映画専門家レビュー一覧
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天国からの奇跡
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翻訳家
篠儀直子
『ザ!世界仰天ニュース』に出てきそうな実話を信仰目線で語った映画で、選挙の年に米国で増えるキリスト教宣伝映画の一本、なのだけど、各人物の葛藤が描かれてまともなドラマになっており、宣伝臭は薄め。クイーン・ラティファ演じる天使的ポジションの人物と、小児科医のキャラクターがチャーミング。難病の娘を抱えた母親にクソみたいな言葉を投げつける教会信徒がいる一方で、見ず知らずの人たちが示す思いやりが美しく、信仰と無縁の観客もヒューマン・ドラマとして楽しめそう。
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映画監督
内藤誠
テキサスの平和な一家の主婦クリスティに愛娘の消化器疾患の重病が襲う。すべてをなげうってボストンまで出向き、名医に頼み込むが、治らない。この名医のキャラクターが深刻なドラマに救いの笑い。アインシュタインの「奇跡」は信じるか信じないかだという言葉が引用されていて、観客はひたすら、いかなる奇跡が起きるか、待ち続ける。そこで、クライマックスは伏せておくが、実話としては驚くべき事態が起こり、熱演したジェニファー・ガーナーは教会に通うようになったとのこと。
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ライター
平田裕介
劇中でも医師が語るが、娘の偽性腸閉塞完治は大木から落ちた際の衝撃が中枢神経になんらかの作用をもたらしたと思う。大木から落下しても無傷だったのも、木が腐っていたのと腐葉土がクッションになったのだと思う。それを“神の奇跡”とするのは勝手だが、一家を救ってくれた他者の善意をも神がもたらしたとする姿勢には、救われなくてもいいから神よりも人を信じたい者としてはスッキリしない。偽性腸閉塞が治ったら治ったで、すぐさまデカいピザを娘に食わす一家の食育も疑問。
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レジェンド 狂気の美学
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翻訳家
篠儀直子
悪名高さのわりに実はあまり大したことはやってないらしいクレイ兄弟だから、この映画で前面に出るのは犯罪行為よりもむしろロマンスであり、E・ブラウニングが不幸なヒロインを強い存在感をもって演じる。でもこの映画の最大のお楽しみはやはり、素晴らしくハンサムでロマンチックなレジーと、完全にクレイジーな(しかし正気のときには思いがけない優しさを見せる)ロンを演じ分けるトムハ。音楽面では、スウィンギング・ロンドンを舞台にしたジュークボックス・ムービーの趣も。
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映画監督
内藤誠
1960年代の英国ではビートルズと共にギャングのクレイ兄弟が有名だった。邦題のサブタイトル「狂気の美学」は、主演格の兄レジーよりも、心を病んで凶暴な弟ロンから付けたものだろう。レジー役を依頼されたトム・ハーディが一卵性双生児のロンを演じたいと言ったのも当然。映画の成功は彼が二役を演じたことにあり、それを支えるメイキャップや衣裳もみごと。脚本監督のブライアン・ヘルゲランドはヒロイン、エミリー・ブラウニングによるナレーションにひねりをきかせていた。
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ライター
平田裕介
兄ロナルドと弟レジナルドの固い絆と反目、ふたりの間に挟まれて壊れていくレジナルドの妻。エンタテイメントとしても実録ドラマとしても楽しめながら、その関係と行き着く先をきちんと追った仕上がりに。が、離れたくても離れられない双子の歪んだ愛憎の奥底までには深く踏み込んでいるとはいえず。ま、こういうのは当の本人たちもハッキリと意識できる類のものではないだろうから仕方がない。ギャングでさえもキラキラしていた、スウィンギン・ロンドンの別面が覗ける好篇。
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シリア・モナムール
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映像演出、映画評論
荻野洋一
