映画専門家レビュー一覧
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空気殺人 TOXIC
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
謎の肺疾患の原因を探る、サスペンス風の立ち上がりを見せるも、その原因はいとも簡単に判明する。そのことに呆気に取られているとすぐに、本作は企業の商品を使用して健康被害を被った被害者たちが大企業を訴える裁判映画だったと気づかされる。しかし、論証の積み重ね、巧みな話術、法の隙間を突く奇抜なアイデアといった裁判映画の醍醐味は薄く、実は相手側の人物に隠された秘密があったという、単なる人物設定でしかない要素が最大の仕掛けとなっているところが少々残念。
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文筆業
八幡橙
前作「君に泳げ!」は邦題含め首を傾げたが、今回は実在する、記憶に新しい事件が下敷きに。チョ・ヨンソン監督は実話の重みを受け止めた上で、単なる事実の羅列でなく入り組んだ映画的構成を盛り込みエンタメとして昇華させようと尽力したのだろう。その熱意や強者VS弱者という他人事でない構図に、キム・サンギョン&ユン・ギョンホ、脂が乗った二人の渾身の演技など見るべきところは大いに感じた。ただ、ラストの蛇足感含め、意外性を狙うが余り無理をしすぎた面も少々。
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秘密の森の、その向こう
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米文学・文化研究
冨塚亮平
瑣末なシーンの集積から徐々に若手俳優の思わぬ魅力的な表情を引き出していく得意の演出が冴え渡っており、映画初出演だというサンス姉妹の存在感は特筆に値する。一方で、さりげない瞬間を重視するせいか、作品の長さを問わず冗長すぎると思わされる局面も多かった過去作と比べても、限定された空間を舞台として、中心となる設定の不思議さを除いてきわめてシンプルな構成を採用したことが奏功し、主題と尺のバランスが改善されたことで、全体を通してぐっと引き締まった印象に。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
見事に構成された人物関係や物語、厳格な画面といった美点が、ややもすると堅苦しい形式主義に転じる恐れがあるように思えるセリーヌ・シアマだが、本作は驚くべきシンプルさが全体を貫いており、実に気持ちがいい。現在と過去を行き来する実にファンタジックな設定は、ほとんど風が吹いて揺れる木の葉と同じような自然さで扱われている。もはや物語の妙は必要とせず、極力無駄を削ぎ落とし最小限の形式に、女たちのささやかな会話さえあれば良い、という凄みすら感じさせる。
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文筆業
八幡橙
「燃ゆる女の肖像」と同じく、本来の居場所ではない空間での女と女の物語。とはいえ今回セリーヌ・シアマが描くのは、瓜二つの8歳の少女二人の、森の奥での時空を超えた密かな邂逅だ。「誰からも愛されない子供なんていない」と訴えた、シアマ脚本の「ぼくの名前はズッキーニ」により近い子供目線で綴られる、不思議でいて妙に身近な絵本のごとき大人の寓話。いくら年齢を重ねても、少女の頃の瞳は変わらない。そのことを、監督特有の美と怪奇、薄皮一枚の幽かな境に描く珠玉の一本。
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ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド
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米文学・文化研究
冨塚亮平
単純なビートルズ映画ではなく、自分探しでインドに行ったらたまたま彼らと会ったという爺さんの当時を振り返る語りが続く相当な珍品。半世紀前に交わした何気ない会話をこの正確さで覚えていられるものなのか、といった疑問も湧くが、少なくとも彼の記憶の再現からは、感じのいい兄ちゃんたちとしか言いようがない自然体のビートルズの姿が垣間見える。現存メンバーの証言はないものの、バンガロウ・ビルのモデルとなった人物の回想には笑った。マニアにとっては貴重な一本だろう。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
