映画専門家レビュー一覧
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お父さんと伊藤さん
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映画評論家
松崎健夫
タナダユキ監督は本来描くべき部分、例えば上野樹里とリリー・フランキーが同棲に到る過程の詳細をすっ飛ばし、あえて“お父さんと伊藤さん”の関係性を物語の中心に据えている。また、①父と伊藤さん、②父の失踪、③父帰る、という展開が3幕を構成し、父親の行動が物語を牽引していることも窺える。主人公の澄まし顔は30代女性の諦観を表しているようにも見えるが、結果的に“燃ゆる木と燃ゆる家屋”が家族を新たな世界へと導く様相は、まるで「サクリファイス」(86)のよう。
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グッドモーニングショー
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映画評論家
北川れい子
なんとまァ、薄っぺらで安・近・短な人間“ころがし”コメディだろう。そもそもテレビ人間やワイドショーをおちょくること自体が今更って感じがするし、いや、それでもテレビを題材にするのなら、先般公開のアメリカ映画「ニュースの真相」「マネーモンスター」とは言わないまでも、スタジオ人種の罪と罰ぐらいはチラつかせて欲しかった。が自己チューの人物たちが、ただ時間に流されているだけで、落ち目キャスター中井貴一の演技もクドすぎる。途中でチャンネルを替えたくなる映画!!
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
面白かった。監督君塚良一には以前から悪い印象ない。まっとうに映画をつくろうとしている。本作は「俺たちニュースキャスター」風のコメディーかと思いきや「スクープ 悪意の不在」「破線のマリス」の問題系を継承する。「バイオレント・サタデー」「スピード」にあった映像による犯人へのブラフの応用もある。監督の過去作「誰も守ってくれない」と同様のネタも扱いつつそれを衆愚と切り捨てまいとする頑張りがある。仕掛けも結びも良いと思う。広く観られてほしい。
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映画評論家
松崎健夫
個人的な経験からも言えることだが、テレビの生放送の現場はまさに“戦場”。視聴率のためにどこまでやるべきなのか? という是非はさておき、本作ではこの“戦場”の様子を撮影や編集によって演出してみせている。例えば、〈手持ち〉+〈長回し〉で現場の臨場感を伝えつつ、〈手持ち〉+〈短いカット〉で現場のスピード感を表現していることが窺える。その緩急は、時に登場人物の人間関係の均衡をも表現して見せているのだが、願わくば全篇リアルタイム進行でも良かったように思う。
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海へ 朴(パク)さんの手紙
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映像演出、映画評論
荻野洋一
日本軍人であることが「楽しかった」と率直に語る元シベリア抑留兵の韓国人男性パクさんが戦後も断続的に投函し続け、そのたびに宛先不明となってきた手紙の言葉たちがいま、一人の日本人女性ドキュメンタリストの媒介によって、然るべき場所へ着地しようとしている。宛先不明の主である元日本兵・山根さんはどこへ行ってしまったのだろう。戦争の記憶を呼び覚ますドキュメントでありながら、探偵映画のような面白味もほのかに漂わせつつ進んでいく。異色の日韓戦友秘史である。
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脚本家
北里宇一郎
韓国のお爺ちゃんと広島のお婆ちゃん、その人柄のよさが引き出され。それよりも監督の優しさが滲み出て。だけど、日本兵として戦った韓国人がいてシベリア抑留の話があり、一方、戦友の日本人は帰国後、共産党員として活動――となると、これでは物足りない。取材相手と仲良くなりましたでは単なる日記なんで。この監督、欲がないというか、好奇心が不足の気がして。自分が知りたい、聞きたいことがあればもっと喰らいつくはず。対象の眼のつけどころとか、取材力はあるのに。勿体ない。
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映画ライター
中西愛子
シベリア抑留の経験を祖父に持つ新進監督・久保田桂子が、孫の世代から戦争を見つめたドキュメンタリー。日韓のシベリア抑留者の体験談を聞く取材の中で出会った朴さん。彼はシベリアで時間を共にした友・山根さんの記憶を大切にしていた。監督は山根さんを探し、やがてすでに亡くなっていた彼の妻に会う。戦友と妻の愛情溢れる証言、またそれぞれの行間から、ひとりの日本人の人生、ひいては戦争の時代と痕跡が見えてくる。優しいタッチだが、掘り下げているものの奥行は深い。
