「呉清源 極みの棋譜」のストーリー

1914年、中国の福建省に生まれた呉清源(チャン・チェン)は、7歳から囲碁を始め、すぐに“天才少年”と呼ばれるようになる。日本囲碁界の重鎮、瀬越憲作(柄本明)は、彼を日本に呼ぶため尽力し、彼は母(シルビア・チャン)と兄と共に日本に渡った。その後盟友、木谷実(仁科貴)と従来の常識を覆す「新布石」を提唱して新風をもたらした呉清源は、トーナメントを勝ち抜き、最高段位の本因坊秀哉名人(井上尭之)との挑戦権を得るが、奇抜な打ち方で激怒させ、日中決戦の色合いを深める。その後、木谷実との対戦でも反中派から脅迫文が送りつけられるなど、呉清源は日本と中国との間で揺れ動くことになる。1935年精神的な支えである西園寺公毅(米倉斉加年)が他界し、救われがたい孤独に苛まれ、中国で紀卍会に入信。日本帰国後は日本国籍を取得し、昇段試験で全勝するが、結核が再発し療養所へ入院してしまう。時代は戦争を迎えており、母や妹が帰国する中、呉清源は中原和子(伊藤歩)と結婚する。やがて戦争のパニックの中、彼ら夫婦は長岡良子(南果歩)が教祖である、璽宇教に入信し、彼らと行動を共にするようになる。翌年広島で、重要なタイトル戦である本因坊戦が行われ、その最中、原爆が落とされる。戦争が終わると、長岡は、呉清源の名前で報酬を得ようと、兄弟子の橋本宇太郎(大森南朋)との対局を命令し、宗教にも翻弄される彼はその後、警察の捜査命令をも受ける璽宇教を、逃げ出した妻和子と共に脱退する。1961年、呉清源はオートバイにはねられ、その後遺症で試合が出来なくなる。それは、事実上王者の地位の終止符であった。そして1984年、呉清源の引退披露式での連碁。兄弟子である橋本宇太郎の第一手は、呉清源の得意とする「天元」。その時、その敬意の表し方に会場はどっとわき上がったのだった。

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