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2019年度 映画検定2級合格者発表
2019年12月25日2019年11月15日~11月30日に開催されました、 「映画検定2級」の合格者を発表いたします。 合格者の皆さま、おめでとうございます! 2級の合格者特典として、 1. 全国のイオンシネマにて、2020年1月3日~2020年2月6日まで、 合格者の発表上映いたします。(※) ぜひ、劇場へ足を運んでご覧ください。 事前に、こちらからも合格者上映ムービー、ご確認頂けます。 (※)映画と映画の間の幕間上映の場合と、映画直前の予告編上映の場合がございます。 各劇場により上映タイミングが異なります。予めご了承くださいませ。 2. 12/20発売の「キネマ旬報」でも、2級合格者発表いたします。 こちらからお買い求め頂けます。 3. 希望された方は、Yahoo!映画、及びキネノートにて、 「2級合格者バッチ」を付与しております。ご確認くださいませ。 4.弁慶映画祭の審査員の選定は、1級合格者決定後に行われます。 決定しましたら、HPにて発表いたします。 【2019年度 映画検定2級合格者発表】 ※順不同、敬称略 はる 岡田明紀 CHE BUNBUN Con. リオ もっち JIMARO 川津泰彦 しろかわつよし。 まさちゃん さぽしゃ 見山 晴香 ギャツビー 工藤 秀人 神成英樹 大川おかかパパ ビコ みおこし fusa 山中 直人 バタオ nisekazu 菊次智 伊東 孝芳 県人会 稲生賢哉 藤澤優樹 八月一日 kohsuke STONEMAN 村路明 ahax64 樽本 泰幸 伊藤浩二 加藤 玉来 内藤幸浩 片岡秀樹(百鬼丸) 平野 勝也 七瀬ときは 村本高史 田子裕晃 奥西悠吾 村田嵩治 K.,Omiya 山形 昇 くまさん くわちゃん アンドレ 林 武仁 ささくに♪ 森 吉隆 和泉 義秋 Kamosho よこちゃん Tangerine ブロンディ Takaya.H tsumumiki シライシタイチ 河越 巧 Setsuo-k めぐみん fil ともかず 宮﨑 聖剛 ronin 赤染萌 ChaiCooria トカゲーエフ ヤギザ 川合 雅雄 森 裕 藤田 守 シゲちゃん 倉田 恵美 ももたろ 佐々木 晋 佐々木 嘉隆 仁木 崇 服部 太加志 ジェットリンク でめらら kazu 福岡孝祐 文演明大前 土佐桃香 おつる 田代 克也 小池碧 岡 樹 高田裕成 じんけし 甲野将人 宮田 隼 神戸のクラやん 大津 裕嵩 きやたかふみ アンドレ ukigumo09 比嘉 拓哉 大倉悠 都築雄二 ヘンミマサオ 鈴木友哉 石垣裕万 みぢこ ゴウ 長田貴弘 田村 千尋 レオナ P13 パット咲イタ・モリタ 田中 健太郎 田中ナオト コブラ 谷脇 竜也 Yuka Ygm いなくん 津下陽介 小松祥太朗 蒲原周一郎 松石貴裕 加藤酒店 山形 豊 内田哲也 清原 悠矢 レイヤン 栃倉尚広 やなぎさわゆうき bookshelf mitsu 榮田 悠子 おおちゃん シャイゾンビ 清原佑介 米田 智宏 麻生和臣 きょうぞ -
池田エライザは田川市で青春映画を作った
2019年12月20日連載 「地域映画」は、本当に地域のためになるのか? その4 有田匡広さん(たがわフィルムコミッション/田川市職員)インタビュー 池田エライザ監督と演技ワークショップに参加した田川のみなさん 「食」や「高校生」とのコラボレーションを核に、映画24区が進める地域発の青春映画制作プロジェクト『ぼくらのレシピ図鑑』は2017年、兵庫県加古川市を舞台に安田真奈監督・脚本の「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」でスタートした。自治体や市民が企画の段階から参加。脚本作りやロケハンにも協力した映画では、地域の食材や風景が物語とともに記憶された。 そんな『ぼくらのレシピ図鑑』第2弾「夏、至るころ」は、福岡県田川市を舞台に、女優・池田エライザさんが原案・監督、テレビドラマ『文学処女』『青と僕』などの下田悠子さんが脚本を手掛けた。田川市ではプロジェクトの成功のために、実働部隊となる実行委員会を組織したという。「夏、至るころ」のプロジェクトについて、田川市建築経済部たがわ魅力向上課の有田匡広さんにうかがった。 取材・文=関口裕子 田川市のソウルフードとは? 映画「夏、至るころ」の食卓に並んだ「ホルジャガ」 ――まさにこの夏、「夏、至るころ」の撮影が行われたそうですが、現在の状況は? 有田 おかげさまで映画が完成して、市民にお披露目をしまして、今後の展開に向けた準備をしている状況です。この映画は作って終わりではなく、これからまちづくりに活かしていきますので。 ――作品の内容は、次回のインタビューで登場される池田エライザ監督に存分に語っていただくとして、まずは映画をきっかけに、地域振興やシティプロモーションをしようと決めた経緯を教えてください。 有田 平成27年5月に二場公人(ふたば・きみと)田川市長が就任し、翌年4月に観光振興やシティプロモーションを行う「たがわ魅力向上課」ができました。いろいろ検討するなかで、映画やドラマの誘致がロケ地巡りなどの観光振興に結びつくことを期待して、平成29年4月にフィルムコミッションを立ち上げました。ちょうどその設立準備をしているときに映画24区の『ぼくらのレシピ図鑑』のリリースを手にしたんです。 当時はまだ第1弾が完成しておらず、未知数なところがあったため、最初は市の内部で企画が通りませんでした。でも、その間もやりとりをしていたら、福岡県出身の池田エライザさんが『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズに興味を持っていて、田川市でやることにも積極的だという情報をいただいた。それで、再度企画内容を整理して上げたところ、承認を得ることができました。池田エライザさんというビッグネームがついたことで、少しだけ完成図を想像できる状態になったのだと思います。ただし、できるだけ市の負担が減るよう、国やその他の助成金を獲得するという条件が付きました。その後、助成金も得て、本決まりになったという流れです。 ――なぜ『ぼくらのレシピ図鑑』を選ばれたのでしょう? 有田 理由の一つは「食」です。田川は7年前から「田川ホルモン鍋」をB1グランプリに出展していましたが、グランプリを獲得していません。おいしいホルモン鍋のお店も複数ありますが、田川に行ってこれを食べようというほど知られていないし、「これだ!」というお土産もないんです。田川に来たなら、あれを食べて、帰りにこれを買ってと勧められるような商品を育てたい。劇中に登場する料理を地域の飲食店で提供し、地域のお土産品として販売して、「あの映画に出た、あのメニューを食べよう」というふうになるといいなと。 ――どんなものを商品化される予定ですか? 有田 劇中に登場するパプリカのピクルスとホルモンとジャガイモの煮込み料理「ホルジャガ」です。パプリカは、ラベルやネーミングを実行委員会や事業者と作り上げて、道の駅やネットサイトで販売したいと思っています。 パプリカのピクルスは「母の味」 ――「夏、至るころ」が始動する前に、第1弾「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」を作った加古川市に足を運び、ヒアリングされたとうかがいました。 有田 企画を練り直すにあたり、8つのメリットを挙げました。