映画専門家レビュー一覧
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西湖畔(せいこはん)に生きる
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映画監督
清原惟
はじめは母親の愚かさに辟易とし息子に同情していたが、彼女の発言を聞いていくうちに別の側面が見えてきた。彼女はただ騙されただけの愚かな女性ではなく、家族や社会規範のなかで抑圧されて生きてきて、マルチ商法に自己実現を託したのだった。まわりの男性たちがそのことを重要視していないことがどうしても気になってしまう。もう少しだけでも女性の自己実現について掘り下げてほしかった。雄大な自然と、人間の愚かさが映像としてはっきり対比させられていたのが印象的だった。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
「成功とは神経症の副産物」というフロイトの引用があったが、較差社会の中国で見果てぬチャイニーズ・ドリームが蔓延しているのは煽情的なマルチ商法のシーンで垣間見ることができる。〈自己実現〉という空無な妄想のはてに、否応なく突きつけられる敗残者という過酷な現実。一方「人生で最も苦しいことは、夢から醒めて、行くべき道がないことであります」という魯迅の箴言も思い浮かぶ。終幕、山水画の世界の中で母子が融和するフォークロア的なイメージがささやかな救いであろうか。
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映画批評・編集
渡部幻
冒頭、山を冬の眠りから起こして豊作を願う人々の列が映し出される。主人公を乗せたバスがトンネルを抜け、カメラが右側の木々を越えて上昇、空撮で再び薄闇の山々を歩く人々のシルエットを捉える。いかにも劇映画的なカメラワークに目を見張る。が、ここから予想外の転調を繰り返し、ネズミ講の犠牲となる母親とその息子をめぐる受難劇が描かれ、詐欺組織の洗脳場面でアロノフスキー風の悪夢を展開。面食らわせたが、弧を描くようにして故郷に戻る寓話的な後半ではエネルギーが尽きてしまっていると思う。
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傲慢と善良
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ライター、編集
岡本敦史
え、そっち側の視点で進むの?という戸惑いは「スオミの話をしよう」と同様。こちらは途中で作劇的ルール違反とも言える視点の変化もあるが、遅きに失した感は否めず、壁ドン青春ラブコメのような結末の陳腐さも残念。醜悪な人間ばかり出てくる話に辟易するが、すべて狙いどおりと言い返されそうな嫌らしさもある。ミステリとしての興趣を優先したような小説的構成が、映画では嫌悪感を濃縮する結果となった。そのカメラ位置合ってる?といった小さな苛立ちも蓄積し、思わず痛飲。
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映画評論家
北川れい子
逃げられたから追う、追わせるために逃げるという、マッチングアプリで出会った相互依存的カップルの、安手の恋愛ゲームのようなメロドラマで、ムダにミステリ仕立てなのも人騒がせ。おまけに自己実現とか、承認欲求とかの匂いもプンプン。しかも逃げ出した彼女サン側の親や関係者がみな濃いめのキャラクターで、仲人を生きがいにしているらしい前田美波里など、まるで横溝正史の“金田一耕助”シリーズから抜け出してきたみたい。彼氏サン側の女友だちたちの嫉妬交じりのお喋りはけっこうリアル。
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映画評論家
吉田伊知郎
「四月になれば彼女は」と同じく、結婚を目前に彼女が消えて男が探すパターンだが、こちらは闇が深そうで惹きつける。奈緒の被虐的な存在感や、終始戸惑いを隠さない藤ヶ谷が良い。ホームパーティの場面は「パラサイト」風で、何かが起きそうな予感を漂わせ、その不穏感は全篇に広がっていく。だが、予感だけでなく、起きるところまで観たかったのが人情だが。婚活アプリを用いた映画が増えてきたが、男女ともに結婚に何を求めているかは省略されてしまう。愚直にそこを描いて欲しい。
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ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ
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文筆家
和泉萌香
