映画専門家レビュー一覧
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アイ・ソー・ザ・ライト
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
カントリーの大スター、ハンク・ウィリアムスの伝記映画。たった29年しか生きなかったこの天才歌手の短過ぎる人生を、トム・ヒドルストンが情感たっぷりに演じている。録音に差し替えたりせず、すべての歌をヒドルストン自身が歌っている。これがいいんだ。妻オードリー役のエリザベス・オルセンの蓮っ葉な愛らしさも魅力的。彼女の歌がまたいいんだ。というわけで、主演二人の演技と歌対決みたいな様相もあり。逆光と影を活かした、くすんだ画面がクラシカルな効果を上げている。
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映画系文筆業
奈々村久生
トム・ヒドルストンは劇中の歌唱もすべて自分でこなしたそうだが、それが本当であってもなくても関係ないぐらい、ハンクという人にしか見えなかった。栄光も堕落も抑制の利いた演出が冴える。美しく魅力的だが良妻賢母からはほど遠いエリザベス・オルセンもいい。才能ある者が必ずしも人間のできた相手を愛するとは限らないし、傍目には不相応に見えても(ハンクの音楽面での成功を除けばむしろ相応だ)互いが相手を必要としていれば関係は成立する、その説得力が凄まじい。
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TVプロデューサー
山口剛
トム・ヒドルストンの歌唱力、演技力は超絶的名演と言っていいだろう。まるでハンク・ウィリアムスが憑依した感がある。強い南部訛りで唄う誰でも知っているこの歌手の役を、シェイクスピアを演じているイギリスの舞台俳優に振り、歌の特訓を重ねたというプロデューサーの賭けは見事に的中している。アル中と不幸な結婚の半生は、その歌とは対照的に暗く悲惨なものだが、ヒットパレードのごとく次々と懐かしい名曲が聴かれるのは嬉しい。妻を演じたエリザベス・オルセンも面白い。
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イエスタデイ(2014)
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
1967年ノルウェー、オスロの高校を舞台に、当時人気絶頂のビートルズに憧れてバンドを結成した少年四人組の通過儀礼的青春物語。当然ながらセリフもナレーションもノルウェー語で、独特の抑揚が印象的(外国人が聞いたら日本語はもっと独特だろうが)。原作小説がそうなのか、ポール・マッカートニーに当たるキムのモノローグで展開していく。すっきりとしてスタイリッシュな画面作りも相俟って、ちょっとこじんまりとした感じもある。a-haのマグネ・フルホルメンが音楽担当!
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映画系文筆業
奈々村久生
演技経験などゼロだった少年たちをオーディションで選び、一つのバンドになってステージで演奏するまでに仕上げた監督の手腕がじわじわと光る。特にポール・マッカートニーにそっくりなキムを演じたルイスの、作品の中での成長ぶりには目を見張るものが。女の子相手の悪戦苦闘は一挙手一投足から目が離せないし、シャイで奥手なようで妙に小憎らしかったり堂々とした佇まいのアンバランスさが絶妙。ヒロイン役のスサン・ブーシェの深窓の令嬢&小悪魔ぶりも素晴らしい。
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TVプロデューサー
山口剛
原題はズバリ “Beatles”だが、音楽映画と言うよりは、思春期の少年のイニシエーションのドラマだ。背景となるオスロの風土や60年代後半の社会状況なども描かれていて、この時代を知る大人のノスタルジーに訴える青春映画となっている。全体的にはcozyな感じで、芸術や恋愛が甘美さと同時に併せ持つ人生を狂わせかねない危険さが感じられない。みんなチャーミングな若者だが、学生時代というモラトリアムが終われば平凡な中産階級の紳士になる姿が見えるような気もする。
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シーモアさんと、大人のための人生入門
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