その中のいくつかは、加古川市さんをモデルにしたものもありますが、挙げますね。 1 「オリジナルメニュー(レシピ)の開発」。住民ワークショップを開催し、地域の方と一緒に映画をきっかけとしたメニュー開発をしました。行政主導ではなく、映画作りに関わってもらうことをきっかけに地域住民の方と一緒にメニューを考えました。 2 「特産品の販路拡大」。できたメニューやお土産品を販売することで農家さんの所得向上にもなります。 3 「新たな観光客の誘客」。地域振興のために地元で上映するときは無料で上映できるので、上映会とロケ地巡りと劇中に登場する食事を楽しむツアーを開発したいと思っています。 4 「シティプロモーションの推進」。3によって、炭坑節発祥の地だけじゃない、チャンネルができる。映画を通じて全国の人に今の田川を見てもらう。 5 「地域のにぎわいづくり」。フィルムコミッションでも言っていることですが、ロケが行われればまちがざわつく。上映や舞台挨拶があればさらにざわつくわけです。 6 「高校生の創造力の養成」。「高校生応援隊」は加古川市さんへのヒアリングの結果、導入したものです。高校生が映画の現場を見ることは貴重な体験となるだけでなく、視野も広がります。 7 「地域住民のまちづくりへの興味・関心の向上」。「食」と「脚本開発」のワークショップは、映画がきっかけだったので積極的に参加していただくことができたと思います。映画作りをきっかけで、まちづくりへ関心を持ってもらえました。 8 「シビックプライドの醸成」。今後行われる上映などで郷土愛を醸成してもらえることを期待しています。 ――加古川市さんのアドバイスはプラスになりましたか? 有田 ものすごく助かりました。田川市にとっては初めてで、分からないことだらけ。映画の業界のことも詳しいわけではないので、地域の方々とどのように関わりを作っていくのか、加古川市さんもたぶん手探りで作られた成功事例を借りつつ、アレンジを加えて、田川モデルを作りました。 高校生応援隊と実行委員会 田川市の高校生応援隊 ――プロジェクトの流れとしては? 有田 市の内部で企画が通ってからすぐに実行委員会を立ち上げました。メンバーは、行政と企業関係者とまちづくり団体や文化団体の方々です。各団体のトップが集まった意思決定の実行委員会ではなく、実働部隊の実行委員会を作りました。田川市モデルとして挙げるとしたら、これかなと思っています。青年会議所の現役やOBの方々が多数参加してくれました。意思決定も実行委員会で行うので、スピーディに進めることができました。皆さんの協力がなかったら成功させるのは困難だったと思います。これからも新メニューの展開や商品の開発など協力タッグで進めていきたいです。 ――12月には呼びかけを始め、それぞれのプロジェクトが動き出したわけですね。 有田 はい。実行委員会の設立が1月。設立会議をやって、2月に「高校生応援隊」を募集。3月上旬に池田エライザ監督の映画を田川市が作ることをリリースしました。監督は池田エライザさんだと2月にはほぼ決まっていましたが、高校生応援隊を募集するにあたり、監督名でなく、純粋にプロジェクトに賛同した生徒を選びたかったので名前を伏せました。 田川市の人口は、約4万8千人。高校生の募集は、田川市とその周辺の町村を含む生活圏に呼びかけました。田川は三方を山に囲まれた盆地で、生活圏も一体なので高校の通学区も市郡一緒。田川市郡に在住、在校という条件に、新1年生となる中学3年生から高校2年生を対象としました。結果、30人が参加してくれました。 SNSを見ていると、田川市が池田エライザ監督の映画を作ったことを肯定的に書いてくださるものや、「田川市民、ずるい」「なんで田川市民だけ?」という書き込みもあったりして、「田川市民でよかった」と思ってくださる方もいたのかなとか思いました。 ――高校生応援隊の活動は? 有田 まずリアルな高校生の声を聞きたいと要望された、脚本家の下田悠子さんを、シナハンも兼ねてお招きする形でワークショップを行いました。高校生と直接お話しいただき、会話のスピード感や方言、今の田川の高校生が抱えている思いを聞いていただきました。 撮影中は、制作部としてお手伝いもしてもらいました。高校での撮影の際には、実行委員会が用意したお昼のまかないづくりを手伝ってもらいました。 先日は、映画のフードコーディネーターさんをお招きして、「ホルジャガ」を一緒に作って試食を兼ねた「中打ち上げ」を行ったところです。今後の関係者試写会や、2月の地元住民向けの有料試写の際は、高校生応援隊にPRを手伝ってもらおうと思っています。年度が変わると卒業生も出てくるので、そこまでが高校生応援隊の活動の一区切りかなと考えています。 ――住民の方向けには、どんなワークショップを行ったのでしょう? 有田 脚本ワークショップと演技ワークショップです。安田真奈監督に来ていただき、お題をもらって脚本を書いてみるという作業をしました。「脚本」と「食」のワークショップと、映画作りセミナーは、同じ日に一気に行いました。演技ワークショップは別の日程で、さらに別の日に地元の出演者オーディションを行いました。その全てに参加してくださった方もいれば、オーディションだけ受けた方、ワークショップだけの方もいます。参加者のアンケートには、「楽しかった」「すごく期待しています」「楽しみにしています」など肯定的なものが多く、常日頃、明るい話題を求めていることを実感しました。そういう意味では数字化できないまでも「にぎわいづくり」や「シビックプライドの醸成」は達成できたかなと思います。 映画に映った田川らしさ 石炭記念公園の2本煙突 ――ロケ地選びで気をつけたポイントは? 有田 もちろん脚本ありきですので、我々としては推したいところもいくつか提案しましたが、却下されたところも多いです(苦笑)。自治体としては、新しく作ったきれいな施設などを見て欲しいじゃないですか。でも地域映画だからこそ、新しくてどこにでもあるものを出すより田川らしいところを撮りたいと、制作サイドから希望が出たんです。だから、そんな場所を探しました。 とはいえ、ロケ地巡りでご紹介したい場所が2つあります。歴史遺産の「石炭記念公園」内にある「2本煙突」です。ただ、物語の重要なシーンを撮影したのは小学校の校庭なので、残念ながら一般の方にふらりと入っていただくわけにはいかず、これはぜひ我々が作るツアーパッケージに参加していただけると嬉しいなと思っています(苦笑)。 もうひとつは、「二鶴食堂」という食堂です。和風で透明なスープに蒸し麺のちゃんぽん。町の人がふだん食べている食堂ですが、懐かしい感じのお店でとてもおいしい! 観光パンフレットでも紹介しています。3時半くらいに閉めてしまう商売っ気のなさも魅力で、ここのちゃんぽんを食べてもらうだけでも経済効果はあると思っています(笑)。 ――ホルモン屋さんは? 有田 あります。ただ、劇中の「ホルジャガ」ではなく、地元に昔からあるホルモンと野菜を鉄板で焼く「ホルモン鍋」という料理です。「ホルジャガ」はこれからですが、大鍋で作っておいて、お通しで出すとか、お皿に持って出すとか、いろいろな使い方ができそうです。 ――まだプロジェクトの途中ですが、敢えて反省点をあげていただくとしたら? 有田 今回、「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」の助監督だった向田優さんがアシスタント・プロデューサーとして入り、映画に登場する太鼓の団体の調整や、前乗りして太鼓の練習をするメインキャストに帯同して地元の人とキャストの繋ぎなどもやってくれました。