映画専門家レビュー一覧
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マグニフィセント・セブン
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翻訳家
篠儀直子
村に危機→七人雇う→村人を訓練→最終決戦、という形式さえ守れば、状況とキャラクターを替えていくことで、「七人の侍」は面白いバリエーションを無限に作れるのだなあ。黒澤版とスタージェス版にあった、村人の両義性やトリックスターの存在は省き、アクション映画としての面白さを追求。最終決戦をスペクタクル性豊かにたっぷり時間をかけて見せる。いかにも現代の映画らしい民族構成の七人はみなかっこいいが、とりわけネイティブ・アメリカンの若者が弓を引く姿の美しさに感動。
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映画監督
内藤誠
ご存じの物語構成なので、細部に工夫が凝らされている。まず七人の勇者たちが多人種であることを強調しているのが現代に通じ、そのことで個々の挿話も面白くなっていく。デンゼル・ワシントンが「荒野の七人」のユル・ブリンナーと違った風格をみせ、スタッフ、キャストともに気合の入った仕事ぶりで、終始、あきさせない。それにしても、悪の権化たるピーター・サースガードの命令で虫けらのごとく人がばたばた殺されていくのを何度も見せられると、アメリカという国まで怖くなる。
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ライター
平田裕介
イーサン・ホークの役がロバート・ヴォーンに当たるのかなど、途中までいろいろ考えながら鑑賞。だが、ムードとしては「荒野の七人」だけでなく、「続~」「新~」「~荒野の決闘」のシリーズ全作をひっくるめてのリブートといった感じ。とにかく個性ある7人を集め、各々の得意技が発揮される見せ場をきっちり用意、ドンパチはド派手を極めてという娯楽至上主義な作りで最後まで飽きることはなし。とどめとばかりにエルマー・バーンスタインのあの曲もかかり、なんだかんだ燃えてしまう。
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島々清しゃ(しまじまかいしゃ)
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映画評論家
北川れい子
劇中で演奏される音楽は、沖縄の曲だけではなく、クラシックからブルースまで幅広い。人物や場所もさまざま。が常に目の前には青い海があり、風が流れている。音楽の上手、ヘタはともかく、目で“聴き”、耳で“観る”感じはとびきりだ。不純な音に過剰に反応する島の少女と、よそ者の演奏家、安藤サクラの関係が「0・5ミリ」的なのもニヤリとさせる。沖縄の特殊性よりも少女の特殊性の方が強い作品だが、それ以上に音楽。新藤風監督はむろん、伊東蒼も安藤サクラもアッパレだ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
米軍機の音に少女が耳を塞ぐ冒頭を観て、「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」「殺人の追憶」が圧政下で連続殺人が等閑に付される様を描いた如くもっと政治的隠喩の映画かと思ったが違った(そうであってもよかったが)。沖縄の風土と文化が映画被写体としてのヤバいのは、人間の幸福が本来は実に単純で、近代文明も国家も政治もその邪魔だと映ってしまうためだ。慶良間の少女の音感がその象徴のように西洋音楽に反駁するとも妄想(期待)した。いや、もっと現実的な、宥和の物語。
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映画評論家
松崎健夫
開始早々、この映画がどこかおかしいと感じるのは、季節が夏であるにもかかわらず、少女の耳にイヤーマフがあるからである。その理由が沖縄を舞台にしていることに関係しているのはすぐに判るのだが、さらに重要な点は「少女が音に過敏である」という設定にある。「音を合わせる」ことは〈平和〉のメタファーとなり、それが「人の音を聴かなければ合わない」=「人の話に耳を傾ける」ことを象徴させている。それゆえ少女は、映画の終盤でイヤーマフを外さなければならないのである。
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東京ウィンドオーケストラ
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映画評論家
北川れい子
