映画専門家レビュー一覧
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HAPPYEND(2024)
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フランス文学者
谷昌親
どこか北野武の「キッズ・リターン」を思わせるような不良少年物の骨格を保ちながら、近未来からの視点を借りることで、閉塞感ただよう現代の日本社会までも鮮やかに浮かび上がらせた、21世紀的な青春群像劇の秀作と言えそうだ。高校の管理体制に反発する生徒たちを描いた映画というのも、なぜか最近はあまり見た記憶がなく、それだけに、少年・少女たちのみずみずしい演技が印象的だ。何度となく歩道橋で語り合い、左右に別れていく少年二人の姿がほほえましく、そしてもの悲しい。
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映画評論家
吉田広明
映画の冒頭に、大人たちは管理を強めようとし、一方若者はそれに反抗するという旨の字幕が出るのだが、本作の内容はそれをそっくりそのまま映像化したものだ。語りたい主題があり、それを映像として実現するというのが映画作りではあろうが、しかし映像=音響がそれを逸脱しようとし、主題とは別の意味を生み出し始める、その葛藤に映画の意義はあるだろう。一定の意味に映像や音響を押し込めるだけであれば、本作が仮想敵としている「大人たち」のありようと大して変わるまい。
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悪魔と夜ふかし
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文筆業
奈々村久生
生放送中の番組で悪魔を召喚する設定自体は少しも目新しくない。主軸は怪奇現象ではなく視聴率を稼ごうとする制作者側の野心であり、ホラーとしての怖さは度外視だ。私たちはどうして放送事故を恐れるのか。テロップのみの固定画面になぜあんなにも不安を煽られるのか。スポンサー企業のCMを放送できないリスクは理解できるが、ライブ=止められないという思い込みはまったくのナンセンスで、本番中はカメラの前を侵すべからずという撮影現場における不文律の理不尽な滑稽さを思わせる。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
こういう怖さのホラー映画、ひさしぶりに観た気がする。怖かったし笑えたし、すべてのキャラクターが類型といえば類型だけど悲劇的で、面白かった。そして続篇が作りにくい、いさぎよい終わりかた。テレビ局ごと地獄に堕ちるのは中島らもの傑作長篇小説『ガダラの豚』を思い出す。日本だとホラーの元凶はメンヘラの幽霊か田舎の因習かサイコパスな人なのが多いけど、与党に影響力をもつカルト宗教が悪の本尊だと設定を改変してネトフリで『ガダラの豚』をドラマにしてくれないかしらね。
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映画評論家
真魚八重子
生放送のバラエティ番組で起こるハプニングは、ホラーとの親和性が高く、視聴者に他者と共有できない孤独な不安を与えるものだ。今や売れっ子の助演俳優デイヴィッド・ダストマルチャンの、満を持しての主演作。背が高くスタイルも良いので、70年代風シルエットの背広姿と髪型が、フェティッシュな魅力を放つ。悪魔憑きなどの表現は凡庸なものの、当時の雰囲気を再現する美術や映像へのこだわりは愉しい。ファウンドフッテージなのに、カメラがセット裏の内緒話などに立ち会っているのはご愛嬌。
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エストニアの聖なるカンフーマスター
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文筆業
奈々村久生
往年の東映の特撮シリーズや実写版の魔法少女もの、あるいは円谷プロの特撮ドラマや実相寺マジックの匂いを感じるような一本。宗教と信仰への皮肉、ブラックユーモアのテイストはライナル・サルネット監督の前作「ノベンバー」と共通しており、東方の三博士のような三人のカンフー達人も登場する。端正なモノクロ映像でダークファンタジーの様相をまとった前作に比べると極彩色の本作は荒唐無稽で奇想天外な世界観が全開。ただし、表現の飛躍に対して感情が追いつかなかったのもまた事実。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
