映画専門家レビュー一覧

  • ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー

      • 映画批評・編集

        渡部幻

        革命的だがビジネスには不向きな男の波乱に富んだ軌跡をガリアーノ本人が振り返るドキュメンタリー。80年代のロンドンに始まり、スリップドレスを流行らせた94年のブラックショーへ……最盛期のコレクションを見ていると素人のぼくでも天才の二文字が思い浮かんでくる。ディオールのデザイナーに選ばれ、一時代を築くが、仕事上の右腕を亡くしたことから心が荒み、酒と処方薬漬けになった末に、2011年の反ユダヤ発言のスキャンダルへと至る。この贖罪と再起への願いが彼自身の言葉で語られる意欲作。

    • たとえ嵐が来ないとしても

      • 俳優

        小川あん

        2013年、フィリピンの地で実際に被害を受けた台風ハイエン災害後をドキュメンタリータッチではなく、創造力の高い予想外な物語に描き直した。物凄くいい。主人公の二人は被災した街中を歩き続け、景色を交わしながら、未来への意を決していく。気弱な男子の隣で恋人役ランス・リフォルが銃を構えるショットは「バッファロー’66」のクリスティーナ・リッチを想起した。気概のある、力強い女性像で、最高。彼女が肝だ。焦点の合わせ方が独特な撮影も、メロウな音楽も、絶妙。

      • 翻訳者、映画批評

        篠儀直子

        災害後の荒廃を生き抜くサバイバルドラマか、夢のマニラへ渡ろうともがきつつもたどり着けない若者たちの苦い青春映画かと思って観ていたら、不条理劇かマジックリアリズムかという展開に。こんな映画観たことないとうっかり口走りそうになるけれど、どこか懐かしさを感じるセンスでもある。終盤ややメロドラマ的になるのをどう評価するかが難しいのだが、それまでの、若者ふたりが旅を続けるパートは、最近亡くなったせいもあるのか、個人的には、なぜか佐々木昭一郎の作品を重ねつつ観てしまった。

      • 編集者/東北芸術工科大学教授

        菅付雅信

        2013年にフィリピンを襲った巨大台風を題材に、壊滅的な被害を受けた街を舞台にしたドキュメンタリーのようなドラマ。新たな嵐の到来の噂が流れ、主人公は恋人と母を探して街から脱出しようとする。この世の終わりのような背景の中、フィクションとノンフィクションの境界が溶け合った世界で、話はラテンアメリカ文学のマジック・リアリズムのように徐々に神話的な色彩を帯びてくる。「探すこと/逃げること」という矛盾する行為にもっとダイナミズムを与えていれば映画はもっとドライブしただろう。

    • スオミの話をしよう

      • ライター、編集

        岡本敦史

        舞台『オデッサ』は手法も含めてすこぶる面白かったし、近年はおそらくTVドラマを「最も冒険できるメディア」として認め直した感がある。つまり三谷幸喜が想定観客レベルを最も低く見積もっているのが映画なのでは……そんな疑念が今回も拭えず。投げやりな空中遊泳ギャグなどは映画への憎悪に見えるし、どうかするとお話自体が女性憎悪の表れに見えなくもない。「他人に合わせる生き方しか知らない」人間の救済と脱出を正面から描いてこそ、映画なのでは。ダメ男の自己憐憫ではなく。

      • 映画評論家

        北川れい子

        まずは気楽に楽しめるパロディと遊びが満載のミステリである。長澤まさみをまるで操り人形のように男たちの間をたらい回しさせ、その男たちがまた、上っ調子の曲ものばかり。が三谷監督、長澤まさみを“あなた好みの女”で終わらせるはずもなく、操り人形の本当の姿は。彼女を含め、俳優たち全員が喜々としてその役を演じているのもお気楽感を誘い、特に5番目の夫役の板東彌十郎は堂々の悪のり。“スオミ”という名の由来とショー形式のラストにもニンマリ。思うに三谷監督も作品の後ろでニンマリかもね。

      • 映画評論家

        吉田伊知郎

        近作は最後まで観るのも苦痛だったが、舞台調へと引き寄せた今回は捲土重来を予感させる。だが、男たちがスオミとの関係を語りだすと、いちいち映像で見せてしまうので、クライマックスも驚きがなくなる。「天国と地獄」だって前半は室内から出なかったんだから、三谷なら彼女の姿を見せずに、対話だけで彼女の幻影を描くことができたのでは? 長澤の七変化は圧倒的な演技でそれを見せてくれるわけでもないので、後に控える見せ場も寒々としてしまう。終始映画を観ている実感わかず。

