映画専門家レビュー一覧
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ブラ! ブラ! ブラ! 胸いっぱいの愛を
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
オープニングでミシン音がレースやフリルを縫っていく。山々や集落を縫って走る鉄道はミシンで、大地は乳房、線路で囲われ覆われた地域はブラジャーそのものだ。乳房という自然の大地を、ブラジャーという鉄道で治めていく。人工の意識が被さることで、エロティシズムや女性性が生まれる。ブラジャー始め下着は女性の脱皮した抜け殻だ。繰り返し反復し想い出させる車窓からの光景は、映画のフィルムの一コマだ。そして、鉄道は弦楽器や打楽器だ。ルーセル的独身者の美学満載!
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フリーライター
藤木TDC
ブラジャーと鉄道をモチーフにしたユニークな無言劇(サイレントではない)は象徴的に描かれるブラジャーの解釈が多彩にふくらむ。映画通には語りを喚起するだろうし、若い人にも刺激的な示唆を与えるはず。ユーモラスでエロチックな場面も多く男性観客を退屈させず、アゼルバイジャンのカスバのような家並みの軒先を都電もどきに通過する欧州横断列車に鉄道好きは垂涎するだろう。美しい映像による知的映画の見本だが、やや監督の自己愛が匂い立ち観客を選ぶ傾向を感じた。
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映画評論家
真魚八重子
たわいない出発点なのは映画的に構わないが、しかし時代に逆行したこのテーマで一本撮りきるのかという驚きのまま物語は進む。男性が女性下着に抱く執着や、シンデレラの靴ならぬブラのフィッティングで持ち主を探す妄想は理解できるものの、そのワンテーマだけを具象化する企画の進み方に?然とする思いがある。性的欲望を可愛らしい演出で見せてしまう90年代的な感覚に、現代的な新鮮さを感じないのも苦しい。出演する女優たちはどういう心境なのだろうかと訝しく思う。
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ジョジョ・ラビット
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ライター
石村加奈
冒頭、ヒトラーユーゲントの合宿へと街を駆け抜けるジョジョ少年が、後半、戦地と化した街中で立ち尽くすシーンの対比。「芳華-Youth-」(17)同様、美しい日々と戦場のコントラストが見事である。蝶を追った先に母の死を見つけるなど、少年の眼差しに徹した軽妙な語り口が、純粋な怒りとシリアスな余韻を与えている。ビートルズから始まりD・ボウイで終わる選曲、M・ジアッチーノの音楽も素晴らしく“映画”で伝えることに特化した印象だ。S・ロックウェルも相変わらずナイス。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
本作は、ナチス信奉の少年ジョジョと彼の家に潜んでいたユダヤ人少女の“攻防”を、ギリギリのユーモアで描いた稀な「戦争映画」だ。監督のタイカ・ワイティティはマオリ系ユダヤ人で、その彼自身が幼少から受けた偏見の経験と憎しみからくる葛藤を主人公2人の関係性で体現、さらに自らジョジョの妄想の中のヒットラーとして出演している。その矛盾した存在は、ジョジョにアドバイスを送り続けるのだが、それが滑稽で可笑しいほど、現実の中の不条理が浮き彫りになっていく。
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mellow
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映画評論家
川口敦子
祭りの後のシラケの気分にも一段落がついた70年代半ばにかけて、マイケル・フランクスの『アート・オブ・ティー』等々、メロウな曲に浸った時期もあったけれど、その“ほどほど感”に包まれつつ、うっすらとした恥かしさも感じていたなあと、「メロウ」と銘打った映画を見ながらふと、往時の感触を思い出した。いかにもほどほどにすれ違う男女の物語は不快なこともないけれど、他人事のまま通過していく。ともさか、唯野の居る場面だけゆるさが地に足ついていて面白かった。
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編集者、ライター
佐野亨
