映画専門家レビュー一覧
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カウラは忘れない
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編集者、ライター
佐野亨
近作では松林要樹「オキナワ サントス」と並んで、戦時そして戦後の忘れられた歴史に光を当てた作品。昨今さまざまな場面で誇り高き日本人などという美辞のもとに隠蔽されている個の軽視と同調圧力の恐怖が、丹念かつ誠実な取材と節度ある構成によって静かに迫ってくる。「忘れられた」と書いたが、「忘れる」ことは自然の風化のみならず、時代の風潮と思惑によっても起こりうる。歴史を伝えようとする演劇人や学生たちの姿ににじむ、「忘れない」という意思が未来をつくるのだ。
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詩人、映画監督
福間健二
一九四四年八月、オーストラリアの収容所から日本兵一一〇四人が脱走して二四三人が死んだ。申し分ない待遇でも、脱走は「死ぬため」。その決行へと動いた集団心理の前提と押し切られ方のおぞましさに、主に、生きのびた人たちの証言から迫る。これを題材にした坂手洋二の劇の、現地での上演の様子も。「生きて虜囚の~」の呪縛に何が負けるのか。日本人、昔はダメだった、ではすまない。ハンセン病を発症してきびしい道を歩んだ人と女子高生たちの交流がいい。満田監督、手がたい。
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オキナワ サントス
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フリーライター
須永貴子
70年前の事件の実態と、なぜこの事件が公に語られずに歴史の闇に葬り去られたのかを明らかにする、二層構造が深みになっている。枢軸国側だった日本に対するヘイト本の存在や、移民内での沖縄の人への差別、日本の敗戦を認める移民と認めない移民との間での「勝ち負け抗争」など、現在の日本が抱える病巣に繋がる事柄ばかりで驚愕した。事件の当事者への取材を時系列で並べた構成は、やや薄味の印象。編集にもう少しのメリハリを、インタビュイーの発言にテロップを。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
第二次大戦下のブラジルでこんなことがあったとは!? 枢軸国でなおかつ中国を侵略していた日本はブラジルにとっては悪そのもので、サントスに住んでいた日系移民はスパイと見做され、強制退去させられる。その人たちの多くが沖縄からの移民なのだ。沖縄の民はなぜこんな目に遭うんだろう。日本では、本土防衛のための踏み台にされ、10万人以上の無辜の人々が殺された。にも拘わらず、サントス事件の当人やその末裔の人たちの顔の良さはなんだろう。こんな顔の日本の政治家は皆無だ。
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映画評論家
吉田広明
戦時下でのブラジル日系移民の強制収容。ブラジルにおいてその事実が長らく隠蔽されてきた日伯の地政学の問題、その六割が沖縄人だったというその特殊性、また日系移民間にもあった沖縄差別。提起されている問題は複数あるが、そのどれに対しても踏み込もうとしない。そもそも監督がこの問題を追いかけてみようと思ったその動機、また取材を通じて知ったことから何を描こうと思ったのかその狙いが伝わってこない。思想=哲学を欠いていることが、事実の複雑さに迫れない根本原因。
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キネマの神様
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映画評論家
北川れい子
いささかこじんまりしているとは言え、いまから半世紀以上前の撮影所風景は映画好きには堪らない。リリー・フランキーが演じる監督のモデルも、日本映画に詳しい人なら、あっあの監督ね、とつい嬉しくなる。けれども菅田将暉が助監督として走り回る若き日も、そのなれの果てである沢田研二のパートも、昭和的なエピソードばかりが続き、どうも話がもどかしい。過去の夢だった脚本『映画の神様』の復活も、何かズルしているような。全体に地味なのは作品を引っ張る俳優が不在なせい?