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無垢の祈り
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映像演出、映画評論
荻野洋一
10歳少女への性的虐待、継父の家庭内暴力、死体を食肉のように処理する遺棄シーンなど、エログロ描写は確信犯的である。近年は自閉青年と愛犬の喜劇「マメシバ」シリーズを中心に活動してきた亀井亨監督が本作を世に問うたのは、自分の力はこんなものではないという捨て身の呪詛と共にではないか。万人には薦められない。子役女優を巻きこんだ露悪的な製作姿勢は、一度きちんと批判に遭わなければなるまい。しかし私自身は、如何ともし難く魅了されたことをここに白状する。
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脚本家
北里宇一郎
いじめられっ娘がいて、母親は宗教狂い、義父はDV、心とからだに傷が絶えない。もう息の詰まるお話で、おまけに連続殺人魔のスプラッタ描写も挿入される。この種の趣向が好きな人にはたまらない作品だろう。脚本=演出もがっちりとその嗜好を満たしている。けど、こういう世界が苦手な者にも伝わる、風穴みたいなものがほしくて。最後の少女の絶叫であの男がちらり動揺、その微妙な表情の変化を見せるだけでも。これではあまりにも型にハマリすぎ。なんか映画が閉ざされてる気がする。
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映画ライター
中西愛子
亀井亨が自主製作映画として、平山夢明の短篇小説を映像化。どう評価していいか難しい。10歳の少女の日常化した家庭内の虐待を描いていて、興味本位でないことはわかるのだが、それをあえていまの時代に実写にするのは、誰に、何のためなのか。はっきりすべき。ここで演じている少女は、陰りがあるが存在感と気迫が強く、作り手の意図としてもむしろロリータ臭を拒絶しているのはいいと思う。確かに野心作なのかもしれないけれど、子どもへの虐待シーンを長々と観ていたくない。
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ある戦争
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映像演出、映画評論
荻野洋一
アフガニスタン駐留デンマーク軍が、ある日タリバンの猛攻を受け、たまらず空爆を要請した。民間人の犠牲者が出たこの空爆をめぐり、部隊長は軍事法廷にかけられる。空爆した第6地区は本当にタリバンの攻撃拠点だったのか? 映画は、裁かれる部隊長の心象を中心に写し出す。戦場と法廷、爆撃音と言葉、アフガンの荒野とコペンハーゲンの夜景。対照的な時空間でありながら、容赦なく主人公を追いつめるという点で共通する。正解のない難問に鋭く切り込んだ手厳しい意欲作だ。
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脚本家
北里宇一郎
アフガニスタンに駐屯するデンマーク軍中隊の話。戦場と家庭描写がカットバックされ、兵士ひとり、その命の重さが描かれる。それはまた戦闘場面の緊張感をも昂めて。後半は裁判劇となり、主人公の部隊長がはたして家庭に戻れるか、そのハラハラで引っ張り、さらにその先の結末で、はじめて戦争の意味、その罪が問われる――と、よく考え抜かれた脚本と演出。逆に、そこに計算くささが少し匂うが、好篇佳作であることは間違いなく。昨今のアメリカの戦争映画に較べれば納得の一作。
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映画ライター
中西愛子
本作の監督T・リンホルムは、冷徹な観察眼で人間や世界を見ている。彼が精緻な描写力で映し出すのは身も蓋もない現実だ。戦争映画だが、後半、アフガニスタンの戦地で軍規違反をした主人公がデンマークに帰国し、これに関する裁判が始まると、別の意味で妙な気持ちになってきた。ここに女検事が登場する。その描かれ方。ホモソーシャルな軍隊精神が、フェミニスト風の彼女を封じ込める。これが社会の現実だと受け止めろということか? 定石を乱す社会的生き物としての女への不寛容に胸騒ぎ。
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グローリーデイ
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