以前、グーグルで「エリック・ロメール」と検索すると、今泉力哉監督の顔写真がヒットすることがちょっとしたネタになっていたが、この作品はまさにロメール的。前作までとくらべると一見毒は抑えめ。しかし、天然モテ男・田中圭の所作に、もしかしたらこれは計算ずくなのか、と思わせる含みをもたせることで、ともさかりえ演じる人妻から想いを打ち明けられるシーンなどに読みの幅を与えている(岡崎紗絵演じるラーメン店主も然り)。説明的な雑景ショットの多用はマイナス。
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詩人、映画監督
福間健二
さまざまの「好き」のヴァリエーションをちりばめる。意外性ありの「好き」だが、そうなのかと納得させるそれだ。田中圭の主人公はちょっと変わった花屋をやっている。自分の「好き」は胸にしまって、独身。やさしい。そういう彼がいくつかの方位から「好き」を引きよせる。我慢していることがある。どう報いられるのか。そこを焦らずに探る感じの今泉監督、オリジナル脚本。彼の作品のなかでも、とくにこれは世界への肯定感がある。岡崎紗絵のつくるラーメンの味、合格だったろう。
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ラストレター(2020)
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映画評論家
川口敦子
「アイリッシュマン」の、H・カイテルまでちゃんと居るスコセージ組同窓会ぶりにはやはり胸を突かれた。それがなれあいの腐臭を回避し得ているのは俳優たちの確かな演技と存在の力あってこそだろう。同様のことを岩井監督の新作に帰ってきてそれぞれに輝いている俳優たちを前に思った。その力を引き出す上で語りたいことを持つ一作の強味のことも思い監督の手になる原作がまず書かれたことの強さについて考えたいと思った。手紙、写真機、夏休み、水、重層的時のモチーフについても。
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編集者、ライター
佐野亨
岩井俊二の映画は、叙情などという表現ではおさまらない、人間の独善性についての考察であると言ってよい。恋愛感情とは独善性の暴走であり、ゆえに当事者にとっては際限を知らぬ甘美な陶酔である。しかも岩井作品においては、その陶酔はまたべつの陶酔に溺れる第三者によって鏡像認知的にお墨付きを与えられ、「完全なる幻想」として永久に美化されつづけるのだ。試写室のあちこちから漏れ聞こえてきた鼻水をすする音がその完成度を物語っている。万感をこめて「私は薦めない」。
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詩人、映画監督
福間健二
岩井作品、やはり驚かされる。理屈で追っても取り逃がしそうなマジックがあるのだ。たとえばひとつの嘘に対して、話が動いたあとで「ごめんなさい」「いや、わかっていた」と収めるところなど。ずるいと思わせないうちにきれいに逃げ切っている。映画だからこその語り方の魅惑。だとすれば簡単だが、画、編集、音、どれも技術的に高度というだけでなく、この世界のいまを立体的に感じとっている。故郷で撮影した。暗い部分への踏み込みもありながら、重くない。演技も、作品の表情も。
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コンプリシティ/優しい共犯
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フリーライター
須永貴子
日本に出稼ぎに来たが、母国に帰ることを決めた中国人の、「この国に希望はもうないよ」という台詞が重く響く。だからこそ、主人公が日本人と築いた信頼関係と、鮮やかなラストシーンから、この国にも日本経済にも希望はないが、(個)人にはあるかもしれないと思わされる。特筆すべきは、ラストシーン。ある日本映画のタイトルを使ったボイスメールでのやりとりは、伏線の回収の仕方、切れ味の良さ、主人公のハッとさせる表情、その後の余韻、すべてにおいて出色の出来栄えだ。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
主演のルー・ユーライの内に光を秘めた朴訥な顔がいい。「平和ボケ」とくさされる日本の若者には決して見られない顔。それに老練な藤竜也の顔が並ぶと、もう一幅の絵だ。技能実習から逃亡して他人に成りすます中国人青年と、彼を受け入れる蕎麦職人。中国にいる母や祖母の切ない愛。それとは対照的な職人の息子の傲慢な冷淡さ。彼の祖母が亡くなっても国に帰れず、スマホに送られてきた遺体の映像に涙するシーンの哀切さ! この映画には清潔な感動がある。
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映画評論家
吉田広明