冒頭、分娩されたばかりの赤ん坊を産湯につける映像で始まり、その無垢のイメージが、衣服を?ぎ取られた被拷問者の裸体へと容赦なく接続される。一〇〇一人のシリア国民と「私」が撮影した映像からなるとクレジットされた本作は、夥しい数の死体、負傷者、爆撃された建物のショットを提示する。戦時下に生きるクルド人女性監督が撮ってはアップしてよこす映像を、安全地帯パリに亡命した男性監督が、罪悪感まじりにまとめた絶望、恐怖そして勇気。映画の限界値を超えている。
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脚本家
北里宇一郎
いま、そこにあるシリアの状況を、どう映画にしようかと迷っているような作品で。監督は千一夜物語ならぬ千一の映像をコラージュする。そこにあるものは、おびただしい死体だ。男たちの、女たちの、子どもたちの。そして自分が愛する映画の断片をモンタージュして、自己の心情と重ねあわせようとする。こちらはその混沌を見つめるしかない。監督の苦悩に、なんとか近づこうと意識を働かせながら。この錯綜の果てに、いつか監督の想いが結実された作品が産まれることを祈って――。
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映画ライター
中西愛子
シリアの内戦が続く中、市民が自国の惨状を撮影し動画サイトにアップしたもの、およそ千人の目による証言映像が、本作のメインの素材になっている。拷問、殺戮といったダイレクトな暴力や死の累々。そんな映像の荒いつぎはぎがスクリーンを埋め、観客は直視する苦痛を覚えるだろう。けれど中盤、監督である男のモノローグに、女の声とまなざしが加わった時、本作のタイトルを改めて?みしめてしまう。愛という哲学は、戦場のオアシスであり未来である。これは思索の映画なのだ。
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10 クローバーフィールド・レーン
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
てっきりまたPOVで来るのだとばかり思ってたので、始まってしばらくは、そのしごく真っ当な作りにいささか戸惑ってしまった。ワンアイデアだけで押し切った一作目のようなインパクトはないが、奇妙な監禁ミステリから一転してあの展開になった時のダイナミズムは痛快。でもあれって最初で予想出来るよね。最近は「ネタバレ厳禁」も宣伝の一部だと感じます。メアリー・エリザベス・ウィンステッドは体を張って頑張っている。ジョン・グッドマンの上手さが映画の重石になっている。
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映画系文筆業
奈々村久生
濃いネイルカラーは少しでも?げるとすぐバレる。美しさという点では好ましくない状態だが、本作のヒロインは濃いボルドーを塗って登場し、謎のシェルター生活が長引くにつれてそれがだんだんと?げていく。先の見えない避難生活の厳しさや不安、時間経過をこうしたディテールで見せるとは大したセンスだ。随所で光るその才覚はこれだけでも十分にうかがえる。新人ダン・トラクテンバーグの映画的感覚の的確さに舌を巻く。この監督はきっと何を撮っても面白い。今後への期待も込めて★。
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TVプロデューサー
山口剛
B級映画の傑作と言ったら失礼だろうか。人気スター出演の鳴り物入り大作ばかりで、アイディア勝負の面白い映画が少ないとお嘆きの方々はきっと快哉を叫ぶだろう。ヒロインの監禁で始まるディストピアものと言った説明も不要だろう。なにしろ先が全く読めないから固唾を呑まざるを得ない。登場人物はほとんど三人だけ、場所はシェルターに限定されているが、背景には世界の終末が重く広がっている。M・E・ウィンステッドの身体演技はエロティック、J・グッドマンはひたすら怖い。
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帰ってきたヒトラー
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
色々と手が込んでいる。最初のうちはいかにもテレビ的な画面と編集にやや白けながら観ていたのだが、中盤でそれも(たぶん)狙ってやってたことがわかる。オリヴァー・マスッチのヒトラーぶりがあまりにも上手で、演説口調の長台詞になると思わず聴き入ってしまう。しかしこういう幾重にも屈折したアイロニカルなユーモアと一筋縄でいかないポピュリズム批判って今の日本でちゃんと受け取られるのだろうか? 単に「タブーに挑戦」した「危ない映画」として消費されないことを願う。
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映画系文筆業
奈々村久生