    • ジガルタンダ・ダブルX

      • 文筆業

        奈々村久生

        「マッド・マックス」的な暴力と狂気に支配されたバイオレンス・アクションが、腐敗した国家権力とそれに癒着した警察組織の政治ドラマと連結し、密猟される象や少数部族を巻き込んだ復讐劇へと展開。まさに銃をカメラに持ち替えてシュートする命懸けの闘いで、撮影を名目にあらゆるリスクを冒す制作現場特有の狂った論理もメタ的に内包。振付師出身であるラーガヴァー演じるギャングのダンスは圧巻で、「イングロリアス・バスターズ」を彷彿とさせるクライマックスも映画愛に満ちている。

      • アダルトビデオ監督

        二村ヒトシ

        血を見ると気絶する男が暗殺者になる。西部劇マニアのヤクザが自分主演の映画を撮れと無茶振りし、撮影方法を何も知らない男は巨匠になりすまして監督しなければならない。かつて聖なる象を殺してしまい村を捨てた男が帰郷して、象を密猟する邪神の如き森の民と悪徳警官との三つ巴の抗争に巻き込まれる。ここまでですでに面白そうな映画3本分のシノプシスが詰め込まれてるのに、最後にインド現代史の闇をあばく政治ドラマになってマジの感動で泣かされるなんて誰が想像しただろうか。

      • 映画評論家

        真魚八重子

        イーストウッド好きなギャングの親分に、サタジット・レイ門下と偽った警官が近づき暗殺を狙う。このシネフィル的設定は問答無用に惹かれるし、8ミリカメラで撮っていようとリアリズムなど求めない。冷酷な政権側と象牙を狙った密猟の問題なども絡み、複雑だがわかりにくくはない。政治を前にした民間人の無力さという悲劇性も、映画には昔からあったやりきれなさだ。ただ主人公が強面で愛嬌が足りないことや、続篇を匂わせる物語ゆえに本作だけで判断がしきれない惜しさがある。

    • ヒットマン(2023)

      • 映画監督

        清原惟

        地味な大学講師が殺し屋になりきり警察の捜査に協力していくなかで、相手の好みに合わせた殺し屋に扮していくのだが、そのレパートリーの豊富さとそれぞれの人物の説得力がとてつもなくて笑える。前半は演技で人を欺くさまを単純に楽しんで観ていたが、物語の核となっていく依頼人の女性との恋愛は、どんな人間でも日常の中で演技をしていることや、相手によって自分が変わってしまうこと、それによって人が変化していくことなど、演技というものに深く考えさせられる展開だった。

      • 編集者、映画批評家

        高崎俊夫

        無類のシネフィルであるR・リンクレイターだけに冒頭の殺し屋映画のフッテージをコラージュ風に引用した下りで野村孝の「拳銃は俺のパスポート」(67)が登場した瞬間、思わずニヤリとなる。よいセンスだ! 実在のニセ殺し屋がモデルらしいが、ふだん大学で心理学を講じる教授という設定は「霧の夜の戦慄」(47)のジェームス・メイソンのパロディではないか。ただし元ネタのような深刻なスリラーではなく、プレコード時代のモラルを粉砕するようなスクリューボールな笑いをこそ顕揚したい。

      • 映画批評・編集

        渡部幻

        快作。好調の波に乗ったグレン・パウエル。リンクレイターのファンは彼の近作でこの妙に面白い役者を発見したが、コンビの新作では二人で脚本を書いている。離婚経験のある地味な心理学教授が、囮捜査への協力のため偽の殺し屋を演じさせられる。依頼人を逮捕するため、彼らが期待するだろう“殺し屋像”を演じ分ける才能に気づくのだが、ある女性に思い入れてしまい……。リンクレイターは彼ならではの現代人の混乱をユーモアに包んで「本当の自分は誰? 真実の人生とは何?」と問いを忍び込ませているのだ。