向田さんは、加古川市で「地域プロデュース」の大切さを実感したそうで積極的に動いてくれましたが、もっと初期の段階で「実行委員会」や「高校生応援隊」が動く時にも映画制作サイドの見解が分かり、調整できる方がいたらよかったなとは思いました。 ――加古川市でそのポジションを担当されたのが、松本裕一さんだったわけですね。向田さんは、松本さんの下についていたので、その重要性をよく理解して田川市に入られたそうですが。 有田 はい。とても助かりましたが、欲を言うともっと前からいてくれたら助かったなと(笑)。数を重ねることによって、いろいろなケースが蓄積されて、よりよく進められるノウハウが習得できると思います。『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズ第3弾、第4弾が作られるなら、その自治体さんに包み隠さずお話しするつもりです。 撮影現場の有田匡広さん(左) 有田匡広 ありた・ただひろ 〇プロフィール 1973年福岡県生まれ。福岡県田川市職員。10年超の財務事務担当を経て2016年からシティプロモーションや観光業務に従事。2017年にたがわフィルムコミッションを設立し、映像作品を活用した地域振興に取り組んでいる。現在は田川市で撮影されたぼくらのレシピ図鑑シリーズ第2弾「夏、至るころ」にも登場し、その製作過程の住民ワークショップで出されたアイデアメニューを活用して、「映画」と「食」による新たな観光コンテンツづくりに奔走している。 ☆連載 「地域映画」は、本当に地域のためになるのか? プレ連載 https://wp.kinejun.com/2019/10/03/post-945/ 第1回 三谷一夫(映画24区代表)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/10/18/post-982/ 第2回 安田真奈(映画監督・脚本家)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/11/07/post-1078/ 第3回 松本裕一(兵庫県議会議員)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/12/13/post-1572/ ●ぼくらのレシピ図鑑シリーズ http://bokureci.eiga24ku.jp/ ●映画『ぼくらのレシピ図鑑シリーズ』で学ぶ講座 【地域プロデューサー術クラス】と【脚本術クラス】来年春に第2期開講予定 ●お問合せ 株式会社映画24区 TEL:03-3497-8824 HP:http://eiga24ku-training.jp/contact/ -
【連載】『原一男のアメリカ凸凹疾走ツアー 第4回』旅の終わり、夢の始まり
2019年12月18日2019年6月、北米4カ所にて、ドキュメンタリー監督・原一男の業績を称える大々的なレトロスペクティブが開催された。それに合わせ現地へと赴いた原監督たち3人(プロデューサーの小林佐智子、島野千尋が同行)。果たして、日本が誇るドキュメンタリーの“鬼才”はアメリカといかに出逢ったのか? 監督自らが綴る旅の記録、最終回!! 27年前の熱気はどこに 今回のロバート・フラハティ・セミナーに対して、私が不満を抱いてしまったのは前回書いた通りだ。が、私がこのセミナーに参加するのは、実は2回目なのだ。1992年、「文化庁1年派遣芸術家在外研修員」として私がニューヨークに滞在していたときに、フラハティ・セミナーに参加してみないか?と誘われたのだ。27年前のことだ。このときのセミナー全体の熱気が凄かったなあ、と今でも思い出す。一日を三部に分ける構成は今回と同じだが、終日、熱っぽく映画についての議論が切れ目なく続き、参加者たちがゲストの監督を容赦無く批判、問い詰めていた。 私が最も鮮明に覚えているのは、アメリカ実験映画の巨匠であるケン・ジェイコブスのことだ。彼も私と同じくゲストとして招かれていたのだが、彼の『XCXHXEXRXRXIXEXSX』が上映されたとき、凄まじい反感を買った。上映後のディスカッションで、観客が彼をまるで吊るし上げのように責め立てた。 映画の内容は、1世紀も前のモノクロ、サイレントの短篇で、無名作家の作品だと思われるのだが、複数の男女がピクニックに行って裸になったり、乱痴気騒ぎをしている様を、超超超スローモーションに加工、延々と時間を引き延ばして見せるというもの。確かに観ていると、神経が逆撫でさせられるような、不愉快な気持ちにさせられる。 が、それにしても、繰り返すが、ケンに対する観客の批判ぶりが尋常ではなかった。だが、私はこのことですっかりフラハティ・セミナーの意義を肯定的に評価したのだ。いや、ケンの作品を責め立てる観客に同調したわけではなく、醸し出されたエネルギーの熱さに魅了されたのだ。 このときに上映された私たちの作品は「極私的エロス・恋歌1974」と「ゆきゆきて、神軍」。2本とも好評で、ケンとはえらい違いだった。評判が良いのは嬉しいのだが、私の作品をめぐっての論争は起きなかった。だから物足りなく思ったものだ。この複雑な気持ちを分かってもらえるだろうか。 ロバート・フラハティ・セミナーは怖いところだ、と今回ゲストとして呼ばれたある監督が言っていた。私はなるほど、と納得した。それはケン・ジェイコブスのケースで目撃していたから。が、私が実際に目にしたセミナーの印象は、違ったものだった。 もちろん、映画に対する好みは多種多様で良いと思っている。実際、上映された映画に対して、こんな作品に出会えてよかった、と述べている参加者もいたことを知っている。そんなふうに理屈では認めるものの、ケン・ジェイコブスに対して火を吹くような舌鋒で批判して盛り上がっていた、あの27年前の熱気はどこに行ったんだよ、と言いたい気持ちは鎮まらなかった。 そんなわけで、ディスカッションの場では不満が残った今回のフラハティ・セミナー。だが、セミナー全体を通してみれば、私にとって、嬉しいこともあった。 「さようならCP」上映から中一日置いて「エロス」が上映されたときのこと。200人くらい入る劇場だったが、私たちは最後尾の出入り口に近いところに席を取っていた。車椅子を使う小林が他の参加者に迷惑をかけないように、また小林自身が出入りしやすいようにという判断からだ。 上映が終わっても他の参加者が退場してから外に出るようにしていたので、多くの参加者が私たちのすぐ横を通り抜けていく。その参加者が私たちに目線を向けて、ニコッと笑顔を投げてくれるのだ。そしてその数は、3本目の「神軍」が上映された後、さらに増えていった。 こんな嬉しいことがあるだろうか? 私たちが英語を話せないことがわかってるから、直接、話し掛けてはこないが、その笑顔で私たちの作品のメッセージを受け入れてくれたことが十分に伝わった。 休み時間の語らい もうひとつ、このセミナーのなかで魅力を感じた点、刺激を受けたことを書いておきたい。それは上映の合間、休み時間でのことだ。 主催者側は、参加者たちが互いに知り合い、自由にディスカッションできるように、さまざまな配慮をしていた。上映会場での参加者全員の自己紹介。少人数によるグループ編成。午後の上映後に、野外でバーベキューを用意してくれたりと、細かいところにまで徹底していた。実は、そのおかげで、私にとっては最高の場が生まれたのだ。 繰り返すが、私は英語が話せないので、みんなから一人離れて座っていることが多いのだが、マスタークラスを受けた若者が一人、また一人と私に話しかけてくる。