困った映画ですね。やんちゃだ。しかも監督はあの「ノベンバー」が長篇第一作で、これが第二作か……。異様に美しくて可愛かった前作も、このふざけた映画とテーマは同根ということか。なるほど、そんな気もしてきた。どっちも土着の宗教の話だもんね。「ノべンバー」もじつはギャグ映画だった説までありえるが、それにしてもこれだけ堂々と印象の振り幅がつけられるのは、第一作が評判よかったのに自己模倣を要求されてないということで、きっと楽しい環境で仕事できているのだろうね。
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映画評論家
真魚八重子
北欧のロックといえばやはりヘヴィメタルになるのか。最初に天から降ってくる、東洋系の三人のカンフーマスターはかっこよかったが、それ以降は失速してしまった。可愛らしくカラフルな装飾も、少し前のポップな映画でよく観たものだし、ロシア正教会がカンフーの鍛錬を積んでいる設定も、出オチ感は否めない。全篇にわたってギャグが笑えないのもつらく、主人公が正教会からいきなり高い徳を積んだ人物として扱われるのもありがちだ。彼を取り巻く女性たちの役割も、宗教が持つ差別的視点から脱却していない。
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Cloud クラウド
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ライター、編集
岡本敦史
「蛇の道」リメイク版よりもずっと“みんなが好きな黒沢清”を感じた快作。クレショフ効果のごとくプレーンな表情から自業自得以上の意味を読み取られ、市民の憎悪の対象となる菅田将暉がまさにハマり役。シャブロル「ふくろうの叫び」を思わせる悪意の醸造劇にゾクゾクし、「CURE」にも通じる“異常者に認められること”がスイッチとなる構成に笑い、まさかの活劇展開になだれ込む無邪気な不自然さにワクワク。この監督・主演チームでサイコな「勝手にしやがれ」シリーズのような連作希望!
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映画評論家
北川れい子
現代は、生きているだけで誰でも加害者、誰でも被害者、と誰かが書いていたが、ネットを使って転売を繰り返している主人公が、集団暴力に曝されるという本作、極端な設定、極端な展開だが、奇妙な説得力がある。もともと黒沢清作品はかなり無口で、言葉より人物たちの黙々とした行動やその映像で話を進め、いつの間にか、観ているこちらをとんでもない世界に引きずり込み、というのが得意なのだが、今回はさらに過激化、後半のアクションなど、背景といい、戦場さながら。アンチヒーローものとしても痛快。
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映画評論家
吉田伊知郎
2階の窓から下の道を見下ろせるアパートの一室、湖の傍の一軒家、巨大な廃工場。突如として降り出す雪も含め、相変わらず黒沢が作り出す空間は映画らしさにあふれ、あれよあれよという間に地獄の入り口へ突き進む。ネットを介した憎悪を無機質な菅田を通して肥大させる前半と、戦場さながらの銃撃戦が展開する後半へ。出鱈目なまでの過剰さがたまらない。窪田、岡山ら30代の実力派たちが明らかに乗って演じ、洞口依子的存在感の古川も良い。次世代が刷新した黒沢清的世界を堪能する。
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SUPER HAPPY FOREVER
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文筆家
和泉萌香
現在と過去、男と女の眼差し、ふたつの世界を同じ質量で提供してみせる館。海沿いのホテルというドラマにぴったりなロケーションも、ひたむきに流れる名曲も露骨さなしに、「海」という場所そのものが持つ時間のちからを借り、個人の物語をも超えてゆくその美しさ。永遠と感じられるような甘やかなひとときは始まりの一瞬であり、それをたぐり寄せるべく、文字通りどんなになくした符号を探し続けたとて、あとは失い続けるのみというやるせない真理もさらりと暴き出す。
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フランス文学者
谷昌親
どちらかと言えば小品の部類に属するような映画だが、かつてヌーヴェル・ヴァーグによって生み出された傑作にもそうした小品が少なからずあった。しかも、ひとつのショットのなかで鮮やかに時間を遡ることで始まる後半部において、海や空や避暑地の光景はまさにこれがヌーヴェル・ヴァーグ的なヴァカンスの映画であることを示している。佐野から凪へ、そして凪からアンへと持ち主を変えつつ、オフュルスの「たそがれの女心」でのイアリングのごとくに物語を紡ぐ赤いキャップが印象的だ。
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映画評論家
吉田広明
