映画専門家レビュー一覧
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プリズン・サークル
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フリーライター
須永貴子
テーマや取材対象者への向き合い方も、システムや社会を変えるために放たれるメッセージも、真摯かつ明確。作品に色を付けるサンドアートによるアニメーションの使い方も観客ファーストだ。トラウマの克服や、モヤモヤとした葛藤を言語化して整理する作業、自分の人間関係における癖を知る作業など、この刑務所に導入されているプログラムは、もちろん受刑者の更生のためのもの。その一方で、観客一人ひとりが、実はわかったつもりでわかっていない自分自身に向き合う手がかりに。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
受刑者同士の対話によって更生を促す試み「セラピューティック・コミュニティ」を日本で唯一導入している島根あさひ社会復帰促進センター。その受講生たちを追ったドキュメンタリーだ。彼らは対話によって犯罪を犯した自分という存在を見つめ直す。社会的に意義のある映画であるのは間違いない。「取材許可まで6年、撮影2年」という労作であり、受刑者たちが自分たちの犯した犯罪を誠実に語る姿には心を打たれるが、センターの広報ビデオか何かを見せられたような気がした。
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映画評論家
吉田広明
受刑者同士対話して、自身の罪を自覚させる更生プログラムを実践する刑務所。一人はこのプログラムを通して機械から人間になったというが、彼らの多くはそれぞれの事情で罪を犯す前から自ら心を殺し、社会に対して自身を閉じている。恨みつらみを吐き出してようやく被害者のことが考えられるようになり、被害者を思うことではじめて人に帰る。刑務所の現状への痛切な問題提起であると同時に、話す、ということがいかに人を劇的に変えてゆくかを巡る、スリリングなドラマでもある。
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ロマンスドール
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フリーライター
須永貴子
夫婦の感情のやりとりや関係性に新鮮味はないが、2人の出会い、夫が吐き続ける嘘、夫婦の別れといったポイントに、ラブドールというギミックを巧みに絡め、映画的なインパクトとまとまりが生まれている。妻(となる女性)に告白するために衝動的に走る姿、妻がモデルの新型ドール作りに没頭する姿、海辺で亡き妻への想いをつぶやく姿など、夫を演じる高橋一生は、誰かへの想いを抱えて独りで居る姿が抜群にエモーショナル。夫婦の性愛シーンがそれに負けてしまうほどに。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
ラブドール制作工場で働く青年は、生身の女性から乳房の型取りをしようと、美術モデルを呼ぶが、「医療用」と偽ってさせる。それが縁で二人は付き合い、結婚するが、数年経っても、まだ青年のほんとの仕事を彼女が知らないというのがまず解せない。となると、話はみんな絵空事に見えてくる。亡き妻に生き写しのラブドールを作り、ネットで売ると大当たり。関係者共々青年は大喜びするが、なぜあんなに無邪気に喜んでいられるんだろう。妻のドールがいろんな男に弄ばれるというのに。
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映画評論家
吉田広明
出会ってすぐに恋に落ち、結婚した夫婦が、危機を克服して心から一つになる。その夫がラブドールの製作者であり、妻がその(騙された)モデルということを除いてはごく凡庸な夫婦のドラマ。物語の凡庸が悪いわけではないが、大事な場面ではクロースアップの律儀な切り返し、最後のドールを作る際に思い出が走馬灯のように、またそのドールを試し抱きする際にドールが妻に見える、など演出が平凡すぎて、物語の凡庸さを際立たせる形になっている。題材の奇抜だけでは糊塗できず。
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9人の翻訳家 囚われたベストセラー
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映画評論家
小野寺系
基になったのがダン・ブラウン著作の翻訳作業エピソードだったというところに、たわいなさを感じるのはともかくとして、現代的な意匠を凝らしながら、映画では難しいと思われる、ミスリードの繰り返しで観客を驚かせていく構成に挑戦した試みは応援したい。ただ絶えず変転していく物語に対して、興味を持続させるほどの強靱さが根っこにあったかについては疑問も。コマーシャリズムを悪として描くのなら、セットとして大衆側の問題も暗示する覚悟が必要だったと思う。
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映画評論家
きさらぎ尚
終わってみれば“なんだ、そういうことだったの”と、ちょっぴり拍子抜け感も。とはいえラストに至るまでを密室の会話劇として見れば、集められた9カ国の翻訳家のキャラが面白い。小説のヒロインと同じコスチュームでないと仕事ができないロシア語担当。かと思えば給料の支払いがままならないと言うギリシャ語担当は、危機的な状況にあった国の経済政策への批判もちくり。等々、会話はかなり意味深。元ネタがあの『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズ4作目出版の際の実話だったとは!?
