映画専門家レビュー一覧
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世界でいちばん美しい村
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映画評論家
上島春彦
ネパール大地震災害支援映画だが堅苦しさはない。首都から離れ、孤立した地域に歩を進める監督(本業は報道カメラマン)はむしろ思いがけずシャングリラに迷い込んだようなものだ。山岳地帯独特の、高低差がそのまま過酷な生存状況になっている集落を描くロングショットと、そこで風土に寄り添って暮らす人々のいわばクロースアップ。二つを同時に味わえる。こういう映画を見るとやっぱり子供は宝だねえと思う。ここまでドローンを駆使した撮影は世界映画史的にも貴重な成果である。
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映画評論家
モルモット吉田
スマホの設定に写真の前後2秒ほどが音声付き動画として見る機能がある。それと比較するのは失礼というものだが、石川が普段撮る写真の前後の十数秒が動画になっているかのような豊かな表情、風景に魅了される。映像作品になったことで、カメラを挟んだ石川と被写体との関係性の距離が露わになったのを盗み見ている気分を味わう。今の日本にも通じる震災後の状況がいたましいが、「バンコクナイツ」の楽器を持った人々が連なる行列の様に、ここでも伝承された儀式に圧倒される。
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標的の島 風(かじ)かたか
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映画評論家
北川れい子
今夏公開「ハクソー・リッジ」は、熾烈を極めた沖縄戦で、絶対に武器を手にしなかった兵士の話。イーストウッドの「硫黄島」2部作同様、日本兵にも配慮した作品になっている。そして現実の沖縄――。ここでは多くの人々が、さまざまな場所、さまざまな立場、さまざまな思いで武器を持たずに戦っている。平和を、沖縄を、人々を守るために。ロボットのように無表情な警官たちが立ち並ぶ辺野古ゲート前などの抗議行動を含め、沖縄の人たちの、地に足の着いた戦いに心が震えてくる。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
あの圧制に対する抗いに参加したい。00年の「人間の鎖」(嘉手納基地包囲行動)以来沖縄に行ってない。最近は随分と行動不足。ごめん沖縄。当たり前の思いだ。これさえ保守的感性の輩には県外活動家予備軍と分類されるか。沖縄はじめ南西諸島への差別、彼の地と住民が軍の基地自体とそれらが引き寄せるリスクを集中して負わされていることへの気持ち悪さはそこに住まないゆえに強く感じる。それに気づかせてくれる価値ある記録・主張である本作が多くの人の蒙を啓くことを願う。
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映画評論家
松崎健夫
本作で描かれる問題について個人的には同じ意見・立場であることを大前提に書く。一事が万事、酷い、酷い、と一方的な視点で事例を並べ、あざとい音楽で煽動。自衛隊の言い分や隊員個々の心情が完全に抜け落ち、彼らを単なる悪と断罪してしまっている。もし国や行政が取材に応じなかったのだとしても、それは理由にならない。宗教啓蒙映画のような不気味さを纏うこの映画は、本来は“正しい”ことを歪曲させている。三上さん、残念ながらこの手法ではお互いの憎しみしか生まないよ。
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まんが島
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映画評論家
北川れい子
「私は、自分が見たい映画を作らなくてはなりませんでした」と、これが初監督の守屋文雄は書く。上等だ。“見たい映画”とは“見たい夢”。けれども他人が語る“夢”の話というのがこれまた退屈の代名詞で……。が、この作品は憎めない。というか観ているうちにショボい40男たちの“マンガ”熱を応援したくなる。設定は乱暴だし、場面もチープでいいかげん、へヴィな蛇を噛み殺したりのエピソードもバカバカしいが、男たち全員がとにかく大マジメ、ムサ苦しいが麗しくもあり……。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
