デイヴィッド・リーン デイヴィッド・リーン

  • 出身地:イギリス、クロイドン
  • 生年月日:1908年3月25日
  • 没年月日:1991年4月1日

略歴 / Brief history

【イギリスを代表する文芸映画の巨匠】イギリスのクロイドンの生まれ。父は公認会計士で、熱心なクエイカー教徒。高校を卒業して父のオフィスで働くが面白くなく、1928年、20歳のときにライム・グローヴ・スタジオにカチンコ係として入る。下働きの仕事は何でもやり、やがてモーリス・エルヴィ監督の第三助監督となる。時代はトーキーとなり、30年にゴーモン・サウンド・ニューズ社の編集室に入る。急速に編集技術を取得したリーンは注目され、会社も2回替わり、一本立ちの編集者として毎週10分のニュースを担当した。35年、念願の劇映画に転じることになり、42年までの7年間、次々とヒット作を担当していた。このニュースから劇映画の編集者を務めた12年間あまりは、正に編集を通じての演出技術が磨かれた時間だった。41年、劇作家ノエル・カワードが1本監督することになり、共同監督として指名された。それが監督第1作となる“In Which We Serve”(42)である。以降、カワードは「幸福なる種族」(44)では原作・脚本、「陽気な幽霊」(45)では原作、「逢びき」(45) では原作・脚本とリーンとの共同作業が続く。「幸福なる種族」から「マデリーン」(50)までは、アーサー・ランクのシネギルド・プロダクションで製作。これはプロデューサーのアンソニー・ハヴロック=アラン、カメラマンのロナルド・ニームと三人で創立したもので、戦後イギリス映画の新時代を築く力となった。その間の「大いなる遺産」(46)は、リーンが大好きなディケンズの小説の映画化で、複雑なストーリーを歯切れよくさばいている。次いでディケンズの「オリヴァ・ツイスト」(48)も映画化する。【傑作「アラビアのロレンス」を発表】55年、恋愛ドラマの秀作「旅情」を発表、57年、戦争を描いたヒューマニズム大作「戦場にかける橋」ではアカデミー賞の作品・監督賞など7部門で受賞、大ヒットを飛ばし、第一線の監督としてゆるぎない地位を築いた。そして、「アラビアのロレンス」(62)は、砂漠に生きた反逆児を雄大なスケールと緻密な演出で描いた傑作となり、アカデミー賞作品・監督など7部門を受賞する。65年の「ドクトル・ジバゴ」は、ソ連のボリス・パステルナーク原作小説の映画化。ロシア革命の激しい奔流の中で、医者のジバゴが二人の美しい女性の間で悩み、生きる姿を描くロマンティック大作。これもまたアカデミー賞を5部門受賞している。70年の「ライアンの娘」は、美しい人妻の不倫を通して人間の愚かさ、聡明さを描く。そして、遺作となった84年の「インドへの道」は、英国植民地インドに婚約者を訪ねて来た若い娘の神秘的な体験を描く。91年、次回作にジョセフ・コンラッドの『ノストローモ』を企画中に死去。本格的な文芸映画を格調高く製作した、イギリスを代表する巨匠だった。

デイヴィッド・リーンの関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • インドへの道

    制作年: 1984
    インドに旅した英国娘を通し、異民族文化同士の出会いと摩擦を描く。製作はジョン・ブラボーンとリチャード・グッドウィン、監督・脚色・編集は「ライアンの娘」以来14年ぶりのデイヴィッド・リーン、原作はE・M・フォースター(筑摩書房刊/この小説に基づくサンサ・ラマ・ルウ脚色の舞台もベースとなっている)、撮影はアーネスト・デイ、音楽はモーリス・ジャールがそれぞれ担当。出演はジュディ・デイヴィス、ヴィクター・バナルジ、ペギー・アシュクロフト、ジェームズ・フォックス、アレック・ギネス、ナイジェル・ヘイヴァースなど。
  • マデリーン 愛の旅路