その様子を見て別の若者が寄ってきて、私たちの話に耳を傾ける形になる。そんなふうに私を囲んでごく自然に輪が出来ていったのだ。 それらの若者たちのほとんどが、みんな恐る恐る、という感じで私に近寄ってくる。そんなに私はコワモテという印象を与えているのか、と苦笑いするしかなかったが、そんなことは一旦話し出すと、すっ飛んでしまう。みんな話したがっている、いや聞いてほしがってるんだと思ったので、私は途中から聞き役に徹することにした。そんなふうに、トータル10人以上から、個々の話を聞いた。 チリから来たというある青年。「19世紀、自分たちの国チリだけでなく、ペルー、アルゼンチンやボリビア、コロンビアやブラジルなどの国の人たちがアメリカ人によってたくさん殺されました。その歴史的事件を映画に撮りたいんです」。そう語る彼の目は強い光を放っていた。 別の女性。「私は北米大陸に住んでいるネイティブアメリカンです。私たちが住んでいる村の真ん中に、カナダとアメリカの国境線が走っています」。 私は彼らの話に耳を傾けながら戦慄を覚えていた。彼らが描きたいと願っている主題は極めて鮮明だ。闘うべき相手はあくまでも民衆を支配、抑圧する巨大な権力者であり、その権力と闘う以外に民衆の自由はあり得ない。そんな彼らの企画を直に聞くことが、私にとっては最大の刺激であった。 私もゲストの一員だから、こうして休み時間を利用して、私に話しかけて何かを摑めたとするなら、それはそれで、私にとっても、セミナーに参加して良かった、ということになるわけだ。話しかけてくる若者は、マスタークラスで私の講義を聞いた若者たちだが、私への語りかけが講義に触発された結果だとしたら、こんな嬉しいことはない。 こうしてロバート・フラハティ・セミナーの1週間は過ぎていった。しかし、話はこれだけではない。 ▲芝生の上での受講者たちとの語らいは刺激的なものだった 次の目的地のボストンに向けて空港の待合室にいたときのこと。セミナーの参加者で、これから西海岸の自宅に帰るという女性とばったり出会った。セミナーでは、顔を合わせたが、話す機会はなかった女性だ。彼女のほうから私たちに話しかけてきた。「私の母親は障害者なんです。障害を持ちながら私を育ててくれました。今、その母親を撮ってます。だから『CP』を観てすごく共感しました。横田さんの奥さんの産婦人科のシーンを観たときに、母はこうして私を産んでくれたんだと……」と瞳を潤ませた。そして「実は私、今、妊娠しているんです。だから『エロス』を観て、この作品にも共感しました」と語ってくれた。 短い時間だったが彼女と話せて良かった。幸せな気分を感じながら、私たちはボストンへと向かった。 ケンからの贈り物 ボストンは、美しい街だった。いや、美しい街にはあちこちに行ったのだが、ボストンの街は格別な美しさがあった。私たちを案内してくれた主催者が、ハーバード大学の所在地であるケンブリッジという街の由来について教えてくれた。 ケンブリッジという名前を聞いて、あれ、ケンブリッジってイギリスの街の名前じゃないか? と思われた人は多いと思う。そうなのだ。実は、イギリスのケンブリッジからアメリカへと移住してきた人々が、愛する故郷を偲んで、1700年代のケンブリッジの街に似せて、このボストンに街を作り、名前もズバリ、同じ名前にしたのだそうな。 個々の家々も、上品な装飾が施されていて、ほどほど広めの大きさで、手入れが行き届いた庭を持っていた。聞くと、ここの一角に、あのフレデリック・ワイズマンの邸宅があるという。へえ! 私たちがどんなに頑張っても、こんな邸宅は持てっこないなあ、と思うと複雑な気持ちだった。 上映会場は、ハーバード大学美術館の地下1階に設えた劇場だ。この美術館のデザインは、パリのポンピドゥセンターの設計者で、レンゾ・ピアノという人だそうな。そう言われると、そのポンピドゥセンターよりは上品だったが、確かに共通する面影があるなあ、と感じたものだ。 ここの主催者は、この劇場の館長で、ハーバード・フィルム・アーカイブのヘイデン・ゲストさん。そして、もう一人、准教授のアレキサンダー・ザールテンさん。ふたりとも、気さくな人だったが、会話を重ねるごとに、日本映画に関するお二人の知識の量が並外れて多く、圧倒された。 このお二人に限ったことではないが、日本映画について、ホントによく勉強してるなあ、と驚かされた人に、これまでに何人も出会ってきた。ハリウッド映画によく登場する悪役を見慣れているせいで、私なんぞは、アメリカ人って、こんなに暴力的で、粗野で、アホな人種なんだ、と思いがちだが、このお二人のような人に会うと、私の中のアメリカ人像を修正しなければと思う。 ▲ハーバード大学美術館での講演も好評のうちに終えた さて、今回の北米ツアー。3週間という日程は、長かったようで、短かった! というのが実感だ。 最後にとっておきの旅の土産話を書いておこう。MoMA が終わって、トロントに発つ前日のことだ。あのケン・ジェイコブスから、一緒に映画を作らないか、 と持ちかけられたのだ。 アメリカの神と日本の神が闘い、そして共闘して、人間の生き方の間違いを正すために罰を与える、というストーリーだ。まだアイデアの段階なので、ストーリーはどんどん変わっていくだろう。お金だって、どうやって集めるんだ? という超難問が控えているし、企画自体がホントに実現するのかどうかも分からない。だが、実現したら、すごくオモシロいではないか! そう、これは、夢なのだ。ケンは私に夢をくれたのだ。ヒトは夢がないと生きていけない。私もフラハティ・セミナーの若者たちに、多少は夢をプレゼントすることができたかな、と思っている。 今回の上映ツアーの最大の収穫は、私自身が、改めて、やる気がフツフツと湧いてきたことだ。この連載の1回目で書いたことだが、日本とアメリカのドキュメンタリーの違いについて、つまり「日米ドキュメンタリー比較論」を本格的に追究したいと思っている。私は50年間、ドキュメンタリーに関わってきた。ならば、その意味を総括したいではないか。自分がこだわってきた方法を理論化して後世に問いたいと思う。 そしてもう一点。ツアー中、漠然と感じたことだが、アメリカ自身が、行き詰まり感とでもいうような、ある種の過飽和状態にあるような、そんな感じを受けたのだ。いや、あくまでも私が受けた印象だが。この私の直感のようなものが正鵠を射ているならば、そこに日本のドキュメンタリーの魂をぶつけてみると、おもしろい展開になるなあ、と。ひとつの旅の終わりは、次の、始まりなんだ、とそんなことを考えていたら、わくわくしてきた。 最後に、今回の上映ツアーでは、実に大勢の方たちにお世話になった。また新作を引っ提げて再会できることを願っている。 ▲ケンブリッジでは留学中の真利子哲也監督(右端)とも出会った (終わり) 制作:キネマ旬報社 【連載第3回】『原一男のアメリカ凸凹 疾走ツアー第3回 』ロバー ト・フラハティ・セミナ ー 【連載第2回】『原一男のアメリカ凸凹疾走ツアー第2回』スコセッシとヤンキー・スタジアム 【連載第1回】『原一男のアメリカ凸凹疾走ツアー第1回』米MoMAで特別上映された鬼才・原一男監督、マイケル・ムーアと再会! 【筆者プロフィール】 原一男(はら・かずお) 映画監督。疾走プロダクション代表。1945年、山口県生まれ。 「ゆきゆきて、神軍」(87)、「全身小説家」(94)等で知られる日本屈指のドキュメンタリスト。 新作「れいわ一揆」が待機中。 -
『原一男のアメリカ凸凹疾走ツアー第3回 』ドキュメンタリーの聖地に立つ!