ロケ地の屋久島が太っ腹。登場する役場の職員たちは、無気力で不機嫌なヒロイン以下、ほとんど役立たず、大ポカをしてもズルズルとなし崩し。上からでも下からでもない脇から目線のユルユルした感じは、背伸びや見栄え、ありきたりの感動とも無縁で、脚本、監督の坂下雄一郎、なかなか達者である。東京からやってきた10人のメンバーのキャラもいかにものイメージで、演奏のヘタさかげんもキャラにピッタリ。ヒロインがダメ上司との不倫にケリをつける以外、全く成長しないのもいい。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
中西美帆演じる役場のおねーちゃんが上司とデキてる設定が、その男の叱責をかわすためにセックスを差し出したようにも見え、これは日本社会で横行する醜関係の例として価値がある。失敗の後もまずは隠蔽や責任転嫁に懸命なこと、偽者たちが小市慢太郎に異様に崇拝されるスリル(潜入捜査ものに通じる要素)などは面白い。ついでに登場人物が数人死ぬ、或いはもっと執拗に過激に笑わせるべく仕掛けてもよい気がしたがまあほどほどで。ひどい話だが明朗、ポジティヴ。屋久島も素敵。
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映画評論家
松崎健夫
データ集計というルーティンワークに辟易とするヒロインの首は、常にほんのわずかだけ傾いている。それは、平凡な人生に疑問を感じているからだけでなく、疑惑の楽団との共犯関係を体現させているようにも見える。そのヒロインを演じた中西美帆の無表情で終止不機嫌な眼差しがキャラ立ちしているように、坂下雄一郎監督は群像劇を得意とする。そのことは「映画が面白ければスターは必要ない」とも思わせ、「12人の優しい日本人」(91)の出会いと同じ感覚を呼び寄せるのである。
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惑う After the Rain
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映画評論家
北川れい子
いささかよそよそしい「惑う」というタイトルに“戸惑う”。大河ドラマを数分でまとめたような父親の半生と、“幸せな家庭というものを知らない”という、父の心の声にも“戸惑い”を覚える。父は恩師から塾を引き継ぎ、やがて家族を持つのだが、物語のメインは父親が急逝したあとの母親と2人の娘の話なのに、何やらグズグズと歯切れがワルく、その演出にも“戸惑う”。終盤にこの家族の秘密が明かされるが、これがまた、新派芝居ふうな美談。家とか昭和とかもいまいちおざなり。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
映画全体が時間を行き来するような構成で、そのことで主人公ら家族の秘密を小出しにしてゆくというのは、根本的にそういう話であり、そういう語り方以外に仕方がないからのような気もするが、もっと現在形の、いまこの事態が誰の予測もつかず起きている、それが実況され目撃されているという錯覚を抱かせるようなありかたのほうがやはり映画として強いのではないかと思い、微妙に芯を外し続けてる感じのまま観た。俳優個々の演技は変ではなかった。作り手の作為が見えすぎか。
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映画評論家
松崎健夫
映画における〈雨〉は、往々にして“悲しみ”を表すことが多い。だが本作では、登場人物其々の“ある決意”を導く場面で〈雨〉が降っている。川や水路で横移動のショットがあるように、〈水〉は行動原理を象徴するものであることが窺える。デジタル撮影が主流となる中、スーパー16で撮影されているが、地方で資金調達する作品の方がフィルム撮影に拘れるという逆転現象も一興。因みに本作の中西美帆も、登場人物の背景を感じさせる演技アプローチでキャラクターを魅力的にしている。
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太陽の下で 真実の北朝鮮
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ロシア人監督が平壌のエリート少女に密着取材して得たフッテージのネガティヴなパートを目一杯使用することで、チュチェ思想の欺瞞をスクープした。そんな状況のすべてを私たち観客は、できる限り俯瞰で注視したい。少女の疲労、精神的限界が生々しく写る。金日成礼讃イベントに動員された青年団の一様な無表情が、報道で見る完璧なマスゲームより少しだけ心情を読み取れる近距離で捉えられる。そこに人間であること以上の欺瞞を透視するなら、それは私たちの鏡でもあるのだ。
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脚本家
北里宇一郎