ビートルズの楽曲があまり流れないところからも察することができる、一風変わったビートルズのドキュメンタリーだ。しかもビートルズのインド訪問について、資料や証言をもとにその足跡を辿るのではなく、実際に同じ場所で同じ時を過ごした本作の監督であるポール・サルツマンの、言ってみれば思い出話であるところもとてもユニーク。ビートルズの音楽的な才能の豊かさも、当時の人気の熱狂も、音楽史に刻まれた影響もほとんど顧みない、奇妙な静けさが漂う不思議な作品。
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文筆業
八幡橙
題名のとおり、“インドへ瞑想の旅に出たビートルズとの(監督の)出会い”の映画。副題をつけるなら、“20代で自分探しにインドに行ったら、ビートルズがいて驚いた!”といったところか。いわゆる「ホワイト・アルバム」収録の名曲たちの誕生秘話が最大の目玉だが、ポールやリンゴの現在の肉声はもちろん、楽曲も基本流れないことから、分厚いガラス越しに眺める伝説のバンドの遠き白日、といった感が否めず。リンチの語る瞑想と創作についてのくだりは、非常に興味深かった。
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渇きと偽り
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
小説を読んでる気分になった。先がどうなるかドキドキしながら読み進める感じ。友人の死から始まる導入もいい。主人公の男はキレものらしく常に沈着冷静。相棒の警官のへなちょこ具合が愛らしい。過去の事件と現在の事件がどう絡まっていくのか? だんだん興味がそこに向かっていく構成も見事だ。なかなか事件の真相が分からない。まだかまだかとイライラする。男はブレない。間違えても焦らない。もうちょい焦ろよ!とツッコミを入れてしまう。サスペンスが楽しめる良作。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
かつて友人だった少女が川で溺れたこと、そして幸せなはずの友人家族が心中したとされる事件。二つの悪夢が交差しながら、刑事になった主人公によって謎は紐解かれてゆく。非常にスリリングで、見ていて先が気になり面白いものの、追い詰められた真犯人の最後の行動や、孤高な刑事の表情、事件の動機など、どこか2時間ドラマを見ているような気分が抜けないのは、綺麗にまとめられすぎているからか。雨の降らない街の乾いたざらつきをもっと感じたかった。少女の歌声が耳に残る。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
昔の同級生といい感じになるが、電話が鳴って中断。なるほど、これは「寸止めもの」か。事件の解明とはつまり射精のメタファーというわけだ。20年前にキスして、その気になったところで消えたエリー。解決済みのエリー死亡事件の真相究明は、彼にとって「個人的なこと」だという。遺品を見つけて真相に迫る姿は、20年越しの射精に向けて、想像を膨らませて自慰行為に耽る男そのものだ。彼は謎が解けたと思い、家路につく。満たされた表情で「ふう」と吐息を漏らしながら。
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LAMB ラム
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
何か考えていそうな羊たち。犬や猫も何かを感じているようだ。その不穏さにまず引き込まれる。淡々とした夫婦の描写が続く。アレが現れてもしばらくは何が起こっているのかよく分からない。全く先が読めない。ボンクラな弟が帰ってきてヤバいことが起こりそうだ。どうなる?どうなる?とワクワクする。夫婦に以前子どもがいたってことをベビーベッドひとつで描写しているところとか、説明セリフをほとんど排除した映像表現に唸る。だんだん成長する羊ちゃんがひたすら可愛い。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
「明るいことが恐ろしい」と謳われた「ミッドサマー」と同じ製作・配給会社A24が送る本作。アイスランドのだだっ広い山間部の息をのむほど美しい自然の中で作り出される不穏な空気感。羊から生まれてしまった「何か」にアダという名前をつけ、人間のように育てる羊飼いの夫婦。育ての母と生みの母の対立は、人間と動物=自然の対立を生み出す。また、夫の弟という異物をどう受け入れるか、あるいは排除するのか。その緊張感の重なりが作り出すどの瞬間の映像にも釘付けになった。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
