映画専門家レビュー一覧

  • G.I.ジョー 漆黒のスネークアイズ

    • 映画監督

      宮崎大祐

      ポップコーンを抱え、ド派手なアクション・シーンに身を任せればいい。どこまでいっても子供用玩具を映画化したブロックバスター映画に違いないんだから、細かいことにいちいち目くじらを立てなさんな。それはわかってる。それはわかってるんだけど、過去二作は最高だったんだ。ひるがえって本作は子供に対しても不親切すぎないか? スネーク・アイズとトミーの友情の端緒すら描写されないなんて。そんな映像片をかろうじて映画らしきものにつなぎとめる石田えりは世界水準。

  • ロン 僕のポンコツ・ボット

    • 映画評論家

      上島春彦

      ピカチュウとサトシの関係を思わせる人と機械の凸凹コンビが主役。友情は金じゃ買えないという世界観を体現し、その次元で文句はない。企画の根幹はSNSシステムに対して「こんなもん、要らねえよ」という話なのに、そういうわけにもいかなかったようでヘンな事態になった。こういう未来、大歓迎ですという終わり方なのだ。そうなの? ひたすら狂騒的なアニメ演出も何かヤケで色々やってる気がして痛々しい。ここに現れる人類は皆、絶望を恐れて互いをくすぐり合ってる感じだ。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      ロボットが暗がりの怖い少年のために自ら発光してやる描写には温かみを感じるが、それは設計されたプログラミングで可能なアクションであるはずで、であれば少年が「ポンコツ」ロボットのどこにそこまで惹かれ、最終的に全世界までもが崇めるまでに至りえたのか不明。プロットの詰めが甘く、単にエラーとバグを「人間味」にスライドさせ、ハイテクノロジーへの否定感情を組み合わせただけの表層的な物語に過ぎない。決して「ベイマックス」のような高い完成度を期待してはいけない。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      われわれが生きるこの世界は才能や人格よりもフォロワー数といいねの数が重要視される世界だ。事象をどこまでも平等に、外的に定量化していく近代の結実として誕生したこの息苦しい世界に、大型のスマホのような不良ロボット・ロンとアナログ少年が立ち向かうという道具立ては悪くない。負け犬たちが並び立つ終盤も涙をそそる。しかし、いかんせんユーモアと語りがにぶい。現代のCGアニメは映像表現に限界がないため、むしろ物語の洗練に向かっているものだと思っていたのだが。

  • ひらいて

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      原作は綿矢りさの文芸作品だが、キャスティングからも、大半のシーンが校内であることからも、ジャンル的にはティーンムービーと言っていいだろう。そういう意味では、近年自分がいろんな場所で苦言を呈してきた「ティーンムービーの作り手が中年男性ばかり問題」を根底から引っくり返してくれるような快作だ。同性でも共感できる人は限られそうな女子高生の歪な心の動きを、歪なまま淀みなく映画的に表現できている。そのストーリーテラーとしての基礎体力の高さに舌を巻いた。

    • 映画評論家

      北川れい子

      「私をくいとめて」「勝手にふるえてろ」など、映画化された綿矢りさ原作の女子たちは、ほとんど独り相撲でころんだり、躓いたりしていて、観ていてイライラすることが多いのだが、本作の、恋しい相手に受け入れてもらうために、どんな遠回りも辞さない女生徒には、結構、肩入れしたくなった。校舎の外壁を忍者顔負けで飛び越えたり。相手の秘密の恋人に近付いての大胆な行動も独り相撲のリアクションとしてスリリング。首藤監督がそんな女生徒に偏見を持たずに描いているのもいい。

    • 映画文筆系フリーライター

      千浦僚

      原作未読。高校生活終盤というくぐり抜け方の難しい時期を器用に切り抜けられそうなヒロインがその小器用さゆえに自らに切実な実感がないと思い、あるカップルの男女双方に対して誘惑者になるとは面白い物語。「テオレマ」の謎の青年の動機もひょっとしたらそれか。アイドルダンスの本番直前放棄は、独走トップの長距離走をゴール直前でやめるのに匹敵する。かつて諸作品で生き惑いの当事者だった山本浩司、河井青葉、板谷由夏、萩原聖人が教師役や親役であるのに世代交代感。