邦訳書も多数ある世界的に高名なピアノ教師であるシーモア(セイモア)バーンスタインの人物ドキュメンタリー。演奏テクニックだけでなく、ピアノに向かう姿勢、音楽に対する態度を重視する教育スタンスは、監督イーサン・ホークが魅せられたように、汲めども尽きぬ含蓄と説得力を持っている。ほぼ最初から最後まで、ずっとシーモアさんが喋っているのだが、幾らでも聞いていられる。それは彼の話が興味深いから、だけではなく、彼の表情が、物腰が、なんともフォトジェニックだからだ。
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映画系文筆業
奈々村久生
シーモア氏は才能ある演奏家で作曲家であり、その人生はそれだけでも語られる魅力が十分にある。だが89歳になる彼のドキュメンタリー映画はこれまでなかった。ではイーサン・ホークはなぜこの映画を作ったのか。彼が個人的に抱いていた生きる意味についての問いと、指導者としてのシーモアとの出会いがシンクロしたからだ。誰が、なぜ、その人物を撮りたかったのか。本作はそれについてのドキュメンタリーでもある。ラストの演奏カットは監督の被写体への愛にあふれている。
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TVプロデューサー
山口剛
シーモア・バーンスタインというピアニストをネットで調べてもCDは一枚も表示されない。しかし本作を見ると彼がすぐれた演奏家、音楽教師であり、類い稀な人間的魅力の持ち主である事が判る。飄々としたユーモラスな語り口、芸術家特有の気むずかしさは全くないが、深遠な言葉が、彼のピアノのような優しい声色で次々と口から出る。ドキュメンタリーというと映画的完成度よりテーマが重視されるが、撮影、編集、録音も見事でイーサン・ホークの彼に対する崇拝の念が溢れている。
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高慢と偏見とゾンビ
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翻訳家
篠儀直子
このまま普通に「高慢と偏見」を続けてもいいんじゃないかと思えるくらいまともな演出をしているところへ、いきなりゾンビ物やら戦闘美少女物やらの要素がぶっこまれるのが原作小説同様珍妙な面白さを生み出す、という狙いなのだけど、作り手の狙いどおり愉快に思ってもらえるか、それともついて行けないと思われるかは人によって分かれそう。観る前に元ネタの『高慢と偏見』を、せめてあらすじくらいは知っておくのが吉。音楽も文芸映画と武闘映画の折衷になっているのが興味深い。
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映画監督
内藤誠
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』の時代を舞台にして画面は文芸映画のタッチ。そこへゾンビが登場し、女性による刀剣のアクションまで混入して、実に目まぐるしい。映画的好奇心は高まるものの、一体どうなることかとも思う。その間に古典的な男女の物語とヴィクトリア朝の階級制度も描かれていく。やがてゾンビたちが産業革命の陰で貧困と病いに苦しむ、差別された人々の群に見えてくる。娯楽映画をやろうとしながらも作家たちはそこまで計算しているのかと気味わるくなった。
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ライター
平田裕介
乙女のきらめき、恋のときめき、女性の尊厳といった『高慢と偏見』の最重要テーマを薄めることなく、しっかとゾンビ・ムービーと融合させているのはさすが。ま、映画以前に原作が巧みなのだろうが……。しかも、おちゃらけたノリで撮ろうとしていない姿勢もいい。ただし、少林寺拳法や日本刀をフィーチャーしているわりには、それがイイ感じで炸裂していないのが少し残念なところ。コルセットを締め上げながら、美脚のあちこちにナイフを仕込むリリー・ジェームズにはしびれた。
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ラスト・ウィッチ・ハンター
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翻訳家
篠儀直子
「何が起こっているのかイマイチわからんアクションシーン」を久々に見せられた(注・アクションシーンが全部そうだったわけではありません)のには閉口したが、好きなタイプの話なので個人的には楽しく観た。怪奇映画と探偵映画とアクション映画を合わせたような面白さ。現代のNYに魔術の世界が潜んでいるという設定がそれなりに説得力をもって提示され、虫やら石やらの道具立てが、ほとんど説明なしに次々登場するのもいい。しかしイライジャ・ウッドはどこへ向かっているのか。
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映画監督
内藤誠