    制作年: 1950
    許されぬ愛に身を焦がす実在した女マデリーン・スミスの生き方を描く。製作はスタンリー・ヘインズ、監督はデイヴィッド・リーン、脚本はニコラス・フィップス、スタンリー・ヘインズ、撮影はガイ・グリーン、音楽はウィリアム・オルウィンが各々担当。出演はアン・トッド、ノーマン・ウーランド、イヴァン・デニ、レスリー・バンクスなど。
    60
  • ライアンの娘

    制作年: 1970
    反英世相高まるアイルランドの寒村を舞台に、不倫の恋に燃える人妻の業を描く。製作はアンソニー・ハヴェロック・アラン、監督は「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」のデイヴィッド・リーンで、他のオリジナル脚本のロバート・ボルトや撮影のフレデリック・A・ヤング、音楽のモーリス・ジャール、編集のノーマン・サベージ等は両作品の時と同じスタッフである。出演は「秘密の儀式」のロバート・ミッチャム、「遥かなる戦場」のトレヴァー・ハワード、「召使」のサラ・マイルズ、「さよならを言わないで」のクリストファー・ジョーンズ、「ふたりだけの窓」のジョン・ミルズ、その他レオ・マッカーン、バリー・フォスターなど。メトロカラー、スーパー・パナビジョン七〇ミリ。
  • 逢びき(1945)

    制作年: 1945
    映画演劇の両面にプロデューサーであり、作家であり、監督であり、俳優であるノエル・カワードが、自作の戯曲「静物画」を映画化したもので、監督は「この愉快な種族」「大いなる遺産」のデイヴィッド・リーンが当り、撮影は「ヘンリー五世(1945)」「余計者をまっ殺」のロバート・クラスカーが指揮した。主演は舞台女優で、映画にはシネギルド作品数本に出演したシリア・ジョンソンと、舞台出身で「星への道」のトレヴァー・ハワード。ヴェテラン喜劇俳優スタンリー・ホロウェイを筆頭にジョイス・ケイリー、シリル・レイモンド、イヴァーリー・グレッグ、マーガレット・バートンらが助演している。製作を担当しているアンソニー・ハヴェロック・アランとロナルド・ニームは監督リーンと共にシネギルド・プロを主宰している。
  • ドクトル・ジバゴ

    制作年: 1965
    ボリス・パステルナークの小説を、「アラビアのロレンス」のロバート・ボルトが脚色、同じく「アラビアのロレンス」のデイヴィッド・リーンが監督した、ロシア革命を背景に1人の男の生涯を描いた文芸篇。撮影はフレッド・A・ヤング、音楽はモーリス・ジャール、美術監督はテレンス・マーシュとジョン・ボックス、装置はダリオ・シモニ、衣裳デザインはフィリス・ダルトン、特殊効果はエディ・フォーリー、第2班監督はロイ・ロソッティが担当した。出演は「アラビアのロレンス」のオマー・シャリフ、「ある晴れた朝突然に」のジェラルディン・チャップリン、「ダーリング」で38回アカデミー女優主演賞をとったジュリー・クリスティ、「クロスボー作戦」のトム・コートネイのほかにアレック・ギネス、シオバン・マッケナ、ラルフ・リチャードソン、リタ・トゥシンハムなど。製作は「クロスボー作戦」のカルロ・ポンティ、製作企画は「人間の絆」のジョン・ボックス。なおこの作品は、第38回アカデミー賞の、5部門(脚色賞、色彩撮影賞、色彩美術賞、色彩衣裳デザイン、オリジナル作曲賞)で受賞。
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  • アラビアのロレンス

    制作年: 1962
    T・E・ロレンス自伝『知恵の七柱』からロバート・ボルトが脚色し、「戦場にかける橋」のデイヴィッド・リーンが監督した七〇ミリスペクタクル。撮影はフレデリック・A・ヤング、音楽はモーリス・ジャール。出演者は舞台俳優のピーター・オトゥール、「戦艦デファイアント号の反乱」のアレック・ギネス、「バラバ」のアンソニー・クイン・「紳士同盟」のジャック・ホーキンス、「カサブランカ」のクロード・レインズ、ホセ・フェラー、アーサー・ケネディ、アンソニー・クェイルなど。製作はサム・スピーゲル。テクニカラー・スーパーパナピジョン七〇ミリ。
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