2019年12月16日2019年6月、北米4カ所にて、ドキュメンタリー監督・原一男の業績を称える大々的なレトロスペクティブが開催された。それに合わせ現地へと赴いた原監督(プロデューサーの小林佐智子、島野千尋が同行)。果たして、日本が誇るドキュメンタリーの“鬼才”はアメリカといかに出逢ったのか? 監督自らが綴る旅の記録、第3回!! 国境線を越えて ▲出発前のホテルでの1コマ。これからの”戦い”に備えて休息をとる。 次の目的地は、ロバート・フラハティ・セミナーが開催されるコルゲート大学だ。所在地はニューヨーク州の中央部にあるハミルトン郡なのだそうだ。 ニューヨークといえば、マンハッタンしか知らない田舎っぺ(?)の私は、へえ、アメリカってやっぱり広いんだなあ、と感心するばかり。そのコルゲート大学へは、陸路を車で移動することになった。トロントを出発する朝、私たち3人(原、小林、島野)を迎えに来た車は、大型のSUV。乗り心地は最高だ。フラットな道のりを快適に飛ばす。 4時間くらい走っただろうか。右手にナイアガラの滝が見えてきた。ちょっと寄り道して近くで見たかったが、時間の余裕がなかった。滝のすぐそばにカナダとアメリカの国境があり、検問所があった。 私たちが海外へ行くとき、ほとんどが飛行機を利用する。だから、「国境」というと、空港での入管や税関の手続きがすぐに想起される。実は、陸路で出入国するのは、私にとっては初めての経験であり、内心かなり緊張していた。それは最近の、空港での厳しいチェックの体験からくるものだ。しかし、同時にワクワクもしていた。国境が持つ独特のイメージに魅かれていたからだ。 私は映画の世界に足を突っ込む以前は、報道写真家になりたかった。世界の国境線をテーマにした写真集を出したい、と考えていたことがあった。私たちの国ニッポンは島国だ。だから隣り合う国の間に引かれた国境線という存在に憧れ(?)に似た気持ちを抱いていたのだ。陸続きでありながらふたつの世界に分断してしまう国境線。ベルリンの壁。アメリカとメキシコを分断する有刺鉄線。同じ民族でありながら憎しみと悲しみを生みだす元凶である北朝鮮と韓国の軍事境界線……。私の想像力は果てなく広がる。そのカナダとアメリカの国境の検問所。厳しいチェックがあるはず、と私の心は躍っていた。 だが、実際見てみると、その検問所は、高速道路の料金所とほぼ同じ造りであった。我々は車から降ろされることもなく、パスポートを係官に渡して待つこと1分少々。係官が無愛想な顔で、通ってよし、というジェスチャーで首を振って、無事通過。あっけなかった。空港でのそれとは大違いだった。 緑の中の聖地 そこから1時間ほど走っただろうか。風景が変わってきた。人家が少なくなってきて、緩やかな丘状の畠や林が多くなってきた。やがて、辛うじて街としての佇まいを感じる程度になり、ついに目的地のコルゲート大学に着いた。特に大学の門があるわけでもなかった。樹々も整頓された感じで、緑が美しく、校舎の目の前に池があり、広大な敷地が広がっていた。驚いたのは、建物と建物の間の距離が、日本の大学と比べものにならないくらいゆったりとしていることで、ああ、こんな環境で学べたら素敵だろうなあ、と思えたのだ。 とりあえず、主催者側のスタッフが、我々が泊まる宿舎に案内してくれた。車で5分ほどの移動。横田基地周辺にある米軍住宅のようなハウスが我々の宿舎だった。中は、質素でシンプル、設備はホテルほどではないものの、十分な広さがあり、これはこれで1週間を快適に過ごせそうだった。 言い添えておくと、他のゲストは、学生寮で合宿するような感じだったというから、車椅子で移動しやすく、階段の昇り降りのないフラットな宿舎を選んでくれたのは、小林と私に対する特別な配慮だったのだろう。 ところで、ロバート・フラハティという人物がどんな人か、ご存知だろうか。 ウィキペディアには、こう紹介されている。 〈ロバート・ジョセフ・フラハティ。アメリカ合衆国の記録映画作家、映画監督。ドキュメンタリー映画の父として知られる。映像作品にドキュメンタリーの語が用いられたのは、フラハティの「モアナ」を紹介する1926年2月8日付のニューヨーク・サン紙の記事が最初とされる。〉 ドキュメンタリー映画史上欠かすことのできない、超有名な人物の名前を冠しているわけで、それだけでも、このセミナーが掲げる高邁な理想を想像できるだろう。アメリカが映画大国であることは誰しも認めるだろうし、様々な映画関連の団体が存在するのだが、その中でも、このロバート・フラハティ・セミナーは群を抜いて特異で、映画を学ぶ者にとっては、ある種の聖地のような輝きを放っている。 ▲コルゲート大学の宿舎。空の広さも忘れがたい 真剣勝負のあとで…… さて翌日。セミナーは夜からスタートということで、私のミッションとしては、午前中にマスタークラスが組まれていた。聞けば、このマスタークラスは、世界各地から選ばれたスカラシップたちのために特別に組まれたプログラムということだ。30歳前後の若い人たちが35人。これまでも国内外の数々の映画祭でマスタークラスを受け持ってきたが、ここは一味違っていた。一般の映画ファン向けというトーンではなく、大学の特別講義ふうなのだ。それは私にとっても、願ったり叶ったりだった。 いざ講義を始めてみると、いつものおもしろおかしく、というノリではなく、真剣勝負のようなピンとした空気が場に張り詰めてきた。それは、スカラシップたちの目の色が違っていたからだ。持ち時間は2時間。遠いアジアの、日本からの講師の話を聞くのは初めてだろうなあ、と思いつつ、私自身、これまでのマスタークラスより格段に緊張感を持って彼らに語りかけた。聞いている彼らも、私を注視して目をそらすことがなかった。非常に空気が濃い時間だった。2時間の持ち時間とはいえ、通訳が入るから実質は1時間。持ち時間が終わったとき、ああ疲れた、でも内容的にはまだ半分。もっと話したい、と感じたのだった。 そんな心地よい疲労に見舞われながら、お昼は大学の食堂でとることに。教師や学生たちがグループで食事をしながら議論できるようにという配慮だろう、広い空間に、大きなテーブルが多く設置されていた。メニューは、ビュッフェ方式。なかなかバラエティに富んだ豪華な食べ物が並んでいて、日本の大学の学生食堂の安かろう、不味かろうの貧しいメニューとは天地の差だ。 ご存じの方もいると思うが、ヨーロッパのほとんどのホテルがビュッフェ方式の朝食付きだ。珍しいものだから、あれもこれもとつい欲張って皿に大盛りにしてテーブルに着く。そして食べ始めてすぐに「しまった、取りすぎた」と気づくのだが、残すともったいない、と思い、頑張ってお腹に詰め込む。決まって、ああ、食べすぎた……と後悔するのが落ち。ここのビュッフェも、そうだった。幸い、セミナーは夜からだったから、宿舎に戻って昼寝をすることにした。 もっと激しい議論を! さて、いよいよだ。20時から、ロバート・フラハティ・セミナーの本番が始まった。私たちのデビュー作「さようならCP」(72)が、オープニング的な意味合いを込めて上映された。これは素直に嬉しかった。今回のアメリカツアーのために、島野君と小林とが、お金のやりくりから技術的な問題点まで様々な課題を抱えながら、DCPを作ってくれたおかげだ。こうして鮮明な画面を見ていると、苦労した甲斐があったんだなと思う。二人とも、ご苦労さん。 上映後は、討論するための場が別に設けられていて、全員移動。