ポプコーンを口にする子連れの客の隣席で、「シン・ゴジラ」を見た翌日、試写に行ったので、ひどくマニア向けの映画だという気がした。ジュリー・バーゴフの美術が、魔女の巣食う大樹や、ニューヨークの街並みを眼下に薬草の茂る部屋、無気味な監獄など、絶品。ジュリー・エンゲルブレヒトの魔女の女王の顔も怖い。80年代にエリカ・ジョングとジョセフ・A・スミスの絵本『魔女たち』がよく読まれたものだけれど、この映画も相当にペダンチックなので、カルトなファン向きである。
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ライター
平田裕介
大失敗に終わった「リディック」が証明したように、ヴィン・ディーゼルはコスチューム系やファンタジー系に寄せた作品とは相性が悪い。やはり今作もしっくりきておらず、むやみに大きい剣を背負っていたり、振り回している姿は違和感バリバリ。だが、ゴツいアストンマーチンをブッ飛ばし、ショットガンをブッ放すという“彼らしい姿”が出てくると、画面が締まってくるし、ノリも良くなってくる。魔女と人間が共存する世界の設定も細かく決められているが、その面白さもいまいち伝わらず。
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函館珈琲
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評論家
上野昻志
ご当地もののなかでも、函館は、どうやら特権的な場を占めているらしい。ま、画になるロケーションに事欠かないから……。まして本作は、函館市長賞を受賞したホンだから、この街に似つかわしい建物が舞台になっている。そのアパートに集う人たちも、それぞれ場にふさわしくワケあり風で。久し振りに片岡礼子をスクリーンで見られたのは嬉しいのだが、主人公を演じる黄川田将也の演技がなあ。自身の小説のメモ書きを見て、ウワッとばかりに投げ出す、あの所作は、どうよ?
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映画評論家
上島春彦
京都にこういう職人長屋があるそうだ。脚本のヒントになっているかも。そこにやってくる「書けない新人作家」の人生修業という作り。芸は身を助くというように、本業はスランプでもコーヒーの淹れ方がプロ級なのがいい。セドリ(古書の転売)で細かく稼いでいるうちに本の真の価値が分からなくなってしまった男、というのがじわじわ判明する流れも上手い。それと何と言ってもピンホールカメラでしょう、この映画が星を伸ばした理由は。冒頭と最後が韻を踏んでる感じも実によろしい。
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映画評論家
モルモット吉田
函館映画が多いので何を撮るかは大きな問題になるはずだが、乱歩映画でも撮れそうな古い西洋風アパートの室内を中心に描いているのがいい。住人たちとの交流も程よく、片岡礼子が以前にも増して魅力的で自由に動き回る姿が映画を担う。主人公はセドリ(古書店からの転売で利ざやを稼ぐ)で古書を集めるが、書けない作家が開く店なのだから、均一棚から抜くにしても無造作に大量に取るのではなく吟味するぐらいの愛情を珈琲と同じぐらいかけてほしかったと思うのは古書派の僻みか。
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泣き虫ピエロの結婚式
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映画評論家
北川れい子
原作者であるモデルの女性のことはまったく知らないが、志田未来が演じるヒロインの押しつけがましくも騒々しいキャラクターは、お節介女のサンプルみたい。それで純愛と言われても、出そうもない涙が更に奥に引っ込んだり。ま、素直に観れば、難病で半ば人生を閉ざしてしまっている若い男を献身的に支えた主人公の美談であることは間違いないのだろうが、逆にヒロインの強引さに男が絡め取られたような印象も。ピエロは一種の自虐キャラ。独りよがりの笑顔と善意にウンザリする。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
前回はこのコーナーを四年やっていることの副作用で、難病ものへの飽食で毒を吐いたが、本作で描かれる腎臓の病で透析が必要という状況は伯父三人(上の二人は既に亡い)と母親が糖尿である家系の自分にも高い確率で訪れる事態なので身につまされた。以後気をつけたい。粗さや型通りのところがあるが、諦念からの愛想づかしの場面は強かった。他にも婚姻届に署名しようとして手の痺れを自覚、車のなかで隠れて泣く、ピエロの付け鼻など、具体によって語る場面が良かった。
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