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映画監督、脚本家
城定秀夫
閉鎖された空間の中で事件が起こり「この中に犯人がいる!」ってパターンのミステリの王道中の王道をやっているわけだが、集められた人間が各国の有能だが曲者ぞろいの翻訳家たちであり、起こる事件も「ベストセラー小説の流出」というのは、かなり捻りがあって面白いし、真相から逆算して考えると少々無理のあるお話も、構成的なギミックや、現実から巧妙にずらされた独特の空気感により、ある種パラレルワールドで起こっている物語として楽しめるよう計算されている演出もお見事。
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キャッツ
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ライター
石村加奈
11年3月、劇団四季『キャッツ』を観た時、自分もジェリクルキャッツになったような解放感を味わった。エンターテインメントの力が、東日本大震災直後の強張った心をほぐしてくれたのだと思う。本作もT・フーパー監督が微に入り細を穿つ(猫耳の精緻な動き!)豪華な世界へ観客を誘うが、傍観の域から脱出できず。グリザベラの〈メモリー〉も素敵だが、出色はT・スウィフト扮するボンバルリーナの〈ビューティフル・ゴースト〉。吹替版では、森崎ウィンのミストフェリーズに期待大。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
以前舞台版を観た。豪華な美術セットと計算されつくした装置で彩る異世界感、鍛え上げられた演者達の歌唱とダンスに圧倒され頭では凄いと思うが、なぜか心に響かなかった。この映画版、乗れるか乗れないかは冒頭で分かれるだろう。舞台版に敬意を持って映像化しているが、演者を猫化したヴィジュアルエフェクトは斬新、悪趣味なグロテスク演出も盛り込まれている。俺は何を見ているんだ? とまるでトリップしたような感覚に陥る、ある意味舞台版を超えた異世界観だった。
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his
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映画評論家
川口敦子
「愛がなんだ」以後、続々公開される今泉監督作。この「his」もそつなく仕上げてはいるけれど、もひとつ響くものがない。「愛が」のヒロインの想いの偏執狂的なおかしさ、周囲の面々の描き込みの濃やかさに比べるとここにある葛藤はあまりに薄味で笑いにも涙にも行き着かない。結局、山里での隠遁生活を選ぶゲイ・カップルを前に男と女、男と男、人と人、性差を超えて都市に生きる存在そのものの孤独をみつめたロウ・イエ「スプリング・フィーバー」をつい懐かしんだ。
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編集者、ライター
佐野亨
一歩踏み外せば白々しくも押しつけがましくも映ってしまう設定や人物像を、ぎりぎりの大胆さで成立させているのはやはり演出の手腕だろう。作劇がいささか子どもの饒舌に頼りすぎている点と、弁護士二人のわかりやすい対比のさせ方に疑問は残るが、それじたいが「ことば」をめぐって迷走する現代のコミュニケーションの批評的誇張と考えればわるくない。役者のアンサンブルもみごと。とりわけ終盤、中村久美の目線だけである心象を語らせようとする描写の丁寧さは特筆に値する。
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詩人、映画監督
福間健二
もう少し工夫があってもよかったと思うのは、対比される都会と田舎、それぞれの画の作り方と、音のズリ上げを多用する話の運び方。いかにもそれらしい景色に頼りすぎているかもしれない。しかし、宮沢氷魚と藤原季節の演じるゲイの二人の「どう生きるか」に関しては、決めるべきは決めている鮮度ある明快さを感じた。親権をめぐる裁判に向かうあたり、ダグラス・サーク的になるかという緊迫感も。今泉監督、愛の作家。でも幸いにか、人を誘い込むような夢を広げるロマン派ではない。
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風の電話
