解説
ブロードウェイでヒットした同名ドラマの映画化。ベストセラーとなったパトリック・デニスの原作を「バンド・ワゴン」のコンビ、ベティ・カムデンとアドルフ・グリーンが脚色、監督は舞台でも演出に当ったモートン・ダコスタ。撮影は「パジャマゲーム」のハリー・ストラドリング。音楽はブロニスロー・ケイパー。出演するのは舞台劇と同じくロザリンド・ラッセルをはじめ、フォレスト・タッカー、フレッド・クラークら。
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ユーザーレビュー
「メイム叔母さん」のストーリー
10歳の孤児パトリックは父の遺言で婦人家庭教師ノラと一緒に、たった1人の身内であるメイム叔母さん(ロザリンド・ラッセル)の邸を訪ねた。享楽家のメイム叔母さんはカクテル・パーティをやっていた。そこへパトリックの法定後見人であるバブロック(フレッド・クラーク)がきた。バブロックは、パトリックの教育のことで、メイム叔母さんと論争、数カ月後には彼女の手許からパトリックを奪い、コネチカットの田舎町にある学校におしこめた。1929年に起った株の大暴落は、メイム叔母さんの財産を奪った。だが陽気な彼女はそんなことにおかまいなく、いろんなアルバイトをはじめた。しかしそれもことごとく失敗した。とどのつまり、大売り出し中のデパートお売子となり、そこで南部出の紳士ボウレガード(フォレスト・タッカー)と知り合った。しかし勘定書の書き方も知らぬためここもクビ。クリスマス・イヴの日、メイム伯母さんを慰めにやって来たのはボウレガードだった。彼は彼女を南部の町に招待した。やがて2人の間は恋愛に発展し、結婚にゴールインした。しかしその幸福も長くは続かなかった。ボウレガードはアルプスの高峰マッターホルンから墜死してしまった。今は大学生に成人したパトリックは、メイム伯母さんに、秘書と文士を雇って波瀾に富んだ自叙伝を書かせることにした。パトリックにはグローリアという女友達があったが、彼女の両親はメイム伯母さんの無軌道な奔放ぶりが気に入らなかった。彼は、伯母さんの新しい秘書ペギーンの方がグローリアよりも好きになっていた。年月が流れ、パトリックには妻のペギーンと、10歳になる息子マイケルができていた。マイケルはインド行の夢を見たが、両親に反対され、メイム伯母さんを訪ねた。彼女は小さなマイケルに、かつてのパトリック同様新しい人生のコースを教えた。
「メイム叔母さん」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「メイム叔母さん」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | ドラマ |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 1959 |
公開年月日 | 1959年7月11日 |
製作会社 | ワーナー・ブラザース映画 |
配給 | ワーナー・ブラザース |
レイティング | |
カラー/サイズ | カラー |
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