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編集者、ライター
佐野亨
判断のむつかしい映画。松竹映画史のあからさまな参照をもって、批評性よりひたすらセンチメンタリズムに傾いていく作劇も、型通りで古くさい人物造形も、本来なら鼻白むところだが、いまこのときを有無を言わさぬ力技で盛り込み、ここまでいけばあっぱれ、と臆面もないラストに心動かされるじぶんがいた。小林稔侍の役柄ふくめ、亡き盟友・大林宣彦への思いがにじむあたりも胸に迫る。志村けんで観られなかったのはつくづく惜しいが、沢田研二のこれ以上ないみごとな演技に拍手。
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詩人、映画監督
福間健二
監督昇進までこぎつけながら撮影初日に躓いた男を中心に人間模様を描く。挫折までの過去と、半世紀後にそのときの脚本を孫と直して百万円の賞をとるまでの現在。「奇跡をおこしてでも届けなくてはならない物語」だと山田監督は本気で考えたのだろうか。かつての撮影所での体験を垣間見せるが、事実の取り込み方が半端。「豪華キャスト」が実はさびしい。たとえば永野芽郁はいいが、永野~宮本ラインはどうだろう。松竹関係者のみなさん、この程度の思い出と「神様」で納得ですか。
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映画 太陽の子
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フリーライター
須永貴子
プロの仕事を堪能できる秀作。特に、主演の柳楽優弥をはじめ、俳優陣の演技が素晴らしい。戦時中を描く作品は、ファッションや髪型などでキャラクターをわかりやすく区別ができない上、場面が大学の薄暗い研究室となるとなおさら見分けにくい。それなのに、原子核爆弾の開発に勤しむ7人を、早い段階で観客に識別させるカット割りと演出に唸った。もちろん、俳優たちの役への深い理解が伝わる芝居ありき。研究室のシーンに参加した俳優たちに、アンサンブル演技賞を贈呈したい。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
予備知識なく見始めて、これがテレビ関係者によって作られたものだろうと感づき、エンディングロールが流れて、やはりそうだったのかと知る。僕はテレビドラマは大好きだが、映画とは別種のものだと思っている。この映画(?)がテレビ的だと思ったのは、たぶん人物造形がいかにも社会派ドラマにありがちなものだったため。つまり「正しき人々」なのだ。原爆を製造しようとしている人々だが、究極の平和を実現するためと言い張っている。「正しき人々」はどこか胡散臭い。
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映画評論家
吉田広明
幼い頃からの夢で物理学を専攻、愛情深い母、友達のような弟、芯のしっかりした従妹からなる家族にも恵まれた大学生。科学や家族という貴重なものを戦争が汚染するわけだが、しかし彼が従事する科学とは原爆の製造であり、科学自体の価値観にも疑念が生じる(次に京都に落とされるかもしれない原爆の爆発観測のため比叡山に籠るという展開もなかなかに狂気じみている)。映画の本体は科学の魅惑と狂気にあり、悪く言えばありきたりな戦時下の家族劇が本体の深掘りを弱化させている。
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サマーフィルムにのって
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フリーライター
須永貴子
いろいろあっての体育館でのクライマックス。生徒たちが見守る中で、ハダシと凛太郎が剣に見立てた掃除道具をぶつけ合うそのやりとりは、肉体的接触はないけれど、誰にも割り込むことができない、紛れもないラブシーンだった。ハダシが映画監督になり、彼女が作った映画を凛太郎が受け取る未来までもを、ひと夏のストーリーから感じさせる、青春映画の大傑作。二人の体がクロスした瞬間を切り取ったラストショットの残像が、今でも脳裏にこびりついて離れない。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
映画愛に満ちた人には、やはり同業者として好感を持ってしまう。主人公のハダシが時代劇好きで、「座頭市」や「眠り狂四郎」や「椿三十郎」をこよなく愛しているのもいい。しかも彼女は勝新や三船の殺陣までしっかりマネできるのだ。実際、ラストの彼女の殺陣はグッとくる。が、あの撮影時の映画に対する取り組みの雑さはどうにも看過できない。ママゴトやごっこ以上の何物でもないと思ってしまう。それに、SF発想まで飛び込んでくると、もうついていけない気になってくる。
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映画評論家