  • CUBE 一度入ったら、最後

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      なぜ24年も前の映画をリメイクしようと思ったのか。密室で性善説と性悪説が混沌とし、良きリーダーに見えた黒人警官が白人たちの支配者と化すパワーバランスの変化がオリジナルのキモなはず。それを凌駕するテーマも新しい切り口があるワケでもない。オリジナルより17分長く、緊張感も不気味さもドラマも17分の1。錚々たる役者、何の勝算があって出たのか。本作に関わった人たち、これを面白いと思ったの? 誰も何も言わなかったの? 映画愛を疑う。全員戦犯、CUBEに閉じ込めたい。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      ある日突然、謎の空間に閉じ込められた人々の不条理劇。殺伐とした生き残りゲームであった一昔前の「GANTZ」に比べれば、脱出を目指す集団行動を通して、隠れていた個々の人物像が次第に顕わになっていくという、古典的な脱出劇のような妙味はある。そこに経済格差や世代間対立のような社会的なテーマが隠し味としてふりかけてもある。ただ、そんな古典性、社会性がこの映画を凡庸なものにしている。結果としてどの人物もステレオタイプで、深みを感じられないのだ。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      なぜ今、「CUBE」の日本版リメイクなのか。オリジナル版独特のトーンとともに形成された、普遍性を内包する観念的な世界観を、経済格差や世代間ギャップなど、日本の現代社会が直面する課題も照らし合わせ、より具体的に探究しようと試みる製作陣の熱意は伝わる。とはいえ、様々なトラウマと闘いつつ、閉じ込められた“CUBE”の謎に挑む老若男女の人物像に未消化さが残る分、その内面や背景に深く踏み込もうとするほど、話がリアルさから逸脱していく歯がゆさも感じられた。

  • グレタ ひとりぼっちの挑戦

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      グレタの顔がいい。頑なでいつも不機嫌そうな顔。時々笑うと可愛い。彼女を見ているだけで、映画を見ていられる。気候変動問題を語るグレタの言葉は、危機感でいっぱいだ。焦ってるのが伝わってくる。無理しないでほしいと願う。蒲団に潜り込んで出てこないグレタを見て、本当はまだまだ子どもなんだと思う。15歳だもんな。発作的に繰り返す足踏みが可愛い。あと、気になるのはお父さんだ。グレタの行動にいつも付き添っているお父さんは、仕事とかどうしてるんだろうか。

    • 文筆家/女優

      睡蓮みどり

      言葉が伝わらないことに思わず涙するグレタさんのことを、感情的だとか、バックに誰かいるとか、目立ちたいだけだとか好き勝手に叩く人々に本当に腹がたつ。映画としてはとてもシンプルな作りで、カメラはずっと横にいて同じ高さで彼女を見つめている。彼女はただ、環境問題が悪化していることに心の底から胸を痛めていてそれを訴えかけているだけなのだ。他のメディアが作り上げてしまったイメージとは全然違う。それを映しているだけで十分にこの作品が作られた意味がある。

    • 映画批評家、東京都立大助教

      須藤健太郎

      グレタが父親と喧嘩している場面で、カメラは2人を遠めから撮っているのに声がやけにクリアで、ああ、これはピンマイクでも仕込んでいるのかと思ったら一気に白けた。そこからはどうも構成が先に立つことが気がかりになった。スターダムへの道を歩む前半があり、逆風にもめげずに活動を続けて最後はヨットで大西洋を横断。NYの国連本部での、あの有名な「How dare you!」がクライマックスなわけだ。あとは字幕でって、まるでもう終わったことを扱うような手つき。

  • ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      浅野忠信が喋っている中国語は、多分吹き替えだと思うんだけど、日本語を喋ってる時と声が違うので、変な感じだった。やたら人が殺される。残酷描写は迫力がある。でも理由が今一わからなくて置いてけぼりにされる。人物関係が飲み込めていないからかもしれない。チャン・ツィイーがエロくて良かった。エロと暴力はたっぷりある。何が足りないのか? 浅野忠信の子どもが殺されるのもよくわかんなかった。わからなくても面白い映画はたくさんあるけど、これはわからなくて困った。

    • 文筆家/女優

      睡蓮みどり

      とにかく、すごく長く感じてしまった。人がバンバン死ぬわりには全てが淡々としていて、マフィアの裏切りと愛憎の割には緩急がない。ちっとも官能的ではない浅野忠信とチャン・ツィイーのラブシーンなんかもあるのだけど、正直観ているのが辛かった。どの登場人物にも心を奪われたり、はっとさせられたりする瞬間がなかった。キャストを含め豪華なのかもしれないが、この映画からはなぜか華を感じない。「MINAMATA」の浅野忠信がよかったのでよりそう感じたのかもしれない。

    • 映画批評家、東京都立大助教

      須藤健太郎

      まあ、この邦題です。もっとむせかえるような濃厚なドラマを期待してしまう。だから、ちょっと拍子抜け。ジャンプカットの多用とか真上とか真正面とかシンメトリカルな構図っていうのか、スタイルのためのスタイルばかりで、ドラマはむしろ解体されていて。前半のピースをわざと欠けさせたような画面連鎖や場面構成は、後半のパズル的な作劇の展開に利用されないと釈然としない。ただ繰り返すんじゃなく。個人的な趣味でいうなら、もっとキッチュであってほしかった、かな。

  • プリテンダーズ

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      今年公開された作品だと「スプリー」や「メインストリーム」など、YouTuberの自己承認欲求というのは東西問わずタイムリーな題材のようだが、「映像を撮ることについての映像」という入れ子構造になるからだろうか、どうしたって不快な主人公になってしまうからだろうか、上手くいった例を見たことがない。本作はそれ以前の問題として、監督の持説を代弁させたような稚拙な台詞の数々にうんざり。YouTubeの台頭を待たずに、日本では映画が表現のハードルをとっくに下げている。

    • 映画評論家

      北川れい子

      SNSやユーチューバーの暴走を描いた映画は世界的な流行で、珍しくもなんともないが、熊坂監督自身のオリジナル脚本による本作、見る前に飛ぶという若い世代の特権と、その危うさに焦点を当て、かなり小気味いい作品だ。集団やシステムにまったく馴染まない休学中の女子高生が、ひょんなことから思いついたのは、善意のフィクションをSNSに流し世界を変えること。口達者な彼女の言動は未熟なりに説得力があり、“引きこ森”なる造語も痛快。演じる小野花梨の天衣無縫ぶりに感心。

    • 映画文筆系フリーライター

      千浦僚

      本作ラストには、DaiGoが抱樸で研修しようとしたときまたそこでも撮影をしようとしていたのに似たものがあり、多分主人公は反省できないがそれもまた良し。道具立ての新しさとは別に罪と罰対応が古典的で、その普遍は好きだ。「暴行儀式」(80年、監督根岸吉太郎、脚本荒井晴彦)のラスト、若者らが“僕たちは人を殺した”と叫びつつ通りを練り歩く場面を観たとき、ソーニャによるラスコーリニコフへの“広場に行って改悛せよ”は未だ有効だと思ったが、いまも有効かと。

  • 歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3・11をたずねて

      • 脚本家、映画監督

        井上淳一

        佐々部清愛に満ち、物申し難い雰囲気にもまた満ちている。しかし毎回同じことを言わねばならない。これは果たして映画だろうか。そもそも佐々部さんを知らない人は観るだろうか。そして3・11。佐々部さんだけでは弱いから漂流ポストを入れたとしか思えない中途半端さ。やるなら佐々部さんが被災地で何を撮りたかったか探る構成にしないと。タイトルに偽りあり。この便利使いは佐々部さんも怒るのでは。でも僕が死んでも誰もこんな映画を作ってくれない。佐々部さん、幸せだと思う。

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