子を失った夫婦が誘拐をする。我が子のように育て続けるため、本当の母親を殺す。そして、家族3人幸せに暮らし始めるが……という話なのだが、この「子」というのが、頭が羊で首から下は人間の変わった生き物である。右半身は腕も羊だが、左半身は肩から人間で、胸も人間だ。お風呂のシーンがあり、わざわざ左胸だけが見せられるので、たぶんハートは人間ということだと思う。さて、この子は羊と人間との間に生まれたのではない。そういう組み合わせの話ではないようなのだ。
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日本原 牛と人の大地
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
シンプルなアングルからでも共感に至ることができる(もちろんそれも人によるわけだけど)沖縄の米軍基地問題や原子力施設反対の住民運動と違って、本作の舞台となっている日本原駐屯地の問題は、戦後の特異な左翼史と密接に結びついているだけに、まずはその史実から解きほぐす必要がある。しかし、1時間50分をかけてもこの作品は牛と人を通して情緒に訴えるばかりで、知りたい情報に関しては一方的な立場からしか提供されない。正直、何を見せられてるのかわからなかった。
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映画評論家
北川れい子
反基地運動に軸足を置いてはいるが、ヒデさんは、いわゆる活動家ではない。普段は陸上自衛隊と地元が共同利用している「日本原」で、牛飼いと農業を営んでいる。但し現在この土地を利用しているのはヒデさん一家だけ。それにしてもヒデさんの日常を記録したこの作品から見えてくる、戦前から戦後に及ぶ歴史的 情報量は、かなり貴重で、ヒデさん自身にもドラマがある。ナレーションをヒデさんの息子さんが担当しているのも説得力があり、一見地味だが、見応えのある記録映画。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
本作の主な被写体となる内藤秀之さんとそのご家族に、戦後から現在までの日本の課題が凝縮されているのが興味深い。60年代の反権力闘争を学生時代のみの活動ではなくその後の人生につなげていった秀之氏のピュアさ、その衣鉢を継ぐ長男の大一氏はもちろん、抗議活動に積極的でない次男の陽氏の対立を厭う感性も近年の左派劣勢の原基的なものを示すかのようだ。しかし本作監督はその陽氏をナレーション担当として起用することに成功している。その説得、融和にこそ希望がある。
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よだかの片想い
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
企画も作品の完成度も文句なしにシャープだった「わたし達はおとな」に続く、メ?テレと制作会社ダブのシリーズ第二弾。過去の島本理生原作映画と比べてもいささか文部科学省推奨作品的な題材で、城定秀夫の脚本もプロの仕事に徹していて、置きにいった作品かと思いきや、ラスト5分で印象が激変。若い女性にとっての恋愛を精神の解放ではなくある種の抑圧として描き、シスターフッド的連帯に着地、と言うのは簡単だが、安川有果監督は見事にそれを映像で表現している。
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映画評論家
北川れい子
左側の頬に痣があることでひっそり生きてきた主人公の自意識が、人前に出て恋をしたことで、その自意識から解放されるという話で、宮沢賢治『よだかの星』が、さりげなくべースになっている。結局は独りよがりというか、独り相撲に終わる恋の相手が、作家性にこだわる映画監督というのがくすぐったいが、話のメインはあくまでも主人公の顔に対する自意識。そう言えば劇中で撮影中の映画のタイトルは「わたしの顔」。メイクという落としどころで顔からも自由になるラストがいい。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
ちょっといい話にとどまらぬ硬質な繊細さがある。あと速度も。ヨーロッパの恋愛映画には活発な議論や対決の姿勢がある。当事者同士がバンバン喋り、想いをぶつける。日本映画、アジアの映画では恋愛映画=個々の物思い、みたいになってないか。それは民族性や文化だろうが、映画は描写に閉じこもるよりも認識の表現となるほうが強い力を持つ。本作と、松井玲奈演じるヒロインは珍しくその発信力がある。彼女が顔面血まみれになる場面の活劇性や、サンバを踊る場面の爽快さも良い。
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