前半では妙に投げやりで、奇矯な行動を繰り返すだけの変人にしか見えなかった男が、後半の二人の出会いのフラッシュバックにより、それが妻を喪った悲しみによるものだったと判明する構成。順序を逆転させることで、またタイトルや劇中歌われる歌がハッピーであることのアイロニーという作為によって痛切さを「自然」に演出しているわけだ。後半における二人の交情がそれこそ「自然」に見えるだけに、後半を前半への答え合わせに貶めるような作為がかえって邪魔に思える。
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憐れみの3章
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俳優
小川あん
ランティモスがいよいよ映画界の問題児にモデルチェンジしている! 悪趣味を乱発し、次にどんな球が投げられるのか分かりゃしない。そして、見手は大打撃を受ける。原題「Kinds of Kindness」のブラックジョークを超えた意地悪さよ……。3章共通テーマを「親切味」として捉えるならば、どう考えたって狂っているし、許容しづらい。しかし、一周回れば意外とメルヘンなお話かも、とも思えてしまう。映画の矛盾を思い知らされ、結果、この策士の才能に翻弄されている私。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
何かにとり憑かれた人物や、支配と従属、共依存のさまが、3つのエピソードで共通して描かれる。共感できる人物がほぼ出てこないのだけれど、「嫌映画」というよりは、突き放したブラックコメディという印象(特に最終話の幕切れ)。第1・第2エピソードで、人物の顔を意図的に見せないようにしているショットが頻出するが、これは、俳優たちが次々役を乗り換えていくのと同様、誰もが交換可能な存在だということだろうか。ランティモスは「足」と「人の歩き方」にフェチがあるのかもなあと今回発見。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
「哀れなるものたち」で世界の映画祭を席巻したヨルゴス・ランティモスの新作。前作にも出演したストーン、デフォー、クアリーが引き続き出演し、3つの章でそれぞれ異なる役を演じる三部作構成。3つともアメリカ郊外を舞台にした奇妙な筋書きで不穏なムードに満ちている。原作モノの映画化で大ヒットした反動か、新作でランティモスは彼の初期作と同じ脚本家と組み、現代の不条理劇を描かんとするが、最後まで映画的カタルシスのないままに終わる。登場人物の生死を極めて軽く扱う世界観も肯定し難い。
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ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?
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俳優
小川あん
‘70年代に活躍した8人組のロックバンド(ジョニー・キャッシュの曲名からそのまま拝借した、バンド名とのこと。知らなかった……)。時系列を示す多くの写真と映像、そして関係者のインタビューを含む模範的なアーティストの音楽史。膨大な資料を背景にすると、BS&Tの歌詞と曲調に理解が増してくるのだけれど、ヴェトナム戦争も、アメリカの政治事情も詳しくないので、アーティストよりも歴史的背景のほうが興味深い。その印象が強く残ってしまって、少し残念。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
ヴェトナム反戦運動の時代に、ロックバンドが、国務省主導で東欧ツアーを行うことが持ってしまう意味。バンドをスターダムに押し上げた強力な二代目ヴォーカルが、政府につけこまれるウィークポイントになったという皮肉。未発表映像と機密資料で驚愕の事実が次々明らかに。「東側の国が全部同じだったわけではない」ことが具体的にわかるのも面白いが、何よりも、毀誉褒貶に遭った偉大な音楽家たちの再評価であり、破壊され失われたと思われていた映画(東欧ツアーの記録映画)の、感動的な救済。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
60年代後半?70年代初頭の米人気ロックバンド「ブラッド・スウェット&ティアーズ」が米国務省主催による東欧諸国を回る「鉄のカーテンツアー」を実施した様子を捉えた映像と現在の関係者の証言からなるドキュメンタリー。東西冷戦の中で「音楽の政治的利用」を巡る興味深い内容で、ニュース素材や当時の時代感を伝える映像もうまく織り交ぜた構成だが、いかんせんバンドそのものに強い魅力がなく、驚くような発言があるわけでもないので、映画として観客をグリップする力に欠ける。
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