さっそくディスカッションが始まった。とある男性がその口火を切ったのだが、なんと痛烈に、非難的な口調。あなたたち制作者は、横田さんをはじめとする障害者の人たちに対して、とてもひどいことをしている。被写体となる人たちに、撮影のアポイントを取ってから撮影したのか? と。撮影中に、映画をやめたい、と言い出した横田に対して私と「青い芝の会」(脳性麻痺者自身による問題提起などを目的として組織された障害者団体)のメンバーが頭にきて横田家に押しかけ、私が喧嘩を売りながらカメラを回したシーンを指しての発言だ。場が一気に緊迫した。 私は彼の意見に苦笑いをしながら聞いていた。「CP」が完成して初めての上映会を、東大全共闘の学生たちが駒場の大教室を借りて実施してくれたときのことを思い出していた。このときも、上映後のQ&Aの場で、映画に対して、というより、主人公の横田たちに対する私たちの態度がひどいということで、非難囂々だったのだ。 せっかく率直に「CP」に対して反感を表明してくれたのだから、売られた喧嘩は買ってこそ、ディスカッションである、さて、どう反撃しようかとあれこれ考えていたら、司会者から、もう少し他の人の発言を求めましょう、とお預けを食らった。すると2番目の発言者は、そういう失礼な言葉を製作者に向けるべきではない。もっと冷静に製作者の意見に耳を傾けるべき、と援護してくれた。その後は、散発的に批判する意見はあったものの、冷静な空気の中で質疑応答が続いた。もっと激しい議論を期待していた私は、正直、不発だったなあ、と思った。 この「CP」は私たちの作品の中でもっとも説明的な要素が少ない。だから、一見して分かりにくいという印象を多くの観客が抱くと思っている、と断った後で、私は、横田とこの映画を作るにいたったいきさつ、「青い芝前史」とでも言うべきエピソードを語った。ディスカッションの時間は、1時間を目処にと決められていて、司会者が私の話を遮ろうとしたが、もう少し長く話をさせてほしいと断り、話し続けた。私にすれば「青い芝前史」を知ってこそ、この作品の思想性やテーマが理解できる、と思うからだ。一気にまくし立てる私の話にみんなじっと耳を傾けてくれた、と思う。時間は大幅にオーバーしたが、やはり喋って良かったと思っている。 ▲上映後のディスカッションにて。いささか大人しい議論に、物足りなさが残った ここでセミナーの構成を説明しておこう。午前の部は、朝9時から上映がスタートする。午後の部は、ランチ後、14時から。そして夜の部は、ディナーの後、20時から上映開始だ。上映後にディスカッションという流れはいずれも同じ。どんな作品が上映されるかの事前の情報は一切ない(この作品、前に観たから私は観なくていいわ、ということのないようにという配慮だそうだ)。この構成から窺えるように、朝から晩まで、いや夢の中まで、映画をめぐって論争しなさいよ、と参加者たちはアジられているのだ。建前は、そうなのだ。が、どうも現実はそうなってないのでは、と私は不満を募らせていった。 何が原因なのだろうか? ひとつには、司会者が、参加者の発言を議論が膨らむような方向へと導いていないように思える。ふたつには、プログラムされた作品の多くが、そもそも議論を呼ぶような作品ではないのではないか。ジャンルは実に様々だ。実験映画、アニメーション、劇映画ふうなもの、日記ふうなもの、昔のフッテージを集めたもの……。だが、私からみれば、どれも小粒すぎる感じだ。私たちの「CP」が唯一、議論を誘発する作品じゃないか、と思うほどだ。 今回のセミナー全体のプログラマーのシャイ・ヘレディアさんが、「CP」をオープニングに持ってきたことで論争が起きて良かった、と言っていたことを後で耳にした。そうなんだ、やはり主催者は、激しい論争が起きることを期待しているんだ、と私は納得した。(次回へ続く) 制作:キネマ旬報社 【連載第2回】『原一男のアメリカ凸凹疾走ツアー第2回』スコセッシとヤンキー・スタジアム 【連載第1回】『原一男のアメリカ凸凹疾走ツアー第1回』米MoMAで特別上映された鬼才・原一男監督、マイケル・ムーアと再会! 【筆者プロフィール】 原一男(はら・かずお) 映画監督。疾走プロダクション代表。1945年、山口県生まれ。 「ゆきゆきて、神軍」(87)、「全身小説家」(94)等で知られる日本屈指のドキュメンタリスト。 新作「れいわ一揆」が待機中。 -
加古川市が作った映画の微熱は続く
2019年12月13日「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」 ©2017 映画24区 連載「地域映画」は、本当に地域のためになるのか? その3 松本裕一さん(兵庫県議会議員)インタビュー 映画24区が運営する『ぼくらのレシピ図鑑シリーズ』第1弾「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」(17)のプロジェクトに、制作担当として関わった松本裕一さんは当時、加古川市の市議会議員だった。若き日に若松組や高橋伴明組、NCPや日活撮影所を拠点に制作部として映画制作に携わっていた経験を活かし、地元の加古川市に戻ってからは、まちづくり活動の一環としてフィルムコミッションの設立にもトライしてきた。 そんな経歴を持つ松本さんだが、当初は『ぼくらのレシピ図鑑シリーズ』のプロジェクトに懐疑的、むしろ反対だったという。それがなぜ、地域活性に映画づくりを活かせると考えるに至ったのか。現在は兵庫県議会議員である松本さんにお話をうかがった。 取材・文=関口裕子 走り出した映画の計画 加古川市で撮影された「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」 ©2017 映画24区 ――当初は加古川市で映画を作ることに反対だったとうかがいました。市の予算を使って映画を製作するとなると、市議会議員として懐疑的になるのは当然だと思います。むしろ疑問なく進んでしまうほうが怖い。まずはどんなところが肯定できない要素だったのか、教えていただけますか? 松本 市が製作費をほとんど出して映画作るってそもそもあやしいでしょ(笑)。地域映画でうまくいったところはないって思ってましたし。ずいぶん前ですが、地域活性化を考えて、加古川市にもフィルムコミッションが必要なのではないかと模索したことがありました。当時、兵庫県内には神戸と姫路、淡路の3カ所しかありませんでしたが、神戸と姫路のちょうど真ん中の加古川にフィルムコミッションを作って、県南部で連携できたらいいなと思い、フィルムコミッションのオーソリティである前ジャパン・フィルムコミッション理事長の田中まこさんが、当時は神戸フィルムオフィスの代表でしたので、まこさんに相談しながら、加古川市に設立のアプローチをしていました。しかし、行政がお金を出すとなると成果物が求められるわけです。それは刷りものであったり、冊子であったり、形に残るものでないとならない。フィルムコミッションの目的はそこではないので、なかなか話が進みませんでした。ただ、加古川市にある明治末期から昭和初期に建造された地元企業の社宅群を撮影に使いたいというオファーが続いたりして、フィルムコミッションを立ち上げないまま、撮影協力を続けていたところ、「ひょうごロケ支援Net」が設立されて、フィルムコミッションがない自治体の協力体制ができてきて、加古川市でも観光協会などが必要に応じて撮影協力を続けてきました。