映画専門家レビュー一覧
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ネオン・デーモン
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映画系文筆業
奈々村久生
田舎から出てきたばかりの垢抜けない少女が慣れない都会の洗礼を受けて覚醒していく前半が面白い。特に目立ったアクションがあるわけでもないのに微妙な目つきや仕草で変化を見せていくファニングがやはり上手い。彼女の周りに現れる都会の人間は誰もが胡散臭く、業界の裏にうずまくドロドロを糧に人工的な美で武装していく虚実乱れた表現も効いている。ただ、それがある一線を超えると完全な精神世界に突入し、アートとしか言えない領域で完結している感は否めない。
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TVプロデューサー
山口剛
16歳の美しいモデルを主人公にしたファッション業界の話という売りだが、そんなヤワな映画ではない。見終わって驚かれる方も多いだろう。評判になった「ドライヴ」は端正なノワールだったが、フリン監督の本来の狙いは異端と禁忌の世界にあるようだ。なにしろネクロ××××やカンニ××××の世界が日活時代の鈴木清順風のカラフルな映像で眼前に再現されるから、その辺の好きな者にはたまらない映画だ。美しくもグロテスクなグラン・ギニョールだ。パルプ版『眼球譚』だ。
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僕らのごはんは明日で待ってる
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評論家
上野昻志
前回が「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」で、今回はこれ。タイトルが似ているので、時間が経つと話がゴッチャになって困る。にしても、「明日で待ってる」の「で」はなあ。澁谷で待ってるならわかるが……てことは、この明日は場所化しているのだ。で、肝腎の映画は、たそがれてる男子に積極的に働きかける新木優子が溌剌として悪くないし、監督は監督で、手の撮り方に拘るなど工夫はしているのだが、自分から別れを告げた彼女の悩みに辿り着くまでの展開が、いささかかったるい。
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映画評論家
上島春彦
回想形式だが、回想が終わったところから劇的な葛藤が始まる仕掛け。これが上手くいった。気持ちよくだまされた私。ただし長い割に説明不足で、お祖母ちゃんが不機嫌だったわけが未だに私にはわかりません。監督最大のお手柄はカー○ル・サ○ダース人形の使用である。あれがないと二人仲直りできなかったはずだから。男に対してポジティブな女というのは非モテ男子には夢みたいな状況で、相手が新木優子じゃ文句のつけようもないが、もう一人の美少女美山加恋ちゃんが少し可哀想か。
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映画評論家
モルモット吉田
新木優子の明瞭な口跡と、明るさの中に憂いを帯びた表情を垣間見せるのが良い。もっともサバサバしすぎて他人のことなど全く考えていない風なのが苛つかせるのだが。キャラとしてはいいが彼女の内面まで隠れたままなので、最後までひとり合点気味な存在にしか思えず。終始呆然としている中島がカーネル・サンダースを抱えて走るシーンなど、その前後の処理がご都合主義になってしまうので盛り上がらない。KFCが異様に食べたくなるのでプロダクト・プレイスメントとしては成功。
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壊れた心
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映像演出、映画評論
荻野洋一
地元マフィアが支配するマニラのスラム街深くに分け入り、路地のガラクタやジメッとした路面の汚水などあらゆる映画的契機が転がっている。だが映画がかなり進行してもなかなかまともな台詞一つ聴けず、こちらは勝手にイメージ先行の作品なんだと決めつけて見てしまう。詩人であり音楽家でもある一九七三年生まれの監督はその多才さを発揮したが、上滑りの感もあり。また撮影の名手クリストファー・ドイルには、良いドイルと悪いドイルがある。本作の撮影は後者だろう。
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脚本家
北里宇一郎