ロングラン上映、ドラマ化もされた人気エンタメシリーズだが筆者は本作が初ベイビーわるきゅーれ。今回は現代の若者像について考えさせられる4本のラインナップだ。なるほど伊澤沙織を筆頭に銃、ナイフを用いてぶつかり合うガチなアクションシーンは(ややめまぐるしくも)見応えあり。だが、いかにもゆるくてテキトーな「現代の若者的」であるイメージを投影された「若い女の子たち」のキャラクター像はただ間が抜けているように思えてキツいし、持ち味であろう愉快さが悪目立ちしている印象。
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フランス文学者
谷昌親
アクションシーン、とりわけ格闘シーンの充実ぶりには目を瞠らされる。運動をとらえるのが映画の本来的なあり方なのだから、いかにも映画的な作品とも言えよう。しかし、いかにすばらしいアクションでも、そればかりが続いては単調になってしまうのが映画でもある。「ベイビーわるきゅーれ」シリーズは、少女たちの日常と殺し屋稼業を織り交ぜて描くことで成立してきたはずだが、今回の「ナイスデイズ」篇は、アクションシーンを盛り込みすぎたせいで、本来の持ち味が薄まっている。
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映画評論家
吉田広明
少女が主人公でハードなアクションをCGに頼らず(編集時に何かはしているのだろうが)こなすというのがシリーズの目玉らしいが、それがここでは池松壮亮相手で一段ハードルが上がっており、とりわけ銃とナイフを両手にしての近接戦闘は両者ともに見事というしかない。ただ結局なぜこの二者が対立しているのか、戦いの意味がよく分からない。また3作目ともなれば、個性豊かな敵であるだけでなく、彼女らの新しい側面を露わにする存在として設定すべきではなかったか。
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ビートルジュース ビートルジュース
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俳優
小川あん
いつまでも老いを感じさせない、そんな生粋のティム・バートン作品を見ると、うんと若返る! 好きなシーンを挙げてって言われたら、①ソウル・トレインのホームでダンスホール。②グロリア、ホッチキスで合体、そして復活!③上半身サメに喰われた父と、同じく喰われたサーファーのシュールなご挨拶。④母と父と娘の感動のHUG。⑤結婚式の土壇場はサンドワームの介入で呆気ない。終わりは意外とドライないんだけど、断片的な好きがいっぱいありました◎
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
まさかティム・バートンがここに来てこんな作品を送り出してくるとは! オープニングクレジットからもうすでに面白い予感でぞくぞくする。出オチみたいな「ソウル・トレイン」をいつまでもひっぱっているのも、ピラニアぴちぴちも面白く、「わたしたちの大好きだったティム・バートン」が帰ってきたという思いがするが、実は昔よりポップになっているかもしれない。クライマックス、リチャード・ハリスの〈マッカーサー・パーク〉で歌い踊るシーンも、そのあとの身も蓋もないたたみかけ方にも大笑い。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
ティム・バートンの出世作「ビートルジュース」の35年ぶりの続篇。死後の世界の「人間怖がらせ屋」ビートルジュースがかつて結婚を迫りながらもフラれたリディアから娘が死後の世界に囚われたことで助けを求められ、現実世界と死後の世界を往復する騒動になる。再結成バンドのスタジアム・ライブのような懐かしさとスケールアップ感があるが、バートンのその後の華麗なフィルモグラフィを考慮すると、あまりにノスタルジックな仕上がりに肩透かし。バートンには本気の新曲を披露してほしいものだ。
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ぼくが生きてる、ふたつの世界
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文筆家
和泉萌香
赤ん坊を世話する若い母を見つめた光景や、学校で手話を友人に見せてみせる少年の顔など、日常に溶け込み繊細に主人公の成長を追う前半部分に比べると、どうしても成人後の彼の心の揺れ動きは粗い印象が。気になったのは想像以上に、物語内に父が不在で、働きに出ている彼、家にいる母、マッチョな祖父に耐える祖母と、世代の差、男と女、そういったさまざまな二つの世界の重なり合いも自然と浮き彫りになっている。とはいえ、小さく遠ざかっていく母の背中などはやはりほろりとする。
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フランス文学者
谷昌親