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フリーライター
須永貴子
主人公のハルは、(もしかしたら死ぬために向かった)故郷への旅の途中で、自分が家族を失った東日本大震災とは違う悲劇で故郷を奪われた人々と出会い、経験を分かち合い、自己の悲劇を相対化する。終着地点となる風の電話で、ハルが茫漠とした感情を初めて言語化するシーンは、演じるモトーラ世理奈がこの撮影で経験したものが吐き出されているように見えた。このドキュメンタルなフィクションは、311後の人間を描いた映画として、現時点での決定版だ。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
豪華な俳優陣の結集にまずは驚く。監督やプロデューサーが斯界で信頼されている証しだろう。「風の電話」の存在を初めて知った。それを映画の題材に取り上げたことは称賛に値する。だから、余計にもったいない。脚本において、良くない構成の一つと言われるものに「団子の串刺し」がある。複数のエピソードを行き当たりばったりに連ねるもの。本作は正直かなり団子くさい。ドラマチックな構成に作為を感じて、あえてこうしたんだろうか。せっかくの脚本術を使わないのは、もったいない。
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映画評論家
吉田広明
東日本大震災で父母弟を失った少女のロードムーヴィー。生き残ったこと自体の罪悪感に苛まれる辛さを、自分が思い出してあげなければ誰も家族のことを覚えている人がいないのだからと旅での出会いを通して克服してゆくわけだが、予定調和に見える。せめてその葛藤を一気に語る最後の電話場面が上手くいっていれば。ここは確かに難しいが、映画の肝でもあり、俳優任せでなくしっかり演出すべきだった。全体に即興芝居が俳優の生身の不確定性を生かしきれず、想定内でしかない。
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テリー・ギリアムのドン・キホーテ
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映画評論家
小野寺系
苦節30年……! ついに「呪われている」とまで言われた企画が実を結んだのは感慨深い。とはいえ、完成したものを実際に見ると、想像していたより淡白な作品。とはいえ、主演のアダム・ドライヴァーが魅力的で、見ていてとにかく飽きないこのタイミングで映画化されて良かったと思わせる。ギリアム監督の重要なテーマである、夢を見ることの力や、夢を信じる意志を掲げた描写はアツく、これを個人的に不十分だと感じた「スター・ウォーズ」の結末としたいくらいだ。
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映画評論家
きさらぎ尚
何度も頓挫した末に完成したこの映画に、良くも悪くもテリー・ギリアムその人の映画観を見る。主人公のCM監督は撮影に大苦戦。彼が学生時代に撮った映画の主人公と現地の村人たちは、その後の人生が狂ってしまっている。つまり映画に取り憑かれた者は、夢と現の間でもがき、結局人生をもち崩すというメタファーか。そうだとしても、ギリアムは自分を虜にしたものを映像にして残したかったのだろう。前半は話にキレがなく退屈だが、独創性と豪華な美術のクライマックスで少し挽回。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
テリー・ギリアム79歳、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて完成にこぎつけた隅から隅までギリアム印の映画で、聞き及ぶ製作過程同様、映画の内容も混沌としているがゆえになんとも面白く、監督が本物のドン・キホーテになるまで神がこの映画を撮ることを許さなかったのではないだろうか? などということすら考えてしまい、自分も映画人の端くれとして胸に迫るものがあった。ギリアム爺さんが無謀な闘いを挑み続けていたのは断じて風車などではなく、映画という巨大な魔物なのである。
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