不法滞在となっていた技能実修生を、それと知らずに雇った蕎麦屋の主人。すぐそこにあるごく身近な問題として描く、という姿勢は一つの選択ではあり、作りも丁寧なのだが、みんないい人で、どこか穏当な印象。相当数が失踪するこの制度自体を問うことがなければ、「いまあるところで咲きなさい」流の、優しさを装って現状の理不尽を肯定することにつながりかねないという気がする。怒り狂えというわけではないが、これが第一作であれば尚更、もっと我武者羅でもよかったのでは。
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花と雨
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フリーライター
須永貴子
なかなかにいけ好かない主人公を演じる笠松将の面構えがいい。彼を見るためだけに観る価値あり。青春音楽映画として、映像や音楽のレベルは高いが、台詞が非常に聞き取りにくい。ヒップホップやラップに関する自分の知識を総動員して、想像で台詞の穴埋めをしていく作業は容易くはなかったし、このジャンルに明るくない人には不親切。だからといって、明瞭な発声ではアンダーグラウンドの生々しさが消えてしまう。このジレンマを克服する姿勢だけでも見せてほしかった。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
帰国子女が日本社会ではいかに生きづらいかを映画は描いている。優秀な姉は努力してMBAを取得するが自殺してしまい、弟はドラッグを売りさばいて無為な日々をやり過ごす。そんな生きづらさを弟はラップで訴えるのだが、そのスピリットが伝わってこない。映像表現にはこだわりを見せてくれるが、肝心の中身が描き切れていないと思った。「うわずってんだよ。それじゃ伝わるもんも伝わんねえよ」と劇中で友達が主人公の少年に言うが、奇しくもそれがこの映画を言い当てている。
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映画評論家
吉田広明
差別やいじめ故に自分に立てこもり他人を無視、軽蔑していたラッパーが、ありのままの自分を認めることで成長してゆく。ヒップホップ版ビルドゥングスロマン。ただ、姉の自殺に関しては原因も説明不足で、モデルになった人物の事実だとはいえ、それが主人公にとって何だったのか、映画としてその意味を再構築すべきだった。映画と現実の葛藤はあっていいが、映画は映画としてひと先ずは自律すべきで、その枠内で描写を省略的にするのは可、しかし事実に居直っては映画の意味がない。
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私の知らないわたしの素顔
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映画評論家
小野寺系
心理的なサスペンスと恋愛要素を描きながら、実際にはジュリエット・ビノシュの少女のようなときめきと、ギャップとして表れる!顔に刻まれたシワをクローズアップで映し続ける映画だ。それである程度成立させられるというのは、彼女の力として感嘆するほかないが、演出においては重要な部分がセリフで語られる箇所が多く、不満が残る。意中の男性に透明人間のように自然に無視されるシーンのせつなさは胸に迫ったので、もっとこのような映像的な見せ場が欲しかった。
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映画評論家
きさらぎ尚
いまやSNSは誰もが見ず知らずの人と繋がれるネットワーク・ツールに。その善し悪しはさておき、おそらくヒロインのような女性は珍しくない。捨てられた50代の自分が、24歳の自分をSNSの中に創り(なりすます)、結果、図らずも若い男性に愛されるバーチャルな自分によって、50代のリアルな生の輝きを回復させるという筋書きは、いかにもありそう。冒険心をくすぐるSNSの世界と、ラブストーリーとが絡み合ったこの物語には、いまの時代ならではの人間の真実があるかも。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
序盤のSNS擬似恋愛物語、中盤以降のあらかじめ失われた有り得たかもしれない物語、最後にたどり着く真実の物語……そのどれもが下世話で生々しく、嘘にまみれているがゆえに切なく、このエグ味こそが恋愛の真実だと感じさせる説得力のある脚本は、周到に仕掛けられたギミックも含めて見事だと思うし、端正ながらここぞという時に大胆になる演出の素晴らしさに加えて、メガネ熟女ビノシュが、もう可愛いやらエロいやらで、自分が求めているオモシロ映画の理想形に極めて近かった。
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