漫画『まんが道』で満賀道雄と才野茂が手塚治虫を訪問し、手塚が『来るべき世界』の原稿半分以上を捨てていたと知った二人が衝撃と発奮で帰りに自分たちの原稿を列車の窓から投げ捨てる件(実際の出来事ではない)を私は生涯忘れない。そういう表現に関わる者が知るべきこと満載なのが『まんが道』だが、この「まんが島」にもそれはあった。映画道として。水澤紳吾が「ぼっちゃん」公開中に毎日劇場前でチラシを配っていたことも忘れない。守屋文雄が映画をやり続けることも嬉しい。
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映画評論家
松崎健夫
そもそもアートとは孤島のようなものである。漫画もまた同様。誰のため、何のために描いているのか?と自問自答し、独り黙々と世間と隔絶された空間で描き続けるのだ。藤子不二雄?の『まんが道』で印象的だった“ガリ、ガリ、ガリ”というペン先の音。その再現が素晴らしい。松浦祐也演じる“裏切り者ユダ”のような男は、島の生活によって外見が汚れに汚れている。しかし彼の帰還により、羨望や嫉妬、憎悪といった感情が微かな希望の光へと浄化される終盤は何とも美しいのである。
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娘よ
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映像演出、映画評論
荻野洋一
母娘がパキスタンの封建的な家父長制からの逃走を試みる。米国に移住したコロンビア大卒の女性監督、という外部化された視点による伝統的人権意識への力強い批判。ただし映画の中盤以降は、人妻の不倫旅行に堕する危険性も生じる。そうなると批判する側の潔白性も弱まり、かといって近松的な破滅の道行きにも依拠できない作者は、シナリオに苦心したのではないか。逃走描写に安手のアクション映画演出が施される点は残念至極。娯楽性との融合が垢抜けない。ロケの絶景は圧巻。
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脚本家
北里宇一郎
十歳の女の子が初老の族長の嫁になることに。さあ大変と母親が娘を連れて逃避行。そのハラハラが要となるが、パキスタン山岳地帯の風景が珍しく、母娘を助ける運転手のトラック、その祇園祭の山鉾みたいな形体も面白い。演出は堅実な筆遣い。そこが逆にサスペンス効果を上げて。部族抗争の行方が曖昧だったり、結末にもう一工夫ほしいという欲も。が、かの国の女性が置かれた立場を、シリアスな告発調ではなく、追っかけ映画のスリルで描いた、この新人監督のスピリットは大いに認めたい。
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映画ライター
中西愛子
パキスタンの山奥で、2つの部族間の争いを収めるために、老部族長と幼い娘の婚姻が決まる。その事実を知った母は、娘を連れて逃避行に出る。女性を縛る古い因習を批判したアジア映画かと思いきや、アメリカで映画を学び、現在はNYで活動するパキスタン人女性監督が撮ったこの作品は、むしろ痛快なロードムービーといった趣。エンタテインメントとして楽しめるが、テーマ性は意外とあっさりしている。鮮やかな色のショールを羽織り、己を貫く母と娘の美しさが頼もしくて印象的。
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未来よ こんにちは
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
ミア・ハンセン=ラヴもまた女優から監督へと見事な転身を遂げたひとり。むしろ今が黄金期だと思えるイザベル・ユペールを主演に迎えて、高校の哲学教師が見舞われる突然の人生の転変、そして新しい自己との出会いを、わざとらしさ皆無の落ち着いた語り口とナチュラルなタッチで丁寧に物語る。しかしこんな細部までハッタリ抜きに知的な作品を観ていると、フランス映画の或る種の豊かさと同時に、某国の貧しさを意識せざるを得ない。哲学がスノビッシュにしか消費されない貧しさを。
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映画系文筆業
奈々村久生
年齢を重ねた女性の生態を、特異なキャラクターではなく普通の人間のこととして描くドラマが成立するのはヨーロッパ映画の豊かなところ。そこにはそれを体現できる女優の存在が不可欠だ。大女優であるはずのイザベル・ユペールが実にナチュラルに(リアルに、ではない)そのポジションをものにしていて、彼女が女優を続けていく限りその年齢に応じた新しい女性映画のジャンルが開拓されていくのではないか。母親の忘れ形見である黒猫のサイズが異様に大きくてなんだかいい。
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TVプロデューサー
山口剛