殺し屋がいて娼婦の恋人がいてカリスマ的ボスがいて――と設定は暗黒街物のパターンを踏んでいる。が、物語らしきものはない。最初はこういうイメージ優先の作品もあっていいかと無心に眺めていたけど、結局はミュージック・クリップの連なりみたいな映画で。この監督さん、気持ちよかったろうなあ。好き放題やって。最近貫祿がついた浅野忠信とC・ドイルがいなきゃ、単なるプライベート・シネマと見紛うかも。ま、アレンジを変えて繰り返し流されるテーマ・ソングは耳に残ったけどネ。
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映画ライター
中西愛子
フィリピンの監督ケヴィン・デ・ラ・クルスが、浅野忠信を主演にマニラで撮った作品。殺し屋と組織の女の逃避行と思しき展開だが、セリフはないし、ストーリーもあるようでない。実験映画と言っていい。全篇に流れる音楽は心地よく、世界観をしっかり作っている。また映像もユニークなのだけど、撮影監督はクリストファー・ドイルなわけで。監督、ちょっとドイルに頼りすぎではないか。資料によると、台本もないとのこと。ベテラン監督なのだし、もう少し洗練さがあっていいような。
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ミューズ・アカデミー
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映像演出、映画評論
荻野洋一
詩学・文献学の大学講義を起点とし、教授と生徒の対話、生徒同士の対話、キャンパスの喧噪、サルデーニャの島男たちの合唱、羊飼いのベル、頭上数メートルを通り過ぎる一陣の風。そうした豊かな音と音の擦れ合いが、ガラス越しの不自由なアングルで捉えられ、摩訶不思議なアンサンブルを形成する。自由な形式で撮られた、しかし普遍的な韻律も保った、ゲリンによる映像=音声の詩。男女の語る文学への思い、愛と欲望についての言葉の数々が、私たちの耳に痛みを思い出させる。
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脚本家
北里宇一郎
「おなごはかわいらしい化けもんや。男の気持ちしだいで弁天様にも鬼にもなる」と嘯いたのは、増村保造の「好色一代男」。これはそれを廻りくどい理屈で描いたような映画で。最初は大学の講義のドキュメントかと思わせて、次第にドラマ的展開になる。そこに男の女に対する建前と本音、理論と実践のズレが窺えて。よく考えれば、男のコッケイが底に見える。ポーカーフェイスの喜劇にも思える。だけど演出は大マジメ。この厳格な映画の顔つき、その愛想のなさ、色気のなさにはちと辟易。
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映画ライター
中西愛子
大学の授業。芸術家を奮い立たせる女性=ミューズの本質を巡る教授の持論に対し、女生徒たちから賛否両論が飛ぶ。でも実はこの教授、こっそりモテモテで……。芸術に近づく女たちのタイプを、監督ゲリンがフィクションとドキュメンタリーの間で巧みに考察している。私自身は、自作の詩を見せて、教授にダメ出しされていた反抗型タイプの子にシンパシー。彼女とまったく同じことを言われた経験がある。その時は愕然としても後々役に立っているので、この教授の仕事は信用していいかも。
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アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
ある意味で、クリント・イーストウッドの「J・エドガー」みたいな映画だと思った。つまり、実在の著名な人物を通して社会正義のテーマを描くと見せかけつつ(もちろんそれもそうなのだが)、実のところ作り手がフォーカスしているのは同性愛者の憂鬱と純粋さである。まったくの架空のキャラクターである若き検事アンガーマンの存在が決定的だろう。彼の苦悩が物語の鍵を握っている。不屈の主人公フリッツ・バウアーを演じるブルクハルト・クラウスナーの演技が実にチャーミング。
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映画系文筆業
奈々村久生
フリッツ・バウアーを演じるクラウスナーの風貌がキャッチーでよい。レキシントン型のメガネにゴダールのように角が立って見える白髪。アイヒマンの捕獲という歴史的な事件を扱っているものの、あくまでもそこに関わった個人のドラマとして綴る語り口が、史実を違った角度から見せる。そしてここぞというときに流れるジャズの使い方がめちゃくちゃ上手い。生々しくてスリリング、甘くて苦いジャズの音色は同性愛を示唆する演出にも余韻を残し、全体を艶っぽいものにしている。
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TVプロデューサー
山口剛