そんな活動をしていたこともあり、2016年夏頃に「実は映画を作る話があるのですが……」と担当者から聞かされました。 当時はバタバタして保留にしていたんですが、しばらくして、ふと気になって「あれどうなった?」と担当者に聞くと、けっこう話が進んでいて。でも映画作るっていうのに具体的な予算や進行を把握しきれていない。製作の部分は制作会社に任せておけば大丈夫みたいな雰囲気があって、言われるがままに進めていたし、それでは予算通すのも難しいですよね。悪い意味じゃなく、自治体の職員の多くはたぶんそんな感じだと思います。ましてや経験のない映画製作ですからね。でもこれは放っておいたらまずい、と思った。それがスタートです。しばらくほっといて文句言うなって担当の課長には怒られましたけどね(笑)。でも最近の地域映画の現状とか知りたくて、知り合いのプロデューサーに紹介してもらって、近年地域映画で製作に関わった自治体の担当者の方にお話を聞かせてもらいに行ったりもしました。 ――そこからどのように肯定的なスタンスへと変わっていったのでしょう? 松本 たとえば、この予算はどの部分にどれくらい使うものなのか、スタッフはどんな体制なのか、現場の費用をどう考えているのか、二次使用の契約はどうなっているのかなど、担当者を通じて映画24区と詰めてもらった。その間に、最初にやろうって言いだした課長の熱意も感じたし(喧嘩もいっぱいしましたが)、映画24区代表の三谷一夫さんも何度か加古川に足を運ばれ、会って話をしていくうちにこれはなんとかなるかなということと、うまく活用すればいろいろできるかもしれないなと思い始めました。 シビックプライドを育む 「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」のワークショップ ――三谷さんは準備のときの対話が何よりも大事と話されていますね。 松本 はい。そうですね。ただ、やるとなったら徹底的にやらないといけないと思いました。その時点では、市にとっての成果がすごく曖昧だったんです。最近よく聞く「シティプロモーション」という言葉は「外向きの発信」として語られますが、外に発信するのは本当に難しい。丸投げ状態で映画を作ったらなおさら、外向きのプロモーションなんてできるわけがない。でも議会で予算を通すには、外向きのほうが納得されやすいです。「加古川市をこれだけ外に発信できます」とアピールするわけですが、簡単にはできないと分かっていたので、そこに「内向き」という重要な要素を加えたんです。 ――目的は3つあったそうですね。1つは「外向き」のシティプロモーション。2つ目は市民参加。3つ目はシビックプライドの醸成、つまり市民が「わがまち」に誇りをもつこと。後者の2つが「内向き」ということですね。 松本 はい、若い人たちは加古川市の良いところを何も知らずに進学や就職で離れていく。それは大きな損失だというのが考え方のスタートです。一度出て行っても、生まれ育ったまちに愛着やふるさと意識があれば、やがては「まち」の活力になってくれる可能性もあります。 そのために、映画製作においてこれだけは絶対に守ってもらうという条件を決めました。全篇市内で撮影する、地元の資産を最大限に活用する、それから地元の方言をつかうこと。そうして、「シビックプライド」を醸成できる仕組みで映画製作を進めてくださいと。それは、なにも観光名所を出してくださいということではなくてね。でも、まあ加古川出身のタレントや芸人さんには出演してもらって、地元の方言で話してもらいましたけど(笑)。 ――ただし、それらが決まったのは3月だそうですね。「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」の撮影は7月。かなり短い期間で映画の準備を進めなければならなかった。脚本を作るにしても市内の資産を改めて検証しなければならないし、シナリオハンティング、ロケーションハンティングも必要です。 松本 そうなんです。でも地元としては脚本が上がってこないと準備ができない。できた時点でGOですとは言っていました。ただ、安田真奈監督と何度も加古川について話していたので、イメージはできていたなと思います。でも実際には、4カ月ではタイトでしたね。オリジナル脚本ですからね、よく間に合ったと思います。安田監督じゃなかったら難しかったかもしれません。 高校生と公務員も成長した 高校生たちが積極的に映画に参加 ――加古川市では、高校に呼びかけ、「高校生応援隊」を組織されたそうですね。脚本作り、ロケハン、完成後の告知や応援など映画の公開にも貢献したとうかがっています。高校生応援隊はどの段階で? 松本 予算が通ってからでないと告知を出せないので、各学校に案内を出したのは4月です。映画製作のお手伝いの募集や、オーディション、ワークショップのお知らせもその時に一緒に。学校によってボランティア活動や課外活動については温度差がありますから、信頼性を示すためにも、映画の実行委員会からではなく市から呼びかけてもらいました。 ――高校生応援隊については、安田監督のインタビューで詳しくご紹介させていただきましたが、活躍された方々は今どうされていますか? また、高校生応援隊の枠組は現在も継続中ですか? 松本 卒業して上京した子はなかなか関われないですが、映画の上映会に今も来てくれます。まだ公開から2年ですから、市としても高校生応援隊を続けています。卒業しても来てくださいねと呼びかけたり、新たに高校に呼びかけたりもしているので、やることがあれば関わりやすい環境ではあると思います。 ――今年、高校生ならではの視点で、加古川市の魅力をPRする動画も作られたそうですね。 松本 最初は映画づくりをきっかけに集まってもらいましたが、完成したので、次は新たにシティプロモーションを考えるという目標を掲げました。みなさん、モチヴェーションが高くて、自分たちのまちをプロモーションするにはどういう方法があるか、1年かけて考えたわけです。全国の実例を調べたり、映像を見たりしながら会議を重ねていましたが、映画作りを経験しているので、きっとムービーをやりたいと言うだろうなとは思っていました。 高校生応援隊が加古川市PR動画を制作 http://www.city.kakogawa.lg.jp/soshikikarasagasu/kikakubu/kikakubukohoka/citypromotion/1566981241784.html シナリオ作りからやりましたが、集まれるのは月に1、2回でしたので時間がかかり、3月までには終わりませんでした。一応予算も付いていたんですが、どう考えても年度内には終わらないと思い、特に予算が必要というわけではなかったので、年度をまたいで5~6月で撮影、8月に完成させました。最後までこだわったのは、原案、脚本、キャスト、撮影や編集まで全部彼らが自分たちでやること。それは最初から決めていました。 ――これに対する松本さんの関わり方は? 松本 保護者みたいな感じで立ち合い(笑)、軌道修正しながら大事なところだけ手伝って見届けた感じですね。会議の案内と場所の提供は市にしてもらいました。この事業を担当したシティプロモーション担当者も一緒に成長していったところはあるかもしれません。 