四人の若者たちが、旅行先で思いがけずある事件に遭遇し、苦悩と逡巡と不安の淵に落ち込んでいく。全篇、非常にシリアスなタッチで進み、いったい何が起こったのかという真相と、それぞれの内面の葛藤を、丹念にじっくりと描いていく。中盤からほぼずっと張り詰めた会話場面が続くのだが、そのせいでかえって映画にメリハリがなくなっているように思えた。英語題名は「ONE WAY TRIP」。内容に合ってると思うのだが、どうして「グローリーデイ」なんだろう。しかし救いのない話だ。
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映画系文筆業
奈々村久生
今春ソウルで観たとき、四人組の三人を演じたジス、リュ・ジュンヨル、キム・ヒチャンはちょうどブレイク中で、公開のタイミングと内容的に次世代若手俳優の登竜門のような様相を帯びていた本作。しかし彼らに負けない渋さで光っていたのは神話のドンワンだった。それと対照的だったのがキム・ジュンミョンことEXOのスホ。名実ともにまさに今アジア最高峰の人気を誇るアイドルにしか体現できないであろう笑顔は偶像の極みだ。あんなに眩しくて悲しい遺影は見たことがない。
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TVプロデューサー
山口剛
4人の高校の親友たちが一人の入隊を前に旅に出て、事件に巻き込まれ殺人容疑をかけられる。祖母と暮らす貧しい少年、教育ママと暮らす少年、父親のコネで将来が決まっている者、軍隊へ入る者、さまざまな階層の出身者だ。韓国社会の格差や官僚組織などの背景がていねいに描かれていて、親友同士が次第にお互いを裏切るサバイバル・ゲームになっていく展開は面白いのだが、語り口にテンポと切れ味が欠けるので、青春の哀感、グループの離散による悲しみが今ひとつ迫ってこない。
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人間の値打ち
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翻訳家
篠儀直子
ひどく感じの悪い人ばかりが出てくるので、中心的な登場人物のなかで3人ほどしかいない「まともにものを考えようとする、好感の持てる人間」(それは非常に年若い人物だったりする)が、たいへん愛おしくなる。どう転んでも後味の悪い内容だし、感じの悪い人間の描き方があまりに型どおりすぎて鼻につくのも事実だが、キャメラの動きと人物の動きが一体となって一本の急流を生み出し、観る者をぐいぐい惹きつける(ただし、溶暗の多さはこの急流を停滞させるものであるから疑問)。
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映画監督
内藤誠
ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のようにこの映画もアメリカの小説をイタリアの風土に移し変えて、不自然さがない。まず脚本の構成がみごとで、貧富の格差、学歴問題、経済至上主義で揺らぐ地方文化、家族偏愛のドラマなど、日本にも通じるテーマがくっきり描かれて飽きない。章ごとに語られるキャラクターも、各俳優が競うように明快に演じ、とりわけ第2章カルラを演じるテデスキは華麗さと俗物的下品さの両面を巧く出して、奥行きが深かった。サスペンス感も上々。
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ライター
平田裕介
笑ってしまうくらい浅はかでビビリで見栄っ張りな不動産屋の矮小オヤジをはじめ、登場するキャラすべての言動が身につまされるし、共感してしまう部分がある。加えて、持てる者と持たざる者、搾取する側と搾取される側といった二極化の絶対みたいな現実も突きつけてくる。それらにズドンと沈むが、轢き逃げをめぐるミステリーにアガり、真の愛に気づく少女のドラマにも魅せられる、えらく重苦しいがなんだか芳醇な作品。その少女に扮したマティルデ・ジョリが美しすぎてたまらない。
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スラヴォイ・ジジェクの倒錯的映画ガイド2 倒錯的イデオロギー・ガイド
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映像演出、映画評論
荻野洋一
受験予備校のサテライト授業のごとく、S・ジジェクがそれらしくカメラ目線を堅持することの滑稽さによって、彼の講義内容それ自体以上に〈映画〉が生起する。ジジェクは「タクシードライバー」の主人公の孤独なベッドに横たわり、「ゼイリブ」のゴミ置き場に身を寄せつつ、饒舌機械であり続けようとする。だが「時計じかけのオレンジ」のミルクバーになぜ彼は座らないのか。あのサイケな店内デザインに著作権料が発生するからか。そういう暗黙の不文律の集積こそ〈映画〉なのだ。
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