ナチスの戦犯逮捕に執念を燃やす鬼検事バウアーは収容所体験もあるユダヤ人。「秋霜烈日」いう古語がぴったり当てはまる鉄の意志の持ち主だ。ドイツ法廷にアイヒマンを立たせたいという彼の前に立ちはだかる様々な難関が緊張感をもって描かれる。ナチスがユダヤ人と共に絶滅の対象としたのが同性愛者だったことを考えると、バウアーの性的嗜好は大きな意味を持ってくる。同性愛を彼自身の問題として描かず、架空の若手検事に託しているが、果たして真相はどうだったのだろう。
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ホワイト・バレット
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
ジョニー・トーらしい、なんともジャンル分けし難い不思議なテイストの映画だ。医療内幕もののように始まるが、まもなく丁々発止の頭脳型クライムサスペンスの様相を帯び、しかしストーリーの焦点はぼやけたまま、両者を行きつ戻りつしつつ進んでいく。これもいかにもトー監督らしく映画は段々一種の不条理ファンタジーのごとく見えてくる。暴力の予感を醸し出しつつ、なかなかそれは爆発しない。時間は奇妙なまでに引き延ばされてゆく。そしてクライマックスは圧倒的に素晴らしい。
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映画系文筆業
奈々村久生
病院という舞台の魅力を90分以内でここまで描ききった映画がいまだかつてあっただろうか。それこそ骨の随までしゃぶり尽くす仕事ぶりだ。ドラマはほぼ病院の敷地内だけで展開するが、クセのありすぎる入院患者たちを細やかに描き分けつつ、終始ただならぬ雰囲気の刑事と女医の顔面で緊張感を保ち続ける。これでもかというスローモーションと歌攻撃の後は、エイゼンシュテインもびっくりの車椅子階段落ち、からの奇跡。それらすべてを差し引いても面白い。さすがジョニー・トー!
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TVプロデューサー
山口剛
ジョニー・トーの新作は香港に戻り大病院が舞台だ。頭に銃弾を受け搬入されるギャングの首領と彼を追う刑事、手術の失敗で追い詰められている脳外科の女医、三すくみの病院ドラマが後半、トーならではのアクション・ドラマに展開する時の映画的快感! いつもながらのハイスピード映像の銃撃、爆破シーン、限定された病院の構造を巧みに利用した撮影は見事。主演ルイス・クーは前半に見せ場がないのでやや精彩を欠くが、ギャングの首領ウォレス・チョンの特異な役作りは面白い。
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The NET 網に囚われた男
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
キム・ギドク監督って、ものすごく個性的ではあるけれど、どうして国際的な評価があれほど高いのか、いまいちよくわからないところもある。故意に素人臭く撮っているような映像も、ここ一番の奇怪なケレン味も、大体映画の後半に訪れる濃厚に観念的な展開も、僕は好きだけど「???」となるのが普通なんじゃないかと。この作品も、同じストーリーを別の監督が撮ったら絶対こうならないだろう。アクチュアルでシリアスな政治的主題を真っ向から扱いつつ、これは一篇の寓話でもある。
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映画系文筆業
奈々村久生
理不尽としか言いようのない話だが、誰が悪いという撮り方はしていない。北にも南にも、さらにその内部でも、それぞれにはそれぞれの生きてきた立場があり、皆それぞれに自分の立場を全うしようとしているだけなのだ。「ベルリンファイル」でも北側の人間を演じたリュ・スンボムは訛りのある喋り方も味があっていい。見たことを喋らないために目を固く閉じるような彼が送還を望むのは家族のためだが、一方でその家族の存在が彼の致命傷にもなってしまう。結末が惜しい。
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TVプロデューサー
山口剛
北朝鮮の素朴な漁師が舟の故障で韓国へ流れ着き、スパイ容疑で過酷な取り調べを受け、命からがら祖国へ帰ると今度は南のスパイではないかと疑われる。カフカ的な寓話かコメディのような話だがこれが全く現実であると訴えているのがこの映画だ。北の独裁と貧困、南の資本主義的退廃に対する批判、両国に共通する官僚制度の恐ろしさ、個人を抹殺する国家の存在への怒り、キム・ギドク監督が本作に込めた思いは単純直截であるだけに力強い。隣国の話として安閑としてはいられない。
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