのことから人生の背景を想像させる。中でも興味深く、時に不快な人物は主人公である。この男の感情を揺さぶる二つの出来事が起こり、観る者は、彼の反応や対応に眉をひそめながら、そこに自分自身の似姿を発見できるだろう。役者の顔がみな見事。各人物の関係性でしか語り得ない物語なので、短評は空しい。
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本を綴る
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ライター、編集
岡本敦史
一応は本好き、本屋好きではあるのに全然ピンと来なかったのは、きっと求めるものが違うからだろう。本屋にお洒落さとか居心地のよさはいらないので、むしろ最も平板に撮っている宮脇書店の棚の充実にいちばんそそられた。雑然としてればなお良し。ついでに言うと物書きが旅先で自然の景観や土地の空気に触れるときも、もっと目まぐるしく思考は渦巻いているのでは。淡い恋情に背を向けてでも現実の悲劇を書かずにいられない作家性の話なのかと思いきや、そうならないのも不可思議。
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映画評論家
北川れい子
書けなくなった作家が、地方の図書館のイベントに参加したり、各地の個性的な本屋さんを訪ね歩くという、ドキュドラマ仕立てのロードムービーだが、じつに誠実で穏やか、控えめでぬくもりのある作品で、映像がまた美しい。そして本と本屋さんに対するリスペクト。現実には人々の本離れで、町から次々と本屋さんが消えている。があえてそれには触れずに、本を通してのエピソードに話を滑らせているのも効果的で、細やかな演出も気持ちがいい。作家役・矢柴俊博のキャラと演技は絶賛したい。
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映画評論家
吉田伊知郎
基になったYouTubeドラマは未見ながら、本に絡んだ書物に目がないだけに、京都の恵文社などが登場する本作も、終始好意的に眺めていた。過剰に本への愛情を注ぐこともなく、さり気なく語るのが好ましい。贔屓筋である矢柴俊博の軽妙さも良く、痕跡本から始まる旅などエピソードも無理がない。小品の理想的な在り方だ。本を利用して別のものを語ろうとする嫌らしさがないからだろう。本をめぐる旅の映画だけに、移動中に本を読むカットが欲しかったと思うのはないものねだりか。
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金で買える夢
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映画監督
清原惟
他人の頭の中を見ることができる主人公が、客の願望を汲み取った夢を売る商売をはじめる、精神分析的な作品。夢というアイテムを使い、通常のナラティブのなかに、そうそうたる作家たちの描いたシュルレアリスム映像を落とし込んでいく。イメージの面白さもありつつ、映像が誰かの夢や願望を反映できるといった、映像というメディウムそのものにも言及するような描写が興味深い。ただし、男性の夢のほとんどが、女性に対する欲望を表すようなものだったのには、少し辟易としてしまった。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
ハンス・リヒターがレジェ、エルンストらシュルレアリストたちの協力でつくったオムニバス。他人の内心を読めることに気づいた主人公が事務所で《夢》のビジネスを始めるという設定は当時、隆盛のフィルム・ノワールの私立探偵を思わせる。ヴォイス・オーヴァーの活用、ヴェロニカ・レイク風の金髪の美女の依頼人。それらはあくまでエロティックな夢想の断片としてのみ提示されるだけだ。眼球のクローズアップが頻出するのはやはりブニュエルの「アンダルシアの犬」の影響だろうか。
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映画批評・編集
渡部幻
ハンス・リヒターが1947年にマンハッタンで制作したという前衛映画。“夢”のビジネスを始めた男の事務所に、願望や欲望、夢、怖れと虚しさを秘めた人々が訪ねてくる。探偵映画風の設定で、ロッド・サーリングのTV番組『ミステリー・ゾーン』のエピソードを連想させる邦題でもあるが、語り草のシュルレアリストが参加している。シュルレアリスム宣言から100年の夢の映像表現、歴史の1コマに想いを馳せる意義を感じたが、イメージの造形が弱いので、ぼくは夢に踏み迷うような快楽を味わえなかった。
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HAPPYEND(2024)
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文筆家
和泉萌香
10代が無邪気でいることは悪いこととは思わない。初めてデモに参加する者、「気楽にやろうよ」と過ごす者、今を生きる等身大の高校生たちの心情、葛藤、時にはちょっとした傲慢さ、おふざけなどをもあくまでも等しく愛と尊敬をもって描写したこの眼差しはきっと若者たちを優しく鼓舞することだろう。劇中での音楽そのものの在り方も魅力的だ。主演ふたりも迫力満点に美しいが、三枚目に徹する友人キャラが実は最高に格好いい。「声」はそれぞれ十人十色と思わせる。
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