北朝鮮の現状が8才の女の子を通して紹介され。官僚の監視の下での撮影、通行人までも管理されているというガンジガラメの現場。ならば本番前後のカットを生かそうという、このロシア人監督のしたたかさ。老軍人の長々と続く演説、それを拝聴の女の子。アクビをこらえ、必死に眠気と戦う、そのアップ画面の切ないこと。小学1年くらいの子どもたちが将軍様に縛られていく、そこに胸が潰れるような哀しみと怒りがわき起こる。最後に流した女の子の涙。それは、作り手、観客の涙でもあり。
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映画ライター
中西愛子
主人公は、エリートが集う少年団入団を前にした8歳の少女ジンミ。北朝鮮の庶民生活をとらえたドキュメンタリー、という名目で撮影されながら、出演者たちが演出される姿が映し出されている。しかも、演出しているのは、本作の監督であるロシア人のマンスキーではなく、北朝鮮の文化省関係らしい人たち。マンスキーは危険を冒した隠し撮りなどで撮影の裏側を収めることを敢行したのだ。少年団の芸のレベルは高いと感心する。が、子どもたちの笑顔の背後の不透明さは切なく怖い。
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アラビアの女王 愛と宿命の日々
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
とにかくニコール・キッドマンありきの映画で、彼女の常に堂々たる佇まいと演技力が、実在した「砂漠の女王」の再現に直結し、映画全体のテーマを表してもいる。監督ヘルツォークにとっては、クラウス・キンスキー以来の極めて主人公らしい主人公だ。史実を基にしているとはいえ、エピソードが時間的にどんどん跳びまくり、だがそれはほとんど気にならない。良い意味で大味なのがこの監督の持ち味と思うが、ますますその傾向は強まっている。しかしアラブ人とは恋に落ちないんだね。
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映画系文筆業
奈々村久生
白い服で野性の地に乗り込んで行く西洋人といえば「フィツカラルド」のキンスキー。本作のキッドマンはどう見てもキンスキーの女性版だ。ヘルツォークはフィクションとドキュメンタリーを行き来する作家であるが、実在の人物をモデルにした本作は、キッドマン自身についてのドキュメンタリーにもなっていると思う。実生活では自然に逆らうほどの美と洗練を装う一方で、フィクションの上では野蛮な役柄を好んで演りたがる彼女の精神性を堪能するにはうってつけの一本だ。
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TVプロデューサー
山口剛
ヘルツォークの作品で、しかも砂漠が舞台となると、どうしても初期の傑作「アギーレ/神の怒り」や「フィツカラルド」と比較したくなる。健闘しているニコール・キッドマンをあの狂気の鬼才クラウス・キンスキーと比べるのはいささか酷かもしれないが、自然の脅威に挑む人間の情熱や狂気はあまり感じられない。ラブ・ロマンスに重点を置いたのもヘルツォークらしくない。力作ではあるが、「バッド・ルーテナント」や「狂気の行方」の方に、彼の新しい境地を感じる。
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ザ・コンサルタント
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翻訳家
篠儀直子
韓国映画並みにサービス精神旺盛、謎が全部解けてしまったあともエピローグ部分まできっちり面白い。いくら何でも殺しすぎだとは思うが、主人公の正確無比な戦い方はすこぶるかっこよく、学生時代明らかにイケてない側だったろう女性会計士補とのあいだに情が通っていく過程もイイ。脚本に恵まれたことで監督が本来の演出力を発揮した感じで、主人公の本業である会計士の仕事を面白く見せる工夫も素晴らしい。ハンディキャップを乗り越えた人々の物語である点も、感動的で励まされる。
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映画監督
内藤誠
瞬時に敵を倒すマーシャル・アーツの達人ベン・アフレックが会計コンサルタントだという設定。物語に深味を与えているのは、彼が数学の天才ながら、自閉症児だったという回想シーンが随時、挿入されることだ。彼の性癖もよく分かり、居住環境の異様さも美術の巧妙さとともに説得力がある。登場人物のすべてにひねりが効いていて、恋人のアナ・ケンドリックは数字オタクでおかしく、主人公の闇の部分を追う財務省の捜査官J・K・シモンズは怖いなかにも優しさのある人物を好演した。
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