自身もコーダである五十嵐大の自伝的エッセイの映画化である。当然ながら、宮城県の小さな港町に住む聴者の少年が、聾者である母親との関係に戸惑うようになる映画の前半がむしろ重要だし、そもそも呉美保は、地方での家族のあり方を描くのに手腕を発揮する監督でもある。だが、この作品では、主人公の大が乗った列車がトンネルを抜け、東京へと向かうことでむしろ映画が動き出す。つまるところ、少年から大人への旅立ちとして成立している物語が、強みでもあり、弱みでもある作品なのだ。
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映画評論家
吉田広明
両親が「普通」ではないとの気づきから、色眼鏡で見られることへの反発、コーダとしてではない自分の希求へと、主人公のアイデンティティをめぐる葛藤が淡々と時系列に沿って描かれるだけに、初めて時間軸が揺らぐラスト、過去の母親の後ろ姿に、コーダであることも含めて自分なのだと自己肯定に至り、記憶が溢れ出して両親と同じ音のない世界を体感する部分が生きる。奇を衒った表現もなければ、大事件も起こりはしないが、一個の人間の等身大の大きさを確かに感じさせる。
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パリのちいさなオーケストラ
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文筆業
奈々村久生
音楽界の中でも特に指揮者のポジションにおけるジェンダーアンバランス、移民差別や彼らとの共存など、実話ベースとはいえ訴えるに足る要素が詰め込まれた形。ただしテーマが強固である分、それを語るドラマの作劇や映像表現はやや脆弱で、現実の複雑さをカバーしきれていないように思う。ヒロインはいくつかの困難に直面するも、それなりの努力をすれば報われるのが既定路線となっている。ただ、女性が当たり前に指揮棒を振る姿を写し、それが多くの人の目に触れることには意味がある。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
最初の30分、観ているのが本当につらかった。僕は人種差別されたこともなく、男だからという理由で悔しい思いをしたこともないので罪悪感が湧きあがり、主人公を意地悪に嘲笑う白人の金持ちの少年少女たちに激しい共感性(というのもなんだけど)羞恥を感じたからだ。主人公姉妹の人生を祝福したい。もちろん女性には(恋愛以外のことに)執念をもてる人が沢山いる。ただ、世界が変わっても才能もなく運もなく性格も悪い者は結局、差別されちゃうんだよなと映画とは関係ないことも思う。
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映画評論家
真魚八重子
実話に基づいた映画で、パリに限定したタイトルと少し違い、主人公はパリ郊外に住むアルジェリア移民の少女だ。パリの富裕層が集まる音楽院と、郊外の移民が多い貧困地区という対立構造があり、女性が指揮者を志すことへの性差別も描かれる。そのために主人公が郊外で指揮を執るオーケストラを作る物語で、パリの音楽院にも彼女に共鳴する仲間はおり、移民にも演奏能力はあると明らかにする。ただ善悪をはっきりさせすぎていささか鼻白むし、わかりやすさがスケールをすぼめている。
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ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー
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映画監督
清原惟
ジョン・ガリアーノが差別的発言をしてしまうという自らの過ちについて語るシーンから始まり、彼のキャリアを包括的に描いている映画。ガリアーノの発言は許されるものではないし、その後の行動にも疑問を感じるが、人が過ちを犯してしまったあとに、どのように再び歩むのか、という部分にフォーカスしていたのは興味深かった。ガリアーノだけではなく、傷つけてしまった相手にもインタビューするなど、この難しい題材を扱うにあたって多角的な視点も入れていたのがよかった。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
眩いばかりの栄光の絶頂に君臨していたファッションデザイナーがふと口にした〈反ユダヤ主義的な暴言〉ゆえにキャリアを?奪される。その?落と再起を追ったドキュメンタリーだが、ガリアーノが崇拝するアベル・ガンスの「ナポレオン」(27)の映像を、彼の栄枯盛衰に重ね合わせる手法はいささか鼻白む。K・マクドナルドは、こうしたハッタリめいたテクニックを除けば、ガリアーノの貧しい出自から掘り起こし、オーソドックスな語り口で、その屈曲に富む境涯を浮き彫りにしている。
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