介護、離婚、家族の死、学問的行き詰まり、様々な問題を抱えながら未来を信じユーモアを忘れないで生きるヒロインの知性に感銘する。哲学教授だからの知性ではない。老いは万人に訪れるが、それを受け入れる覚悟が見事だ。去ってゆく夫に「仕事があるかぎり幸せだ」と言う。彼女の孤独と矜持をカメラは自然の中で美しくとらえる。シューベルトを始め挿入歌が効果的だ。政治には口をつぐんでいる彼女だが、急進的政治思想に傾斜しつつある愛弟子に、映画は未来を託しているようだ。
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モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
現在のフランス映画界にはすぐれた女優兼監督が沢山いる。この映画の監督マイウェンもそうだし、主演エマニュエル・ベルコもそう。二人の才女に最近ノリにノッているヴァンサン・カッセルが加わって、いかにも仏映画らしいリアルな恋愛映画を撮り上げた。ヒロインがスキー事故で足を大怪我してリハビリに励みつつ過去十年を思い出すという枠組は、彼女にとって回想自体がリハビリとして機能するということでもあるだろう。でも個人的にはこういう男女の感情のもつれ合いは苦手です。
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映画系文筆業
奈々村久生
怒ったり喧嘩したりするにはエネルギーがいる。それらを怠ったことによるコミュニケーション不足でねじれた人間関係を描くドラマは少なくないが、エネルギーがありすぎてぶつかってもやはり上手くはいかない。何せエマニュエル・ベルコの演じる弁護士は頭に血がのぼるとガラスを割って自分の拳を傷つけるほどすべてにおいて激しい性格。同情するにはいささか存在感が強すぎるか。それを長期にわたりじっくりと見つめた本作自体も相当に体力のある映画だと言える。
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TVプロデューサー
山口剛
監督マイウェンと主演のE・ベルコ、二人の女性が作り出したヒロインは多分に男性依存症的な恋愛依存症的でその自己陶酔的演技と相まって終始なじめなかった。恋は盲目と言うから、ある意味では恋愛の本質をついているのだろうが、人間の悲しさ愚かさを見つめる冷めた視点が欠けている。弁護士という職業人の側面は全く描かれていない。女性の精神的、性的自立とは対極の人物のように思える。V・カッセルは優しさと残酷さ、誠実と不実を併せ持つ人物を相対的にうまく演じている。
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タレンタイム 優しい歌
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映像演出、映画評論
荻野洋一
アジア映画史に名を刻むべき青春映画の傑作である。アフマド特集などで何度か上映されてきたが、今回の単品公開によって本作の価値が改めて強調されるだろう。高校の文化祭準備という似た設定の「リンダ リンダ リンダ」では韓国人留学生の異質性が作品の肝となったが、本作もマレー系、インド系、中華系という3民族の民族感情がデリケートにからんで、そのさざ波が美しい織物と化す。各人各様の秘めた心情が、量ったような等分で歌い継がれる。故アフマドの大きな度量の演出。
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脚本家
北里宇一郎
高校生音楽コンクールが題材。多少センチメンタルだけど、ほどほど良く出来た作品。というのが最初の感想。が、マレーシアの状況を考慮して振り返れば、これがなかなか練り抜かれたお話だったと感心。かの国はマレー系、中国系、インド系など多民族。宗教も入り乱れ、そこに国民間で対立あり偏見ありと混沌。それを踏まえての音楽コンペであり、恋愛、友情だったのだ、と。この監督(故人)、娯楽の衣をまとって、重い自国の現実を描き、しかもその先に希望を込めた。凄く知的な映画だ。
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映画ライター
中西愛子
多民族国家マレーシア。ある高校で、芸能の才能を発掘するコンテスト“タレンタイム”が行われる。ここに参加する4人の高校生とその家族の風景おのおのをスケッチ風に描き、優しく織り上げていく。言語や民族や宗教も異なる、多様な人々が共存している。隣り合わせに愛があり憎しみがあり、幸せがあり不幸がある。小さな日常に寄り添う、みずみずしい大きな世界観に心安らぐ。8年前に本作を撮り急逝した女性監督ヤスミン・アフマド。亡き彼女のまなざしは今も多くを語っている。
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