フィルムコミッションの立ち上げを考えたときも、市の職員は、いわゆる役所仕事(本当は皆さん頑張って仕事しているのですが)では済まないことがたくさんあると言い続けましたが、仕事の仕方を少し変えたらできることがたくさんあります。特に現在は、イベント系の事業は民間のほうがパワーがあるし、ノウハウも持ってます。市は直接行わず、民間やボランティアを応援する立場へと変わってきています。半面、職員がそういった一から作っていくという事業を経験できる機会が減ったという側面もあります。そういう意味では、今回の映画製作という未知の事業を推進することで行政側が成長することも目的の一つであったわけです。あくまで裏目的ですけどね(笑) ――今回、「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」で実施されたことは、映画だけでなく市の人材育成などすべてにつながりますね。 松本 そうですね。そうなるのが一番いいんですけど、そんな簡単には成果は生まれない。ただ、一人でも二人でもそういう経験を積んだ人が組織の中にいてくれたら、何かの形でプラスにつなげられる可能性があります。 映画の現場を離れ、地元で別な仕事を始めたときに思ったのが、映画の現場ってすべての仕事で求められることが詰まっている、ということでした。であれば、特にまちづくりが仕事の公務員は、それを本気で経験して欲しいと思いました。 ――市としての評価は? 松本 評価できないですよね。何をもって評価するのか。たとえばシティプロモーションの動画の再生回数が多ければ良い評価だとは言い切れない。加古川市の場合はただ、「市民と一緒にやりました」という人が増えた。これがひとつの成果だと思います。現在、こういったチャレンジをする自治体が減ってきています。市長にもリーダーシップより、うまく回せることが求められるようになってきています。だから面白くないですよね。隣のまちとうちのまちが違うのは当たり前で、だからこそ、その違いをどう活かすかなんですが、それがしづらくなってきている。元々、加古川はそういうチャレンジに慎重な市だったので、本当にいろいろな出会いや偶然が重なってできたのだと思います。 当事者をたくさん作ること 松本裕一さんと高校生たち ――結局のところ、プロジェクトを推進する時に重要なのは“人”ですよね? 映画24区は映画と出会う人々の学びの場と銘打って、『ぼくらのレシピ図鑑シリーズ』で学ぶ【地域プロデューサー術クラス】と【脚本術クラス】を開催していますね。その中でどんな人材が育てば、シティプロモーションにつながる映画作りができると思いますか? 松本 難しいことだとは思います。ただ要所要所にキーマンはいます。その方々をきっちりコーディネートできる人さえいれば可能になると思います。この人に言ったらなんとかなる、というようなことが地域にはいっぱいあります。弁当一つとっても、この人にお願いすればきっちりやってくれるとか(笑)。そこをうまくコーディネートできればいいんだと思います。 そのためにはちゃんと人間関係を作れる人でなければいけない。うちの場合はバタバタでしたけど、1年準備して、翌年撮って、次の年に公開も含めてイベントを行う、3年計画であれば、人間関係は作れると思いますし、その中でキーマンも探し出せるでしょう。どこのまちにも必ずいると思うので、そういう人たちをオーガナイズしていければ、できるんじゃないかと思います。うちの場合でも超ハードスケジュールで、関わってもらったみんなに騙された~って(笑)言われましたけど、いい仲間たちです。地域プロデューサーに一番求められるところはそこだと思いますね。それと製作側、自治体側それぞれの目的とねらいを理解すること。これがわかっていないと始まりません。そして関わる人の満足度を上げることを常に考えていくことですね。 ――人間力ですよね。 松本 まあね(笑)。全部をコントロールしようと思ったら無理ですけど、地域の中にはいろいろ考えている人がそれなりにいるので、うまくつながっていくことができれば。当事者(仲間)をたくさん作る、ということなのかな。 ――それに「映画のことは分からない」ではなく、地域活性事業として進めていく上では、同じスタンスで映画人と話すことも必要なのかなと。 松本 そうですね。フィルムコミッションを立ち上げようと思ったときもそれは主張してきました。自分の場合はそもそも映画人としてのプライドがありましたけど、福岡県田川市で『ぼくらのレシピ図鑑』第2弾の「夏、至るころ」を進めている福岡県田川市職員の有田匡広さんは、自ら地域プロデューサーの役を担われたわけですが、わざわざ加古川市を訪ねて来られて、熱心に質問をされました。最初から映画作りや加古川モデルを理解してスタートされたと思います。そういう姿勢が大事ですよね。定時になったから帰ります、じゃダメな世界ですから(笑)。加古川市の職員も頑張ってくれましたよ。 ――松本さんと今回一緒に仕事をした助監督の向田優さんは、田川市では松本さんのポジションに入られているそうですね。松本さんの志を継いで、みなさんをしごかれているそうです。 松本 しごいてはいませんけどね(笑)。今でも時々一杯やりながら、あーだ、こーだやってますよ(笑)。プロデューサーって曖昧な職業じゃないですか。規模によってやることや求められることが変わるし、これがベストのプロデューサーの仕事だと教えることができないというか。「こうなればこうなる」という答えがないので、非常に難しいし、経験から学ぶしかない部分が多い。プロデューサーという仕事には、色んな経験が大事なのかなと思います。 ――「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」や「【高校生応援隊】加古川市PR動画」が、加古川出身の方が「加古川、いいな」と思うきっかけになることを祈っています。 松本 そうなるといいですね。行政関係者の方には「加古川モデル、いいな」と思ってもらえたら。まあでも加古川もこれで終わりじゃなく、まだまだ仕掛けますよ(笑) 次回は、「夏、至るころ」の田川市職員・地域プロデューサーの有田匡広さんに登場していただきます。 松本裕一 まつもと・ゆういち 〇プロフィール 1969年生まれ、加古川市尾上町在住。加古川市議会議員を2006年から12年間務める。2016年、「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」に制作担当として参加し、市民と一緒に映画を作った。2019年に兵庫県議会議員となる。☆連載 「地域映画」は、本当に地域のためになるのか? プレ連載 https://wp.kinejun.com/2019/10/03/post-945/第1回 三谷一夫(映画24区代表)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/10/18/post-982/第2回 安田真奈(映画監督・脚本家)インタビュー https://wp.kinejun.com/2019/11/07/post-1078/●ぼくらのレシピ図鑑シリーズ http://bokureci.eiga24ku.jp/ ●映画『ぼくらのレシピ図鑑シリーズ』で学ぶ講座 【地域プロデューサー術クラス】と【脚本術クラス】来年春に第2期開講予定 ●お問合せ 株式会社映画24区 TEL:03-3497-8824 HP:http://eiga24ku-training.jp/contact/