吉田広明
作りごととはいえ撮影場面がでたらめだとか、当て馬たるキラキラ馬鹿恋愛映画に尺取られてメタ映画なのに映画内映画の内容がよく分からないとか(本来、映画内映画と本篇の二篇の映画を構想、それが対位法をなすことで本篇が奥行きをもって見えてくるよう作り込むべきだが、それをネグっているかに見える)疑念はあるが、時代劇の対決はラブシーンという映画の核の哲学には賛同するし、ラストの殺陣も悪くない。何より映画の記憶・体験から楽しそうに映画を作っている感じに好感。
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元カレとツイラクだけは絶対に避けたい件
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映画評論家
小野寺系
ジャウム・コレット=セラが製作に関わっているだけあり、アメリカで作ったかと思うようなスウェーデン映画だ。空が舞台ではあるものの「オープン・ウォーター」や「海底47m」と同じく、海洋サバイバルものとしての見どころ十分、迫り来る数々の危機に目が離せなくなってくる。中でも燃料補給のための決死の行動は手に汗握る臨場感で、冒頭こそ共感しづらかった登場人物たちに同情を覚えるほどだった。クライマックスのロケーションにも驚かされるが、ラストの展開だけは弱かった。
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映画評論家
きさらぎ尚
主人公が元恋人同士。そのワケアリな関係の二人が乗ったセスナ機で、パイロットが急死したために、絶対絶命の大ピンチに陥る。スリルとパニックのシチュエイションは整っている。景色も美しい。主人公の二人は演技もそこそこで、微妙な雰囲気を醸成している。パイロット役のK・デイヴィッドも含めて、キャストの調和が魅力的。なのに単調なストーリーに加えて肝心な脚本が浅いので、せっかくのコンセプトがぐらぐらして面白さ半減。唐突で都合のよい終わり方にも不満が残る。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
絶体絶命のシチュエーションに私生活で悩みを抱えている登場人物が放り込まれるというパニック映画の王道ど真ん中の作品で、パニックの舞台がセスナという以外は殆ど新鮮味がないとはいえ、ジャンル映画としては一定水準を保った面白さで最後まで飽きずに楽しむことができるし、中盤、燃料切れに端を発する「冷たい方程式」的な展開が顔を出したときはドキリとしたのだが、その部分をびっくりするくらい淡泊に処理しているのはもったいないと感じたし、倫理的な引っかかりも覚えた。
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明日に向かって笑え!
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
「おしゃれ泥棒」のアイデアが登場するが、こちらは全くもっておしゃれではない。2001年という時代設定は、高額現金がギリギリ扱われていた時代か。物理的現金そのものが出現しなければ、強奪という行為は絵にならない。正義に基づく復讐劇は、義賊という形で古今東西古来から存在する。今作が特徴的なのは、妻を失った元サッカー選手はじめ、第二第三の人生を生きる老人たちに未来があるところ。人生は思ったより長く、夢や希望、欲望を持ち続けることが楽しく描かれている。
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フリーライター
藤木TDC
どの国にもジジイ映画の需要はあるようで、地球の裏側アルゼンチンからやって来た三匹ならぬ“七人のおっさん”はR・ダリン、D・アラオスら名優の渋い演技見物には悪くない。ただいかんせんテンポがあまりに緩慢だし斬新なアイデアやおっさん各々の特技の見せ場があるでもなく、完璧に予測できる平板展開と伏線にならない端役のどうでもいい余話に延々つき合うのは辛いし笑えない。アルゼンチンじゃこんな呑気な映画を2019年の経済危機まっただ中に公開して皆笑ったのか?
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映画評論家
真魚八重子
ファーストシーンのフラッシュフォワードが必要だったのか疑問。なけなしの金を集めていく順調そうなオープニングは、この不穏な未来の匂わせによって、すべてが起承転結の転待ちになる。不幸の訪れをほぼ知っている状態なので、結果的に転までは意外性のない単調な演出が続いてしまうのだ。ただ定型から出ないシークエンスの連続ではあるが、俳優陣の雰囲気や個性は味がある。理不尽な不幸の畳み掛けがかなり強烈なため、私腹を肥やす上級国民への復讐劇は慰撫に感じる。
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