    • 夏目アラタの結婚

      • ライター、編集

        岡本敦史

        かなり強引な性格描写と饒舌なセリフ、キメ絵の連続で読者を引っ張るような原作漫画のストーリーを、映画版ではどんな工夫で説得力をもたせるのかと思いきや、工夫を投げていて驚いた。原作のキャッチーな部分だけを抽出し、無駄な努力を放棄した作りは、ある種の実写化アプローチとして業界では有効なのかもしれない(観客にではなく、プロデュース側にとって)。「ブルーベルベット」そっくりの曲で悪夢感を醸し出すセンスの世代感は「サムシング・ワイルド」好きの堤幸彦監督らしい。

      • 映画評論家

        北川れい子

        ナントぶっ飛んだラブコメディなの! いや、ドタバタした動きや笑いは一切ない。自分のことを“ボク”と言う若い女性死刑囚・真珠と、目的のためなら手段を選ばずとばかり、彼女と獄中結婚する元ヤンキーの児童相談所職員・夏目アラタ。二人のデート?!は警官が脇に控えた面会室。そもそもアラタの目的からしてかなり乱暴なのだが、面会での会話は当然、?み合わない。その過程で二人の人生が回想的に語られていくのだが、柳楽優弥と黒島結菜の演技がどこかポップなのが痛快で、人騒がせのわりに消化はいい。

      • 映画評論家

        吉田伊知郎

        受けの演技に徹する柳楽によって映画が牽引される。陰惨な背景に比重がかかりすぎないよう軽妙に描く点においてはこの演出で正解なのだろうが、現実が虚構を追い抜く時代においては、この軽薄ぶりを素直に楽しめるかどうか。アクリル板越しの死刑囚との会話によって状況が二転三転し、見透かされ、コントロールされていくという「羊たちの沈黙」以来の設定だけに新味はなく、死刑囚との結婚も「接吻」の後では衝撃は薄い。黒島は熱演ながら硬軟自在に翻弄するところまでは行かず。

    • ナミビアの砂漠

      • 文筆家

        和泉萌香

        宣伝文句を頭に入れて見ていたのだがちょっと予想外、ただごとではなく、ひっくり返ってしまった。冷凍庫の食材をあたためることさえしない、だらしない、近くにいる(いるからこその)男たちの愛情を試しまくってはがんじがらめになり、自傷していることも気がついていないであろう「激情的」に見える女の像を、距離とさめた温度を保って描きあげた山中瑶子、天才的ではなかろうか。彼女と河合優実が、若い女の青春ポートレートを塗りかえた。ああ、20代前半のあのころ……キツかった!

      • フランス文学者

        谷昌親

        映画史においては、「不良少女モニカ」をはじめとして、さまざまな作品で不良少女が描かれてきたが、そのどれともまったく違う新しい不良少女がこの映画とともに誕生した。「勝手にしやがれ」のベルモンドよろしくタバコを手放さないカナの言動は人びとの理解を容易に寄せつけないが、山中瑶子監督はそうしたカナを、それこそナミビアの砂漠の水飲み場にやってくる動物たちを眺めるように、ひたすら見守る。そうした視線を受けとめて、カナの行動が映画ならではの躍動感を獲得するのだ。

      • 映画評論家

        吉田広明

        終始どこか不機嫌で、本能的に生きている女性。映画はこの女性が生きる世界をリアルで自然なものとして演出する。その場の光だけで撮ったかに見える照明、故意にダラダラした長回しや無造作なズーム、隣の席の声が意味として入ってくるリアル音響感等々。「自然」で「等身大」の存在である彼女が生きることに苦しむなら、それは世界の方が異常なのではと言わんばかりだが、しかしこの作為を作為的に抹消した「自然」という不自然の方が、周囲の偽善以上の欺瞞でないとは言えまい。

    • エイリアン:ロムルス

      • 俳優

        小川あん

        シリーズ1作目「エイリアン」が公開された70年代は、エイリアンが地球外生命体としてSFジャンルに属していたし、まさに未知との遭遇だった。時を超え、今やエイリアンは近くに存在する可能性が高まり、世間的にも目撃の噂が後を絶たない。外惑星ジャクソン採掘植民地という舞台設定には説得力を感じたし、人々の生活模様は想像できた。エイリアンは不気味だということに変わりはないが、驚きのインパクトは弱まった。つまり、時代の先を見据えたリドリー・スコットには敵わない。

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