アイデア勝ち、と見られても仕方ないほどの強烈な題材。街頭の一般人とゲリラで接触させ、生の反応をとらえるリアリズムを演出するため、ヒトラー役には世間にあまり面の割れていない舞台俳優が起用されているが、それによって完全なフィクションを前提とした場合の「ヒトラー」という人間の人格の掘り下げは叶わなかったようにも思う。本作におけるヒトラーはタレントが芸能活動で得た知名度と人気を元に政治家に転身する構図と酷似しており、その危険を再認識できる。
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TVプロデューサー
山口剛
もし今ヒットラーが再来したら、意外にも人気者になり、強いリーダーシップを求める大衆は再び彼を選ぶのではないか……何とも空恐ろしい不敵なテーマを突きつける喜劇だ。まさに我らの内なるヒットラーである。かつて彼を選んだドイツ人だからこそ作れた映画かも知れない。素直に笑える喜劇ではない。すべて、自虐的などす黒い笑いだ。ファンタジーとドキュメンタリーを織りまぜたこの映画の世界が現実になりつつある予兆を感じる。歴史に無知な若い世代の擡頭が恐ろしい。
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さとにきたらええやん
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評論家
上野昻志
里といっても、山里ではない。大阪は釜ヶ崎にある「こどもの里」だ。親子の関係に問題のある子や、不登校の子や、いろいろな子たちがいるが、とにかく、みんな元気だ。子どもたちは、里の前で古着を売ったり、広場で開く運動会では、街の大人たちと一緒に走り、夏祭りには、館長の荘保さんを筆頭に踊ったりする。また冬には、不登校だった中学生を先頭に「子ども夜回り」といって野宿の人たちにカップラーメンを配り、話を聞くのだが、そんな彼らの姿に、この里の得がたい力を感じる。
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映画評論家
上島春彦
難しく言えば地霊、要するに釜ヶ崎という土地の持つ独特の雰囲気がこんなに生きた映画は稀だ。生活破綻者の実母から離れて「里で」暮らす少女、知的障害と判断されて学校に行きたくない少年、他、雑多なエピソードを織り込み、ここにやってくる者それぞれの過去現在から旅立ちまでをきちんとまとめ上げる新人監督の手腕に感服した。結構みんなよく泣くのだが、無駄に「泣かせる」ための映画にはしていない。森﨑東の七十年代初期作品みたいな感触。里のお母さんが倍賞美津子っぽい。
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映画評論家
モルモット吉田
隣町に住んでいた頃、難波への通り道だった西成の印象は冒頭と最後に自転車が周回して映す町の気分に近い。自転車から降りることが少なかった筆者と違い、こどもの里でボランティアをしていたという重江監督は地に腰を下ろし、同じ目線で向き合う。それまで使用されなかった字幕が不意に映る後半、残酷なクライマックスを予感させ動揺する。里の日常に心地よく浸って観ていたからだ。老人の町と今では思われがちだが、若者を主体に描いて町の若々しい一面を切り取った視点もいい。
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64 ロクヨン 後編
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評論家
上野昻志
前号で、西脇英夫が、本作の筋立てが韓国映画とそっくりだと書いていたが、それは映画以前の原作の問題であろう。その場合、横山の原作と件の韓国映画、どちらが先かも問題になるが。本作は、幾つか改変はあるものの、基本線は原作の通りだからだ。むしろ、同じように著名な小説からテレビドラマ、映画化というお馴染みの経緯を辿りながら、『劇場版 MOZU』のような小賢しい捻り方をせず、原作とがっちり四つに組んでいる点を評価する。ただし、結末の付け方には注文があるが。
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映画評論家
上島春彦
最初の事件の模倣犯が現れ突然面白くなる。少々気になるのは主人公佐藤が初めの事件で捜査班の一員だった設定、何か間がぬけて見えないかな。キミずっと何をやっておったの、という感想を抱かせるのだ。だって他の人々は色々やってたわけだから。書けないけども。犯人のあぶり出し方に伏線がないのも弱る。どうして公衆電話なのかも私には分からなかった。と散々文句をつけたが瀬々監督が描くと記者連までうさん臭く、効果絶大。事件に関係ない事件の方も興味深いという稀有な作例。
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